怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 月別アーカイブ:2013年10月 」 一覧

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焼死体

10年以上前の話です。

当時学生だった私は、友人とドライブに出かけました。

昼間にもかかわらず『横須賀の心霊スポットを見に行こう』というものでした。

場所は、ご存知の方はマニアと呼ばれる『旧*部倉トンネル』

当時、横浜・横須賀道路は開通していたものの、完全竣工までは至っておりませんでした。

車ではトンネル跡までたどり着けなかったため、車を降りて徒歩で坂を登っていった記憶があります。

トンネル跡まであと少しという所で、私と友人はほぼ同時に、急にある方向を見つめました。

何故って?それは得体の知れない臭いが漂ってきたからです。

何かが腐って強烈な臭いを発している様な・・・

ここで帰ればよかったのですが、余計な好奇心が、後に最悪の事態を招く事を当時のバカ2人組は全く予測しておりませんでした。

さて、無用心にも臭いのする方へ近づいていったバカ2人組。

あまりの臭いに、

「もう止めるか。こりゃ」

と思っていたところ、6~7m先に黒い物がある事に気がついた。

「なんだありゃあ?しっかし、くせーなぁ。何かの死骸か?」

あたりは背の低い草むらで(10~15cm位の草が生えていた)私が事もあろうにズカズカと近づいたところ、

「ブオオオオオオオォォォォォォンンンンン!!」

と、ものすごい音が。

「!」「?」

何と、無数のハエが飛び立ったのであった。

今まで生きてきて『蚊柱』は何度も見たことがあるが、『ハエ柱』にお目にかかったのはこれが初めてで、かつ、これ以後ない。

かなりおっかなびっくりになった2人組に、さらに追い討ちが!!

「おい・・・これ・・・人の形してねぇか」

「なぬ??ンゲェェェェェェェ!!」

皆さん、焼死体なるものを見た事がありますか?

当然、私は初めてでした。

まともに死体と目が合ってしまった。

一目散に逃げようとしたその時、友人が

「四方八方に何か散らばってるが、ありゃ何だ??」

「何、のん気な事言ってんだよ。アホ!」

が、足元を見れば、確かに何かを細かく切り刻んだものが散らばっていた。

紙のような物もあれば、薄いプラスチックのような物もあった。

比較的大きな破片もあったので、適当に拾い、御遺体から離れて並べてみると、何かの絵?女の子みたいな。

その間、友人は近くの公衆電話へ一目散。

当然110番通報。

戻ってきて言うなり、

「(警察が)着くまでここにいてくれってさ」

「・・・マジかよ」

このときは本当に鬱になった。

ふと、白い紙切れが近くにある事に気が付いた。

私達から向かって右数m先の所に。

「現状維持なんじゃねーのか??」

と言う友人の声を無視し、私は紙切れを拾った。

その紙切れにはこう書いてあった。

『ノロウ。ノロウ。コノヨノスベテヲノロウ。ワガウラミ、トワニハツルコトナシ。』

私は寒毛立った。

これ、遺書じゃねーの??

恐る恐る御遺体の方へ目を向けてみると、何と、顔がこっちの方に向いてるじゃあ~りませんか・・・・(T_T)

頭髪は燃え尽き全身黒こげ。

口の一部は腐ったのかハエに食われたのか、一部骨が露出している様にも見えた。

ここまでひどく焼けてるとなると、ガソリンかぶったみたいだな・・・(実は当時、私は科学を専攻していた院生でした)

