「 呪い 」 一覧
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無知
数年前の夏休み。
俺が中学生の頃、実家のすぐ近くにあるお寺で、盗難事件が発生した。
お寺の2つある宝物庫のうちの、1つの中身が盗難にあったらしい。
それだけなら、ただの盗難事件なのだが、何か様子がおかしかった。
うちは代々そこの檀家を勤めているのだが、うちも含め、檀家や周辺の家の人たちが事件の翌日に集められ、大人達で何事か話し合っているようだった。
当時、俺はガキだったので、色々大変なんだな、としか思わず、その時はあまり気にしていなかった。
数日後、俺や同い年の従弟や、その他数人の友達が、お寺の裏山でエアガンでサバイバルゲーム(というかごっこだなw)をしていると、和尚さんが俺達のところへやってきて、
「○○(俺)と○○(従弟)、ちょっと来なさい。話があるから」
と呼ばれた。
俺たちは、お寺の裏山で大騒ぎしていたのを叱られるのだ、と思い、ビクビクしながら和尚さんについていくと、和尚さんはお寺の本堂に俺達を入れて、
「ひとまず座りなさい」
と俺達に促した。
和尚さんは、ほんとうに神妙な顔つきで、俺と従弟は、こりゃまずいな…と縮こまっていると、予想とは裏腹に、説教ではなく別の話をし始めた。
和尚さんの話は俄かには信じられず、何か荒唐無稽な話に聞こえたが、とにかく、真剣な顔つきで話していたのを覚えている。
その話というのは、和尚さんによると、2つある宝物庫のうち、1つは確かにお寺に伝わる経典や仏像など、価値のあるものを収めているのだが、もう一つの宝物庫は、宝物庫とは名前だけで、別の物を保管しているらしい。
その『別の物』とは。
元来、お寺や神社には、不吉な物や呪物などを、『お払いして欲しい』或いは『引き取って欲しい』と頼み込んで来る人が、結構どこでもいるとか。
しかし普通は気のせいや、偶然が重なっただけの物が多く、基本的にそういう物の受け取りは拒否するか、気休め程度に祈祷をして、本人に納得してもらう方法を取っているらしい。
しかし、どうしてもと押し付けられてしまう場合や、稀に本当に危険なものが持ち込まれるため、その場合は仕方なく引き受けるらしい。
その倉庫には、そういった『いわく付き』の品々が収められていたとか。
これら『いわく付き』の品物の数々を、時間をかけてお払いするために、倉庫は存在していたわけだった。
ただし、そうやってお寺に持ち込まれたものは、金銭的な価値があるようなものではなく、ただ単に霊的、或いは祟りとして危険なだけな物なため、普通は盗まれるなんて事は無い。
しかし、今回そういう『いわく付き』のものが盗まれてしまった。
盗まれたのは2つらしいが、そのうち1つが、俺の一族に縁のある品物らしく、その話をしておきたいと呼んだという。
今回盗難事件にあったのは、要するに『いわく付き』の品物がある倉庫の方だった。
泥棒は、警備の厳重な方の宝物庫に、価値がある物があると考えたのだろう。
『いわく付き』の方の宝物庫は、外に出してはいけない物がいくつもあったので、本来の宝物庫よりも、ずっと施錠などが厳重だった。
盗まれた『いわく付き』の品物2つの説明をすると、一つは一振りの日本刀、もう一つは金でできた仏像らしい。
俺は、なるほど、売れば高そうだな、と思った。
刀の方は俺の一族とは無縁なため、説明は大雑把にするだけにするが、これは和尚さんの先代が住職を勤めていた頃、男の人が「とにかくこれを引き取ってくれ」と持ち込んだもの。
当時の住職は、「許可が無いと犯罪になってしまうから」と断ったが、無理に押し付けられるような形で、その男の人は置いていってしまったのだという。
その刀は和尚さん曰く、「専門家でないから価値はわからないが、相当に古いもので、なぜか銘の部分が削り取られていた」らしい。
ちなみにこの刀は、『所持していると自分が人を切り殺す夢』を何度も見てしまうというもので、持ち込んだ男の人は、「そのうち自分が人殺しをしてしまうのではないか」と不安になり持ち込んだとか。
ちなみに、住職はその話を信じていなかったが、引き取ったその日から、本当に自分が刀で人を切り殺す夢を何度も見るようになってしまい、これは大事だと『いわく付き』の方へ保管したとか。
銃刀法関連は、当時の住職が警察と話し合って、詳しくは知らないがどうにかなって、今までお寺に保管されていたらしい。
そしてもう一つの、金でできた仏像。
これが俺の一族に関係する物だった。
ちなみに仏像と呼んでいるが、実際は和尚さんがいうには、『今までこんな形の仏像は見た事が無く、便宜上形が似ているためそう呼ばれていただけ』の物で、厳密には仏像ではない。
