「 月別アーカイブ:2012年11月 」 一覧
-
-
もう一人
電車での話。
毎朝俺は、いつもC線のH駅からS駅まで電車で通勤する。
途中、M駅で特快に乗り換えて行くんだけど、その日は少し寝坊して1本遅い電車になってしまった。
1本ずれると、当然M駅で特快に乗れなくなり時間がかかる。
乗り合わせの電車も遅れる。
仕方ないので駅の端へ行き、電車が来るのを待っていた。
そこに中学生の女の子が、同じように待っていた。
俺が通勤用の小説を読もうとカバンを漁っていると、目の前の子がふらふら・・・と線路側へ寄っていく。
すでにホームには特快通過のアナウンスもなっているし、遠くだが電車が来るのも見える。
反射的においおい!と思って、彼女の手をつかんだら、物凄い力で体ごと引きずられはじめた!
俺は弓道をやっているから、腕力と下半身の安定には自信があったんだけど、それでも引きずられてしまう。
ヤバイ、何かに捕まったかと思って、声を出して助けを呼ぼうにも声も出ない。
そうこうしているうちに、電車は目の前。
思いっきり警笛も鳴らされている。
が、彼女の体はもう半分ホームから出ている。
今手を離せば・・・と思うと離せなかった。
もう駄目だ・・・そう思ったら、誰かが肩を掴んで思いっきり引いてくれた。
勢い良くホーム側に倒れこむ俺達。
幾人かの悲鳴とともに、急ブレーキをかけて電車は止まった。
で、ここからが不可解なんだが、みんな「やっちまった・・・」と言う顔。
運転手も青ざめて降りてきた。
俺は彼女を助けられて(気失ってるのか倒れたままだが)良かった風に思ってたんだが、どうも周りの様子が変だ。
運転手や駅員、他の客がホームの下を眺めている。
そのうち駅員が、倒れている俺達の方にやってきて、
「もう1名の方の特徴はわかりますか?」って聞くんだよ。
俺はわけもわからず、?な感じだったんだが、俺の肩を掴んで引いてくれた年配の男の人が、
「ショートカットでメガネをかけていて、紺色の服の女性です」って言うんだよ。
俺にはそんなもの見えなかった。
「カバンにしがみついている人を、線路から引き上げようとしていたんじゃないのか!?」と言われた。
中学生の彼女の右手を掴んでいたが、カバンは左手に握られていただけだったはず。
結局、散々探したのに、線路には何も残っていなかった。
電車も、そのまま発車してしまった。
中学生の彼女は、駅の改札を抜けてからのことを全然覚えていない。
警察でも同じように話して、結局お咎め無しになった。
3年程前の、忘れらない出来事です。
-
-
因果応報
母親から聞いた話です。
家の近所に、有名な女性の住んでいた家があります。
母親と同級生なので、生きていれば56、7歳くらいになりますか。
…細長い3m級のマフラーを編んで近所中に配る。
…金属バットを持って隣の家に殴りこみ。
…冬でもノーブラ・タンクトップで家の前で掃き掃除。
…春になると誰彼かまわず喧嘩を売る。
…イタズラ電話が趣味。
とまぁ、精神的に問題を抱えていた女性です。
一時期、病院に入っていたのですが親が無理やり連れ帰り、2度の結婚離婚を経て(ただし、実際には籍を入れていなかったらしい噂が)何年か経ち、1、2年前にガンで亡くなったそうです。
亡くなった場所は、結婚の際に同じ敷地内に建てた一軒家だそうです。
彼女の両親は、精神的に問題を抱えていた娘を恐れていたのでしょう。
その一軒屋に閉じ込め、仕事の為、食事は出来合の弁当を毎日買って、その同じ敷地内にある一軒家に届けるだけで特に面倒も見ず、本人自ら気づく事無く、ガンに侵され精神的にも益々狂ってゆく娘を病院に連れて行く事も無く、そのまま放っておいたのです。
そして死にました。
当り前です。
ガンなのに、何もしないで放っておいたのですから…
死亡時、警察の検分が確かに行われたのですが、両親は罪には問われませんでした。
この近所は田舎なので、葬式が出ると付近住民が手伝う習わしが残っていました。
母も行きました。
田舎での事ですので、警察の検分が行われた事は皆知っていました。
