「 嫌な話 」 一覧
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予感
予感
彼女とデートの日、
待ち合わせ場所へ向かう途中、
携帯が鳴った。彼女からだった。
「今日は行けない」
と言う。
「もう会わない方がいい」
と言う。
理由を訊いたが答えない。
しつこく訊くと
「会うと良くないことが起きる」
と言う。
「私は生きてちゃいけないの」
と言う。
納得できなかった俺は
「会おうよ」
とごねた。
「死んじゃうかもしれないんだよ」
と彼女が言った。
「死んでもいいから会ってよ」
と俺は言った。
ここで引き下がって、
納得できないまま生きるのは耐えられないと思ったから。慌てた感じで彼女が
「そんなこと言っちゃだめだよ!」
と言った。
「本当に死んじゃうんだよ!」
って。
30分ほどやりとりの後、彼女が折れた。
来てくれることになった。
しばらくして、また携帯が鳴った。
「やっぱり行けない」
と言う。
「今、どこにいるの?」
「東京駅」「じゃあ、あとは乗りかえるだけじゃん」
「できないの」「ハァ? 何で?」
「悪い人が中に入って邪魔するの」理解できなかった。
俺に会いたくなくて、
そんなことを言ってるのかな、
とも思った。「じゃあ、そこにいて。俺がそっちに行くから」
「来ない方がいいよ」「そこにいて。すぐ行くから」
俺は改札を抜けて、登り電車に乗った。
東京駅に着いた俺は、彼女に電話をかけた。
「着いた。今どこ?」
と訊いた。
彼女は
「○○って喫茶店の前」
と駅構内の店名を言った。
「わかった。すぐ行く」
と答えて、俺は走った。
見なれた店の前に彼女がいた。
ほっとした。
なんか悲しそうに
「何で来ちゃったの?」
と言われた。
「会いたかったから」
と答えた。
彼女が笑った。
その店に入りコーヒーを飲みながら話した。
彼女は妙に周囲を気にしていた。
しばらくして、彼女の携帯が鳴った。
中学の友達からだった。
数年ぶりの連絡だという。
三人で一緒にゴハンでも食べようということになった。
有楽町で待ち合わせ、食事をした。
その友達曰く
「なんとなく久しぶりに会ってみたくなった」
とのことだった。
食事を終え、三人でぶらぶらした。
彼女はときどき周囲を気にしていた。
さほど遅くならない内に、別れて帰途についた。
別れ際、彼女が俺の手を握って
「気をつけてね」
と言った。
「よくないことがあるかもしれないから」
って。
俺は本気にしなかった。
六日後、彼女が死んだ。
事故だった。
もし、彼女が言っていたことが事実だったのなら、
俺が殺したようなものかな。俺が殺したのかな、と思った。
確かに、よくないことが起きた。
俺自身が死ぬよりも、よくないことだった。
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お腹
中学校の教師だった頃。
俺のついてた学年にかわいい子が1人いた。
その子を学年主任(妻子もちのオッサン)が、いつもじっと観察してたんだ。
とくに体育の時間には、自分の教科でもないのに出て行っては体操服姿のその子を見てたのね。
俺はずっと「うわ、このオッサン変態じゃね?」って思ってた。
だが、その理由は数ヶ月してわかった。
あるとき、いつものようにその子を見に行ってた主任がえらく真剣な顔をして職員室に戻ってきた。
生活指導主事と一緒に何事か話してたと思ったら、俺のほう向いて
「出かける用意しろ」
「え、どこへっすか?」
「・・・産婦人科だ」
一瞬、何を言ってるのかわからなかった。
その子は妊娠してたんだな。
親父に孕まされたんだそうな。
主任は家庭事情なんかから、こういう事態があるんじゃないかと考えて、その子の腹を観察してたんだな。
体育の時間に出かけていたのは、腹を見やすいからだった。「あれは太った腹の出方じゃない。まずいぞ」
そういって車を出しに行くときの主任の顔が今でも忘れられない。
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蟹
まあ聞いてくれ。
俺は霊感とかそういうのは持ち合わせちゃいない。