この仏像という像は、今から150年近く前、俺のご先祖様が地元で起きた大洪水の翌日、土石流の片付け中に、泥と瓦礫の山の中から見つけた品物。
金で出来ている事や、見た目が仏像に似ていることから、何かありがたい物であろう、ということで持ち帰り、そのまま家の仏間にかざっていた。
和尚さんが言うには、洪水で山の上の方から流れてきたのではないか、との事だった。
(ただし、俺の地域は元々山深い場所で、俺の住んでいた地域より上に村などは無い)
その像を持ち帰ってから数日後。
あちこちで異変が起き始めた。
初めは家で飼っている猫や家畜が、謎の病気で死に始め、それはご先祖様の家だけでなく、周辺の家々でも起き始めた。
更に暫らくすると、子沢山だったご先祖様の家の子供が次々と死に始め、10人いた子供が、たった半年の間に3人にまで減ってしまった。
当初疫病かと思われ、村で様々な対策がされたらしいが、何一つ効果が無かった。
ご先祖様の家以外の子供が死に始めた頃、その金の像に、ある異変が起きている事に気が付いた。
拾ってきた当初、その像は無表情に近い顔をしていて、感情を読み取れるようなものは何も無かった。
しかし、ふとご先祖様が像を見てみると、明らかにニヤニヤという感じの、笑い顔に表情が変わっていたとか。
更に不気味な事に、像の足元辺りから上の方へ、まるで血管のような赤い線がいくつも伸び始めてきていた。
当初は「気のせいだ」と見なかった事にしていたご先祖様だが、その血管のようなものが、人が死ぬ度にどんどん上の方へ広がっていくのを見て、これはもう手に負えないと、当時のお寺の住職に持ち込んだらしい。
金で出来ていたので、手放すのが惜しかったというのもあるだろう。
当時の住職は、像の噂は聞いていたが、一度も見た事は無く、その日初めて像を見たらしいが、一目見て『これは危険なものだ』と感づいたらしい。
像が何の為に作られ、どうやってこの村へやってきたかは分からない。
しかし、相当に危険な呪物である事は間違いが無く、このまま放置しておけば、村が全滅しかねないほど危険だったため、当時の住職は、すぐにお払いの祈祷を始めた。
しかし、祈祷を始めてから数時間後。
その住職は両目両耳から血を流して、恐怖に歪んだ表情のまま死んでいるのが本堂で発見された。
死因は不明。
ただし、像が何らかの形で関係しているのは間違いなかった。
なぜなら、祈祷をする前には腰の辺りまでしかなかった血管のような模様が、一気に首の辺りにまで達していたから。
それを見た村人たちは、これはもう手に負えないと、像をどこかに捨てる計画を立てていたらしい。
次に本山からやって来た住職が、
「一度に御払いをするのは、恐らく危険すぎて無理だろう。お寺で災いが外に漏れぬよう保管をして、何代もかけてゆっくり穢れを浄化するしかない。捨てて解決できるようなものではない」
と村人達を説得し、現在まで少しずつ祈祷で呪いを払いながら、お寺で厳重に保管されてきていた。
長くなってしまったが、ここまでが和尚さんが俺達に話した、盗品に関する『いわく』の話。
和尚さんは、続けてこんな話をし始めた。
ここ数年(当時で数年なので今からだと10年ほど前)、お寺や神社の宝物庫への窃盗事件が増えており、どうも大半が、外国人の窃盗団によるものらしい。
ここで問題となるのが、最初に書いたとおり、『問題のある品物』を、便宜上宝物庫と呼ばれている場所に保管しているお寺や神社は、ここ以外にも多数あり、そういった品物が、やはりあちこちで盗まれているとか。
当時から少し2ちゃんをやっていた俺は、コピペなどで情報を得ていたため、『ああ、かの国の窃盗団だな』とすぐに分かり、和尚さんに聞いてみたが、曖昧な返事しかしてくれなかった。
その代わり、別の話をしてくれた。
仮にの話として、もし一連の寺社への窃盗事件が、かの国の窃盗団によるものだとすると、『いわく付き』の品物が次々とかの国へ、何の保護措置もしないまま送られ続けている事になる。
これは非常に危険な行為で、一つの国に何の措置もしないまま、無秩序に『いわく付き』の品物が集められたら、一体何が起きるのか想像も出来ない。
「普通、そんな何の利益にもならない、バカな事をする人はいないだろう」
と和尚さんは言っていた。
おかしな話だが、呪いの類にも人間関係のような相性があって、人で喩えるなら、意気投合するものもあれば、性質が合わずに反目しあうものもあるらしい。
そういったものが何の規則性も無く、制限無く集められていっているとしたら、
「恐らくとんでもない事になる。何が起きるのかは分からないが…」
