怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 ミステリー 」 一覧

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花束

昔、好きだった子の玄関に、花(ご近所のガーデニングが素晴らしい何某さん宅から失敬)を置いてた。

従兄の新聞配達の手伝いしてたから、まだ薄暗い早朝にな。

で、最近その彼女に会う機会があって

「こんなことしてたんだよな~、どう思ってた?w」

って話をしたんだが、彼女真っ青になって俺の胸倉掴んで揺さぶってきたわ。

「アレ、あなたがやらせてるの!?今すぐ止めさせて!!」

って絶叫。

なんとか落ち着かせて、詳しく話を聞いてみると、まだ続いてるらしい。

ま、最初は彼女宅も『お前に想いを寄せてる誰某の仕業かもな~』と笑い話だったんだが、俺がやってたのは精々2、3日に1回くらいだったんだが、いつからか毎日、雨の日も台風の日も阪神大震災の日もプレゼント包装された花束が置かれるようになった。

『やめてくれ』と張り紙しても効果なし。

監視カメラ置いても映らず、警察が見回りしても、いつの間にか突如として現われましたという風に置かれてるらしい。

もう家族全員ノイローゼになってるらしく、当然俺は激しく責め立てられた。

菓子折り持って土下座しに行ったよ。

で、泊まり込んで見させてもらうことにしたんだよ。

来たよ。

弟くんが、

「また置かれてた!」

って俺に花束突きつけてきた。

ん?

弟くんよ。

玄関のドア開けずに、どうやってソレ持ってきたの?

・・・あー怖ぇ。

実弟がストーカーとは。

目の前で一つの家庭が崩壊する様をマザマザと見せつけられた。

弟くんをボコボコに殴りつける親父さん。

意味不なことを叫ぶお袋さん。

泣いて崩れ落ちる彼女。

ヘラヘラ笑ってる弟くん(ただし、俺にだけは睨みつけて舌打ち)