だけど恐怖と言う意味では、幽霊なんぞよりもよっぽど恐ろしいモンがある。
昔、小さい印刷会社みたいなとこで働いてた。
ホントに酷い会社で、筋モンの作る偽物の株券とか、政治団体の中傷ビラとか、法律にひっかかる様なことをフツーにしてた。
でも悪い事ばっかじゃないのもあった。
小学生の女の子が親と一緒に来た。
猫を探すために持って来た手書きで書いた紙。
コレをたくさん印刷して欲しいって。
ぶっちゃけ個人の依頼なんざ受けてないし、
「コンビニでコピーした方がよっぽど安上がりだ」
と、わざわざ上司が教えてあげてたんだが、
「貯めたお年玉全部出すから」
ってきかねえんだよ、そのがきんちょ。
馬鹿だよな、こんな怪しい会社に要りもしないビラ代取られるのなんて。
でも、多分、あんときは皆一丸となったね。
この子を助けてあげようっていう何だか分からん義務感。
色々手直しして、それは立派なビラを大量に刷ってやった。
猫の写真とか借りて、手書きじゃなくてカラーに写真入印刷した。
で、納入日。
上司がその親子に頭下げんだよ。
ビビッタね。
モンモンにも絶対に引かない鬼みたいな上司だったから。
最初、何で頭下げんのか、馬鹿な俺は分かんなかった。
でも他のみんなは気付いてたと思う。
「誠に申し訳ありません。プロとしてやってはいけないことをしてしまいました。原本を無くしてしまいました」
だとさ。
何言ってんだこの人、とか思ったよ。
でもその後に出た言葉が痺れたね。
「お詫びと言っては何ですが、代わりを用意しました。もちろん御代は結構です。契約不履行ですのでペナルティーとしてビラの配布も手伝います」
もちろん無くしてなんかないし、むしろ、作業室の壁際にずっと貼ってあった。
コイツなら掘られてもいいやってマジ思ったね。
ま、そん時仕事なくて、ヒマしてたってのも大きいんだがな。
ん? 猫ちゃん見つかったよ。
ちょっと離れたところにあるアパートで婆さんに餌付けされてた。
ビラのおかげか、婆さんが連絡くれたんだってよ。
まあ、そんな感じの倒産寸前のアホだらけの会社だったんだよ。
ゴメンな話逸れちまった。
そんで、こっからが怖い話なんだわ。
前置きなげーよな。
まあ男は長持ちする方がいいって言うだろ。
カンベン。
当時、あるチンピラがどっかの事務所の金ちょろまかしたらしいんだよ。
まあ良くある話。
んで、風俗とかサウナとか焼肉屋とかラブホとか、あっち系列の店に配るためのビラの仕事が来たんだわ。
大概は探偵とかそういうので探して見つけ出して、かっちり追い込みかけておしまい。
でも今回は人海戦術ってやつでいくらしいんだとさ。
なんでも下の奴らの忠誠度を試したいんだってよ。
ウチの会社が儲かるから事情はどうでもいいんだけどな。
最悪なのは俺とソイツがスロ仲間だったこと。
連絡先も家も知ってたんだよ。
写真見せてもらった時、ヤバイって思ったね。
マジで悪魔と天使が頭の中でケンカしたよ。
俺が一言言えば、この話はそれで終わりだ。
住所と電話番号いま言えばすぐ終わる、多分ボーナス出るぞ、って悪魔が言うんだよ。
いやまてそれでもお前は男か。
短い付き合いでも仲間は仲間だろ台譲ってもらったりメシおごってもらったりしただろ、って天使が反論。
グダグダ頭の中で考えてる内にもう受注してたよ。
後悔ってよりも、しーらねとかそれぐらいにしか考えてなかった。
でもまあ仲間ってのは嘘じゃないって後で証明されたんだよ。
俺が仲間だと思ってるってことは、向こうもそう思ってたってことだ、残念ながらな。
次の次の日くらいかな。
夜中にそいつが俺んち来たんだわ。
ピンポンピンポンほんとうるさくて、苛立ちながらドア開けたら、そこにゴリラみたいないかついアイツがいやがった。
ああ、もうこの際こいつゴリラな。
で、ゴリラが事情を説明するんだけど、もうこっちは帰って欲しい気持ちで一杯。
大体俺、ゴリラ語わかんねーし。
まあ冗談は置いといて、事情勝手に話すんだよ。
ウチに上がりこんで。
すっげーありきたりな理由。
借金だって。
病弱な妹がいるとか、潰れそうな施設に寄付するために必要ってんなら俺も同情したよ。
だけど、そいつは女がらみだった。
