「 事故 」 一覧
-
-
目撃者
一年程前。
母は早朝のお散歩の時に、交通事故を目撃しました。
ワゴン車とバイクがぶつかり、バイクの人はすぐに動かなくなったそうで、その時、かなり悪いのでは・・・?と思ったそうです。
他に目撃者らしき人はいなかったので、ここににいなければと思いながらも、母はショックで気分が悪くなってしまい、よろよろしながら帰宅してしまいました。
その日は一日気分がすぐれず、ゴロゴロしていたそうなのですが、しばらくウトウトしていたら、枕もとに頭がパックリ割れた女性が立ったのだそうです。
血まみれの顔で・・・
その時点では、母にはバイクに乗ってた人が女性なのか、男性なのか、どこを怪我したのか、亡くなったのかすら分かっていなかったのです。
あぁ、あの人亡くなったんだろうか・・・?
と憂鬱になりながらも、ものすごい形相だったのが怖くてたまらなかった、と言います。
その後、気を取り直して、夕方お風呂に入ろうと風呂場のドアを開けたら、そこにまたいる・・・同じ女性が、同じ様子で。
「ひっ」と息をのんだら、消えていきました。
なんで私のところに出てくるのよと、不可解な気持ちでその日は終りました。
次の日、新聞の地方版にその事故のことが載りました。
その時母は、彼女が自分の所へ来た理由がわかったそうです。
記事には、『女性は頭を強く打って死亡。どちらかが信号を見間違えたとして、警察は捜査している』
『どちらかが』ではないのです。
母はワゴン車が無視したのを知っていたのです。
証言してください。
私は悪くない。
そう訴えていたに違いない・・・と思った母は、警察に電話しました。
案の定、ワゴン車の運転手はシラを切っていたのだとか。
その後もシラを切りとおせると思ったのか、とうとう裁判にまでなってしまい母は憂鬱でした。
もともと人前で話すのが苦手なのに、ましてや裁判です。
ところが、裁判の三日前くらいから母は「いやだ、いやだ」と言わなくなったので、どうしたのかと聞いてみると、
「昨日あの女の人に、『あなたのために証言するのだから力を貸して』と声を出して頼んでみたら、綺麗な姿で夢に出てきて、にっこり笑っていたのよ。それから、何だか上手くいくような気がして、イヤじゃなくなったの。不思議でしょ」
母いわく、彼女が付いててくれてる感じがするとか。
もちろん、裁判で堂々と証言してきました。
私も傍聴したのですが、いつものあがり性の母ではありませんでした。
まもなく結審します。
ドライバーの皆さん、気をつけてくださいね。
死んだ被害者は、自分で証人を導いてきます。
-
-
詮索するな
うちの会社の周りの山について書きます。@四国
うちの会社は、市街地から2~3km入った山中にありますが、普通に敷地内で、猿が追いかけっこをしたり、親子鹿が横切って行ったりする、秘境みたいな所です。
市街地から近いせいか、老夫婦とか、カップルとか散策がてら軽装備で山に入っていきます。
しかしこの山には、林業従事者や地元の人達は絶対にその先は1~2人では入って行かないポイントがあるのですが、散策に来てる人達は知りませんから、平気で入っていきます。
そして、1・2年に一回は遭難者がでます。
うちの会社はそこに施設を構えて5年くらいたちますが、2・3年前の遭難者が何回か見つかったりしました。
普通、注意書きとか、立て看板とか設置するだろと思っていましたが、ここ周辺には一切ないのです。
うちの会社の入り口のすぐ前に、山へ入る道の一つがあるので、昨年の地区会で注意看板を出そうと提案した時も許可がもらえませんでした。
そして、帰り道で地区長さんに言われました。
「余計な事はしないで欲しい。これ以上山の事を詮索するな」と。
去年は、老夫婦の遭難者が見つかりました。
2年前の不明者で、地方版に小さく出ました。
(かなり珍しい。普通はでません)
そして夏、今年もボチボチ川遊びや、トレッキングに来られる人達が見られるようになりました。
皆さん無事にお帰りになって下さいね。
-
-
事故で死んだ先輩
十年くらい前。
仲良かった先輩が自動車事故で死んだんだけど、それから一週間くらいした夜中の1時頃。
3才年上の姉キの部屋から話し声がしたんだよ。(その頃は実家に同居だった)
テレビでも見てんのかと思って、その時は気にしなかった。
次の日、オレが仕事が遅くなって、夜中の2時くらいに帰ったら、また姉キの部屋から話し声がしたからテレビ付けっぱなしで寝てんのかと思って、ノックしても反応がなくて、部屋に入ったらだーれもいなかったんだよ。
アレっと思ったんだけど、その時は聞き違いかと思い、姉キも夜遊びでもしてんのかと思って、自分の部屋に入って寝よーと思ったら・・・
姉キの部屋のドアが開く音がして、明らかに人の足音が廊下でしたんだよ。
三分前にオレが見たときは、確かに誰もいなかったハズなのに・・・
本気で恐怖ってヤツを実感して、どーしても廊下に出れなくて、その日は布団被って寝た。
翌朝、姉キの部屋に行ったら、普通に寝てんだよ。
で、無理やり起こして昨日何処行ってたって聞いたら、何処も行ってないって言う。
夜中に廊下に出たかって聞いても、出てないと言うんだ。
で、昨日お前は居なかったし、2時頃廊下に出る音がしたと言ったら、平然と
「あぁ、それは**だ」
と、死んだ先輩の名前を言いやがった。