結局、弟くんのそれが歪んだ愛情からなのか、嫌がらせなのか、不明なまま、この一家との繋がりは無くなった。

そして便りもなく引っ越してった。

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呪われた潜水艦

かつて、怨霊がとりついているとしか思えないような潜水艦がドイツ軍に存在していた。

本来であれば敵艦を沈めるための軍事潜水艦であるはずが、なぜか味方の方に次々と不幸をもたらす。

初めのうちは偶然に事故が続いただけだと思われていたが、そうではない出来事もやがて起こり始める。

1916年、第一次世界大戦の真っただ中のこの年、ベルギーのブルージュの造船所は、24隻の新型の潜水艦を作っていた。

この中に、後に『呪われた潜水艦』と異名をとる『U65』号がいた。

U65は建設段階の時から不慮の事故を巻き起こしていく。

ある日、造船所の中で、U65に取りつけるための大きな鉄骨をクレーンで動かしていたところ、突然チェーンから鉄骨がはずれて下に落下した。

ちょうど下には2人の作業員が雑談をしており、鉄骨は2人を直撃した。

1人は即死、もう1人は両脚が下敷きになり、両脚をつぶされた。

彼の脚から鉄骨を取り除こうにも滑車の装置が壊れており、救出するまでに1時間かかった。

その後、すぐに病院に運びこまれたが結局助からなかった。

そして半月後、U65は完成した。

ある日、進水式を間近に控え、3人の作業員がディーゼルの再点検のために機関室に入っていった。

だがしばらくして、機関室の中から彼らの助けを呼ぶ声が聞こえてきた。

隔壁の扉が動かなくなって閉じ込められてしまったのだ。

周りにいた作業員たちが駆けつけ、扉を必死になってこじ開ける。

その間にも、中から助けを呼ぶ声はどんどんと小さくなっていった。

やっと扉が開いた時、閉じ込められていた3人は有毒ガスで死亡していた。

だいたい扉が動かなくなった原因も不明だったが、どこから有毒ガスが漏れたのかも不明だった。

丹念に整備点検が行われ、ドックからも『完全に大丈夫』という保証つきで、U65は再び出航した。

初の任務は決められたコースをまわるパトロールである。

初の任務はうまくいった。

コースをまわり、U65は無事ブルージュの港へと帰ってきた。

ここで食料と弾薬、魚雷を積み込み、再び出航する。

だが、まさに出航しようとしていたその矢先、今度は積み込んでいた魚雷が突然爆発した。

艦内と甲板で5人の死者が出る事故だった。

「積んでいた魚雷が爆発するなんて、この艦は絶対呪われている。」乗組員たちは口々に噂しあった。

この事故の犠牲者の1人に、二等航海士で『シュワルツ』という男がいた。

シュワルツを含む5人の葬儀が行なわれ、U65はまたもや修理のためにドックへと入った。

次の出航の日も決まり、その数日前、乗組員たちは修理の完了したU65に改めて全員集合させられた。

これより点呼を行う。

前回の事故で死亡した5人に代わって、新たに5人のメンバーが加わった。

総数はこれまで通り31人となる。

全員が次々とタラップを昇っていく姿を指揮官が横で見ながら数を確認する。

「29、30、31、・・・・32?」

1人多い。

最後に昇っていったその男は指揮官にも見覚えがある男だった。

あれはまぎれもなく先日の魚雷事故の時に死んだはずのシュワルツだった。

「そんなバカな!」

指揮官は目を疑った。

「いや、そんなことがあるはずがない。見間違い、数え間違いだ。」

そう思うことで指揮官は自分の心を納得させた。

艦長と新任の乗組員たちが士官室にいた時、士官室のドアが突然開けられて、1人の二等航海士が飛び込んで来た。

「か、艦長!」

ノックもせずにドアを開けたことにムッときた艦長は

「上官への礼儀はどうした!」

と怒鳴り返した。

「す、すいません!今、たった今ですが、この間の事故で死んだシュワルツを見ました。彼がこの艦に乗り込んでいました!」

「そんなバカなことがあるはずがない。誰かをシュワルツと見間違えただけじゃないのか!」

「いや、確かにシュワルツでした。水夫のペーターゼンも見ています。間違いありません!」

「ではペーターゼンにも話を聞こう。彼にここに来るように言ってくれ。」

「それがペーターゼンはショックのあまり、甲板で腰を抜かして震えておりまして・・。」

艦長が甲板に昇って震えているペーターゼンに話を聞くと、

「あのシュワルツが確かに甲板を歩いて、へさきの方まで行ってそこでじっと海を見つめていました。間違いなくシュワルツです。でも瞬(まばた)きした瞬間に消えていたのです。」