とも言っていた。
そこで俺は、こう和尚さんに言ってみた。
「でも、外国に持ち出されたなら、俺達は安心じゃん。その国にいかなければ害も無いでしょ?」と。
しかし和尚さんは、
「そうではない。仮に行かなくとも、これだけ大きく無秩序な呪物の集合の場合、『縁』を持っただけでも危ない。『縁』が軽い場合や一時的なものだったとしても、一体どういう影響があるのか全く予想も出来ない。もしお前達が『縁』を持ちそうになったら、何があってもそこから逃げろ」
と言われた。
これが当時、俺が聞かされた話の全て。
ぶっちゃけて言うと、俺はこの話を信じていなかった。
だから最近まで、ほぼ完全に忘れていたのだが、そこであるコピペが関係してくる。
そのコピペを見て、もしかしてこれがその影響か?と直感的に感じたから。
以下がそのコピペ。
新種の精神障害『危険水準(2004年)』
前頭葉が破壊されてる韓国人激増。火病と同根かも知れないがこれは脳損壊である。
・症状は、前頭葉の損壊――最も高度な部位。創造的な文化が皆無なのにも理由があった訳。
・1997年~2004年で子供の発病率が100倍に急増。遺伝子的欠陥なので指数関数的に蔓延する。
・現在2008年には、1997年(基準年?)の数千倍の発病率になっていても不思議じゃ無い。現在でも国民的な病だが、『子供の』発病が21世紀に入って急増したという事で、彼等が成人を迎える10年後辺りからは、民族としての、更なる壊滅的様相が想定される。
これはもう、セルフ・ホロコーストになるかも…
時期的にも、窃盗団が日本に来始めた頃と合致する。
俺は絶対に、かの国との『縁』を持たないようにしようと思った。
無知というのは、ほんとうに恐ろしい…
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パンク
昔、当時の彼女と、同棲してた時の話。
同棲に至った成り行きは、彼女が父親と大喧嘩して家出。
彼女の父親は、大工の親方してる昔気質。
あまり面識はなかったが、俺も内心びびりまくりの存在だった。
仕方ないから、彼女と俺の有り金かき集めて、風呂無しぼろアパートで同棲。
しかし最悪のアパートで、ゴキブリは出るし、畳は湿気ですぐ腐るし、上の階に住むバンドマン風の若者は、毎晩、大声で歌の練習するし、隣に住む老人は薄気味悪いし、、、
まぁそんな最悪な環境にも、だんだん適応しながら同棲生活を送り、俺は建築現場でバイト、彼女はカラオケボックスの夜勤で生計を立てていた。
住み始めて半年くらいして、変なことが起こり始めた。
ある朝、バイトに行くために自転車に跨ったんだが、違和感を覚えてタイヤを確認するとパンクしていた。
その日は歩いて仕事に行き、休日に自転車屋に行って修理してもらった。
その店のパンクの修理は、タイヤに穴が多い程、金額が上乗せされるんだが、確か5~6箇所は穴があいてたと思う。
自転車屋に、誰かのイタズラだろうねって言われた。
クギか何かで刺したらしい。
それから風呂無しアパートなんで、毎晩、彼女と近くの銭湯に通っていたんだが、自転車の二人乗りで銭湯まで行って、風呂入ってまた二人乗りで帰ってくる。
ある日の銭湯からの帰り、二人で銭湯の前に止めてある自転車まで来て、サドルに座ると、また違和感が。
案の定、パンクしてた。
後日、自転車屋さんに修理してもらうと、また凄い数の穴があいていた。
また別の日、彼女が自転車に乗って、一人で夕飯の買い物に行った時も買い物中にパンク。
重い自転車を押して帰宅。
他にも、二ケツで駅まで行って、自転車を駐輪場に止め、電車で遊びに行った時も、遊び終えて駐輪場に戻るとパンク。
いずれも多数の穴。
そんな事が定期的に続き、パンク修理のしすぎで、タイヤがボコボコになってしまい買い替え。
最後の方は、もう3台目くらいの自転車になってたかな。
自転車屋曰わく、タイヤごと外して新品のタイヤに変える作業に費用払うのと、安い自転車買うのとでは金額的にあまり変わらないって事だったんで、タイヤがボコボコになって乗れなくなったら買い換えていた。
それにしても、無差別のいたずらにしては被害に遭う回数が多すぎるし、ストーキングでもしない限り、こんなに何度も何度も俺たちの自転車を狙えない。
俺も彼女もイラつきのピークだった。
二階のバンドマン、隣の部屋の薄気味悪い老人、誰も彼も疑って疑心暗鬼。
極めつけが、レンタカー借りて、二人で遠くまで旅行に行った帰り道での事。
高速道路のサービスエリアにあったレストランで夕食を食べた。
食べ終えて、車に乗り込み、、、ん?と、また違和感を覚えた。
何かこの車、傾いてない?
