「 病院 」 一覧
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後ろの正面だーあれ
後ろの正面だーあれ
某大学病院に勤めている研修一年目の小児科医のSさんの体験談。
その日、症例報告の準備などで深夜まで居残っていた僕は、いつものように当直室に泊まろうと思いました。
病院の当直室には簡易ベッドが何台か設置されていて、当番以外の者が泊まる余裕はあるはずでした。
しかし、その日は当番医師のほかにも、重体の受け持ち患者を抱えている先輩医師たちが泊まり込んでいて、ベッドは満員という状態でした。
空いてる病室のベッドで眠ろうにも、その日はすべて入院患者で埋まっていました。最終的に、僕は気が進まないながらも、小児病棟内の『ベビールーム』で眠る事にしたのです。
『ベビールーム』というのは小児病棟ならではの設備で、長期入院の子供達のための遊戯室です。
転んでも怪我をしないように床はジュウタン張りになっており、子供用の滑り台やさまざまなオモチャなどが備えつてあります。
子供のお昼寝用の毛布や布団もあるので、仮眠をとるにはうってつけの場所でした。
それなのに、なぜ、僕が最後までこの部屋で寝ることを避けようとしたのか。
それには、ある理由がありました。
以前、この部屋で仮眠をとった医師たちが、何かいやな目に遭い、それ以来、夜間にここで眠ろうとする者はいない、という噂が、この部屋にはあったのです。具体的に何があったのか、この話を教えてくれた先輩は言葉を濁して教えてくれませんでしたが、
「とにかく、あの部屋には泊まるなよ」
と僕は先輩に聞かされていました。
けれども、その日、疲れ果てていた僕は、何が起こったとしても堅い冷たい床に寝るよりはマシだと思いました。ベビールームのジュウタンの上に毛布をかぶって横になった僕は、すぐに眠りに落ちました。
どれくらいの時間が過ぎたでしょうか。
僕は微かな物音に、眠りを破られました。
まだ半分夢の中のような気持ちで、目を閉じたまま聞いていると、その物音は何かのメロディでした。
誰かが細い声で歌っています。
そっと目だけであたりをうかがうと、暗い部屋の中で、子供たちが歌をうたいながら手をつないで輪を作り、僕の周りをまわっていました。
まだ半分寝ぼけていた僕は、事態がうまく飲み込めず、ぼんやりと子供たちを見ていました。
幼稚園ぐらいから小学校ぐらいまでの子供たちのようでした。
みんな楽しそうに、僕のほうを見ながら歌をうたっています。
やがて、ひとりの子供が僕に声をかけてきました。「お兄ちゃん、一緒に遊ぼう。お兄ちゃんが鬼だよ」
小児科医になったぐらいですから、僕はもともと子供が嫌いではありません。
いわれるままに、子供たちの輪の真ん中にしゃがんで、両手で目をふさぎました。
子供たちの歌が始まります。・・・・・・かーごめかごめ、かーごのなーかのとりは、いついつでやる・・・・・・・。
しかし、子供たちの歌を聞いているうちに、眠気が覚めてだいぶ意識がはっきりしてきた僕は、ジワジワと、得体の知れない恐怖を感じはじめました。
真夜中過ぎのことで、入院している子供たちは、それぞれの病室で眠っているはずでした。
それなのになぜ、こんなにたくさんの子供が電気もついていない部屋で・・・・・・・?子供たちの歌はつづいています。
・・・・・・夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面だーあれ・・・・・・。
最後のフレーズとともに、子供たちの動く気配が止まりました。
「・・・・・・・当ててよ、お兄ちゃん。当ててよ。後ろの正面だーあれ・・・・・・」
背後から、妙に近くでささやきかけてるような、細い声が聞こえました。
同時に、小さな手がペタリと首筋に触れ、何か小さなものが僕の背中に寄りかかってきたのです。
その感触は嫌に冷たく、湿っていました。「・・・・・・当ててよぉ・・・・・・、お兄ちゃん、当ててよぉ・・・・・・・・」
細い声は、さらに近く、耳元でささやくように聞こえてきます。
