「 月別アーカイブ:2013年06月 」 一覧
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仏壇の目
叔母さんが久々に俺の家に遊びに来て、つい先日見たテレビの恐怖特集の話になって、
「そんな幽霊とかいるわけねーじゃん!」
みたいな会話をしてた時だった。
その叔母さんが、昔お客さんから聞いた話を教えてくれたんだ。
俺の叔母さんは、ちっちゃい小料理屋・居酒屋をやってた。
その居酒屋ってのは、郊外の辺鄙な場所にあるもんで、常連さんが多いのは当然なんだ。
たまに新しいお客さんが飲みに来るのは珍しい。
その中に、月に2、3度来るようになったオバサンがいるんだけど、このオバサンが酒を飲みながら叔母さんに語った話。
オバサンは結婚して20年くらいになる亭主がいたんだけど、この亭主がえらくダメなヤツだったそうで。
もう子供達は大きくなって家を出ていたんだけど、亭主はオバサンに毎日のように、金をせびってフラフラ遊んでばかり。
おかげでオバサンは少なくない借金を抱えていたそうだ。
さらに亭主は精神病の気もあって、たまに昂ぶって暴れたりすることもしばしば。
亭主は、借金の話になるともう手がつけられなかったそうだ。
でもそんなことがあったかと思えば、死人のように暗い顔をして、部屋にこもっていたりもする。
このオバサンは毎日、パートから疲れて帰ってきては亭主と口論、そんな毎日を送っていた。
そんなある日、いつにも増して激しい口論の末、亭主はオバサンをしたたかに殴りつけた後、ヒステリーを起こして暗い戸外へ出て行ってしまった。
家の外から、オバサンを罵倒するような大声が遠ざかっていくのが聞こえていた。
またこれだ。
いつになったらこんな生活から開放されるんだろう。
いっそのこと死んでくれれば・・・
いや、殺してやろうか・・・?
そんなことを考えながら、オバサンは仏間に行って布団を敷き、もう寝ることにしたんだそうだ。
仏間には扉のしまった仏壇と、布団が一枚、敷いてあるだけ。
明かりが消され、豆電球の弱々しい光が部屋の中をぼんやりと照らしていた。
どれくらい経っただろうか。
急に「ドン ドン ドン ドン」大きな音でオバサンは目を覚ました。
こんな時間に誰かがたずねて来たのか?
それとも亭主が帰ってきたのか?
そんなことを思いながら上半身を布団の上に起こすと、おかしなことに気付いた。
音は扉の閉まった仏壇からしている。
「ドン ドン ドンドンドンドンドン」
どんどん音は大きくなってくる。
何かが仏壇の中から、観音開きの扉を叩いている。
オバサンはあまりのことに動けなくなって、じっと仏壇の扉を見つめている。
「ドンドンドンドンドンドンドン!」
もう仏壇全体が揺れるくらいの、凄い力だ。
するとその振動と音がピタッと止んだ。
静寂の中で、仏壇を見つめているオバサンはあることに気付いた。
閉まっていた仏壇の扉が、3、4センチ程、僅かに開いている。
そしてその隙間の暗闇から、目玉が二つ縦に並んで、こっちを睨んでいるのがうっすらと見えた。
オバサンが「ウワッ!!」と叫ぶと、その目玉はふっと消えた。
明かりをつけると、仏壇はズレたままだし、扉も開いたままだ。
怖くてしょうがないオバサンは、家中の電灯をつけて、居間で朝が来るのを待ったんだって。
翌日の正午近く、オバサンの家に近所の人と警察が尋ねてきた。
なんと亭主が、家から数分の雑木林で首を吊っているのが見つかったらしい。
どうやら死んだのは昨日の深夜。
オバサンが仏壇の異変を目の当たりにしたその時刻だ。
借金を苦にしての自殺とされ、その後は事後処理にもう大騒ぎだったんだけど、オバサンは昨夜の体験を誰にも話さなかった。
亭主が死んで数年たって、ようやくこの奇妙な体験を人に話すようになったそうだ。
「人が死んで喜んではいけないとは思うけど、死んでくれて、本当によかったよ。」
オバサンは、ママである叔母さんにこう語った。
あの日、仏壇から覗いていた目は亭主のものだったんだろうか?