とパニック状態になっている。

誰かのイタズラではないかと艦長は全員に問い正したが、誰もそんなことをする理由はない。

元々事故続きの呪われた艦として恐怖心を抱いていたペーターゼンは、このシュワルツを見たことが決定的となり、

「呪われた船に乗るくらいなら逃げる。」

と言い残して行方をくらませてしまった。

U65は1917年の末までに敵艦を何隻も沈め、イギリス海峡のパトロールの任務もきちんと果たしていた。

しかし乗組員たちの恐怖心は一向に収まることはない。

ある航海士が、またもや甲板を歩いてへさきまで行き、そこで消えてしまった人を見た。

仲間に話すとそれは絶対シュワルツだと言われた。

艦長にも報告したが、

「錯覚だ。何かの見間違いだ。怖いと思っているからそんなものが見えるのだ。この小心者が!」

と逆に怒られた。

しかしある日、艦内の航海士が、甲板の上で座り込んで怯えきっている艦長の姿を目撃した。

艦長もシュワルツを見たようだ。

「俺の船は絶対悪霊にとりつかれている・・。」

だが艦長はシュワルツの噂のことを知っていても、それを自分が見ても、絶対認めようとはしなかった。

逆に怯えている人間を「腰抜け」「小心者」と怒り飛ばしていた。

立場上、そうせざるを得なかったのだ。

しかしU65が物資の運搬や船内の整備に港へ寄った際、敵軍機の奇襲で艦長は即死してしまった。

1815年5月、U65はイギリス海峡からビスケー湾に向かって出航した。

新メンバーによる初の出航である。

しかし不慮の事故は相変わらず続いた。

出航して二日目に魚雷砲手がいきなり気が狂って暴れ始めた。

仲間が取り押さえて沈静剤を打ち、いったんはおとなしくなったものの、艦が浮上している時にその魚雷砲手を気分転換にと仲間が甲板へ連れていったところ、魚雷砲手は突然甲板を走り出し、そのまま海へと飛び込んだ。

海がシケて艦が大揺れしている時に機関主任がころんで脚を骨折したり、浮上してイギリスの商船を甲板砲で攻撃している最中には、砲撃手が高波にさらわれて行方不明となったこともあった。