もともと生物の肉体は、そう簡単には燃えない。

総体重の半分は水分なのだから、全身黒こげとなると、相当量の可燃性物質を浴びてから、自らに火を放ったとしか考え付かなかった。

そうこうしている内に警察が到着。

初めて事情徴収を受けましたです。はい。

担当のおまわりさんが、

「とんだもの見つけちゃったねぇ」

と苦笑いしながら私に言った。

私は「はぁ・・・」としか返答のしようがなかった。

おまわりさんが

「手に持っている紙切れは何?」

と聞いてきたので、

「近くで拾いました。遺書みたいです」

と答え、私は紙切れを渡した。

この時、私は妙に冷静だった事を覚えている。

ちなみに友人はガクガクブルブルで、事情を聞ける状態ではなかったそうな。

そりゃ普通はそうだ。

「その細かい物は何かな?」

と、別のおまわりさんに聞かれたので、

「御遺体の周囲に散らばってます。適当に集めてみたら、何かの絵みたいなんですよねぇ・・・」

私はこの絵に何か見覚えがあった。

実はこの絵が更なる戦慄を私にもたらす事になるとは、その時は夢にも思っていなかった。

友人は車を運転できる状況ではなかったので、私が運転して帰途についた。

家に戻り両親に事情を話した所、見事に沈黙された。

食欲など全くわかなかったので早々に寝ることにしたのだが、その時に私は思い出した。

「あの絵・・・確か、ミンキーモモっていうアニメーションじゃなかったか?」

正直言って私はアニメには興味がない。

が、予備校時代の知り合いに変わった奴がいて、そいつがミンキーモモ好きで、当時いろいろなグッズを予備校内で持ち歩いていたので、思い出したのだ。

真性ロリコンで医学部志望。

「ちっちゃい子が大好きだから、小児科医になりたい」

等とほざく、私が人の親ならば絶対医者にはさせたくない奴であった。

といっても、成績は理学部志望の私より悪かったので、まず医者は無理だろうなぁ・・・とは思っていた。

「そういやあいつ、どうしているんだろう・・・まさかなぁ・・・」

しばらく経って、同じ大学の予備校以来の友人が、私の所属する研究室にやって来た。

「時間ある?」

「ああ、いいけど・・・珍しいなぁ。何?」

「***が横須賀で、焼身自殺したらしいんだよ。1週間ほど行方が分からなくなっていて、親御さん、捜索願出してたらしいよ。それもさぁ・・・自分の周りにミンキーモモグッズ切り刻んで、ばら撒いたらしくてさぁ」

私は自分の血がみるみる引いていくのを覚えた。

「どうしたんだよ??おい!」

「それ・・・見つけたの。俺だ・・・」

絶句する友人。

これ以上、会話の必要はなかった。

4浪の末、受験したすべての大学の入学試験にPASS出来ず・・・という事だった。

覚悟の上の自殺だったのだろう。

奴は私に見つけて欲しかったのだろうか?