ますます僕は怖くなり、じっと身体を固くしてしゃがみこんでいました。
全身にじっとりと冷や汗をかき、声を出す事もできないありさまでした。
そのときです。「誰かいるんですか?」
声と同時に、パッとあたりが明るくなったのがまぶたを閉じていてもわかりました。
その瞬間、金縛りのようになっていた身体が動き、僕は悲鳴をあげながら立ち上がりました。「あら、先生、ここで寝てらしたんですか。ここの噂、知らなかったんですか?」
顔見知りの看護婦が、驚いた様子もなく、気の毒そうに僕にそういいました。
あとで聞いたところでは、その部屋で仮眠をとったことのある先生はかならず、あの子供たちの歌声を聞いたのだそうです。
あのとき、看護婦が巡回にまわってこず、後ろにいた子供を『当てて』いたら、いったい僕はどうなっていたでしょう・・・・・・?それを思うと、いまだに背筋に寒気が走ります。
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保険会社
病院勤務の私が保険会社の話を書きますよ。
高齢でも簡単に入れるとCMで呼びかけている某保険会社。
高齢者の多い病棟勤務で、あそこの保険に入っている患者さんがかなり多い。
でも、いざとなると、あそこの保険会社はゴネてゴネて、難クセつけて実際にお金を払った例をほとんど見たことない。
他の払わないことで有名な保険会社なんて、比べものにならないくらい払わない。
老人だから保険が降りないと金銭的にも本当にヤバいんだけど、とにかく払わない。
今朝も一人、お金の心配をし続けたおばあちゃんが亡くなりました。
年をとって唯一入れた保険に喜びすがって、お金を積み立てているのに酷い会社ですよ。
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廃ホテル
箱根~三島間にあった廃ホテル。
当時は売却物件で看板も出ていたけど、中が凄かった。
場所は以前から知ってたので自宅からチョイノリ時間で行けた。
さて敷地内に入った瞬間、完全に空気が違うのを体感したなぁ。
何ていうか病院病室なんかの澱んだ空気って言うか・・・。
既に廃墟になっていて、建物は下のガレージから階段で二階の部屋に上がるタイプ。
誰かが複数で監視してるような視線を感じた。
中庭に一台、軽自動車があるのが敷地に入ると同時に目に付いた。
近付くと窓ガラスは粉砕されて車内も物が散乱。
しかし、自分がぶったまげたのは後部荷台の七輪だった。
炭の燃えカスが残っていたので誰かが火を付けていたのだと思う。
もうそれだけで、チキン状態の自分は脱兎の如くバイクで退散した。
その後、別人が現地レポを書いてくれて詳細が判明。
車内には子どもの写真何枚かと借金の督促状等があったらしい。
実際に画像もUPされたから間違いない。
行ったのは七輪を必要としない時期だったかなぁ。
そこで売主の不動産屋に軽自動車の件を訊いてみたが以下の返答。
・軽自動車は誰かが勝手に乗り付けて放置していった。
・自殺等の事故物件ではない。
・売却に当たっては更地にして引き渡す。軽自動車は伊豆ナンバーが付いてたのは自分も確認してる。
でもねぇ・・・水も食料もない所で何で七輪を車内で使うかなぁ。
家族の写真や督促状なんかもあったんじゃ、???って疑うよなぁ普通。
知人の警官に訊いたら、自殺してたら証拠物件として警察が回収するはず、だから本当に事件性はなかったみたいだけど腑に落ちない。
もう過去の話で悪かったけど、ふっと思い出したので書いた。
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元レディースの姉ちゃん
いとこの姉ちゃんが看護婦になったと聞いた時、本当にびっくりした。
姉ちゃんは中学の頃、○市で顔の効く元レディース幹部だった。
中学時代、散々ぐれて無茶な走り方をし、警察から逃げて派手に事故った時、優しくしてくれた看護婦さんに憧れて、どうにか入れた最下位高校で必死で勉強して看護専門に入ったらしい。
そして看護婦になれた。
