怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 月別アーカイブ:2012年12月 」 一覧

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壁の落書き

この間、ちょうど小学校の同窓会があったんで、その時に当然のごとく、話題に上がった俺達の間では有名な事件をひとつ。

俺が通っていた小学校はちょっと変わっていて、3階建ての校舎のうち、最上階の3階が1・2年の教室、2階が3・4年の教室で、一番下の1階が5・6年の教室になってる。

別の学校に通ってた従兄弟に、この話したらびっくりしてたんで多分、俺の学校が特殊なんだと思う。

校舎自体はコンクリート造りで、相当という程でもないが、そこそこ年数が経ってたらしく、廊下の壁とかは薄汚れていて、汚いなと子供ながらに思ってた記憶がある。

で、6年になるまで気がつかなかったんだが、1階の6年2組の教室の前の廊下だけ、壁が綺麗に塗り直されてるのね。

下級生の時代に6年のフロアになんか怖くて行けないから、知らなくて当たり前なんだけども。

元々のコンクリートの壁と似たような色のペンキ?で、隣りの6年1組との境目から6年3組の境界まできっちりと塗られてる。

そこだけ汚れてないからすぐわかる。

ある日、その塗り直された壁の右下に近い部分(6年3組寄り)に、薄ーく鉛筆で『←ココ』って書いてあるのに気がついた。

『←ココ』と指された部分を見ても、まあ何の変化もない。

ただの壁だ。

その当時、学校では校舎の至る所に、『左へ○歩進め』『真っ直ぐ○歩進め』『上を見ろ』『右を向け』等と書いて、その通りに進んで行く、という遊びが流行っていたので、『←ココ』もその類のものだろうと、気にも留めなかった。

2週間くらいしてからかな、友達のY君が教室の外で俺を呼んでいる。

行ってみると、廊下の壁の『←ココ』の矢印の先に、青いシミが浮き出てたのよ。

5cmくらいの小さなシミだったけど、ちょうど矢印が指している先に出たもんだから、俺とY君で「すげー、不思議だね」とか言ってた。

次の日、そのシミはいきなり倍くらいの大きさになってて、『←ココ』の文字の部分にまで広がってて、もうその文字は見えなくなっていた。

その代わりに、シミの形が人間の手のように見えた。

さすがに俺達以外の生徒もそのシミに気がついて、形が形ってこともあって、瞬く間にクラス中に『呪いのシミ』として話題になった。

その話が先生の耳にも入ったらしく、その日の帰りのHRでは、「何でもないただのシミだから、気にするな」と、半ば強制的に家に帰されたわけ。

その週が空けて、次の月曜に教室に行くと、なんと廊下の壁のシミがあった部分が丸々剥がれ落ちてて、しかもそこを中心に、上下に細い亀裂と言うかヒビが入ってんの。

俺が教室に行くと、すでに廊下で数人が騒いでたので、見たらそんな状態。

朝のHRで先生が来るまでは、俺のクラスと両隣のクラスの何人かも含めて大騒ぎで、「絶対この壁のうしろに何かあるよ」「死体が埋められてる」なんていう話にもなって、クラスのお調子者K君が、カッターでその亀裂をガリガリやろうとしたところに、先生が来てものすごい勢いで怒られてた。

申し訳ないけど、俺はそのとき知らない振りしてた(笑)

その昼休みにK君が懲りもせず、

「朝の続きやろうぜ」

と言い出した。

壁を削る続きをやろうぜ、というわけだ。

俺は怒られるのが怖くて「やだ」と言ったんだけど、K君が「ここ見ろ」と言うので見たら、剥がれ落ちた中の壁から、色の違う部分が見えてる。

灰色の壁に、黒い太い線で横断歩道のような模様が描かれてるのが、剥がれ落ちた部分から確認できた。

「これの続き見たいだろ?」

K君が言う。

K君はカッターを持って、崩れた壁の部分をカリカリやり始めた。

面白いように塗装が剥がれていく。

すると、壁の中から『組』という文字が現れた。

さっき横断歩道のように見えた模様は、「組」の右側だったわけだ。

もうこの後に何かあることは間違いない。

クラスの男子の半分近くが一緒になって、壁の塗装を崩し始めた。

コンパスの針でつついたり、定規の角で削る者、彫刻刀を持ち出す奴までいた。

ちなみに俺は、崩すのを回りから見てただけね。

大抵こういう場合、壁のうしろに死体が埋まってただの、文字がびっしり書かれてただの、お札がいっぱい貼ってあっただのがよくあるパターンで、俺も当時すでに、怖い話としてそういった話をいくつか知っていた。

この壁の向こうにあるものも、まさにそういうものなのか?