とにかく、未だにミンキーモモの絵を時たま目にしてしまうと、当時の『ハエの羽音』と『焼け焦げた顔』がフラッシュバックする事がある。

私の数少ない恐怖体験でありトラウマでもある。

【お持ち帰り】

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後部座席

2年前に免許を取って、おぼつかない運転をしていた頃です。

私は、多分、下手だから車体をすぐこするだろうと思い、中古車の軽自動車を70万ほどで買いました。

新品同様でとても気に入ったのです。

ドアが事故って替えてあるのか、ちょっと閉まり具合が悪かったですが・・・

3ヶ月は何も無かったんですが、深夜のある時、ふと後部座席に誰かいるような気配を感じるようになりました。

慌ててバックミラー越しに覗くと誰もいません。

心臓が波打ちました。

今から車を替えるお金もないので『気のせい』と言うことにして乗っていました。

ある雨の夜、普段なら通らない道を通って間違えて細い道に入ってしまいました。

仕方なく前へ進むと橋があったので、

「あ、ここか。ここ渡れば広い道出れる」

と思い前へ進みました。

橋の手前で雨はざーざー激しくなって、視界が悪くなってきました。

その時、また後部座席からすごい視線を感じ、私は焦りアクセルをふかしました。

気が動転してかアクセルとブレーキを間違え、急ブレーキをかけて見事にエンストを起こし、車は『ばっこん』と止まりました。

何だかなぁ・・・こんな激しい雨の中で。

ふと車が立ち止まった前を見ると、橋の先が見えないのです。

いくら雨で視界が悪いとは言え・・・。

念のため仕方なく車を降りると、橋は途中でぷっつり壊されていて道が無いのです。

このまま直進してたらあの世逝きでした。

逆U字にカーブしてる橋で、橋げたから下までかなりの距離があったので、ひざも足もガクガクして、その場をバック走行して逃げ去るまで酷く時間を費やしました。

後部座席のうっすら気配のする人物は、男かも女かも分かりません。

車はその後、エンジントラブルで走行中に煙を出し、見事1年も乗らないうちに廃車になりました。

【お持ち帰り】

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TV録画

もう10年近く前のこと。

ろくに就職活動をしないまま大学を卒業してしまった俺は、職を求めて単身関東へ引っ越した。

とりあえずバイトを見付けて何とか生活する目処が立った頃、俺はある地方局のローカル番組にハマった。

毎日の放送をVHSに録画して繰り返し見るだけでは飽きたらず、番組が視聴できない地域に住んでる友人に貸し出して布教活動をするほどのハマリっぷりだった。

その番組の放送時間は30分なのだが、月~金の平日は毎日放送。

視聴を始めて半年が経つ頃には、俺の部屋はその番組を録画したVHSが山積みになっていた。

録画視聴がすっかり習慣になってしまったある日のこと。

俺は諸々の事情で録りだめ状態になってた数日分の放送をまとめて見ていた。

何か別の作業をしつつVHSの映像を延々と垂れ流し続け、2時間ほどが経過した頃。

ふと違和感を感じてテレビへ視線を向けると、画面にはさっきまで全くなかった激しいノイズが。

よくよく見てみるとそれはノイズというよりも、受信できないチャンネルを映した時の映像に似ていた。

酷く歪んだ映像には何かが映っているようだが、それが何かまでは判別できない。

音声も流れているようではあるが、雑音が酷くて全く聞き取れない。

『うわぁ、録画するチャンネルの指定まちがえたかも?』と思いながら早送りボタン。

暫くすると画面は鮮明な映像に変わり、いつものローカル番組のオープニングが映し出された。

一日分の放送を録り損ねたことは悔やまれたが、それ以降はちゃんと録画できていたので別段気にすることもなく、数日後にはそのことすら忘れてしまっていた。

引っ越してから初めての年の瀬。

帰省する旨を実家へ連絡した際、俺にとってラッキーな情報が入ってきた。

実家暮らしの弟が自分の部屋にDVDレコーダーを導入したらしい。

それまで使っていたビデオデッキも健在とのことなので、二台を繋げばVHSからDVDへのダビング編集ができる。

俺は部屋に溜まった大量のVHSをダンボールに詰めて実家へ配送することにした。

無事実家に到着し、既に届いていた荷物を受け取った俺は、弟の部屋で早速ダビング作業を行うことに。

取説とにらめっこしながら手順を確認すると、どうやらVHSの映像を再生しながらでしかダビングはできないらしい。

つまり120分のビデオテープに録画した映像のダビングを完了するのに、丸々2時間かかることになる。

発送したVHSの中身を全てダビングするにはかなりの時間を要するが、収納スペースのことを考えれば致し方ない。

俺はダビング作業を開始した。

が、帰省してから3日が経過し正月を過ぎても、ダビング作業は遅々として進んでいなかった。

俺自身に外出の用事があったり、弟が部屋でゲームしたいとゴネたりと、いろいろな要因が重なったためである。

正月休みで実家に居られるのもあと2日、実家に送った全てのVHSのダビングはできないにしても、少しでも数をこなさなければ。

と言うわけで、その日の俺は弟が朝からパチンコに出掛けたのを機にダビング作業を開始。

1本のビデオのダビングが終わる度にテープを入れ替えるという作業を延々半日繰り返した。

夕方6時を過ぎた頃、早めに用意された夕飯をリビングで食べていると弟が帰宅。

「開店初日でめちゃめちゃ勝てた」

と自慢気に語ってニ階の自室へ向かおうとする弟に、

「ダビングしてるからデッキとかイジるなよ」

と釘をさす。

食事を再開して間も無く、ニ階から突然叫び声が。

そして、ドタドタと慌てた様子で階段を駆け降りてくる弟。

「お前、アレ何だよ!?」

「何がよ?」

「テレビに変なモン映ってんぞ!」

食事を中断して弟と共に2階へ。

夕飯食うためリビングへ降りる際に電気を消していたので、弟の部屋は真っ暗。

その中でダビング作業中のテレビのブラウン管だけがぼやーと光を放っている。

その画面に映っていた映像を見て、俺は卒倒しそうになった。

ところどころノイズが入った粗い画質の中、目を見開き、口を大きく開けたまま首を横に傾けた女の顔が画面いっぱいに映し出されているのだ。
その瞬間、俺は録画に失敗した日のことを思い出した。