身の程知らずにも高級クラブのおねえちゃんに金貢ぎ続けて、借金しまくったんだとさ。
今更、その女に騙されたとかウホウホ言っても意味ないし。
それより早く出て行って欲しいって気持ちがデカかった。
俺がマークされてるとは思えないが、万が一ってことがある。
溺れるものは藁をも掴むって格言、誰が考えたんだろうな。
ゴリラは俺を渾身の力でガッシリ掴みやがった。
もしここから追い出してオレが捕まったら共犯者としてお前の名前出す、って脅し始めた。
マジどうすりゃいいんだよ。
今になって思い出すと、さっさと筋モンに引き渡せば良かったと思うし、それが出来ないなら誰かに、例えば上司とかに相談すれば良かったって思う。
でも俺はそいつをかくまっちまったんだ。
おかげで足の小指を無くしちまうんだが、それは後で話す。
それから数日間は精神的にきつかった。
昼は仕事でゴリラの顔を刷る。
筋モンが新しい情報をいれろってんで、次々に新しいビラを作るんだよ。
疲れてアパートに帰ったらゴリラがいる。
もう俺の生活ゴリラだらけ。
ここはどこの動物園だっての。
最初の内は畜生でも罪悪感があったのかゴリラは大人しかった。
だけど部屋にこもるのが飽きたのか、色々注文つけるようになった。
やれコーラが飲みたいとか、雑誌買って来いとか、ラーメン食いたいとか。
早く出てって欲しかった。
まあ流れ的に分かると思うけど、ゴリラは背中に絵が描いてある怖い飼育員たちに捕獲されたんだわ。
ある日、部屋に帰ったんだよ。
玄関開けた瞬間に、いきなり部屋の中に引きづりこまれたんだ。
ガチャッグワッって感じ。
わけも分からず口にガムテープ、手と足には多分梱包用のビニールヒモ。
あれ手に食い込んで痛いし、何か熱持ってるみたいになるよな。
手と足のビニールヒモで一つに縛り上げられて、ゴロンって床に転がされたんだわ。
ホント手馴れてたって思うよ。
抵抗しようと思う前に手と足の動きが封じられてた。
やばいやばいって気持ちが頭ん中で一杯だったんだが、ゴリラがいないのが気になった。
で、その中の責任者みたいな男が床に転がった俺の目を見て話し始めた。
妙な発音の異常に甲高い声で耳にキンキン響く声だった。
悪魔の声ってのは、ああいう声なんだと思う。
「お前、アイツの仲間か?」
俺は大袈裟に首を横に振った。
床に頭がゴンゴン叩きつけられたけど、そんなのに構ってる場合じゃなかった。
「ここお前の部屋だろ、仲間じゃないなら何なんだ?」
説明しようにも口にガムテープがグルグル張られてて、モガモガ言うことしか出来なかった。
まあ向こうも俺の存在は謎だったらしい。
「取りあえず場所変えるぞ」
って、さっきの甲高い声の男が周りの男に指示した。
真っ黒い窓のないバンみたいなのに乗せられて、タオルかなんかで目隠しされた。
時間間隔とか良く分からん。
一時間くらいは走ってたと思う。
バンを降りて、歩かされて、タオル取られたら目の前に全裸のゴリラがいた。
コンクリートの床に寝転がされたゴリラは、うーうー唸ってた。
たまにごほごほ咳き込んでたんだが、意識は混濁してたんだと思う。
鼻の位置と頬の位置が同じに見えるくらい顔がパンパンに腫れてた。
体中が青とか黒とか様々な色の斑点が出来てた。
多分殴られすぎて、色々なところが内出血してるんだと思う。
こっちには気付いてないみたいだった。
俺はガムテープを一気に剥がされ、さっきの男にまた耳障りな声で質問された。
「おい、お前コイツとどういう関係なんだ?」
多分、ここの答えを間違ったら俺もゴリラみたいになるってことは良く分かった。
俺はゴリラとパチ屋で知り合って、その縁から俺の家に居座られたことを説明した。
甲高い声の男はあまり聞いてないように見えた。
「本当か?助かりたいからって嘘ついてねえか?」
俺は全力で否定した。
「確かにスロ仲間でメシ食いにいくくらいの仲の良さではあったが金を盗んだりはしてない」ってことを強調した。
だがこれが裏目に出た。
「なんでお前、コイツが金パクったって知ってるんだ?」
自分が墓穴を掘ったことを理解して、俺は黙ってしまった。
数日も一緒にいるんだから、ソイツが何をしてどんなヤツに追われているかぐらいは知っていてもおかしくないだろ?