そのドキドキと、先生に見つかったらどうするんだと言うドキドキで、心臓がきりきり締め上げられるような気がした。

昼休みが半分経たないうちに、壁の塗装はあっという間に崩れた。

中から出てきたのは、お化けでもなんでもない、子供たちが描いた絵だ。

『平成○年 6年2組』と書かれてる。

当時の卒業生が描いた物なんだろう。

30人くらいの男子女子の似顔絵が、集合写真のように並んで描かれている。

ただし、異様なのが、その顔一つ一つ全てが赤いペンキで『×』と塗られていたこと。

特に上の段の右から3番目の子は、×どころか完全に赤く塗りつぶされ、その下に書いてあったはずの名前も、彫刻刀かなんかで削り取られていた。

俺達は先生に怒られるだろうと覚悟を決めていたが、5時間目に先生が来るといきなり、

「よし、5時間目は体育館で自習だ。ランドセルに教科書とか全部入れて、5時間目が終わったらそのまま家に帰っていいぞ。掃除もしなくていい。教室に戻らずにそのまま帰れよ」

と、全く怒られなかった。

そして次の日に学校に行くと、1階の教室が全て立ち入り禁止になってた。

俺達は急遽建てられたプレハブで、6年の残りの学校生活を送るハメになった。

この間、13年ぶりに小学校の同窓会があって、当然のごとくその事件が話題に上がった。

当時の担任も来ていたので、

「先生、あの事覚えてますよね?あれはなんだったんですか?」

と聞いてみたが、

「いや、そんな事あったか?覚えてないなあ」

とか、超すっとぼけてた。

だが、俺達は全員あの事件を覚えている。

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懸賞アンケート

子供の頃の奇妙な体験って結構あるよな。

ずっと気になってたことを書いてみる。

毎年3月が近くなると「クラス替えアンケート」のことを思い出すんだけど、俺以外にこんな体験した人っているかな?

俺が小学校4年生の時の話で、俺が当時通う小学校は結構な大規模校で毎年クラス替えがあった。

春休み中、3月の終わりに先生方の離任式があって、その時に体育館に新しいクラスの名簿を張り出すんだけど、親友や好きな女の子と一緒になりたいとか、毎年すごくドキドキしたことを覚えている。

その年、3学期の2月に入ってすぐ、俺に一通の封書が来た。

「クラス替えアンケート」

という文字が表に大きく印刷され、教材会社の主催になってたけど、これまで調べた限りでは、その名前の教材会社は存在しないんだ。

中身はどんな内容かというと、俺の小学校の4年生の中で、絶対に同じクラスになりたくない人の名前を一名書いてくださいというもので、それを出した人には文房具のセットが当たるかもしれないということだった。

当時俺は、雑誌の懸賞に応募するのが趣味だったし、返信用のはがきが入っていたので、特に変だとも思わず、同学年で一番嫌ないじめっ子の名前を書いて出してやった。

実は、俺はその名前を書いたやつと家が近所で、登下校でよく嫌がらせをされていた。

別のクラスだからまだよかったものの、同じクラスになれば本格的なイジメを受ける可能性があって、絶対に同じクラスにはなりたくないと思っていた。

5年生は6クラスあるから可能性は低いんだけど。

その後、すっかりそのアンケートのことは忘れていたんだけど、3月に入ってすぐに同じ名前の教材会社から大きな封筒が届いた。

それで前のアンケートのことを思い出したんだけど、内容は、俺に文房具セットが当選したというもので、そこまでは不思議はないんだけど、その文房具セットが送られてくるには条件があって、一つやってほしいことがあると書いてあった。

それから、俺が名前を書いてやったいじめっ子とは同じクラスにはならないだろう、ということも書かれていて、まだクラス替えの先生方の会議も行われていない時期のはずだったので、それはちょっと不思議だった。

その封書の中には一つ、厳重に和紙でくるまれたお守りのような物が入っていて、その表には俺の住んでいる地域から遠く離れた県名と、知らない小学校名、それから5年生という文字と、やはり知らない男の子らしい名前が気味の悪い赤い字で大きく書かれていた。