翌日以降の録画には何も問題がなかったのですっかり忘れていたが、これはその時のビデオテープだ。

弟と暫し無言でその映像を眺めていた俺は、ハッと我に返った。

平静を装いつつ、

「あれー?何かダビング失敗してるわぁ」

とか言いながらビデオデッキのリモコンを取り上げ、停止ボタンを押す。

反応が無い。

ボタンをいくら押しても映像が止まらない。

デッキのカウンターは数字でも英字でもない表示が付いたり消えたりしている。

DVDのリモコンも同様に無反応。

のみならず、チャンネル変更や電源ボタンなどのあらゆる操作を一切受け付けない。

俺はコンセントに刺さったコードを、タコ足プラグごと引っこ抜いた。

ブツンという音と同時に部屋の中のあらゆるAV機器の電源が落ちる。

ブラウン管の灯りだけで照らされていた部屋は途端に真っ暗になり、俺は慌てて部屋の電気を付けた。

すっかり気が動転してしまっている弟。

俺も心臓バクバクだったが、

「とりあえず飯食おうぜ」

と平静を装ってリビングに戻った。

その後は大変だった。

件のビデオをデッキから取り出そうとすると、ヘッドにテープが絡まって全然出てこない。

強引に引き抜いたものの、ビロビロと吐き出されたテープをデッキから取り除くのに悪戦苦闘。

ドライバーやら何やらで何とか作業を完了させた後、テープはまとめてゴミ箱へ。

その後、DVDの方を確認。

ダビング作業は途中で中断されてるだろうけど、内容が気になる。

そこでまた仰天。

チャプター画面のサムネイル画像が、先ほど映ってた首を傾けた女の顔。

しかも10数個に分割表示された全ての画像が、同じ女の顔で埋め尽くされている。

すぐさまDVDデッキの取り出しボタンを押す。

ビデオとは違ってスムーズに出てきてくれたそれを、両手で思いっきり力を込めて真っ二つに。

先ほどゴミ箱に捨てたビデオテープと共に紙袋に詰めた上で小さく折りたたみ、ガムテでグルグル巻き。

台所に居た母に

「これ捨てといて」

と言って手渡した。

以来あんなにハマっていた番組への熱がすっかり冷めてしまい、録画はおろか視聴すらしなくなってしまった。

その後しばらくして再び引っ越しをしたため、今はあの番組の放送局を受信できない地域に住んでいるけど、こっちでもネット放送か何かで深夜に放映されているので、何の気無しのザッピングでチャンネルが合うたびにドキッとしてしまう。

【裏ワザ】

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電波塔の整備

うちの夫は、山奥の電波塔や中継局などに整備の仕事に行くんだけど、そういう建物がある場所ってしばしば自殺スポットのようになっている。

車で機材を運ぶための林道が整備してあるから、山に不慣れな人でもわりと簡単に奥まで入っていけちゃうみたいだね。

木の枝に掛けられた数珠とか、そろえて脱いだ靴とか、明らかに遺品らしき品物もたまに見かけるらしいけど、時間内に作業を終えなければならないから、目の前に死体がぶら下がってる場合でも無い限り、

「うわーやだー怖いねー」

「首吊りかなあ、夏場は溶けるの早いしなー」

と、作業員みんなでスルーするのが当たり前になってるらしいw

うちの人はオカルト全く信じない人間なんだけど、自殺スポットの中継局で作業した日の夜は、決まって誰かと会話してるかのような妙な寝言を言うのがちょっと怖い。

朝には全然覚えてないんだけどね。

あと、使ってない部屋から稀にラップ音?が聞こえる時もあるけど、年がら年中窓を開け放して換気しまくる家なせいか、しばらくすると自然に音が消えて静かになる。

まぁ現実の人間関係もそうだけど、必要以上に怖がったり気を遣いすぎたりすると、相手にナメられて付け込まれやすくなってしまうから、気にしない事って案外と重要なのかなと思ったり。

【テクニック】

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じいさんの昔話

俺の親父の実家がある村の話。

父親の実家、周囲を山にぐるっと囲まれた漁村(もう合併して村ではないけど)なんだ。

元の起源は、落ち延びた平家の人間たちが隠れ住んだ場所で、それがだんだん村になっていった感じ。

まぁそんなこと、村で一番の年寄りの爺さんがガキンチョに聞かせるだけで、ほとんどの人間は意識していない。

若い子とかは、知らない子のほうが多いくらいだ。

俺の住んでいる市街(といってもすげー田舎)とそれほど距離があるってわけじゃないんだが、地形の関係で周囲と孤立している。

今でこそ道路もきちんと整備されて、簡単に行き来できるようになったけど、数十年前なんかはろくに道路も整ってなくて、まさに陸の孤島って言葉が似合う、そんな場所だった。

