1950年7月11日に小倉市で黒人のアメリカ軍兵士250人が城野補給基地から集団で脱走。
完全武装した彼らは4、5人に分かれて繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦を繰り返した。
カービン銃やライフルを手にした脱走兵の中には手榴弾をぶら下げている者もいた。
駐日アメリカ軍の憲兵と小倉警察はなすすべもなく、アメリカ陸軍二個中隊が鎮圧のために投入され市街戦となる。
翌日12日には終息に向かうが、市街戦の末15日に鎮圧したとも言われている。
彼らは前日10日に岐阜から城野補給基地第24連隊に移送され、近いうちに朝鮮戦争に送られる予定であり、その恐怖が脱走につながったとされている。
生き残った逮捕者は朝鮮戦争の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。
大事件ではあったが、日本がアメリカ軍を中心とした連合国軍に占領されている状況下であったことから、GHQの情報規制の為ほとんど報道されず、被害の詳細もわかっていない。
警察に届けられた被害は70数件だが、表ざたにならない強姦事件も多数あったと伝えられている。
当時の日本人の多くはこの事件を知らなかった。