車から降りて、恐る恐るタイヤを確認すると、右前後、二つのタイヤがパンク。
この時ばかりは、彼女も俺も、怒りよりも恐怖を覚えた。
犯人は、俺達の旅行の予定まで知っていて、タイヤをパンクさせる為に高速にまで乗る。
いったい、どんだけ恨まれてるんだよ俺達と。
盗聴器を疑い、部屋中のコンセントを分解した事もあったが、それらしき物は何もなかった。
そんなある日。
建築現場のバイト中に、俺は怪我をした。
不注意で、クギを思いっ切り踏んでしまって、病院へ。
クギが錆びていた可能性もあるって事で、結構な事態になってしまった。
家に帰り、彼女に一連の事を話した。
彼女は俺の傷を心配した後に、何かに気付いて急に暗い顔に。
しばらくして、暗い顔のまま言った。
●●君がもしタイヤだったらパンクしてたね、、、
俺もそれを聞いて初めて、この怪我と一連のパンクを結びつけた。
それまで考えてもいなかった。
しかし万が一、俺の怪我も一連のパンクと関係あるとしたら、犯人はもはや人間ではないのでは?
そうなったら、もう呪いや悪霊の類だ。
彼女は、今にも泣きそうな顔をしてる。
「考えすぎだろ」と俺は言った。
言ったものの、内心、怖くて仕方なかった。
嫌な事ばかり考えてしまう。
例えば、このぼろアパートが呪われてるのでは?とか。
けど、一番怖いのは、彼女に被害が及ぶ事。
俺は今回、怪我をしたが、幸い彼女の身にはまだ何もない。
数週間考えて、話し合い、彼女は家出した実家へと戻る事になった。
一人で、このぼろアパートに住むのは怖かったが、俺の実家は遥か地方だし帰れない。
新しいアパートを借りる余裕もない。
足の怪我で、ろくに仕事もできない。
仕方なかった。
しかし意外なことに、彼女が実家に帰ってから、なぜか自転車のパンクは全くなくなった。
同棲生活は終わっても彼女との交際は続いていたし、彼女も首を傾げていた。
それからは何事もなく月日が経っていったが、ある日、葬式があった。
彼女の父親の葬式。
その葬式の時に、彼女と彼女の母親と俺の三人で話す機会があり、その席で妙な話を聞いた。
死んだ父親は、俺の事を相当憎んでいたらしい。
大事な娘を奪った男という認識だったようだ。
彼の仕事は大工。
大工という仕事は、木材にクギを打ち付ける機会が多い。
彼は俺への恨みを込めて、木材にクギを打ち込んでいたらしい。
わら人形にクギを打つように。
「そうすると、気分がスッキリするって、あの人、言ってたわ」
そう言って彼女の母親は笑った。
ブラックジョークのつもりだったのか?
彼の行動と、自転車のパンクや俺の怪我に因果関係があるとは思えないが、それを聞いてからは彼の遺影を直視出来なかった。
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清衡塚
作家、民俗学者として知られる山田野理夫氏の話。
或る春の朝、氏が起きると突然右膝が痛み出し、立つ事も出来なくなった。
知り合いの鍼灸師を呼んで治療してもらったが、原因不明の痛みは治まらない。
その前後、山田氏は不思議な夢を見るようになったという。
夢の中で山田氏は荒涼とした池の畔に佇んでおり、その池畔には一基の古碑がある。
そこで場面が転換し、いつの間にか氏は杉の大木に囲まれた坂道を登っているのだという。
そのうち杉木立は途切れ、右崖下に川が流れる物見台で膝をさすっていると、そこからは寺の本坊らしき建物が見える。
そこでいつも僧に会うのだが、ここはどこだ問うても、いつも口を閉ざして答えてくれないのだという。
そのまま奥へ進むと、やがて右手奥に微かな光が見えてくる。
ゆったりとカーブした丘の上の建物が、眩い黄金色の輝きを放っているのが見え、そこで夢は終わってしまうのだそうである。
同じ夢を見るうち、山田氏は「あの夢に出てくる寺は平泉中尊寺ではないか」と気がついた。
奥に見えるのは国宝である中尊寺金色堂。
最初に見た池は毛越寺の庭園であり、そしてその池畔に見えたのは、かの有名な松尾芭蕉の「夏草や~」の句碑であろうという。
そうして、山田氏はやっと右膝の痛みが藤原清衡の呪いではないか、と思い当たったという。
なんと山田氏は、奇妙なめぐり合わせから、金色堂の中に眠る藤原清衡のミイラの一部を持っていたのである。
