ドルフィンリングと言うイルカの形をした指輪が流行った大昔の話。
私は小学生で10歳年の離れた姉がいるんだけど、姉はいわゆるDQNで夏休みになると、ほぼ毎晩仲間を家に連れて来ては親と喧嘩をしていた。
この当時、子供嫌いのお兄さん(Aさん)優しいお姉さん(Bさん)と言う二人がいつも家に遊びに来ていた。
Aさんは、私が姉の部屋に近づくと凄い怒って「ガキがくんじゃねーよ!」って怒鳴り散らすのね。
その度に、Bさんや他の人達が「小さい子にそんな事言うなよ~」とフォローしてくれて「Cちゃん(私)だって遊びたかったんだよね」とか言ってお菓子くれたり部屋に入れてくれた。
正直私はAさんが嫌いだった。
人の家に来て泊ってったりするのに優しくしてくれないし、私が姉の部屋に近づこうとすると「チッ!」って舌打ちして威嚇するし、偶に外で会っても「ガンくれてんじゃねーぞ!」とか言ったりして怖かったから。
逆にBさんのことは大好きだった。
BさんはAさんと違って家に来る度に、花火やお菓子をくれたり、Aさんのフォローもしてくれたり、外で会えば必ず声をかけてくれて、友達のいない私が寂しいだろうからって一緒に遊んでくれたりもしたんだ。
Bさんの口癖は「Cちゃんが私の妹ならいいのに」だった。
そんな夏休みが終りに差し掛かったある日、急にAさんがドルフィンリングをくれた。
私の部屋に来て「ほら」って投げてよこしたピンクのラッピングした箱に入ってた。
誕生日でもない普通の日なのにおかしいな?とは思ったけど、友達いなさ過ぎて頭がお花畑だった私は「やっとこのお兄さんとも仲良くできるんだ!」って思った。
当時の流行り物だったし、初めてAさんがプレゼントしてくれた物で、当時の私の指には親指でもブカブカだったけど、凄く嬉しくて貰った日は握りしめて寝たんだ。
そしたら真夜中に手が熱くなってびっくりして目が覚めた。
Aさんから貰った指輪が焼けたように熱くなってた。
せっかく貰った指輪が壊れた~!って熱いわ、寝ぼけてるわでギャン泣きしたのを今でも覚えてるんだけど、誰も様子を見に来てくれないのね。
真夜中だからしょうがないんだけど、横に寝てたはずの母もいなくて、流石におかしいなと思った。
指輪はその頃には熱くなくなってて、その指輪を握りしめて明かりがついてたリビングに行ったら、両親が真っ青な顔して「お姉ちゃんが事故にあった」って言った。
この辺りはもう殆ど覚えてないんだけど、姉とそのDQN仲間たちがバイクでどこぞの山に遊びに行って、その帰りに仲間全員バイクの玉突き事故?にあったらしい。
姉の容態は電話じゃよくわからなかったけど、とにかく危ない状態だったらしい。
なのに両親はリビングにいて、ちっとも病院に行こうとしないの。
私はパニックになって「おねーちゃんが死んじゃうかも知れない!病院に行こうよ!」って泣いて訴えたが、両親は頑として動かなかった。
私が、私だけでも行くから!ってパジャマのまま玄関に向かったら父が全身で阻止してきた。
私はAAのズサーみたいな感じで、ドアに突っ込んでいく父の異常さが怖くてまた泣いた。
母親は「Cちゃんお部屋にもどろ?ね?ね?」って一生懸命宥めてくれるんだけど、その母親の顔も泣きそうっていうか怯えまくってた。
その両親の異常な雰囲気で私も「あ、コリャなんか変だぞ?」って妙に冷静になってよく見ると両親ちゃんと外着に着替えてたんだ。
何でだろうっと思った瞬間、ピンポンが鳴ってBさんの声が聞こえて「Cちゃん迎えに来たよ、お姉ちゃんの所においでー!」みたいな事を言ってた。
私は「Bさんが迎えにきた!おねーちゃんところ行こう」って親に言ったんだけど両親ガクブルして顔真っ青なの。
母親は私を全力で抱き締めて苦しかったし、父親は何かブツブツ言い出すし、かなり異常な状況だった。