この話を聞いた自分はそう思ったんだけど・・・
「そんなこともあるんだねぇ」
で簡単に済ませちゃう叔母さんにどんな怪談より、そういう霊的な何かの存在を信じさせる説得力を感じた。
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ジーサイ
中学校2年のときの話。
俺は家は漁師じゃなかったが海辺に住んでた。
というか、前の浜から背後の山までせまくて細長い土地の町だったんで、ほとんどの人が海辺に住んでると言えるんだけどな。
それで今でいうビーチ・コーミングを趣味としてた。
当時はそんな言葉はなかったけど、簡単にいえば漂着物の収集のこと。
日本海側の北の方だったから熱帯の貝やヤシの実なんてのはまず見られなくて、日本にない漢字やハングルが書かれた浮きなんかが多かったが、ときおり変わったものもあった。
ビーチグラスはもちろん、古い陶器の破片や変な形の魚の骨とかルアーとか。
あと流木は俺は興味なかったんだが、大きいのを家に持って帰ると、当時まだ生きてたじいさんが皮を剥いで磨きあげて置物にしてた。
中学校の仲間や小学生でもやってるやつがいたんで、そいつらより先にと思って朝の6時頃には浜にいて見て回ったりもした。
11月頃だったと思うけど、海が荒れた翌日で何か収穫があるかと浜に出てみたら、テトラポットの隙間に何か赤茶色の大きな物が引っかかってるのが見えた。
近づいていくと何かの像のような物で、自分の背丈よりも大きく見えた。
顔の方を下に沈めて背中が出てるんだけど、お寺で見る仏像とはまったく違って頭が大きくいびつな形をしてる。
木目が出ているとこがあるんで木彫りだと思った。
一人ではどうにもできないので、家に戻ってじいさんを呼んできた。
じいさんも初めて見るらしく、首をひねりながら人を集めて引き上げてみると言った。
俺はもう学校に行く時間になってたんで家に戻った。
どうなったか気にしながら学校から帰るとじいさんが待ってて、像を引き上げて町の神社脇の御神輿なんかをしまってる倉庫にとりあえず入れたとのこと。
神主にも見せたけど何ともわからなくて、県都の大学の先生に連絡したそうだ。
気になるだろうから今から見にいってみないかと。
じいさんと連れだっていってみると倉庫の鍵は開いてて、御神輿や消防団のポンプ車がある奥に今朝の像が立てかけてあった。
像は、貝や海藻なんかをこすりとってきれいになっていたが、あらためて見るとやっぱり奇妙な形をしてる。
頭が大きいと思ったのは兜で、のたくったような飾りがついてて、その下には目が落ちくぼんで長い顔がある。
日本の物ではないのかもしれないと思った。
胴の真ん中あたりが、ぐるりと何かでこすれたようにささくれだっている。
すごい物を見つけたのかもしれないと思ってちょっとワクワクした。
その夜、像を置いた倉庫から道をはさんだ向かいの家が火事になった。
せまい町なので消防車が走れば町の人はみんな外に出てくる。
気づくのが早かったせいか、火事はボヤ程度で済んだけれど原因は不明。
検証では外から火が広がっているとのことだったので、放火が疑われてるという話だった。
たまたま消防ポンプにも貯水池にも近かったんで他に延焼はなかった。
数日後に、火事を出した家の奥さんと高校の同期だった母親が奇妙な話を聞いてきた。
火事になった夜に洗濯物を居間に干していると、コツコツと縁側のガラス戸を叩く音がする。
何かと思って見にいってみると、暗闇の中からぬっと顔が出てきてサッシに外からはりついた。
顔は日本人には見えず、両目はぜんぶ白目だった。
その時に北国の厚いサッシごしなのに「さむい、さむい」という声が聞こえてきたそうだ。
あっと驚いて後ろに倒れたときに、車庫の前から火の手が上がってるのが見え、なんとか叫び声をあげて家人を呼び、119番通報をした。
消防にこの話をしたら、放火犯かもしれないからと警察もまじえて色々聞かれたそうだ。
ただ奥さんは母親に、あれはぜったい生きた人間じゃなかったと強調してたという。
それから数日して、初雪が降った日の夜に変な夢を見た。
腹のあたりがすごく痛くて、下を見るとぐるぐる縄で柱か何かに縛られていて身動きがとれない。
疾走感があって、潮風が風にあたるんで前を見ると荒れた海がある。
船の舳先に縛りつけられているんだとわかった。
両手は縛られていないんだけど、神社で拝むように手を合わせた形になってて動かせない。
なんとか手のひらを離そうと、もがいているうちにも波がどんどん通り過ぎていく。
背後で「ジーサイ、ジーサイ」と何人か叫んでいる太い声が聞こえる。
かなりの時間暴れていた気がするが、やっと手のひらがはずれてその拍子に目が覚めたと思った。
目を開けるとすぐ前に顔があった。
小さい電球しかつけてないのにはっきりと見えた。
顔はつるっとした坊主頭で濡れていて、大きな目はどっちも白目。
片方がぷちゅっとはじけて中から船虫が這い出してきた。
顔はだんだん下がって俺の肩のあたりにきて、耳もとに口を近づけて
「・・・さむい、さむい」
と言った。
そのときサイレンの音がして今度は本当に目が覚めた。
部屋を見回しても何もいなかった。
夜中の3時過ぎだった。
自分の部屋から下に降りると、家族も起き出してきてた。
俺はさっきの夢の話をするまもなく、防寒をして一緒に外に出た。