その昔、昭和25年の朝日新聞文化事業団による本格的な調査以前に、ある学者たちが清衡の棺を暴き、清衡の遺体を直に見て、触って、調査した事があったのだという。
金色堂内には奥州藤原氏四代、清衡、基衡、秀衡のミイラと、四代・泰衡の首級が納められているが、このミイラには大きな謎があった。
このミイラは自然発生的にミイラ化したのか否か、という謎であった。
この謎を解き明かさんと、清衡の棺を暴いた学者の名前を仮にABCとする。
調査中、この学者たちが清衡の遺体の右膝に触れた際、わずかに遺体の一部が欠落したのだという。
骨と皮膚の間の筋肉部と思われる、茶褐色の毛片のような欠片であった。
その欠片を、調査目的で学者達が持ち帰ったという訳だ。
しかし、すぐに三人に異変が現れた。
Aは電車事故、Bは階段から落下、Cは関節炎で、各々、右膝に何らかの事故が発生したのだという。
そんな事があった為、ABCの夫人達が、民俗学者であった山田氏に相談を持ちかけ、
「これは清衡の呪いだと思うが、どうしたらいいかわからない」
と、遺体の欠片を譲渡したのである。
そんな訳で、山田氏は藤原清衡の遺体を手に入れたのであった。
山田氏は、この遺体を元の場所に返さなければならないと思い立たち、人づてに連絡を取り、後に中尊寺貫主になる僧侶・今東光氏と連絡を取り、事の次第と、ミイラの一部の始末をどうすべきか伝えた。
すべて伝え終わると、今東光氏は驚きの声を上げたという。
「金色堂の棺を開けるのは、日本銀行の金庫を開けさせるよりも遥かに難しい。清衡公を元の場所にお返ししたいのは山々だが、棺は今後もう二度と開かれる事は無いだろう」
そういう訳で結局、遺体を元の場所に戻す事は叶わなかったのである。
後日、山田氏がこの体験記を『文芸春秋』に投稿すると、予想外に多くの反応があったという。
ある新聞社が遺体の一部を撮影させてくれと言ってきたり、とある霊媒師がその夢を私も見たと主張してきたりして収集がつかなくなり、非常に持て余したという。
その後、その清衡公の遺体の一部は、山田氏の手によって中尊寺境内のどこかに埋葬されたという事である。
山田氏は遺体を埋めた場所を密かに「清衡塚」と呼んでいるというが、彼以外にその場所を知る者はいない。
世界遺産に登録された平泉中尊寺の、ちょっと不思議な話。
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リョウメンスクナ
俺、建築関係の仕事やってんだけれども、先日、岩手県のとある古いお寺を解体することになったんだわ。
今は利用者もないお寺ね。
んで、お寺ぶっ壊してると、同僚が俺を呼ぶのね。
「ちょっと来て」と。
俺が行くと、同僚の足元に、黒ずんだ長い木箱が置いてたんだわ。
俺:「何これ?」
同僚:「いや、何かなと思って・・・本堂の奥の密閉された部屋に置いてあったんだけど、ちょっと管理してる業者さんに電話してみるわ」
木箱の大きさは2mくらいかなぁ。
相当古い物みたいで、多分、木が腐ってたんじゃないかな。
表に白い紙が貼り付けられて、何か書いてあるんだわ。
相当、昔の字と言う事は分ったけど、凡字の様な物も見えたけど、もう紙もボロボロで何書いてるかほとんどわからない。
かろうじて読み取れたのは、
「大正??年??七月??ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ???二封ズ」
的な事が書いてあったんだ。
木箱には釘が打ち付けられてて、開ける訳にもいかず、業者さんも
「明日、昔の住職に聞いてみる」
と言ってたんで、その日は木箱を近くのプレハブに置いておく事にしたんだわ。
んで翌日。
解体作業現場に着く前に、業者から電話かかってきて、
業者:「あの木箱ですけどねぇ、元住職が、絶対に開けるな!!って凄い剣幕なんですよ・・・なんでも自分が引き取るって言ってるので、よろしくお願いします」
俺は念の為、現場に着く前に現場監督に木箱の事、電話しておこうと思い、
俺:「あの~、昨日の木箱の事ですけど」
監督「あぁ、あれ!お宅で雇ってる中国人(留学生)のバイト作業員2人いるでしょ?そいつが勝手に開けよったんですわ!!とにかく早く来てください」
嫌な予感がし、現場へと急いだ。
プレハブの周りに、5~6人の人だかり。