女性の死因については色々な噂が飛び交い、好奇心に駆られた女性数人が、葬式の参列者が火葬場に行ってしまっている間、死んだ女性の一軒家を覗きに行ったらしいのです。
母の話では、
「大変だったみたいよー。○○さんなんて全身鳥肌立っちゃって、『私は言えない、私は言えない』って繰り返すばかりで!当り前だよね!気が狂ってるんだもの。掃除なんかしないし、弁当は食い散らかしてあるままだし、血だらけのシミだらけの布団がそのままだったんだよ!ガンで痛くて暴れてたらしいし。一番イヤなのは、その血だらけの布団が、そのままゴミ集積所に捨ててあったんだよ!葬式の後!丸めもしないで、そのままだよ!」
そして今現在、その女性の父親が病院に入院していて、母親の方が親戚中に泣きついているらしいのです。
「家にいるのが怖い」と…
近所では当たり前のように語られていますが、出るらしいのです。
その気の狂った娘さんが…
死に場所の一軒家から、母屋の方へやって来るらしいのです。
その家に最近伺った方の話では、母屋にはたくさんの部屋があるのにもかかわらず、使っている形跡が無いらしいのです。
年寄りの一人住まいとはいえ、おかしな事です。
お客様がいらっしゃるなら、掃除くらいはするはずです。
掃除すら怖くて出来ないらしいのです。
娘さんが徘徊しているので……
『出る』という現象については、私も近所の方々もわからないのです…
何分、現在は老女の一人暮らし。
元々、金属バットを持って隣家に殴りこみに行くような人が暮らしていた家なので、ご近所の方々も、なるべく関わりあいにならないように普段から避けているご家庭なのです。
ただ、お家は敷地内に家が2つあるぐらいですから庭も広く、農家といえども案外立派な構えです。
これは母と私の考えなのですが、恐らくその女性は自分が死んだ事を知らないのではないかと思います。
いつも用意してくれた食事が見当たらないので、母屋の母親の所へ這いずる様に行き来しているのではないかと思います…
そして、お前には話しておくわねと、母が話してくれました。
私の家の北側には、兼業農家の祖父・祖母、息子夫婦にその子供達と、3世代が住む広い家があります。
今は亡き祖父さんのお母様、子供達にとっては曾祖母にあたる方は自殺されたそうです…
その理由は、昔、私の家のお隣さんがお嫁さんを迎える準備をされていた時に、保管されていた結納金の窃盗容疑をかけられたからだそうです。
昔のお金で3万円。
お嫁さんの家に差し上げるため、箪笥の奥に隠してあったものが無くなってしまい、ある人間のタレコミで嫌疑がかかり、悩んだ挙句の自殺だそうです…
そのタレコミをした人こそ、只今入院中の、件の家のガンに蝕まれていく娘を閉じ込めた父親です。
自殺された曾祖母さんのお葬式の後、残された家族の方があまりの悔しさに、家にいわゆる拝み屋さんを呼び、ご近所中が興味津々で集まったらしいです。
拝み屋さんを呼んだなら、誰でも勝手に参観可能なのだそうです。
そして拝み屋さんの口から語られたのは…
「今、この家にいないのが盗った」
その人間こそ例の家の入院中の父親、タレコミをした本人だったのだそうです。
噂はあっという間に広がりました。
子供も娘が一人しかもうからず、しかも、その娘は年をとるごとに気が触れていく……
そして結局、今に至るわけです。
多分、祟られたのでしょう…あの家は。
一人娘が気が触れたまま死に、父親は脳梗塞で体が動かず入院中。
もう二度と家に帰る事はできないでしょう。
そして件の家には生きている人間が一人、得体の知れないモノが一人…
あの家はもう駄目です……多分。
これで母から聞いた話しは終わりです。
因果応報。
そんな言葉が脳裏をよぎりました。
-
-
見える友人
19歳の時、私の兄と兄の友人が海で波にさらわれて行方不明になったんですが…
その時、ニュースで実名で報道され、ニュースを見た私の友人も何人か心配して連絡をくれました。
その中に占いができる友人がいて、私は藁にも縋る思いで
「兄は戻ってくるのかどうか占って欲しい」
と頼んだところ、彼女は
「ごめん。占えない。ホントゴメン」