この前のボヤのときより騒然としていて、そうとう大事のような感じがした。
家族と気配がする方に歩いて行くと、通りにはぞろぞろ人が出ていて火事は神社だということを聞いた。
人の流れについていったら、高く煙が上がってるようだ。
さらに近づいたら火がちらっと見えたが、それ以上は規制されていて進めなかった。
後日わかったところでは神社は全焼。
それからあの像を置いていた倉庫にも燃え移り、近くの家にも被害があったが幸いなことに死傷者はなかった。
倉庫は完全に焼けていて、あの像も燃えてなくなってしまったのだと思う。
今回も放火の疑いが強いということで長い間捜査があったらしいけど、いまだに犯人は捕まってない。
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飛行機接触事故
1960年末に発行された『アメリカ連邦航空局年鑑』には、実に奇妙な報告が記されているので紹介する。
その年の1月25日、アメリカのオハイオ州上空をジョン・ウォールが『セスナー82型』に乗って飛行していた。
しばらく順調な飛行を楽しんでいたが、そのうち目の前に見たこともない淡いピンク色の雲が現れたのだ。
すでにベテランの域にあったウォールは、コースを変える必要を感じることなく、そのままのコースで雲の中に入っていった。
そのとき思わね事件が起きた。
雲に入った瞬間、急に目の前に木製の複葉機が現れたのである。
驚いたウォールは、急いで機体を旋回させたが、正面衝突は避けられたものの、翼の先を相手の複葉機の胴体に接触させてしまった。
にもかかわらず、雲の中にいた複葉機はそのままどこかへ消え去ってしまったのである。
飛行場に降りたウォールは、セスナ機をチェックして、片翼の先がわずかに凹み、塗装が削り落とされているのを確認した。
その後、ニアミスと接触事故の報告をアメリカ連邦航空局に提出した。
その報告を受けてアメリカ連邦航空局は、相手側の複葉機の当て逃げ同然の行為を、航空法から悪質と見て調査を開始することになった。
そして、接触事故が発生した3ヵ月後、ようやく相手の複葉機を発見したのである。
調査委員たちが、オハイオ州の牧場の中に建てられた古い倉庫の中で発見された複葉機の翼の一部からウォールのセスナ機と同じ塗装痕を発見したことで、事件は解決したかに思えた。
しかし、とんでもない展開がそのあとに待ち受けていた。
その複葉機は、長年誰も飛ばしていない状態で放置されていたのである。
驚くべきは、複葉機の中で発見された1932年の飛行記録の中に『見たこともない金属製の飛行機と、空中で接触事故を起こした』と記されてあったことだ。
つまり、ウォールのセスナ機と木製の複葉機は、時間を超えた未知の空域で実際に接触事故を起こしたことになる。
あまりの異様さに、調査委員たちは飛行記録を押収し、そこに使われたインクの成分分析をFBIに依頼。
その結果、時間経過を測る化学テストから、間違いなく30年代に書かれたインク跡という報告が届いた。
この事件は、アメリカではタイム・スリップ事件として有名だが、ウォールが過去に行って事故を起こしたか、複葉機が現在(当時)に来て事故を起こしたかで見解が分かれている。
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さっちゃん
一年前、私達と友人家族は、とある湖の近くでキャンプをしました。
昼の1時にチェックインし、テントの設営などを終え、夕食までの時間、大人は休憩タイム。
子供達は周辺で遊んでいました。
そろそろ夕食をと思い、子供達を呼んだところ、当時小1の娘だけ見当たりません。
子供達に聞いても、さっきまで一緒に遊んでいたと言うのみでわかりません。
時期がずれていたのと、マイナーなキャンプ場だったからか、キャンプ客は私達グループともう二組のグループのみでした。
見通しもよい場所なのですぐに見つかると思ったのですが、なかなか見つかりません。
すべて探し尽くし他に隠れるような場所はないはずなのに、見つからないのです。
キャンプ場の管理人さんも、こんなことは始まって以来だ、考えられないと首をひねるばかりです。
日も暗くなり、もしや湖の底に・・・と不安になり、然るべき機関に協力を要請しようと話し合っていたとき、ひょっこりと娘が現れたのです。
一体、何処にいたのか問い詰めると、さっちゃんと遊んでたと言うのです。
さっちゃんというのは、いつの頃からか名前を口にしている娘の空想の友達です。
最初は人形にさっちゃんと名付けて遊んでいるのかと思ってたのですが違ったようで、さっちゃんと人形で遊んでいたのです。
その後も思い出したように名前が出てくる程度で、このくらいの歳だと空想遊びするし、実害がなければいいかと思い放置していたのでした。
さっちゃんのことは気になりましたが、とりあえず、御迷惑をおかけした方々にお詫びと御礼をし、娘も無事に戻ってきたのでキャンプを続行しました。
キャンプから帰ってきてからの娘は普段通りで、聞けばさっちゃんの話はするものの現実の友達との遊びが忙しいためか、自ら進んで話をすることはなくなりました。
こうやって空想より現実の世界の比重が高くなるのかとホッと一安心していたある日の事です。
息子が、お姉ちゃんが知らないおじさんと部屋で遊んでいると言いに来たのです。
え?家の中に不審者が??