余りに異常すぎて、私は親が狂った!と思ってBさんの名前を呼びまくった。
「Bさん怖いよ!おねーちゃんが死んじゃう!パパとママがおかしくなった!!Bさん!Bさん!!」って。
でも相変わらずBさんは助けてくれるどころか玄関の外で「Cちゃん、お姉ちゃんの所においで」しか言わないの。
しかも声は凄く冷静…っていうかむしろ楽しそうな感じ。
「Cちゃーん、お姉ちゃんの所おいでー」
「Bさん怖いよ!たすけて!」
どのくらいそのままギャーギャーしてたかわからないけど、急にまたAさんから貰った指輪が熱くなって手をはなそうと思ったんだけど、手だけ金縛りにあったみたいにグーの形のまま動かない。
その内、喉が苦しくなって声がうまく出なくなってきて、しまいには叫んでるつもりが全く声が出なくなった。
母親が口をパクパクさせてるのに声が出なくなった私を見てぎょっとしてたけど、暴れる私を抱き締めてる力は緩めてくれなかった。
その間もBさんは楽しそうに私を呼んでた。
その内、やっとかすれた声が出てきたなっと思ったら、自分の口から勝手に言葉が溢れてきた。
「お前なんか私のお姉ちゃんじゃない!私のお姉ちゃんは○○だ!!」
「私は知ってるんだぞ、私に友達がいなくなったのはお前(Bさん)が私の友達をいじめて私に近寄るなって言ったからだ!!」
「お前が持ってきたお菓子や花火は全部○○商店で盗んだ物だ!気持ち悪い!!」
「お前なんか大嫌いだ!お前は私のお姉ちゃんじゃない!帰れ!二度と家に来るな!」
「私の家族は全員こっちにいる!私をそっちに連れて行こうとするな!!!」
実際は田舎のヤンキー口調で、方言も入ってたけど大体こんな事を叫んだ。
と言うか、この叫んだ内容は私は全然知らなかった。
Bさんが私の友達を苛めてなくした事も、いつもくれるお菓子が盗品だった事も。
パニック状態だった私は、更にパニックに陥ってそこから何も覚えてない。
たぶん気を失ったんだと思う。
目が覚めたら、もう朝で泣きはらした母親とげっそりした父親がいた。
そして「病院から連絡があったお姉ちゃんは足を折っただけだよ。お昼になったらお見舞いに行こう」って言ってくれた。
そしてその時は理解できなかったけど「A君にお礼を言いなさい。その指輪は一生大事にしなさい」って言われた。
もう察しがついてると思うけど、姉達が起こした事故でBさんは亡くなってました。
それも両親が病院から連絡を貰うより前…多分即死に近かったんだと思います。
それなのに両親が病院に行こうとしたら、玄関の向こう側にBさんが見えたらしい(玄関の一部がすりガラスになって外が見える)
姉と一緒に出かけたはずの彼女が、無事でいるはずない!っと思った両親は家から出るに出られず、
「Cちゃんを迎えに来ました。あけてください」と言う声が怖くてリビングにいたそうな。
Aさんも事故当時は意識がなくて、危うい状況でしたが意識を取り戻し、面会できるまで回復を待ってお見舞いにいった時、Aさんは呂律の回らない状態で泣きながら、ぽつぽつと話してくれた。
Bさんが何故か私に執着して「Cちゃんは妹のようだ」「妹にしたい」「Cは私の妹!他の子と仲良くさせたくない、一緒にいる!」となってた事や、万引きしたお菓子などを与えてた事など。
そして、Bさんになついてた私を遠ざける方法が解らなくて、むやみに怒鳴ったりして申し訳なかったと。
流行のアクセサリーを持ってれば、女の子だから友達ができるんじゃないかと思って指輪をあげた…と話してくれました。
あれからもう15年以上経つけど、私は毎年夏はお盆が終るまで帰省できないでいる。
Bさんが私を諦めて無いからだって姉や両親は言うけど、確かに夏場になると例の指輪が(熱くなりようがない状況でも)焼けたように熱くなって変な事が起きる時があるんですが、それはまた別の話。