それを俺の住んでいる地域にある神社、これは古くて由緒があるけれど大きな所ではなくて、ほとんど普段は参拝する人もいない忘れ去られたような所なんだけど、そこの境内にある松の木に3月8日の午後9時以降に釘で打ち付けてほしいという内容だった。

それをやったら懸賞のセットを送ってくれるということみたいだった。

それからその封書は、前に来た物と共に一切が済んだら近くの川に流してほしいとも書かれていた。

これはすごく不思議で、最初は仲のよかった中学生の兄に相談しようと思ったけど、封書にはこのことは誰にも話してはいけないと書いてあったのでやめにした。

神社は自転車で5分程度の所にあり、そのお守りのようなのを釘で木に打ち付けるのは難しいことではない。

雪の降る地域でもないし、寒いけど9時過ぎに15分ほど家を空けるのは何でもなかった。

その封書とお守りは、自分の勉強机に入れておいた。

3月8日になった。

俺は手紙の依頼通りにやることに決めていて、夕食後9時を過ぎてから、そのお守りと、どこにでもあるような釘とカナヅチを持って、グランドコートを着て自転車で神社に出かけた。

その神社は住宅街のやや小高い丘の上にあって、俺は下で自転車を降りて幅の狭い石段を登っていった。

石段にも神社の境内にも、一つずつ街灯があったので、暗いけど足元は見えた。

もちろんまったく人影はなく、さすがに気味が悪くて早く終わらせようと、コートのポケットからお守りと釘とカナヅチを取り出し、走って何本か鳥居をくぐり、神社までの参道から脇に入って、おみくじが結びつけられたりしている松の木を一本選んで、自分の頭の上くらいの高さに名前が書かれている方を表にして、真ん中に強く二・三度釘を打ち付けた。

すると、手の中でそのお守りが微妙に動いた感覚があって、俺は思わず手を離したけど、お守りは木に固定されて落ちなかった。

その時、10mほど離れた神社の脇から急に人が出てきて、こっちに向かって大きな声で「見届けた」と言った。

その人の姿は暗くて、後で思い出してみてもどんな服装だったかもわからなかった。

声は男のものだった。

俺はもう完全に怖じ気づいていたので、そのまま後ろも見ないでカナヅチを放り出して走って石段を下まで降り、自転車に飛び乗って家に帰った。

ここから書くことはあまりない。

俺がアンケートに名前を書いたいじめっ子は、その1週間後に自転車に乗っている時にトラックにひかれて死んだ。

封書などは、指示通り近くの川に流した。

4月に入って有名なデパートから立派な文房具セットが送られて来たが、封書にあった教材会社名はどこにもなかった。

その後、一回も連絡はない。

神社には何年も立ち寄らなかったので、木に打ち付けたものがどうなったかわからない。

カナヅチを無くしたので親父に後でしかられた。

一番気になるのは、そのお守りに名前があった知らないやつだが、どうなったかはもちろんわからないし調べてもいない。

改めて書いてみるとやっぱり奇妙な体験で、すべて自分が想像で作り出したことのような気もする。

文房具セットは兄にずいぶんうらやましがられたけど、たんに懸賞に当たっただけなのかもしれない。

こんな経験をした人って他にいるんだろうか?

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ハカソヤ

ほんの数年前に知った、私の母の故郷(四国のド田舎)の習慣の話です。

うちの集落には、「ハカソヤ」という、女限定の変な習慣があります。

「ハカソヤ」にも色々あって、大きく分けてお祝いの言葉に使う場合と、お守りのことを指す場合があります。

お祝いの言葉の方は、例えば初潮が来た女の子や、恋人が出来た未婚の女性に「おめでとう」の代わりに言ったりします。

お守りの「ハカソヤ」は母親から、一人前になった娘に手渡す安産のお守りのことを言います。

例えば、娘が就職して実家を出て遠方に行く時なんかは必ず持たせます。

この場合、何をもって一人前とするのかは割といい加減で…

家によっては初潮と同時だったり、就職やお嫁入りの時だったりとバラバラなのですが、とにかく安産のお守りなのは共通しています。
(妊娠していてもいなくても。ていうかしてない場合がほとんど)