よく田舎では余所者は嫌われるって言われてるけど、全然そんなことないんだよな。

村の人たちは排他的ではないし、気のいい人たちだよ。

土地柄的に陽気な人が多い。

親族内でお祝い事があったら、明らかに親戚じゃない知らないオッサンとか混じってて、それにも構わずみんなでわいわいやったりとか。

基本的に飲めや歌えやっていう感じ。

俺は半分身内みたいなもんだから、それでよくしてくれてるところもあるんだろうけどさ。

正確な場所はさすがに訊かないでくれ。

俺まだその村と普通に交流してるからあんまり言いたくない。

言えるのは九州のとある地方ってことだけだ。

親父の実家自体は普通の漁師の家。

でも、家を継いだ親父の兄貴(親父は九人兄弟の真ん中)が、「年を取ってさすがに堪える」って言うんでもう漁業は止めてる。

実家は親父の兄弟姉妹とその家族が何人か一緒に住んでたり、親父の叔父叔母が同居してたりでカオスだ。

俺も親父も親戚関係は全然把握できてない。

誰が尋ねてきても「多分親戚」ってくらい親戚が多いんだよ。

で、俺の家は何かあれば、ちょこちょこ実家に遊びに行ってた。

俺がガキの頃はかなり頻繁だった。

小さい頃は楽しかったけど、中学生にもなるとさすがにそういうのもうざくなってくるが。

それ俺って一族の中では年少者だったから可愛がられてて、お小遣いとか結構貰ってて、そういうの目当てで大人しく親についていってた。

近所の爺さん婆さんたちも、子供は独立して滅多に帰ってこないっていうので寂しかったのか、俺や俺の弟や妹たちをすげー可愛がってくれてさ、今でも俺が来ると喜ぶんだよな。

そんな年寄りたちのなかで一番に俺たちを可愛がってくれたのが、シゲじいさんっていう人だった。

シゲじいさんはもともと海の男だったんだけど、とうの昔に引退して、気ままな道楽生活を送っている人だった。

俺がガキの頃の時点で90超えてたと思うが、口は達者で頭もしっかりしてた。

奥さんもずいぶん前に亡くなってて、子供のほうは東京に出たっきり正月や盆にも帰ってこない。

だから俺らの遊び相手をして、寂しさを紛らわせてたんだと思う。

豪快なじいさんで、俺との木登り勝負に余裕に勝ったり、エロビデオ毎日観てたりと、俺にエロ本読ませてくれたりと、殺しても死なないんじゃないか、というような人だった。

でも、そんなじいさんもさすがに死ぬときは死ぬ。

俺が中学生のときに病気になって半分寝たきり状態。

夏休みのときに実家に長期滞在したんだが、じいさんの病気を知ってからは、親戚付き合いそっちのけで、じいさんの家に見舞いにいきまくってた。

じいさんは

「もう自分は長くないから」

と、昔話を聞かせてくれた。

そのときじいさんの話を聞いたのは、俺と弟だったわけだが、あれを子供に聞かせていいような話だったのかと、あの世のじいさんにツッコミを入れたい。

じいさんの話は、生贄の話だった。

じいさんは、

「昔ここらへんではよく生贄を捧げていた」

とかぬかしやがる。

それも何百年も昔ってわけじゃなくて、昭和初期から中期に差し掛かる頃まで続いていたとかなんとか。

俺「いや、そげんこと言われても……」

弟「……困るし」

俺たちの反応のなんと淡白なことか。

でも、いきなりそんなこと話されても実感沸かないし、話されたところで、俺らにどうしろと?って感じだった。

俺「生贄ってあれだろ?雨が降らないから娘を差し出したり、うんたらかんたらとかいう……」

弟「あと生首棒に突き刺して、周りで躍ったりするんだよな?」

じいさん「ちげーちげー(違う違う)。魚が取れんときに、若い娘を海に沈めるっつーんじゃ」

俺「あー、よく怖い話とかであるよな。人柱とか」

じいさん「わしがわけー頃には、まだそれがあった」

俺「……マジで?」

じいさんの話はにわかには信じられないものだったが、まぁ昔だし、日本だし……

そんな感じで、当時若い姉ちゃんの裸よりも、民俗学だの犯罪心理だのを追求することに生きがいを感じている狂った中学生だった俺は、ショックではあったが受け入れてはいた感じ。