だけど俺は、ビラ刷りの会社の社員だったからもっと細かい内情を知っていた。
それの罪悪感から黙ってしまった。
「まあいいや、おい」
甲高い声の男は近くにいた男たちに声を掛けて、何やら準備し始めた。
そいつらはゴロゴロ何かを転がして、ゴリラの近くにそれを置いた。
ドラム缶だ。
「まさかこいつらゴリラをコンクリート詰めにでもするのか」
とか、俺はお気楽なことを考えていた。
コンクリート詰めで済むのなら良かったんだよ、ホントに。
男たちはゴリラをドラム缶に四人がかりで入れていた。
ゴリラは全く抵抗をしないで、すんなりドラム缶に入れられてた。
アイツがやったことは、うーうー唸るだけだった。
「いいこと教えてやるよ、お前らが捕まったのはコイツのせいだ。デリヘリ頼んだんだよ。笑えるだろ?自分から俺たちに場所を知らせてくれたんだわ」
俺はゴリラの厚かましさに呆れると同時に、無用心さに腹が立った。
「逃げている最中に何てことしやがるんだ」と。
「あんな端金はもういい。コイツには落とし前をつけてもらう。俺たちをおちょくりやがったってことが大問題なんだ。俺たちはなめられたら終わりなんだよ。なあ、おい。お前がどこの誰かなんてことはどうでもいいんだ。コイツと一緒に俺たちをコケにしたのかどうか、それがききてえんだよ。お前がウチの事務所から金をパクってないってどうやって証明するんだ?これからお前はコイツとしばらくいてもらう。その後にもう一度だけ質問する。いいか?どれくらい掛かるかわからねえけど、しっかり考えろよ?まあ個人的には同情するぜ」
甲高い声の男は一気にそうまくし立てると、傍らの男に声を掛けてそこから出て行った。
俺はこれから始まることへの不安から、震えちまった。
もう心の底からブルっちまった。
無理矢理椅子に座らされて、例のビニールヒモでグルグル巻きにされた。
そのまま二人の男に椅子ごと抱え上げられて、ゴリラが入っているドラム缶の前に置かれた。
ゴリラの顔の前から50センチくらいしか離れていなかった。
こんな不幸なお見合いはないだろ?
ゴリラはうーうー唸ってた。
俺も抵抗する気は起きなかった。
ただ早く開放されることだけを祈ってたよ。
五人の男たちが俺たちの周りで作業をしてた。
いかにもな風貌の男たちは、嫌々動いているように見えたのは気のせいじゃないと思う。
ドラム缶の中に太いホースが突っ込まれた。
そうだな、ちょうどコーラの500mlの缶ぐらいの太さだと思う。
間抜けにも俺は
「ああやっぱりコンクリートか」
ってビビッてた。
そのホースは変な容器に繋がってた。
服とか小物を入れるでっかいプラスチック製の容器あるだろ?