毎日きつかった。
患者に逆切れしそうになった事。
先輩のいじめ。
それでもがんばった。
ある日、当直の時、患者からナースコールが入った。
そこは個人用の金持ちさんが入院する素敵な別室。
部屋に誰かがいるとの事。
ものすごい苦しそうな声。
姉ちゃんはその頃、先輩からの理不尽ないじめでかなりカリカリしていた。
へこむ前に、逆切れを抑える事で必死だった。
そして部屋に着いた。
姉ちゃんは見た。
うめく患者。
患者を見下ろす黒いコートを着た男。
「あなた何やってんですか?面会時間はとっくに過ぎてますよ!」
姉ちゃんは、とりあえずそう言った。
すると男がゆっくり振り返った。
その顔は……鼻が削げ落ちて穴だけ。
目があるはずの所に、黒い大きな穴が空いている。
頭蓋骨に所々、皮膚を貼ったような不自然な顔。
姉ちゃんは、性質の悪いいたずらだと思ったらしい。
姉ちゃんはブチ切れた。
患者とグルかよ。
あたしは疲れてんだ。
今だって疲れた体、必死で動かしてだのなんだの考えがまとまる前に姉ちゃんはブチ切れた。
「お前どこのもんじゃ!!そこで何しとんねんワレ!!なんやねんその顔、お前なめてんのか?あぁ!?なんか言うてみぃ!」
骸骨顔の男は、一瞬ひるんだらしい。
姉ちゃんは、めちゃくちゃに怒り狂っていた。
引きずり出してやろうと、その男の前まで行き、手をつかむとすり抜けたらしい。
そこで怖がればいいものを、姉ちゃんはさらに切れた。
その時には姉ちゃんも、一応この人は、この世のもんではないと認識はできたそうだが、怒りが止まらなかったらしい。
「お前死んでんのか!なに未練もってさまよっとんねん!そんなんやから、そんな顔になっとるんじゃ!鏡見てみろ、お前きもすぎや!!」
その時、骸骨の彼は間違いなく、はっきりと傷付いたように顔をさらに歪めたらしい。
とどめの一発、
「お前、童貞やろ」
骸骨は下を向き、そして、すうっと溶けていくように消えたそうな。
患者から、後でものすごく感謝されたらしいです。
姉ちゃんいわく、
「幽霊?そんなもんなんぼでもおるけど、人間の方が怖いって。そんなん気にしてたら看護婦やっとれんやろ」
との事でした。
姉ちゃんの方が怖い。
今、姉ちゃんは看護婦を退職し、旦那さんと幸せに暮らしております。
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お婆さんの狙い
それはまだ、私が幼い頃です。
記憶は曖昧なのですが、確か妹がまだ赤子だったので、私は小学生の低学年だったと思います。
当時、妹はひどい小児喘息で、診察と常備薬を処方してもらう為、車で1時間程かかる遠方の病院に通っていました。
私は病気でもないのに、よくそれについて行きました。
何故なら、幼い頃は例え病院だろうと、遠くに行くだけで楽しかったですし、それに外食をする事もあったのです。
一方、手間がかかる私を連れて行くのを母は嫌がり、「家にいなさい」と言っていました。
私は、それでも無理を言って病院について行きました。
病院では、私はいつも妹が診察を受ける間、病院内をうろうろと歩いておりました。
いつものように、広い病院を探検する気持ちで歩いていると、いきなり、院内服を着た知らないお婆さんから話しかけられました。
「ぼく、飴いる?」
そのお婆さんは、真っ白な白髪にまばらに残る黒髪が印象的で、体格は小柄、それに酷く痩せていました。
顔色も悪くて、不健康そうに見えました。
思い詰めたように暗くて、疲れきったような表情に見えます。
何より、私を見る目が怖かったのを覚えています。
お婆さんは、「自分はここに入院している」のだと言いました。
前からよく病院内を歩く私を見て、話しかけたかったのだそうです。
「寂しいから友達になって欲しい」と言いました。
私は、お婆さんを怖いと思ったので嫌だと思い、黙って首を横にふり、母の元に逃げました。
お婆さんが、そろそろと私の後をついてくるのがわかりました。
私は妹を抱く母を見つけると、泣きながら駆け寄り、お婆さんを指差しながら
「変なお婆さんがついてくる」と言いました。
