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硬派の鳶職
18の時に、神社の足場を、親方の奥さんと2人で組んでいたら、美人の巫女さん2人が休憩しませんか?とお茶を持ってきてくれた。
当時、童貞で硬派を気取っていた俺は、無言で足場(3メートル)から飛び下りたが、3超ロングのニッカ服だった為、裾をひっかげて宙ぶらりんになったあげく、ズボンが脱げてしまい、足場で顔とお腹を強打しつつ、下半身丸出しで巫女さんの前に投げ出された。
落ちた時に、体の側面を強く打ってしまい、ブッ!と屁をこきながら軽く失禁してしまった。
痛くて意識が朦朧としていたが、オシッコだけは止めようと思ったが、チョロ…チョロチョロと垂れ流し状態に…
帰ってから泣きながらオ●ニーした。
あの時の巫女さんの顔が今でも忘れられない…
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be動詞
英語が苦手な山田は、myを使って文を書けと言う問いに対し、こう解答した。
Mypenisbig
数日後、答案が帰ってきた。
山田の、この文章の隣には赤ペンで、
1.単語間は一文字分のスペースをあけること。
2.be動詞がありません。
と、美人の英語教師らしく綺麗な文字で書いてあった。
しかし山田はisってbe動詞じゃないの?と言っていた。
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トウチャン…
小2で母親が死んで三年経ったとき、テレビでお母さん特集みたいなの見てたら親父が「なあ、お前新しいお母さん欲しい?」って言ってきた。
俺は親父に彼女ができたんだと思って、本当はいらないって言いたかったけど、とっさに「わかんない」って変なこと言った。
そしたら親父が「いらないよな。そうだろ?俺もいらねえよ。周りは結婚し直せってうるさいけど冗談じゃねえってんだよ。俺の女房はあいつだけだよ。お前のお母さんもあいつだけだ。そうだろ?」って答えたんだ。
俺はこれ聞いて、涙声で「うん」って答えて自分の部屋行って、母親の写真眺めながら号泣した。
その一年後、親父はフィリピン人と結婚した。
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英雄
英雄
俺たちの世代最強のネタ小僧、S木という男がいた。
「男子の髪は耳にかからない程度の短髪」と校則が変更された際にはモヒカン刈りで登校し、「制服スラックスのスリム・ドカン改造禁止」とされれば’60年代テイストのパンタロン型に改造する。
そして3年生の春、身体検査が行なわれ「男子はジャージを上下脱ぐこと」と連絡用プリントに明記されていた。
その学校では男子は体育館で、ひとまとめに行なわれる(女子はクラス別に保健室)のだが、俺たちのクラスを受け持つのは30代前半くらいの若い女医。
スリムでなかなかの美人だった。
行列に並びながら仲間と「おい、たまんねーな」とふざけていると、にわかに体育館の後ろの方が騒がしくなった。
そしてそのざわめきは次第に大きくなり、やがて大歓声へと変わっていた。
大歓声に包まれながら現れたのはやはりS木。
しかも彼はジャージの上下どころかパンツや靴下、シューズも身に付けない文字通りの「全裸」で登場。
さらに彼の股間のワルサーP38はM16ライフルへと進化(勃起)していた。
「パンツを穿く事を義務付ける」…これを書き漏らした学校側のミスを彼は見逃さなかったのだ。
怒張するペニスに狼狽する女医に向かい歩を進めるS木。
体育館は「S木コール」に包まれた。
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子供DJ
先日ホームセンターに行ったときの事。
私が品物を選んでいるすぐ後ろに親子がいた。
で、5才ぐらいの男の子が、ペンでタッチすると国名を読み上げる地球儀をえらく気に入ったらしく、しばらくタッチしまくっていた。
耳障りだなぁと思いつつも聞いていたら『オオオオオ-ストレィリア~オッオッオオ-オ-スト…ペキン!!ペッペッペッ… (高速でタッチして)ペペペペペキン!!』と、にわかDJのような事をし始めた。
その子の父親は『止めなさい!』と言いながらもツボにはまったらしく、『イヒッヒッ…ブェッ!!』と吹き出す始末。
私もその父親の笑い方と、子供の見事なDJっぷりに、肩プルプルさせてたのだが、子供はもう夢中でDJ続行。
そして『ブラッ…ブブブブッブラブラッ…ちんち-ん!!』と、今度は嬉しそうに叫びだした。
父親は、慌てて取り上げようとしたが、それをうまくかわしながら
『ブッブブ…ブラブラちんち-ん!!ニホン(日本)…パパと僕で二本!!』
その瞬間我慢出来なくて吹き出しちゃったら、それに気付いたのか、父親は子供の頭をひっぱたいて逃げるように去って行った。
今、思い出してもヤバイです…。
っていうかやってみたかった…。