また、敵機と遭遇して、逃げきったと思って浮上したとたん爆撃を浴びせられるというミスもあった。

新艦長も、この艦が呪われた船だということは十分聞いていた。

艦内でも不慮の事故が多いのに、この上、敵と戦闘にでもなったら今度こそは全員が死ぬのではないか。

艦長にも乗組員にも不吉な予感が走る。

U65は、なるべく敵とは会わないように会わないように心掛けながら慎重に帰途についた。

ようやくゼーブルージュの基地に帰りつき、全員がほっとした。

今回の任務はこれで終了し、乗組員のうちでリューマチを患っていた男が艦を降り、入院することになった。

数日後には再びU65は新しい航海へと出ることになる。

そして次の出発を明日に控えたある日、リューマチで入院している仲間を見舞いにU65の乗組員の1人が病院を訪れた。

「明日、またU65で出発する。俺に万が一のことがあったら、これを妻に渡してくれ。」

そう言って入院している仲間に何かの包みを手渡した。

「・・分かった。」

あの艦に乗る以上、いつ死んでもおかしくない。

そのことはお互いに十分分かっていた。

そして二ヶ月後の1918年7月31日、ドイツ海軍本部はU65が消息を絶ったと発表した。

入院していた仲間も、病院でこのニュースを聞いた。

予感はしていたが、ついにそれが現実のものとなってしまった。

U65に関しては最初は何の手がかりもなかったが、後日、敵国であるアメリカの潜水艦の艦長が海上で爆発するU65を目撃したという報告が入った。

その時、アメリカ潜水艦L2号はアイルランド西岸をパトロール中に、偶然海上に浮かぶドイツ軍の潜水艦を発見したという。

潜望鏡で覗いて見てみると、U65という番号が確認出来た。

当時アメリカとドイツは敵国同士である。

すぐに攻撃体制に入った。

後は艦長の魚雷発射の命令を待つだけ、という状態になった瞬間、海上のU65は突然大爆発を起こしてしまった。

攻撃前に標的が自然爆発を起こし、アメリカ側の艦長も訳が分からなかったという。

入院中の仲間もニュースや報告を聞いていたが、その中に一つ、非常に気になる部分があった。

アメリカ側の艦長が最初に潜望鏡でU65を観察した時、甲板に1人の男が立っているのが見えたと言っている。

その立っていた男とはシュワルツではなかったのか。

ついに全員を潜水艦ごと道づれにしたのではないのか。

入院中の仲間はそう考えざるを得なかった。

【 でじほん! 】

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山林のマンホール

学生時代のバイトの話。

といっても、バイト先から帰宅するまでの間の事だけど。

普段は大通りから山林を迂回するルートで帰るんだけど、あんまりバイトが遅くなると山林所有者の私道?ぽい道使って帰るの。

道の途中に変なマンホールがあって、めっちゃ錆てて何の図柄も無いオープナー刺す穴だけある平らなマンホール。

『この下には旧日本軍の忘れられたシェルターが』とか妄想して帰ってた。

ある晩、そこを通ると蓋が開いてて、穴付近に血溜まりの跡のような赤茶けたテカテカの染みでうっすら生臭い臭いと、焚き火?のような煤の臭いがどっからか漂ってくるのね。

たぶん穴から。

よせばいいのに、自転車のライト(乾電池式の車輪回さなくていいタイプ)で恐る恐る中を覗こうとすると、遠い感じがするけど反響でエコーがかった、うっすら演説?してるような声が聞こえてて…

「おい!」

っていきなり声かけられて、ビクっとして振り返るとおまわりさん。

私道に勝手に入った事で怒られるんじゃないかびびったけど、追い払うように、

「こんな時間に危ないから」

って帰された。

帰りつつ何度か振り返ったけど、懐中電灯でこっち照らしてずっと監視するかのように穴の前に突っ立ってた。

ある日、またその道通ったんだけど、マンホールがあった箇所にアスファルトが盛られて無くなってた。

そういや、なんで『おまわりさん』って思ったのかな?

懐中電灯で顔照らされて、逆光でほとんど相手見えなかったんだけど

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黒こげの乗用車

警官をしている友人が、数年前に体験した話。

そいつは高速道路交通警察隊に努めているんだけど、ある日、他の課の課長から呼び出されたんだって。

内容を聞くと、一週間前にあった東北自動車道の事故の詳細を知りたいとのこと。

その事故ってのは、一家四人が乗った自動車が平日の深夜に中央分離帯に激突して、全員死亡した事故の事だったらしい。

事件のことを少し詳しく話すと、高速を走行していた長距離トラックから××インターチェンジ付近で乗用車が燃えているって通報があって、夜勤で待機していた友人が現場に直行したんだけど、友人が到着した時には既に乗用車の中にいた人は、全員黒こげになって死んでたんだって。

その後、身元の特定と検死が行われて、歯の治療記録から死んだのは東京西多摩地方に住んでいる家族だってのがわかった。

死んだのは加藤Tさん(仮名)とその妻のM、長男のS、長女のEの四人。

アルコールが検出されたとか、見通しの悪い場所だったとかの事故を起こすような要因は見つからなかったんだけど、特に不審な点もなく、そのままハンドル操作のミスによる普通の事故として処理されたんだって。