両方に共通しているのは、「必ず男性が見ていない、聞いていないところで」と言うことです。

とにかく女性限定の習慣なので、男性もいる席でおめでたいことが判明したりしたら、台所とかに呼んでこっそり「ハカソヤ、ハカソヤ」と言ったり、お守りを渡す時は、男の子のおもりを他の女性に頼んで…といった感じです。

とにかく男性には「ハカソヤ」は徹底的に隠されます。
(多分集落の男の人は「ハカソヤ」の存在自体知らない人がほとんど)

私も都内の大学に進学して、一人暮らしを始めるという時に叔母から 「ハカソヤ」をもらいました。

もらったのが母ではなく叔母からなのは、うちの母親はあまり迷信などに関して信心深い方ではなく、こういった古いしきたりも嫌っていたからです。

母も祖母から「ハカソヤ」はもらっていたようですが、私には「ハカソヤ」はあげずに、自分の代で途切れさせるつもりだったようです。
(実際、こういう習慣があるのを嫌って母は集落を出ています。妹である叔母は、お嫁入りも近所で済ませて祖母と一緒に集落に残っています)

ただ、それではあんまりおばあちゃんがかわいそうだし、それに都会は怖い所だから、女の子には絶対いるものだからと言われたので(あとでここまで叔母が言う理由を知ってぞっとしましたが)根負けして受け取った感じでした。

私がもらった「ハカソヤ」は、見た目はどこにでもあるような安産のお守りです。

ちなみにピンク色。

で、東京に出て一ヶ月目。

情けない話なのですが、今まで住んでいた町に比べて、遥かに華やかな東京の雰囲気にすっかり酔ってしまった私は、大好きなカフェ巡りや雑貨屋通い、美味しいお店探しなどしているうちに、あっという間にお金が無くなってしまい、ジリ貧に陥っていました…。
(なにせ今までいた街は、母の故郷の集落ほどではないにせよ、寂れた町でスタバ?バーミヤン?何それ?な感じでしたもので…)

バイトはまだ見つからないし、かといって一ヶ月目からお金を無心するのもどうかなと思い、家中余ってるお金は無いか探しまくったのですが見つからず…

そこで、ふと思い立ったのはお守りの存在でした。

昔の話によくあるベタなアレですが、お守りの中にお金を入れておいて困った時にお使いなさい、みたいな気遣いの仕方がありますよね。

ひょっとしたら、あの「ハカソヤ」の中にお金が入ってたりとか?などと甘っちょろい期待を抱いて「ハカソヤ」を開けてみたんです。

ところが、中にはお金など入っていませんでした。

入っていたのは形付けの厚紙と、小さい古びた布キレだけ。

二~三センチほどの、目の洗い木綿かガーゼのような布で、その半分ほどが茶色い染みで染まってて、乾いて固まってベコベコと波打っている。

ずいぶんと古い布のようで、地の部分も黄ばんでいました。

一体これは何なんだろう?私は妙な方向に思考をめぐらせていました。

生理の時、汚れたショーツを放置しとくとこんな固まり方するんだよね…。

布が変な並打ち方して固まって…

てことは、これ…血…?

でも、一人前のはなむけのお守りになんで血のついた布切れなんか?

時間が経つにつれて、気になってしょうがなくなってしまい、とうとうお金の無心の電話にかこつけて、母に聞いてみることにしました。

母は私が「ハカソヤ」を叔母からもらっていたことすら知らなかったらしく、驚いた様子でした。

「あの布は何なの?」

と聞いてみましたが、母はただ静かな声で、

「酷いことが起こらないよう気をつけてね」

と言うだけで、結局何も教えてくれませんでした。

どうしても気になったので、今度は叔母に電話してみました。

久々に話した挨拶もそこそこに、私はまくし立てました。

「あれは何なの?あの布は、あの染みは」

叔母は、あれ、知らなかったっけと言う風に、さらりと言いました。

「何って、血よ。女の子の。「ハカソヤ」は男にひどいことされない為のお守りだって、○○ちゃん、姉さんから教わらなかったの?」

一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。

叔母がしてくれた説明はこうです。

儒教が伝わる以前は、どこの地方でもそうだったらしいけれど、日本はものすごく性に関してフリーと言うか、他人の奥さんを何か物でも借りるみたいに借りては犯して、生まれた子は皆で村の子として育てるみたいな感じだったそうですね。