と言って電話を切られてしまった。
翌日、彼女は家にやってきて私に夕べの非礼を詫び、
「実は私は占いなんてまったくできない。ただ、少し不思議な力があるらしく、人に見えないモノが見える時がある。貴方のお兄さんは既に亡くなっているのが見えた。現在はここらへん(地図を指差す)にいるはず。でも、見つかるのは明日の昼少し過ぎで、ここら辺で見つかるはず」
と教えてくれた。
そして実際、兄は翌日の12時半過ぎ、船で兄を探していた親族に発見された。
ちょうど彼女が指差した位置だった。
そして一昨年、近所でひき逃げ事故があった。
小学二年生の子供が殺されたのだが、犯人は逃走してその位置に看板だけが立っていた。
ある日、その友人が遊びに来た時、隣の家の車を見て一瞬驚いた顔をし、そのまま私を引っ張って
「家に入ろ。急いで」
と、家に引きずり込んだ。
「どうしたの?」
と聞くと、
「あの隣の人の車のタイヤに、小学生の低学年くらいの子供が血まみれでしがみついてる」
と言った。
数日後、その隣の家の息子さんがひき逃げで逮捕された。
余談ですが、兄が海の事故で死ぬ前の年、兄と私は親戚の船に乗せてもらい釣りに出掛けた。
しばらく釣りを楽しんでいたら、突然兄が
「海の中に人がいる」
と言い出した。
私が覗き込んでも何も見えない。
「どんなのが見えたの?」
と聞くと、
「骸骨みたいな手が俺を引っ張ろうとしていた」
と言った。
ビビった親戚は、そのまま船を動かし逃げて帰った。
それが8月某日。
偶然かもしれないけど、兄が亡くなったのも翌年の8月某日。
その時一緒だった親戚は
「あの時の手が○○(兄)を捕まえたんだ」
と、葬式で言っていた。
-
-
元レディースの姉ちゃん
いとこの姉ちゃんが看護婦になったと聞いた時、本当にびっくりした。
姉ちゃんは中学の頃、○市で顔の効く元レディース幹部だった。
中学時代、散々ぐれて無茶な走り方をし、警察から逃げて派手に事故った時、優しくしてくれた看護婦さんに憧れて、どうにか入れた最下位高校で必死で勉強して看護専門に入ったらしい。
そして看護婦になれた。
毎日きつかった。
患者に逆切れしそうになった事。
先輩のいじめ。
それでもがんばった。
ある日、当直の時、患者からナースコールが入った。
そこは個人用の金持ちさんが入院する素敵な別室。
部屋に誰かがいるとの事。
ものすごい苦しそうな声。
姉ちゃんはその頃、先輩からの理不尽ないじめでかなりカリカリしていた。
へこむ前に、逆切れを抑える事で必死だった。
そして部屋に着いた。
姉ちゃんは見た。
うめく患者。
患者を見下ろす黒いコートを着た男。
「あなた何やってんですか?面会時間はとっくに過ぎてますよ!」
姉ちゃんは、とりあえずそう言った。
すると男がゆっくり振り返った。
その顔は……鼻が削げ落ちて穴だけ。
目があるはずの所に、黒い大きな穴が空いている。
頭蓋骨に所々、皮膚を貼ったような不自然な顔。
姉ちゃんは、性質の悪いいたずらだと思ったらしい。
姉ちゃんはブチ切れた。
患者とグルかよ。
あたしは疲れてんだ。
今だって疲れた体、必死で動かしてだのなんだの考えがまとまる前に姉ちゃんはブチ切れた。
「お前どこのもんじゃ!!そこで何しとんねんワレ!!なんやねんその顔、お前なめてんのか?あぁ!?なんか言うてみぃ!」
骸骨顔の男は、一瞬ひるんだらしい。
姉ちゃんは、めちゃくちゃに怒り狂っていた。
引きずり出してやろうと、その男の前まで行き、手をつかむとすり抜けたらしい。
そこで怖がればいいものを、姉ちゃんはさらに切れた。
その時には姉ちゃんも、一応この人は、この世のもんではないと認識はできたそうだが、怒りが止まらなかったらしい。
「お前死んでんのか!なに未練もってさまよっとんねん!そんなんやから、そんな顔になっとるんじゃ!鏡見てみろ、お前きもすぎや!!」
その時、骸骨の彼は間違いなく、はっきりと傷付いたように顔をさらに歪めたらしい。
とどめの一発、
「お前、童貞やろ」
骸骨は下を向き、そして、すうっと溶けていくように消えたそうな。