弟のほうはよく分かっていないような感じだった。

多分、漫画みたいな話だなーとか思ってたんだと思う。

生贄を捧げるにしても、なんかそれっぽい儀式とかあるんだろうけど、じいさんはそこらへんの話は全部端折った。

俺としてはそっちのほうも聞きたかったんだけど、当時若造だったじいさんも詳しいことは知らないそうだ。

当時の村の代表者(当然、既に故人)とか、そういう儀式をする司祭様みたいなのが仕切ってたんだろうけど、そのへんのことも知らないらしい。

じいさんが知っているのは、何か不可解なことが起きたときや不漁のときに、決まって村の若い娘を海に投げ込んでいたというだけ。

親父の実家は、先にも言ったように陸の孤島みたいなところだ。

そういう古臭い習慣がだいぶ後まで残ったんだと思う。

じいさんがなんでそんなこと俺らに聞かせたのかは、未だによく分からないんだけど、その生贄の儀式っていうのは、神の恩恵を求めたものっていうよりは、厄介払いの意味を含めたものであったらしい。

村中の嫌われ者、身体・知的障害者や、精神を病んだ人(憑き物ってじいさんは言ってた)を、海に投げ込んでハイサヨウナラって感じ。

だから、捧げられるのは若い娘だけじゃなかったらしい。

その裏で、多分こっちが本当の目的なんだろうけど、厄介者を始末する。

実際、近所の家にいたちょっと頭のおかしい人が、生贄を捧げた次の日から見かけなくなった、というのがよくあったそうだ。

あまりにも頻発するんで、村の中枢とはそれほど関わっていなかったじいさんも、薄々は気づき始めたらしい。

俺の妹が軽度の知的障害者だから、聞いたときは本当に嫌な気分になった。

俺「でもさ…、それっておかしいとか思わなかったの?娘さんは最初から沈められるって決まってるけど、そういう厄介払いされる人たちって行方不明じゃん」

じいさん「いやー……娘さんにはむげー(可哀想・酷い)とはおもうたけんど、ほかんしぃが消えたあとはまわりんしぃ、むしろ厄介者が消えてせいせいって感じやったなぁ」

俺「……」

生贄の儀式が実は厄介払いのための建前っていうことは、当時の村の人間の、暗黙の了解みたいなものだったんだと思う。

誰も何も言わなかったってのは、そういうことなんじゃないかな。

ちなみにこの風習も、昭和の中ごろになる前に自然消滅していったそうだ。

村の人間も、戦後あたりに家を継ぐ長男以外は出稼ぎで全国に散らばっていったから、生粋の地元人ってのもあまりいないし、事実を知っている人間は年寄りばかりで、そのほとんども亡くなっている。

今生きているのは、当時子供で詳しくは知らない人とか、そういうのばっかりだ。

そういう人たちも、わざわざ話したりしない。

だから生贄関連の話、記録とかには残っているんだろうけど(慰霊碑があるし)知らない人のほうが多いみたいです。

まぁ自分の地元の郷土史なんて興味なけりゃ、ごく最近の出来事でも周囲の認識はこんなもんだと思う。

結局、シゲじいさんは、なんで俺と弟にこんな話をしたのかわからない。

俺が民族学やらなんやらが大好きってことを知っていたから、それで聞かせてくれたのかもしれないけど。

あの人、変人だったし。

もう墓の下だけど、死ぬ直前まで口の達者なじいさんでした。

でも、あのじじいがこんな話をしてくれたもんだから、しばらくは大変だったよ。

今まで(今でも)可愛がってくれた年寄りたちの何人かはこの事を知っていて、実際に身内の中に生贄を出した家ってのもあるかもしれない。

そう思うと嫌な気分になるっていうか、気のいい彼らに対する認識が少し変わったんだよな。

彼らがいい人ってのはよく分かってるから、それで交流を止めたりはしないんだけど。

以上、あまり怖くはないんだが、俺個人としては気分の悪くなった話。

俺は相変わらず実家に訪問することが多いのだが、まだ他にも普通じゃない話はいくつか見聞きしている。

それは、話すときがあるかもしれないし、ないのかもしれない。

さすがに地元特定されるようなネタとかは話せないし。

個人的に、かつて村の有力者だったという家の話は、もっと凄かった……

【裏ワザ】