と、恐る恐る二階の子供部屋に行くと、娘は一人でお人形遊びをしているだけで誰もいません。
「この部屋に誰か居た?」
娘に尋ねると、
「あー、さっちゃんの事?遊んでっていうから、さっきまで一緒に遊んであげてたよ。」
なんとさっちゃんというのは、おじさんのことだったのです。
しかも娘だけでなく、息子にも見えた??
空想じゃなくて誰かが家に忍び込んだのか?
何年も前から?
パニックになりつつ、とにかく子供達にはそのおじさんとは絶対に遊ばないように言い聞かせました。
夫にその話をしたところ、そういえば子供にしか見えないおっさんの話があったよなと言い始めました。
確かに昔、そんな話があった気がします。
口裂け女系の都市伝説で細かい事は忘れましたが、子供にしか見えないおじさんがいて、ついていったら帰ってこれなくなるとかそんな話です。
その話と今回のこととの関連もわからず、当然解決法も思いつきません。
結局、どうすることもできず、不安と気持ち悪さを感じながら毎日を過ごしていました。
そして、それからしばらくたった頃の話です。
夜中に目が覚め、ふと目をやると真っ暗なリビングの滑り台をスーと娘が滑っていました。
少し説明すると、我が家はリビングに併設している和室に布団を敷いて家族で寝ていて、リビングには子供用のジャングルジムと滑り台が一体化した遊具を置いています。
あまりにもびっくりして、声をかけずにその光景を眺めていました。
よくみると娘の隣に人影がみえます。
暗くて良く分からないのですが、大人のようです。
夫は隣で寝ています。
これがさっちゃんなんだと確信して、思わず娘に、
「こっちに来なさい」
と叫んでしまいました。
急に声をかけられ、びっくりした娘がこちらに来ようとしましたが、その人影は娘の手を掴むと暗闇の方に引っ張り始めました。
私は慌てて布団から飛び出ると娘を抱きかかえ、その人影の手を振り解きました。
しかし、振り解いても振り解いても掴まれるのです。
よく見ると腕は一本だけではなく、5、6本あるようでした。
驚きすぎると声が出せないようで、無言でその手と格闘しました。
後で考えると、すぐそばに夫がいたので助けを呼べたはずなのですが、全く念頭にありませんでした。
人影は1つで、顔をあげたらすぐそこにあったのですが、見てしまったら最後のような気がして顔をあげることができず、結局さっちゃんの顔を見ることはできませんでした。
ようやく手を振り解いて布団の方へ戻りました。
幸い影は追いかけて来ず、暗闇に留まっていました。
1時間、ひょっとしたら10分くらいだったかもしれません。
ふっと気配がなくなり影は消えてしまいました。
そうなってやっと夫の存在を思い出し、叩き起しました。
夫は口には出しませんが、私達2人が寝ぼけていたと思っているようです。
私自身、ひょっとしたら夢だったのかもと思うこともあります。
ただ、娘も私も同時に寝ぼける事があるでしょうか?