患者から、後でものすごく感謝されたらしいです。
姉ちゃんいわく、
「幽霊?そんなもんなんぼでもおるけど、人間の方が怖いって。そんなん気にしてたら看護婦やっとれんやろ」
との事でした。
姉ちゃんの方が怖い。
今、姉ちゃんは看護婦を退職し、旦那さんと幸せに暮らしております。
-
-
清衡塚
作家、民俗学者として知られる山田野理夫氏の話。
或る春の朝、氏が起きると突然右膝が痛み出し、立つ事も出来なくなった。
知り合いの鍼灸師を呼んで治療してもらったが、原因不明の痛みは治まらない。
その前後、山田氏は不思議な夢を見るようになったという。
夢の中で山田氏は荒涼とした池の畔に佇んでおり、その池畔には一基の古碑がある。
そこで場面が転換し、いつの間にか氏は杉の大木に囲まれた坂道を登っているのだという。
そのうち杉木立は途切れ、右崖下に川が流れる物見台で膝をさすっていると、そこからは寺の本坊らしき建物が見える。
そこでいつも僧に会うのだが、ここはどこだ問うても、いつも口を閉ざして答えてくれないのだという。
そのまま奥へ進むと、やがて右手奥に微かな光が見えてくる。
ゆったりとカーブした丘の上の建物が、眩い黄金色の輝きを放っているのが見え、そこで夢は終わってしまうのだそうである。
同じ夢を見るうち、山田氏は「あの夢に出てくる寺は平泉中尊寺ではないか」と気がついた。
奥に見えるのは国宝である中尊寺金色堂。
最初に見た池は毛越寺の庭園であり、そしてその池畔に見えたのは、かの有名な松尾芭蕉の「夏草や~」の句碑であろうという。
そうして、山田氏はやっと右膝の痛みが藤原清衡の呪いではないか、と思い当たったという。
なんと山田氏は、奇妙なめぐり合わせから、金色堂の中に眠る藤原清衡のミイラの一部を持っていたのである。
その昔、昭和25年の朝日新聞文化事業団による本格的な調査以前に、ある学者たちが清衡の棺を暴き、清衡の遺体を直に見て、触って、調査した事があったのだという。
金色堂内には奥州藤原氏四代、清衡、基衡、秀衡のミイラと、四代・泰衡の首級が納められているが、このミイラには大きな謎があった。
このミイラは自然発生的にミイラ化したのか否か、という謎であった。
この謎を解き明かさんと、清衡の棺を暴いた学者の名前を仮にABCとする。
調査中、この学者たちが清衡の遺体の右膝に触れた際、わずかに遺体の一部が欠落したのだという。
骨と皮膚の間の筋肉部と思われる、茶褐色の毛片のような欠片であった。
その欠片を、調査目的で学者達が持ち帰ったという訳だ。
しかし、すぐに三人に異変が現れた。
Aは電車事故、Bは階段から落下、Cは関節炎で、各々、右膝に何らかの事故が発生したのだという。
そんな事があった為、ABCの夫人達が、民俗学者であった山田氏に相談を持ちかけ、
「これは清衡の呪いだと思うが、どうしたらいいかわからない」
と、遺体の欠片を譲渡したのである。
そんな訳で、山田氏は藤原清衡の遺体を手に入れたのであった。
山田氏は、この遺体を元の場所に返さなければならないと思い立たち、人づてに連絡を取り、後に中尊寺貫主になる僧侶・今東光氏と連絡を取り、事の次第と、ミイラの一部の始末をどうすべきか伝えた。
すべて伝え終わると、今東光氏は驚きの声を上げたという。
「金色堂の棺を開けるのは、日本銀行の金庫を開けさせるよりも遥かに難しい。清衡公を元の場所にお返ししたいのは山々だが、棺は今後もう二度と開かれる事は無いだろう」
そういう訳で結局、遺体を元の場所に戻す事は叶わなかったのである。
後日、山田氏がこの体験記を『文芸春秋』に投稿すると、予想外に多くの反応があったという。
ある新聞社が遺体の一部を撮影させてくれと言ってきたり、とある霊媒師がその夢を私も見たと主張してきたりして収集がつかなくなり、非常に持て余したという。
その後、その清衡公の遺体の一部は、山田氏の手によって中尊寺境内のどこかに埋葬されたという事である。
山田氏は遺体を埋めた場所を密かに「清衡塚」と呼んでいるというが、彼以外にその場所を知る者はいない。
世界遺産に登録された平泉中尊寺の、ちょっと不思議な話。