例のバイト、中国人2人が放心状態でプレハブの前に座っている。
監督:「こいつがね、昨日の夜中、仲間と一緒に面白半分で開けよったらしいんですよ。で、問題は中身なんですけどね・・・ちょっと見てもらえます?」
単刀直入に言うと、両手をボクサーの様に構えた人間のミイラらしき物が入っていた。
ただ異様だったのは・・・頭が2つ。
シャム双生児?みたいな奇形児いるじゃない。
多分、ああいう奇形の人か、作り物なんじゃないかと思ったんだが・・・
監督:「これ見てね、ショック受けたんか何か知りませんけどね、この2人何にも喋らないんですよ」
中国人2人は、俺らがいくら問いかけても、放心状態でボーっとしていた(日本語はかなり話せるのに)。
あ、言い忘れたけど、そのミイラは「頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本」という異様な形態だったのね。
俺も、ネットや2ちゃんとかで色んな奇形の写真見た事あったんで、そりゃビックリしたけど、「あぁ、奇形か作りもんだろうな」と思ったわけね。
んで、例の中国人2人は一応、病院に車で送る事になって、警察への連絡はどうしようか、って話をしてた時に、元住職(80歳超えてる)が息子さんが運転する車で来た。
開口一番、
住職:「空けたんか!!空けたんかこの馬鹿たれが!!しまい、空けたらしまいじゃ・・・」
俺らは、あまりの剣幕にポカーンとしてたんだけど、住職が今度は息子に怒鳴り始めた。
岩手訛りがキツかったんで、標準語で書くけど、
住職:「お前、リョウメンスクナ様をあの時、京都の~寺(聞き取れなかった)に絶対送る言うたじゃろが!!送らんかったんかこのボンクラが!!馬鹿たれが!!」
ホント、80過ぎの爺さんとは思えないくらいの怒声だった。
住職:「空けたんは誰?病院?その人らはもうダメだと思うけど、一応アンタらは祓ってあげるから」
俺らも正直怖かったんで、されるがままに何やらお経みたいの聴かされて、経典みたいなので、かなり強く背中とか肩とか叩かれた。
結構長くて30分くらいやってたかな。
住職は木箱を車に積み込み、別れ際にこう言った。
「可哀想だけど、あんたら長生きでけんよ」
その後、中国人2人の内、1人が医者も首をかしげる心筋梗塞で病室で死亡。
もう1人は精神病院に移送、解体作業員も3名、謎の高熱で寝込み、俺も釘を足で踏み抜いて5針縫った。
まったく詳しい事は分らないが俺が思うに、あれはやはり人間の奇形で、差別にあって恨みを残して死んでいった人なんじゃないかと思う。
だって物凄い形相してたからね・・・その寺の地域も、昔部落の集落があった事も何か関係あるのかな。
無いかもしれないけど、長生きはしたいです。
俺だってオカ板覗くらいだから、こういう事には興味しんしんなので、真相が知りたく何度も住職に連絡取ったんだけど、完全無視でした。
しかし、一緒に来てた息子さん(50過ぎで不動産経営)の連絡先分ったんで、この人は割と明るくて派手めの人なんで、もしかしたら何か聞けるかも?と思い、今日の晩(夜遅くだけど)飲みに行くアポとれました。
リョウメンスクナの話、「宗像教授伝奇考」という漫画に出てきた覚えがある。
スクナ族という、恐らく大昔に日本へ来た外国人ではないかと思われる人が、太古の日本へ文化を伝えた。
それが出雲圏の文化形成となり、因幡の白ウサギの伝説もオオクニヌシノミコトの国造りの話もこれをモチーフとした話だろう、と。
そして大和朝廷による出雲の侵略が起こり、追われたスクナ族がたどり着いたのが今の飛騨地方だった。
日本書紀によれば、飛騨にスクナという怪物がおり、人々を殺したから兵を送って退治した、という話が書かれている、と。
つまり、スクナというのは大和朝廷以前の時代に日本へ文化を伝えた外来人のことで、恐らくは古代インドの製鉄を仕事とする(そして日本へ製鉄を伝えたであろう)人々のことではないかと書かれていた。
そして、出雲のある場所で見つけた洞窟の奥にあったものが、「リョウメンスクナ」(両面宿儺)の像だった、とあった。
スクナ族は、日本へ羅魔船(カガミノフネ)で来た、と書かれ、鏡のように黒光する船であったとのこと。
羅魔は「ラマ」で、黒檀系の木の名である、と書かれていたけど、黒ずんだ長い木箱とあったので、これももしかするとラマなのかも・・・?