あんな感じの容器が頭についてる俺たちの身長くらいの足の長いキャスターに繋がってたんだわ。
おい何だよ、何すんだよ、ってつま先からつむじまでブルってた。
作業が終わったのか、最終チェックみたいなことをした男たちは俺に目線を向けた。
そして意外なことを言った。
「おい、きつかったら目を閉じてろよ。頑張れ」
一体何が始まるのか、何でそんなお優しい言葉をかけるのか分からなかった。
ドラム缶のゴリラ。
その目の前にいる俺。
「じゃあ俺たち行くわ、頑張れよ」
と言って、男たちはそのキャスターに付いていたレバーを引いてそそくさと出て行った。
ここがどこなのか、あの容器が何なのかを知らなかった俺たちだけになった。
ボトッと、コンクリートにしては固い音がした。
その塊が落ちてきたのを皮切りに、ざざざざざざっ、と流れるように何かが容器から落ちてきた。
ゴリラはうーうー唸るのをやめ、今度はぎゃあぎゃあ叫びながら身をよじるのに必死になっていた。
最初はホースがドラム缶の中に突っ込まれていて、何が中を満たしているのか分からなかった。
だがすぐにドラム缶が一杯になり、その正体が分かった。
蟹だ。
こぶし大から、小指の爪くらいのサイズの蟹が溢れんばかりにゴリラの入っているドラム缶を満たしたんだ。
何でこんなことをするのか最初は分からなかった。
たかが蟹が何だってんだ。
ゴリラと蟹の味噌汁でも作るのか、とそれはそれで怖いことを想像した。
だがしばらく身をよじっていたゴリラが咆哮にも似た叫び声を上げ始めた時に、俺はその恐ろしさを目の前で、本当に50センチくらいの目の前で意味が分かった。
「おい、おい!!!助けてくれ!!コイツら、オレの中に入ってきやがった!!!!」
ゴリラは脂汗を流し、耳をつんざくような大声で叫びながらも俺に助けを求めた。
蟹がゴリラの体を食い破り、内部に入ってきただと?
ゴリラは俺が動けないにも関わらず、ケツがいてえ!とか、足が足が!とか身体のパーツをことさらに強調した。
やめてくれ。
想像したくねえ。
だが、目の前にいるゴリラは最早叫び声とは言えない雄たけびを上げ続けてた。
そしてゴリラは何時間も叫んだ。
いや良くわかんねえ。
何時間とか何分とか、どれらいの時間が経ったのかは。
口の中に泡と血だまりができて、目と鼻から血が出ていたが、それでもゴリラは叫び続けた。
顔が赤から真っ青になっていき、血反吐を蛇口の水みたいにげえげえ吐き始めたころに、蟹たちは次の侵入場所に気付きやがった。
蟹たちはゴリラの顔めがけ、ギリギリと変な音を出しながら口や目に纏わり付いた。
ゴリラは叫び、首を振り続け、ドラム缶に頭を叩きつけるが、蟹たちは許してくれなかった。
見ちゃいられなかったが、どうすることも出来ない。
身をよじって、よじった。
固定された椅子ごとドラム缶に体を叩きつけたが、ゴリラの体重と蟹どもの体重のせいでビクともしなかった。
俺の耳がゴリラの絶叫で痺れ、音が聞こえ辛くなった。
最後に、げへ、という何とも間抜けな音を出し、ゴリラは静かになった。
ガサガサとドラム缶の中で音が鳴り続けている。
ゴリラは痙攣したようにビクビク動いているが、ゴリラが動いているのか、中にいる蟹が動かしているのか区別が付かなかった。
目玉を押し出し中から蟹が出てきたところで俺の意識も限界を迎えた。
ガサガサという音で気付いた俺は、昔ゴリラだった何かが蟹の動きに合わせて動いているのを見て吐いた。
地獄がどんなところか知らないが、あれより酷いところだとは到底思えねえ。
蟹どもはゴリラの体に纏わりつき、未だに齧っていた。
ゴリラの体が傾き、俺めがけて首が折れた。
その拍子にドラム缶から蟹があふれ出て、目の前にある生きた獲物に標的を変えた。
俺は絶叫した。
足元にボトボト蟹どもが落ちてくる。
足に纏わり付く。
最初はくすぐったいくらいで、次にかゆくなってきた。
椅子ごと体をよじっても、あいつらはどんどん俺の足に纏わり付く。
その内、小指に激痛が走り、俺の中にも蟹が侵入してきたことに気づいた。