お婆さんはいつの間にか僕のハンカチを持っていて、
「落としましたよ」と言いました。
母は「すいません」と謝りハンカチを受け取ると、私には「失礼な事を言うな」と叱りつけました。
お婆さんは「いいんですよ」と母に近寄り、そこで驚いたように口を開けると、涙を流しはじめました。
お婆さんは母を見て言いました。
「娘にそっくり」
お婆さんには10年以上昔、母にそっくりな娘がいたそうで、その娘さんを病気で亡くされてたそうなのです。
母は、そんなお婆さんを可哀想な顔で見ておりました。
それからお婆さんは、母と妹が病院に行く曜日には、入り口で待つようになりました。
そうして、妹と僕にお菓子や玩具をくれるのです。
「死んだ娘といっしょにいるようだ」
と、喜ぶお婆さんを、母は断れないようでした。
いつの時間に行っても、入口にいるお婆さんが気味悪くなり、私は病院へは、ついて行かないようになりました。
そうして何ヵ月か経ったころでしょうか。
母の方から私に、「病院についてこない?」と誘うようになりました。
私は不思議に思いながらも、帰りに美味しい物をごちそうしてくれるかもと思い、了承しました。
病院に着き、妹の診察が済んで母と受付を待っている時、今日はお婆さんはいないんだ、もう退院したのかもしれない、と思っていると、背後から声がしました。
「見つけた」
振り返ると、例のお婆さんが笑って立っていました。
母の顔はひきつっています。
お婆さんは院内服ではなく、私服を着ていました。
「○○(母)ちゃん、最近月曜日に見ないから寂しかったのよ。通院する曜日変えるなら教えてよ」
お婆さんは、私を見て笑いました。
「久しぶりね○○くん。今日はおばさんがご飯に連れて行ってあげるね」
断る母を強引に説き伏せて、お婆さんは私達を近くのファミレスに連れて行きました。
食事の間、お婆さんはずっと笑っていました。
お婆さんと母が、変な会話をしていたのを覚えています。
「ふたつあるんだから、いいじゃないの」
「いい加減にしてください」
「いいじゃないの」
「警察を呼びますよ」
「じゃあこれを読んで」
お婆さんは母に封筒を渡しました。
その日の帰りの車は、いつもとは違う道を走ったのを覚えています。
それと、車の中で母が変な質問をしてきた事も。
「Y(妹)ちゃんを可愛いと思う?」
「……うん」
「あなたはお兄ちゃんなんだから、何かあったらYちゃんを守らないといけないよ」
「うん」
「来週からYちゃんと一緒に病院に来て、そばから離れたらいけないよ」
「うん」
当時は、何故母がそんな事を言うのかわかりませんでした。
それから毎回病院でお婆さんと私達は会いましたが、ある日を境に急に見なくなりました。
それから十年以上経ち、母に
「そういえば、あのお婆さんどうしてるんだろうね?」
と尋ね、返ってきた答えに私は震えました。
「あの人は多分亡くなったよ。それに、お婆さんじゃなくて私と同じ年なの」
私は驚きました。
当時の母は30才代ですが、お婆さんはどう見ても60才は、いってるように見えたのです。
母から聞いた話はこうです。
退院してからも、いつも病院で会うおばさんを不思議に思い、母は知り合いの看護師に、お婆さんはそんなに悪い病気なのかと尋ねたそうです。
おばさんは病気ではなく、自殺未遂で入院していたというのです。
娘が亡くなったショックで自殺未遂をしたお婆さんの外見は、みるみる老けていきました。
(亡くなった娘というのは、まだ赤ちゃんだったそうです)
それなら母と似ているはずがありません。
そういえば、お婆さんが母に向かって「娘にそっくりだ」と言った時、妹が母に抱かれていた事を思いだしました。
お婆さんは妹に向けて言っていたのです。
最初は優しかったお婆さんは、次第に母に妹を譲るよう懇願してきたらしいのです。
もちろん母は断りました。
妹をさらわれる、とお婆さんが怖くなった母は、私を見張り役として病院に付き添わせてたそうです。
そして、封筒の中の手紙を見せてくれました。
短い文でした。
『近く娘の所に行きます、あなたのせいです、ずっと恨みます』