とすると、リョウメンスクナ様も、逃げ延びて岩手地方に来たスクナ族の末裔なのかもしれないな。
・・・と、オカ板的にはあわない内容かも、と思いつつ書いてみたが。
直前になって何か「やはり直接会って話すのは・・・」とか言われたんで、元住職の息子さんに「じゃあ電話でなら・・・」「話せるとこまでですけど」と言う条件の元、話が聞けました。
時間にして30分くらい、結構話してもらったんですけどね。
なかなか話し好きなオジサンでした。
要点を主にかいつまんで書きます。
息子:「ごめんねぇ。オヤジに念押されちゃって。本当は電話もヤバイんだけど」
俺:「いえ、こっちこそ無理言いまして。アレって結局何なんですか??」
息子:「アレは大正時代に、見世物小屋に出されてた奇形の人間です」
俺:「じゃあ、当時あの結合した状態で生きていたんですか?シャム双生児みたいな?」
息子:「そうです。生まれて数年は、岩手のとある部落で暮らしてたみたいだけど、生活に窮した親が人買いに売っちゃったらしくて。それで見世物小屋に流れたみたいですね」
俺:「そうですか・・・でもなぜあんなミイラの様な状態に??」
息子:「正確に言えば、即身仏ですけどね」
俺:「即身仏って事は、自ら進んでああなったんですか!?」
息子:「・・・君、この事誰かに話すでしょ?」
俺:「正直に言えば・・・話したいです」
息子:「良いよ君。正直で(笑)まぁ私も全て話すつもりはないけどね・・・アレはね、無理やりああされたんだよ。当時、今で言うとんでもないカルト教団がいてね。教団の名前は勘弁してよ。今もひっそり活動してると思うんで・・・」
俺:「聞けば、誰でもああ、あの教団って分りますか?」
息子:「知らない知らない(笑)極秘中の極秘、本当の邪教だからね」
俺:「そうですか・・・」
息子:「この教祖がとんでもない野郎でね。外法(げほう)しか使わないんだよ」
俺:「外法ですか?」
息子:「そう、分りやすく言えば(やってはいけない事)だよね。ちょっと前に真言立川流が、邪教だ、外法だ、って叩かれたけど、あんな生易しいもんじゃない」
俺:「・・・具体的にどんな?」
息子:「当時の資料も何も残ってないし偽名だし、元々表舞台に出てきたヤツでもないし、今教団が存続してるとしても、今現在の教祖とはまったく繋がりないだろうし、名前言うけどさ・・・物部天獄(もののべてんごく)。これが教祖の名前ね」
俺:「物部天獄。偽名ですよね?」
息子:「そうそう、偽名。んで、この天獄が例の見世物小屋に行った時、奇形数名を大枚はたいて買ったわけよ。例のシャム双生児?って言うの?それも含めて」
俺:「・・・それで?」
息子:「君、コドクって知ってる?虫に毒って書いて、虫は虫3つ合わせた特殊な漢字だけど」
俺:「壺に毒虫何匹か入れて、最後に生き残った虫を使う呪法のアレですか?(昔マンガに載ってたw)」
息子:「そうそう!何で知ってるの君??凄いね」
俺:「ええ、まぁちょっと・・・それで?」
息子:「あぁ、それでね。天獄はそのコドクを人間でやったんだよ」
俺:「人間を密室に入れて??ウソでしょう」
息子:「(少し機嫌が悪くなる)私もオヤジから聞いた話で、100%全部信じてるわけじゃないから・・・もう止める?」
俺:「すみません!・・・続けてください」
息子:「分った。んで、それを例の奇形たち数人でやったわけさ。教団本部か何処か知らないけど、地下の密室に押し込んで。それで例のシャム双生児が生き残ったわけ」
俺:「閉じ込めた期間はどのくらいですか?」
息子:「詳しい事は分らないけど、仲間の肉を食べ、自分の糞尿を食べてさえ生き延びねばならない期間、と言ったら大体想像つくよね」
俺:「あんまり想像したくないですけどね・・・」
息子:「んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。奇形と言ってもアシュラ像みたいな外見だからね。その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな」
俺:「なるほど・・・」
息子:「で、生き残ったのは良いけど、天獄にとっちゃ道具に過ぎないわけだから、すぐさま別の部屋に1人で閉じ込められて、餓死だよね。そして防腐処理を施され、即身仏に。この前オヤジの言ってたリョウメンスクナの完成、ってわけ」
俺:「リョウメンスクナって何ですか?」
詳しい説明は無かったが、神話の時代に近いほどの大昔に、リョウメンスクナと言う、2つの顔、4本の手をもつ怪物がいた、と言う伝説にちなんで、例のシャム双生児をそう呼ぶ事にしたと、言っていた。
俺:「そうですか・・・」
息子:「そのリョウメンスクナをね、天獄は教団の本尊にしたわけよ。呪仏(じゅぶつ)としてね。他人を呪い殺せる、下手したらもっと大勢の人を呪い殺せるかも知れない、とんでもない呪仏を作った、と少なくとも天獄は信じてたわけ」
俺:「その呪いの対象は?」
息子:「・・・国家だとオヤジは言ってた」
俺:「日本そのものですか?頭イカレてるじゃないですか、その天獄って」
息子:「イカレたんだろうねぇ。でもね、呪いの効力はそれだけじゃないんだ。リョウメンスクナの腹の中に、ある物を入れてね・・・」