ドリルで穴を開けられるほうが万倍もマシだろう。
爪をちょっとずつ引き剥がし、俺の中に入る努力をしている。
脱糞し、失禁したが、蟹は許してくれない。
ノドがぶっ壊れようが、絶叫が何の意味もなかろうが、俺は叫んだ。
が、蟹どもは俺の体に入ろうとした。
気が狂うと思った、もう気が狂ったと思った。
甲高い声が聞こえて、何人かの男たちが叫びながら蟹を払い飛ばした時、俺は安堵からか、ブツリと頭の中で音が聞こえて、気を失った。
「おい、生きてるか!? おい!!」
頬を張られる感触で起きた。
目の前にいる甲高い声の男が天使にも神にも見えた。
足の小指がジュクジュク痛む。
小指だけで済んだことを歓喜して涙を流した。
「起きたか?」
甲高い声が俺に質問する。
俺は、あうあうと声にならない音を上げた。
「質問に答えろ。お前はコイツの仲間か?」
ドラム缶を指差し、甲高い声の男は俺に質問した。
ねじ切れるほど首を横に振り、鼻水と涙とよだれで窒息しそうになったが、違うことを伝えようとした。
甲高い声の男とその取り巻きどもは、流石に納得し、俺のビニールヒモを解いた。
足腰に力が入らなかったが、小指の痛みで足がまだあることが分かった。
その後、バンに詰め込まれ、アパートの前で蹴り出された。
一週間以上、何も食べれなくなり、外に出れなかった。
どういう理由か分からないが、バイト先の上司が見舞いに来て、茶封筒を置いて出て行った。
中には札束が入っていた。
幽霊なんぞ可愛いもんだ。
蟹のドラム缶風呂以上に恐ろしいモンがこの世に存在することを俺は知らない。
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裏の世界
これは裏の稼業の世界であった話。
某組の親父が病気で早死にしたんで跡目を誰にするか?って話になった。
普通、若頭が跡目に決まりなんだけど、その組は少し事情が違ったんだよ。
映画やドラマの世界では極道女がしゃしゃり出てきたりするけど、現実の世界では殆どありえない話。
しかし、この組の跡目争いでは死んだ親父の姐さんが本当に出張ってきた。
この姐さん、先代の娘で親父の妻になった人だから我が強いって言うか根っからの極道と言うか、とにかく男に負けないぐらいの女。
で、この姐さんが、跡目は若頭に譲らない、親父と自分の実子に譲るって言いだしたから問題勃発。
何故なら、実子はまだ小学六年生の小僧だったからだ。
姐さんは実子が大学を卒業するまで、組を自分があずかるとまで言いだす始末。
舎弟衆や若衆は、この組にしたら血筋豊な姫みたいな人だから、強い発言も出来ない状態。
でも、跡目は当然、自分と思ってた若頭は黙っていられないよな。
もともと、姐さんは若頭とは折り合いが悪かったらしい。
姐さんからしたら、キレ者かなんか知らないけど、自身過剰で生意気な奴。
若頭からしたら、自分よりも年下の女の癖に組の事に一々口を出す腹立たしい女って感じだったみたいだ。
姐さんは歳こそ35歳だけど、見た目も若く綺麗な女だったから、27、28ぐらいに見えた。
出るところは出てるから余計にね。
で、その黙ってられない若頭は当然動きだした。
組で扱ってる仕事に細工して死んだ親父に莫大な借金を背負わせた。
最初の内は姐さんも若い衆で何とかしなさいとか、若頭がはめたとか言っていたが、若頭の細工で裏の世界の金では無く、カタギの世界で作られた借金だけに誰も味方は出来なかった。
と言うよりも、しなかったが正解か。
この稼業のやっかいなところは、まっとうな金の借りは自己責任。
子分に助けてもらうなんて、正直いい笑い者。
結局、姐さんはキレ者の若頭に完敗。
自分ではどうにもならないし、子供も抱え、自分も働いた事もない。
莫大な借金で組にも迷惑をかけてしまった。
こうして全ては若頭の狙い通り事が運んだんだよ。
若頭が、組を壊滅の危機に陥れた責任を姐さんに取るように迫った。
形式上とは言え、組を預かると自分で言って杯も返させないで親分代理に付いたのは姐さん自身なのだから。