その時まで全然知らなかったんだけど、俺の姉キは見える人だったらしく、先輩が死んだ翌日から毎日来てると言うんだ。
死んだ人と話ができるの?と姉キに聞いたら、
話はできないから、あぁいるなぁと思うだけで、姉キは全然気にして無いらしい。
でも、
「確かに昨日2時頃お前居なかったぞ」
と言ったら、
「昨日は何時もよりしつこく居たような気がしたけど、寝ちゃったから」
と平然としてる。
その時思い出したんだけど、死んだ先輩は奥さんも子供もいたんだけど、一緒に飲みに行った時、酔って俺に、
「ホンとは、おまえのネーちゃんが好きだったんだんだけど、フラれた」
と言ってた事があったんだよ。
その時はウソかと思って聞き流してたんだけど、姉キが言うように、死んだ翌日から毎日来てるってのがホンとなら、余程未練があったのかなぁと、最後はしみじみした出来事でした。
-
-
帰ってくる
小さい頃住んでいた小さなで漁村で、海難事故があった。
転覆した船に乗っていた仲間を探すために、みんな漁を止めて沖へ探しに行ってた。
結局、見つからず夜。
奇跡の生還をに望みをかけて、小さな漁港の小さな堤防で、目印の火を朝まで焚くことになった。
堤防に集まっていた人たちも翌朝の捜索があるので、数人を残して家に帰りだして、俺も親父に手を引かれて帰ろうとした時・・・
遭難した人のばぁちゃんが
「…きた」
って。
みんな驚いて振り返ると、堤防の先端にピチャ、ピチャ…という水の音。
その音が焚き火にだんだん近づいてきたとき、ばぁちゃんが
「寒かったべ、火にあだれ」
って。
みんな凍りついた顔して黙ってた。
俺には何も見えなかったし、周りの大人にも何も見えてなかった。
でも、誰かが確かに居るのはみんな解ってた。
「明日、みっけでやっから、心配すねぐでいい」
ってばぁちゃんが言った時、なんとなく空気が変わり気配が無くなった。
翌朝、その人は岸寄りの所で、網にひっかかって見つかったらしい。
-
-
防空頭巾の集団亡霊
三重県津市の海岸には、海の守りの女神の像が立っている。
ここは、昭和三〇年七月二十八日に、市立橋北中学一年生の女子三六人が水死した所だが、当時の生き残りの一人だった梅川弘子さん(二一)は、週刊誌「女性自身」(昭和三八年)に、その時の恐ろしかった手記をサイン、写真入りで寄せている。
いっしょに泳いでいた同級生が、
「弘子ちゃん、あれ見て!」
と、しがみついてきたので、二、三〇メートル沖を見ると、その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎと波間に姿を消していくところだった。
そこで弘子さんは、『水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくる』のを見た。
それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺを履いていた。
逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力はものすごく、水中に引きこまれていったが、薄れゆく意識の中でも、足にまとわりついて離れない防空頭巾をかぶった無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。
弘子さんは助け上げられはしたが、肺炎を併発し二十日間も入院した。
「亡霊が来る、亡霊が来る」
と、よくうわごとを言ったという。
『防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊』というのには因縁話があって、津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、この海岸には、集団溺死事件の起こったちょうど十年前の、月日も同じ七月二八日に、米軍大編隊の焼打ちで市民二五〇余人が殺されており、火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。
山本氏からこの話を聞かされた弘子さんは、手記の名中で、
「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」
と納得している。
なお山本氏が聞いて回ったところによると、この亡霊は、弘子さんを含めて助かった九人のうち五人までが見ているばかりか、その時、浜辺にいた生徒たちの内にも、何人かが見たと語っているそうだと、弘子さんは伝えている。
その後、こうした体験をした弘子さんは、卒業してガソリンスタンドの事務員に就職したが、自分でも積極的に調べてみると、次つぎに怪異な事件が起こっていいることを知ったと、次のような報告を併記している。
○溺死事件の前日、大きな火の玉が浜辺の某家の屋根に落ちたのを釣りをしていた何人もが見たが、その家の娘も弘子さんといっしょに遭難、水死した。
○腰まで海水に浸って釣っていた人が、突然何かに憑かれたように沖へ沖へと歩いていって、そのまま海中に姿を消し、死体も揚がらぬ事件が、四年間も続いている。
○渡辺小三郎という人は幸い救われたが、病院で「亡霊を見た」とうなされ続け、意識不明のまま二〇日後に死去している。
注:この海辺は現在は遊泳禁止になっている。