もう30年近く前、俺が幼稚園に通ってた頃の話です。
昔はお寺さんが幼稚園を経営してるケースが多くて、俺が通ってた所もそうだった。
今にして思うと、園の横は納骨堂だったし、その隣は古い墓地だった。
夕方、幼稚園の遊具で遊んでいた。
外には俺一人だった。
室内には何人も人が居たんだと思う。
でもその時は、何故か俺一人だった。
ジャングルジムの上に人が座っていた。
男の子だった。
黒の半ズボンに、黒い金ボタンの上着を着ていた。
裸足だった。
坊主頭で、小学生くらいだったんだろうか。
すぐ自分より2つ3つ年上の子だと分かった。
その子はじっと俺の方を見ていた。
特に怖いとか、ビックリした記憶は残って無い。
ただ、何故か無性に寂しくなったのを覚えている。
その子は黙ってジャングルジムから下りると、納骨堂の横を通って墓地の方へ歩いて行った。
俺は、その子の後について行った。
墓地と言っても、園の隣で見慣れた景色だったし、日頃かくれんぼをして遊ぶ場所だったので、特に怖いとは思わなかった。
その子を目で追ってたつもりだったが、何故か今思い出そうとしても、その時の光景が思い出せない。
だが、その時見た苔の生えた小さな墓だけは、鮮明に脳裏に焼きついている。
古い墓地によくある巨木が夕日を遮っていたので、辺りは薄暗かった。
その薄暗さを意識した瞬間、すごく怖くなって走って園に戻った。
時間にして1~2分の出来事だったんだろうが、今思うとすごい長い時間だった様な気がしてならない。
しばらくして、祖母が迎えに来てくれた。
今思うと、祖母が迎えに来てくれたのは、その時が最初で最後だった。
何故か、その時の祖母の顔を見た瞬間の安堵感を覚えている。
そして祖母は、墓の方を物悲しい顔でしばらく見ていた後、
「○○ちゃん(俺)。何も心配せんでよか・・・ばあちゃんがちゃんとしてやっけんね」
と、俺の顔をまじまじと見ながら言った。
二人で手を繋いで家に帰った。
途中、駄菓子屋の前を通りかかった時、俺は無性に寄り道したかったが、
「今日はあかん!今日はあかん!早よ帰らんばあかん!」
と、祖母にたしなめられた。
祖母が死んだのは、その日の深夜だった。
何故か俺には、祖母の死が記憶としてハッキリ残っていない。
葬儀で親戚やら知人やらが家に大挙して、慌しかったのは覚えているが、祖母が死んだ悲しさが、全く記憶から消えている。
翌年、俺は小学生になった。
小学校も幼稚園と道を挟んで隣接していたが、俺はその後、一切近寄らなかった。
正確に言えば近寄れなかった。
意識すると頭の中に、苔にまみれたあの小さな墓が浮かぶからだ。
中学2年になった時、町内のボランティアで、再び幼稚園のあるその寺を訪れることになった。
墓地は整備され、古い無縁仏や墓石は撤去されて、以前の面影は残っていなかった。
幼稚園も新築され、当時とは全く景色が変わっていた。
寺の本堂が改築されるらしく、古い荷物やらゴミやらの掃除がボランティアの仕事だった。
住職が、寺に持ち込まれた物を整理している。
その中に遺影が何十枚もあった。
俺と友人は、それを外に運び出すよう言われた。
黄ばんだ新聞紙に包まれた遺影の中に、一枚だけ裸の遺影があった。
俺はその遺影を手に取って見た瞬間、全身の血が凍った。
あの時見た少年の遺影だった。
そして、その少年の背後から、その少年の首を、この世の物とは思えない形相で絞めている祖母の顔が写っていた。
俺は気を失い、目が覚めた時は病院だった。
父も母も、恐怖で顔が尋常ではなかった。
後に、写真は住職が供養して、焼却処分したと聞いた。
父が住職に聞いた話では、その少年は戦時中、土地の地主が養子に引き取った子で、かなり冷遇を受けた後、病死したらしかった。
祖母は若い頃、その地主の家で手伝いをしていたらしく、かなりその子を可愛がっていたそうです。
その少年は多分、俺を連れて行く為に現れたんだろうと、住職は言っていたそうです。
祖母はそれをさせまいとして、その結果があの写真だったのだろうと言っていました。
その後、すぐ引っ越したのですが、今でも思い出します。