夜這いなんかも、堂々と行われていたのが当然だったとか。

時代が進むにつれて、一般的にはそのような価値観は薄れたのですが、うちの集落は依然としてこんな女性に辛い気風が残っていたそうで。

山奥にあるので情報が伝わりにくかったのと、この地方は貧しいし、冬には農作業も出来なくて、娯楽ややることががセ●クスくらいしかなかったのが関係してるのではと思います。

とはいっても、そんな大勢の男に好き放題されて、十月十日、誰の子ともおぼつかない子供を孕まなければいけない女性の苦悩は並大抵ではなかったでしょう。

そこで女性達が鬱憤晴らしの為か、それとも本当に男達に復讐しようとしたのかは分かりませんが、作り出したのが「ハカソヤ」だそうです。

作り方は…聞いてておいおいと思ったんですが、死産で生まれた女の子の膣に、産婆さんが木綿布を巻きつけて指をぎゅっと突っ込むんだそうです。

血が染み出たら、布をねじり絞って全体に血の染みをうつす。

それで、一人でも多くの人にお守りが多く渡るようにしたんだそうです。

血のついた部分が入るように、お守りに入る程度の大きさに切って出来上がり。

これが「ハカソヤ」の中身になります。

この「ハカソヤ」は、いわゆる女性の貞操のお守りです。

強姦や望まぬ妊娠で悲しむことがないよう、おそそ(女性器)が血を流すことのないよう、幸せな破瓜を迎えられるようにという願いがこもっているそうです。

でもひどいのが、死産の子が少なくなると、強姦で生まれたり、父親が誰だかはっきりしない女の子でもやってたんだそうです。

確かに、男達にとっかえひっかえ抱かれる社会で、幸せな初体験をしたいって望む人が多いだろうなってのは分からないでもないけれど、その子たちの幸せは…。

「ハカソヤ」の役目はもう一個。

「ハカソヤ」さえあれば、例え手篭めにされても、男に呪をかけて復讐することが出来ると信じられていたそうです。

とある女が、村の男に迫られて強姦されましたが、無理やりされていることの最中じゅうずっと「ハカソヤハカソヤ」と唱えていたら、男がいきなり内臓を口から吐いて死んだという言い伝えがあったようで。

だから「ハカソヤ」は独り立ちする女に渡されるのか!

自分を傷ものにする男を殺すために!

と、その時唐突に理解し、背筋がぞっとしました。

それと一緒に、「ハカソヤ」の語源はは「破瓜・初夜」のもじりじゃないか?だとか、「(男に内臓)吐かそうや」だったり「(男に一泡)ふかそうや」だとか、「私を傷つける『粗野』な男は殺してしまえ(墓)」だとか、諸説あることも一緒に叔母から聞きました。
(個人的には一番最初の説じゃないかと思います。お守りの性質上…で、あとはハカソヤって響きから連想した後付じゃないかと思っています。男が内臓吐いたって話ももちろん)

「じゃあ私はそんな呪いの言葉を、めでたいめでたいって意味で使ってたの!?」

と驚くと、叔母はあわてて訂正しました。

「ハカソヤが向くのは男だけよ。女の人に向けていったら『幸せなはじめてを経験できるといいね』って意味になるから大丈夫。だから男の人に聞かせたらいけないんだけどね」

昔は結婚まで性交渉なんかしなかったでしょうから、結婚する人に向かっては悪意などない、祝福の言葉以外の何者でもなかったようです。

今では婚前のセ●クスなんて当たり前のようになってしまったから、形骸化した挨拶になってしまっているようですが。

母の実家に帰るたびに、変な習慣だなーとは思っていましたが、まさかこんな意味があったなんて…

しかも、それを今だにほとんどの男性から隠し通しているあの集落の女性達のハンパない団結が怖いです。

村ぐるみで、男の人を仮想敵にしてがんばってるみたいで…

大体、このどこの誰のかも分からない血が(それも破瓜の)付いた布つきのお守りなんて、正直持っているのが気持ち悪いですが…捨てていいもんかどうか。

まさか叔母には相談できないし。

第一、私もう処●じゃないし…いいかな?と思いつつ、まだ手元にあります。

困った… orz

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広島のお地蔵さん

昔、広島の宮島に住んでた人が、原爆投下の前夜に広島市の方向から、おびただしい数のお地蔵さんが、宮島の大鳥居に向かってダッシュして行ったのを見たと言って聞かないんですが。

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