うちの父方の家は長崎のとある島にあって、議員さんも出た名のある家柄でした。
その家は、絶対口外してはいけない過去がある家でした。
今は父方の家系にあたる人間は私しかおらず、私の父が家出(駆け落ち?)同然で東京へ出てしまい、家を継がなかった事と、父の死後、その家を取り潰してしまった為、今は断絶したことになります。
父は去年亡くなりました。
父方の親戚もいません。
だから、ここで書いても最早問題ないと思います。
それを知ったのは高校一年の頃。
その家へ遊びに行った時に、爺様から教えてもらいました。
この家は昔、海外への人身売買を生業にしてきたと。
正しくは、人身売買で引き取った子を海外に輸出する前に、ある程度の作法やら言葉を教育するという事を行っていました。
その稼業は室町以前から始まり(ちょっと眉唾ですが)昭和初期まで続いていたそうです。
95歳で亡くなった爺様も、関わらないまでもそれを生で見ていた、ということになります。
まず、全国の農村を子を買って回る業者(名前は失念)から子供を引き取ります。
爺が言うには、当時で大体男子が50円、女子が20円程度だったと聞きます。
10円が今で言う1万円くらいだったらしいので、人一人の命が2万や5万程度だったことに驚きです。
末端価格でその値段ということは、実際の親にはその半額程度しか支払われていなかったことでしょう。
あまりに哀れですが、それほど困窮していたとも取れます。
連れてこられたその子たちは、うちの家で大切に扱われます。
綺麗な洋服を着て、美味しいものを食べて、遊んで暮らします。
そして、色々教えていきます。
言葉、字、作法、女子には料理、すべては洋式の事ばかりだったそうですが・・・
海外へ行っても困らないように養育したそうです。
さて、子供たちはどこに住んでいたのかと言うと、長崎の家は一見2階建てと気づかないのですが、2階がありました。
2階には一切窓がありません。
外から見ても、窓が無いので2階があることさえ分かりません。
しかし、当時は煌びやかな壁紙や装飾が施された部屋がいくつもあり、その部屋に子供たちが引き取られる一時期だけ暮らしていたそうです。
そこへ上がるための階段に、ちょっとした特徴がありました。
2階に上がるのは、階段から簡単に登れるのですが、降りる為には、1階から移動階段を渡してもらわないと、降りれないようにもなってたそうです。
構造をもうちょっと説明すると、階段を上り終わった所の板は、下からしか上げられない戸になっており、降りる側の戸は、登った側の反対側で階段の裏側が見えるという状態です。
逃げ出せないようになっていたのですね。
ちなみに、私は爺様にその場所を教えてもらったのですが、上りの階段も外されていて、上ることが出来ないようになっていました。
あと、家の中央付近にはつるべのような仕掛けがあり、一種のエレベータのようなものが置かれていました。
片方の下は井戸になっており、石を繋いで落とすと、すべりの悪くしている(?)滑車が、ゆっくりと片方に乗せられた盆を上げていく仕組みです。
あくまで料理や生活や教育に必要な道具を上げるだけで、人は乗れないモノだったそうです。
私が見たときは井戸が埋められていて、ロープも無く、上の暗い穴のところに、滑車の車を外したモノがあるだけでした。
一番オカルトチックだったのは、発育の悪い子や、貰い手が無いまま15歳を超えた女子を殺して捨てる井戸があったこと。
本当かどうかは分かりませんが、逃げ出そうとしたり、知能が遅れすぎて役に立たない子は、牢屋に入れて毒で殺した挙句、その井戸から落としたそうです。
貰い手が無かった男子は、そのまま近隣の島の労働力としてもらわれていくことが多かったそうです。
私が行った頃には、すでに井戸は跡形も無くなって、庭の片隅に鳥居と鎮魂の為と思われる文字が刻まれた岩があっただけです。
爺様は幽霊なぞは見たことが無いと言っていましたが、子を落としてからしばらくは、井戸から声が聞こえることがあったらしいです。
「しにぞこない」とか「仲間入り」なんて呼ばれてたらしいですが…。
でも、この話を聞いてから、二度とその家へ行かないと決めたものです。
実際取り壊しの時も私は立ち会いませんでした。
父は祖父が死んだとき、一切合財の財産は島で家を管理されてた人に任せることにしました。
きっと父も、その呪われた島に行きたくは無かったのでしょう。