俺:「何です?」
息子:「古代人の骨だよ。大和朝廷とかに滅ぼされた(まつろわぬ民)、いわゆる朝廷からみた反逆者だね。逆賊。その古代人の骨の粉末を腹に入れて・・・」
俺:「そんなものどこで手に入れて・・・!?」
息子:「君もTVや新聞とかで見たことあるだろう?古代の遺跡や墓が発掘された時、発掘作業する人たちがいるじゃない。当時はその辺の警備とか甘かったらしいからね・・・そういう所から主に盗ってきたらしいよ」
俺:「にわかには信じがたい話ですよね・・・」
息子:「だろう?私もそう思ったよ。でもね、大正時代に主に起こった災害ね、これだけあるんだよ」
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名
俺:「それが何か?」
息子:「全てリョウメンスクナが移動した地域だそうだ」
俺:「そんな!教団支部ってそんな各地にあったんですか?と言うか、偶然でしょう(流石に笑った)」
息子:「俺も馬鹿な話だと思うよ。で、大正時代の最悪最大の災害、関東大震災の日ね。この日、地震が起こる直前に天獄が死んでる」
俺:「死んだ?」
息子:「自殺、と聞いたけどね。純粋な日本人ではなかった、と言う噂もあるらしいが・・・」
俺:「どうやって死んだんですか?」
息子:「日本刀で喉かっ斬ってね。リョウメンスクナの前で。それで血文字で遺書があって・・・」
俺:「なんて書いてあったんですか??」
日 本 滅 ブ ベ シ
俺:「・・・それが、関東大震災が起こる直前なんですよね?」
息子:「そうだね」
俺:「・・・偶然ですよね?」
息子:「・・・偶然だろうね」
俺:「その時、リョウメンスクナと天獄はどこに・・・??」
息子:「震源に近い相模湾沿岸の近辺だったそうだ」
俺:「・・・その後、どういう経由でリョウメンスクナは岩手のあのお寺に?」
息子:「そればっかりはオヤジは話してくれなかった」
俺:「あの時、住職さんに(なぜ京都のお寺に輸送しなかったんだ!)みたいな事を言われてましたが、あれは??」
息子:「あっ、聞いてたの・・・もう30年前くらいだけどね、私もオヤジの後継いで坊主になる予定だったんだよ。その時に俺の怠慢というか手違いでね・・・その後、あの寺もずっと放置されてたし・・・話せる事はこれくらいだね」
俺:「そうですか・・・今リョウメンスクナはどこに??」
息子:「それは知らない。と言うか、ここ数日オヤジと連絡がつかないんだ・・・アレを持って帰って以来、妙な車に後つけられたりしたらしくてね」
俺:「そうですか・・・でも全部は話さないと言われたんですけど、なぜここまで詳しく教えてくれたんですか?」
息子:「オヤジがあの時言ったろう?可哀想だけど、君たち長生きできないよ、ってね」
俺:「・・・」
息子:「じゃあこの辺で。もう電話しないでね」
俺:「・・・ありがとうございました」
以上が電話で話した、かいつまんだ内容です・・・はっきり言って全ては信じてません。
何か気分悪くなったので今日は落ちますね。連投・長文スマソ。
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怨念
俺が中学生の時の姉の話を。
直接、本人の口から聞いた訳じゃないんだけど、どうやら霊感があるらしい。
その日、学校終わった後、友達のA、Bが家に遊びに来てて、まあ普通の話してました。
俺の部屋は二階。
日が沈んだ頃に、そろそろ帰るか~て二人が話始めた時、バァンと物凄い勢いで部屋の扉が開いた。
ひぇええ!?て固まってたら、そこに立っているのは俺の姉。
姉はBを静かに睨みつけて(背もでかくて目つきキツイから結構迫力がある)
「…猫13匹。クソガキ、お前どうすんだ、そいつら。もう体出来始めてるぞ。」て一言。
瞬間、部屋の中が、電気はそのままなのに薄暗くなって、生乾きの犬からするような、生臭い臭いが充満した。
おええって口押さえて屈み込んだら、Bの足元に見えた。
もう内臓とか全部ぶちまけたような、三毛だの黒だの茶色だのの、血にまみれたグッチャグッチャの死体。
本当にグロテスク、血の泡まで浮いてるし。
「おい、お前、二度とうちに来るなよ。」
姉が言い捨てて、扉を閉めていなくなると、不思議な事に、もとの俺の部屋に戻った。
顔面蒼白のAと顔を見合わせていたら、Bが床にへたり込んで言った。
「良いストレス解消法だったんだ…。なんか、甘えてくる猫を残酷な方法で殺せば殺すほどスッキリして…。」
立ってる俺からは、Bの表情は見えなかったけど、その背中は震えてた。
Bは真面目君を絵に描いたような奴で、普段優しいし、とてもそんな事をするような奴には見えなくて、心の底からゾッとしたのを覚えてる。
その後は、Bと何となく疎遠になった。
それから徐々に、Bの様子もおかしくなりだして、独り言をブツブツ言ったりとか壁に向かって謝ったりとか。
顔つきも憔悴しきって、おっさんみたくなってたし。
中2の春に、やつは転校してしまったんで、その後は知らない。
最近になって、姉にあれは何とか出来なかったのかって聞いた。
「何とでもなったけど、面倒くさいだろ。」
とシラッと言われて、俺はBや猫の怨念(?)よりも、自分の姉の方が怖いと思った。