あの腕の感触は夢ではないはずです。
あれから、さっちゃんは娘の前には現れていないそうです。
なんとなく、もう娘の前には現れないと確信しています。
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市松人形
俺が小学生の頃の話。
5年生だったから、もう想像と現実の区別はできているのに、絶対に現実とは思えないのに、どうにも頭から離れないある映像が気がかりでならなかった。
どうも、自分は小さい頃に人を殺したことがあるらしい。
幼稚園にも入る前で、相手は同じ年頃の小さな女の子であるらしい。
近所にそんな小さなうちに死んだ子はいないのだが、なぜかそんな気がしていた。
その子の骨が埋まっている場所の映像の記憶。
それが頭から離れない。
田舎なもんで、林を切り開いて建てられた俺の家は庭が結構広かった。
当時は周りの家もみなそうで、林と畑の間にぽつぽつと家が点在している集落。
所々に点在する古井戸や廃屋などが、子供たちの格好の肝試しスポットになっていた。
そんな土地だ。
俺の家の庭の隅の方にある、使っていない古い物置小屋の裏側の陽が当たらない場所、その向こうは深い森になっている。
じめじめとした薄暗い狭い空地。
そこの落ち葉に覆われた柔らかい土の下にその女の子の骨が埋まっている。
その場所が恐ろしい。
そういう夢を何度も何度も見た。
それが、小学5年生だった俺の頭に刷り込まれていた映像だ。
その狭い空地は子供には薄気味悪い場所なので、そんな所で遊んだことなどほとんどなかったのだが。
想像と現実の境目ははっきりしているから、俺はその映像がただの夢であることを確かめようと思った。
そして俺はひとりで、その薄暗い狭い空き地に立った。
誰もおらず、昼間ながら周囲はしんと静まりかえっている。
樹木の並び方、しょぼしょぼと力無く生えている日陰の雑草、俺の記憶と違いはない。
秋でまだ寒くはなかったが、俺は鳥肌が立った。
記憶の目印である小さな常緑樹(榊の木だった)はすぐに見つかった。
夢の記憶の通りに、そこにはかすかに陽が当たり、湿った枯れ葉が積もっていて、踏んだら柔らかくて足が沈み込んで、ぎくりとした。
元々窪んでいた所に、落ち葉や枯れ草が積もったらしい。
そこにはほとんど草も生えていなかった。
俺は、用意していたスコップでそこを慎重に掘り始めた。
するとまもなく、スコップはかちりと何か硬いものに当たった。
枯れ葉と湿った土の隙間から、白いものと布と髪の毛の束ようなものが覗いていた。
俺は全身から血の気が引き、気が遠くなるのを感じたが、やはり、という妙に透き通った夢の中のような感覚も同時にあった。
恐怖が麻痺したような夢見心地の中で、俺は淡々と土や枯れ葉を除け、そのものを掘り出した。
半ば腐り崩れかかった着物を着た市松人形だった。
俺は掘り出したそれを母に見せた。母は、
「けっこう立派な作りだし、人の形をしたものだから、これはちゃんと供養しないといけないね」
と言い、すぐ近くのお寺に持って行ってくれた。
ここから後は、母がお寺の老住職さんから聞いてきた話になる。
この市松さんは40年以上前に亡くなった、以前近所に住んでいた一家の女の子のものに間違いなかろう。
その子がとても気に入っていたものだったから、あのときお棺に一緒に入れて送ってあげようとしたのに見つからなかったものだよ。
その女の子が亡くなったのは事故でね。
小さな子供たちだけであの辺りで遊んでいたとき、ある男の子が振り回していた火箸かなにかがすっぽ抜けて、その女の子の頭に刺さってしまったらしい。
(目に刺さったんじゃないかしらね:母)
子供たちが「大変だ」とぐったりした女の子をお寺に連れてきたものだから、大騒ぎになったよ。
結局その子はその傷が元で亡くなり、男の子の方は少し後で風邪をこじらせた肺炎で亡くなった。
あの頃はこの辺りに医者がいなくて、当時は贅沢品だった自動車なんぞ持っている家があるはずもなく、手当てがどうしても遅れがちだったんで二人とも可哀想だったな。
女の子の家も怪我をさせてしまった男の子の家も居づらくなって、遠くへ引っ越してしまったので、今ではここらで憶えている人も少なかろう。
そのとき俺の祖父母が生きていれば、人形を見た瞬間にはっと気づいたかもしれない。
その女の子は、たまたま市松人形を持って遊びに出て事故に遭い、人形を落としたのがあまり人が近寄らない場所だったのと、子供たちがその子をあの場所からお寺に連れて行ってしまったのとで、そのままになってしまったのに違いない。
それから俺は、あの場所に骨が埋まっている夢を見ることがなくなった。
俺はオカルトは信じない方だが、女の子に人形を返してあげることができたという安堵の気持ちを打ち消すつもりはない。
もともと仲良しだった二人の子供たちが大好きだった市松さんを俺に託して取り戻したかったのだろうと思うことにした。