それで友人も『特に何の変哲もない事故でしたよ』って、よその課の課長に言ったらしいんだけど、その課長が『実は』って言って、呼び出した理由を話してくれたんだって。

その話によると、昨日の夜に少年が東京の○○市にある警察署に訪ねてきて、

「僕が死んだとニュースでやっていたのだけど、僕はいったい誰なのでしょうか?」

って言ったらしい。

少年の話をまとめると、一昨日の朝に朝寝坊して、起きたら家に家族が誰もいない。

どこかに行ったのだと思い、そのまま気にも留めていなかったが、夜になっても誰も帰ってこないし、連絡もない。

心配になって警察に連絡したが、子供の悪戯だと思われたのか、すぐ切られてしまった。

祖父母や親戚に連絡してみたが、誰も連絡を受けていないと言われた。

そのまま朝まで待っていたが、つけっぱなしのTVのニュースから、自分も含めた家族全員が死んだことになっていると知った。

そんなことは無いはずなので、詳しく知りたくて訪ねて来たとのことだったらしい。

その話を聞いた友人は、その事故の資料を改めて提出したんだけど、見直してて不思議なことに気づいたんだって。

家族の歯科治療記録との照合で、父親、母親、長女は間違いなく本人だって判明したんだけど、長男は頭部の損傷が激しく、照合ができなかったと記録に書いてある。

しかも、家族は青森近くで事故を起こしたんだけど、両親は中部地方出身で東北に知り合いはいないことがその後の調査で明らかになっていた。

その当時は、旅行にでも出かけた際の事故って事になったんだけど、どうにも不自然なことが多すぎる。

それで友人は、資料を提出してから数日後に、例の課長に事件の進展を聞いてみた。

すると課長は、口ごもりながらこう答えたらしい。

例の少年は、身体的特徴や見た目は死んだ長男によく似ていたが、歯形が違うため別人だと思われる。

そのことを告げると少年が錯乱したため、心療内科のある警察病院に搬送した。

その後の調査で、事故死した家族の家を調査したが、事故後、誰かが住んでいた形跡はなかった。

そのことを告げると、少年は完全に精神に異常をきたしてしまったため、結局どこの誰だか分らず、今も病院にいる。

もう済んだ事だから、今後関わらなくていい。

友人はそこまで話すと最後にこう言った。

黒コゲの死体は、本当は一体誰で、自称長男の少年は一体誰なんだろうな?

それと、あの家族は何で平日に、誰も知り合いのいない所に向かっていたんだ?

俺は思うんだ。

あの家族は何かから逃げてたんじゃないかって。

何から逃げてたのかはわからないけどな。

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浮かぶ2つの鳥居

ちょっと前の仕事が休みだった日、原付で家の裏山を走ってたんだよ。

そしたら空にぽっかりと、赤い鳥居が2つ並んだ状態で浮いてるんだよ。

赤い鳥居が浮いてるっていうより、宙にぼやけてるって感じかな。

道なりにその鳥居があったから、走り抜けたんだよね。

だからちょうど、くぐった感じ。

2つとも。

家に帰って、その日は普通に過ごした。

問題は次の日からで、高熱が出て、薬を飲んでも病院に行っても熱が下がらないんだよ。

母親に、

「何か最近変わったことはなかったか」

と聞かれて、息も絶え絶えで鳥居の事を話したんだよ。

そしたら母親が血相を変えて、

「Aさんに連絡しないと!!!!」

って電話してた。

Aさんってのはユタ(うちの地方じゃ呪い師みたいなもの)だ。

ほどなくしてAさんがやってきて、

俺を見るなり、

「あぁ、これは相当やられてるね・・・」

って、言ってきたんだよ。

何にやられてるのか、何をやられてるのか、全く聞けなかった。

身体が動かなくて、声も出なかったんだよ。

それなのに家の仏壇の前に寝かされて、Aさんがもってきた酒やら米やらを仏壇に並べ始めた。

「鳥居を2つくぐったんだね?」

と聞いてきたから、かすかに頷いた。

「あんたの先祖に守ってもらうように今から頼むけど、それが出来なかったら、あんたは悪いけど、ここで命が切れてしまうよ」

と、物騒な事を言うんだよ。

Aさんは何やら呪文みたいな言葉を唱え始めた。

俺が聞き取れたのは、

『マジムン』『グソー』『ニライ』

の3つだけで、呪文みたいなものが書かれた紙で体を叩かれておしまい。

Aさんが、

「どうにか切り抜けた。あんたよかったね、毎年墓参りにちゃんと行ってて」

て言ってきた。

俺、何となくなんだけど、墓参りだけは親と一緒に行くのを欠かさなかったんだよ。

それが幸いしてたらしい。

で、Aさんが、

「次に鳥居を見たらすぐに離れること。絶対くぐってはいけないこと」

と、言い残して去って行った。

次の日、嘘みたいに熱が下がっていた。

母親にどういう事か聞いてみたら、

「世の中知らない方がいい事もある」

と、最初取り合ってくれなかったが、しつこく聞いてみたら、

・俺の家系に関係している。

・鳥居をくぐったら8割の確率で死ぬ。

・鳥居の数はその人が生きた年数に応じて違う。

・雨の日は鳥居は出ない。

としか教えてくれなかった。

これが今まで平和に暮らしてきた、俺の唯一の洒落にならなかった話。