若頭はまず、姐さんに代紋を自分に渡す事を承知させた。
基本的に姐さんは誰からも杯を受けてないただの組長妻だが、代理として立った以上破門扱いとされた。
これで姐と子の縁を完全に切れさせたわけだ。
それから、借金は若頭が負担する代わりに、若頭の愛人になる事で罪を償うようせまった。
嫌なら将来を待たずに実子に責任を取らせる、とまで言った。
裏の世界では世間の常識が通用しない事を解っていた姐さんは、泣く泣く若頭の条件をのんだ。
前代未聞だが、業界から後ろ指刺される事もない方法で若頭と姐さんは愛人契約を結んだ。
姐さんは三代目となった若頭の家に子供と共に住み込む事になり、その妻(以後、若妻)のお手伝いにまで身分を落とされた。
若妻も三代目と同じく、お互い内心敵視しあっていたから、若妻の喜びも相当だったようだ。
最初の内は姐さんと呼んでいたのに、コイツ、オマエ呼ばわり。
姐さんも元部下の妻、しかも年下の嫌いだった女の言いなりだから、相当の屈辱だっただろうね。
まぁ、この程度の事は後の事を考えれば屈辱でもなんでもなかっただろうけど。
ある日、旅館の宴会場で現三代目体制が祝いの為に勢揃いした。
その席には姐さんや三代目体制の妻たちも。
若妻の命令で、姐さんは全員に酌をして回るように命令された。
ひとり全裸となって組員全員と妻たちに詫びをいれながら回れと。
拒否できない姐さんは涙を浮かべながら酌をして回る。
酔いも手伝ってか、高貴な人物の惨めな姿には全員笑みすら浮かべた。
三代目が恐ろしい提案をした。
全員で姐さんを輪わして結束を固めようと。
女に関しては親も子も無い、穴兄弟になろうじゃないかって言いだした。
そして三代目が姐さんの中に出すともう歯止めがきかない。
周りの妻たちもあきれ気味の態度を取るものの、内心、嫌いだった女の惨めな姿には心底喜んでいた。
一晩で二十数人に輪わさせても、女の恨みは消えないのか、若妻が姐さんをソープランドで働かせる事を提案する。
姐さんは元子分達に輪わされて肉体も精神もボロボロなのに、更に地獄に落とされた気分だろう。
ソープランドで働かされる事に抵抗しても息子の事を出されると従うしかない、可哀相な姐さん。
若妻に借金を組に少しづつでも返していけと言われ納得した。
若妻は一人客をとったら千円の小遣いをやる、と笑いながら小馬鹿にする。
しかも、客にコンドームを付けさせるな、姐さんにもピルを飲むな、と若妻は言う。
何処の誰とも判らない子供を孕み産め、と。
姐さんの力では何世代も返すのにかかる莫大な借金だから、子を産んで借金を分担しろ、と。
姐さんの子なら父親が誰だろうと、可愛い子が産まれるよ、と若妻は高笑いした。
その後の姐さんっていうと…まぁ、悲惨なもんだよ。
ソープで朝から晩まで働かされてるのに、仕事の後に組の若い衆達に輪わされるし、それも頻繁に。
若い衆達にしたら高嶺の花だった姐さんとやれるなんて夢のような事だからな、無理もない話だが。
それでも姐さんにしたら、それすらもマシだって思う事もあるんだよ。
それは、実子である小学生息子の扱い。
姐さんによく似て可愛い顔してるんだが、この業界、因果なもので、そっちの気がある奴も多い。
学校には通わせてもらっていたが、組の若い衆の餌食にもなっていたんだ。
休みの日には、裏のその手の店で客までとらされたりな。
姐さんもそれだけは我慢が出来なくて、三代目の女房に抗議したんだが…
三代目の女房は全く聞き入れない。
逆に海外に売り飛ばしたら高く売れる、と脅される始末。
姐さんからしたら、そんな目にあうぐらいなら、今は息子に我慢してもらって自分が頑張るしかないって感じで泣き寝入りだよ。
しかし、二代目の女房で誰からも羨ましがられた美貌の姐さんが、ソープ嬢にまで身を落とすなんて誰が想像したよ?
本当に三代目夫婦は恐ろしい人達だよ。
まぁ、裏の世界ってのは一度落ちると表の世界と違って二度と浮き上がれない恐ろしい世界ってのは少しは解ってもらえたかな?