「 月別アーカイブ:2012年10月 」 一覧
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日本のお化け
昔、おばあちゃんから聞いた話。
おばあちゃんの住んでいた地域は、何度も空襲にあったという。
ある夜、警報が鳴り、近所の皆で防空壕に避難する途中、防空壕の付近に爆撃を受け、皆は覚悟した。
すると、いつの間に混じっていたのか、見た事のない子供が先頭に立っており、空を見上げていた。
小さな町内だから、知らない子供など居るはずがないのだが、見覚えのない男の子だった。
すると、空を見上げていた男の子がそのままの姿勢で、ぬーっと体がのびあがり、皆を包むような姿勢で空を塞いだ。
敵機の焼夷弾は男の子の背中に落ち、燃えていたような感じだったとか。
皆、唖然となったが、それよりも燃え盛る炎が、いつ自分達に降りかかってくるかと恐れ、小さく固まって頭を抱えていた。
男の子は、そのまま、おばあちゃん達を包み込み、長く続いた空襲から守ってくれた。
爆撃が終わると元の身長に戻り、ペコッと頭を下げると走ってどこかへ行ってしまった。
幸いなことに、その時その場にいた皆に怪我人は出なかった。
終戦後、おばあちゃんのお母さんや、近所の人が、あの時の子供のお化けにお礼をと、方々に聞いて回ったが、子供の情報は得られなかった。
おばあちゃんは、なんだったのかわかんないけど、お化けが守ってくれたんだねえ。
日本のお化けは、やっぱり日本人の味方なんだねえ、と言っていた。
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忌み地
ネタくさい話、正直、俺も当事者じゃなかったら信じない。
実は俺、中学の時に死のうと思ってたんだわ。
スッゲーいじめにあってて、教師も見て見ぬフリ。
両親はW不倫で俺に興味ナシ。
身体中に痣があって、その日は顔もボコボコで、もう息をするのも辛かった。
で、結構な田舎だから、定番の『入っちゃいけない場所』があったのよ。
ヤンキーとかも、何故か入らない。
本当に触れちゃいけない場所だったんだと今では思う。
張り巡らされていたロープ…というよりは、なんか変な紙の塊が帯になったものをくぐって、道なき道を歩いていたら、少し開けた場所に出た。
死のうと思っていたくせに、首吊るロープとか包丁とかも無くて、落書きとか裂かれたりした学生鞄の中に、同じような惨状の教科書類。
どうにもならなくて、そこら辺の木にもたれかかって、そのまま寝てしまった。
毎日眠れなかった。
身体中痛くて、精神的にも疲労していて、休まなければいけないのに眠れない。
寝たら、次の日が来てしまう。
学校を休んでも、両親のどちらかが相手を連れ込んで自分を邪魔にする。
時には蹴られ、殴られたりする。
もうどうでもよくなっていたのか、体が限界だったのか、すぐに寝てしまった。
そしたら、学校にいる時みたいなざわめきが起こった。
俺に対するいじめは、無視も暴力も中傷もあって、基本的に休み時間は机に突っ伏してやり過ごしているんだが、聞こえて来るのさ、悪口が。
そんな感じで、やっぱり俺の悪口が聞こえて来るの。
けど、何故か、いつもみたいに具体的な言葉ではない。
キモイとか、死ねばいいのにとか、くさいとか、過去の些細な失敗とか。
そういうのじゃなくて、悪口なのはわかるんだけど『なにあれ』とか『どういう事』とか、どうも戸惑っているような感じだった。
忌々しそうな物言いだったから、きっと悪口だろう。
それが夢だと思っていて、ようやく眠れたのに、夢の中でもこんなに苦しまなければいけないのかと思って、どうにも泣けて来た。
それで、大声上げて泣いたんだわ。
耳がビリビリして、眼の前真っ暗で、体もグラグラして、気絶するまで泣いていた。
今までされた事思い出しながら、もう嫌だと泣き叫んでた。
気が付いたら、誰にもこの場所に行く事なんて言っていないのに、三人の人間に発見された。
この土地の有力者?みたいな有名な婆さんと、なんか見た事無いけど、その家系の人らしい男女。
実は、俺はこの婆さんの孫に虐められていた。
だから、誰も味方になってくれなかった。
しかし婆さん達は俺を保護すると、すぐに孫の所に連れ行った。
顔も見たくなかったのに。
が、ボロボロの俺の前で、物凄く怯えていて、何も怖いものなんか無いみたいな孫が、その時は震えてた。
土下座して謝られて、それで何故か俺の家まで連絡が行って、色々なストレスと怪我が元で暫く入院して、退院した頃には全てが変わっていた。
今まで虐めていた奴らや教師、しかも校長とかまで俺に謝りに来た。
意味がわからなかった。
両親も土下座だった。
マジ意味がわからない。
そのまま、また婆さんに呼ばれて孫の家に行く事に。
婆さんが土地の有力者の理由ってのが、なんか、口寄せ?予言?みたいのが出来るかららしい。
代々この家の人間の力だそうで、どうもあの森の中の『何か』が婆さんの頭の中に色々な映像を見せるそうだ。
テレビと電波とか、そういうもん?
で、その受信はいつ来るかわからないものらしい上に、どうでもいい事や重要な事が混在しているそうだ。
俺が気絶したくらいと同時刻、婆さんの頭の中に、俺が家や学校で受けている仕打ちと、森の中で倒れている映像や音声を受信したそうだ。
嘘みたいな話だが、本当に誰にも言っていなかったから、信じるしかなかった。
婆さんは清廉潔白な人だから、あまりの仕打ちに大激怒してくれたそうだ。
しかし、本来ならこんな事は無いらしい。
森の中に入った人物は、皆精神に異常を来すか死亡するか、ともかく正常な心のまま帰って来る事は出来ないそうだ。
そして、婆さんに呼ばれた理由。
なんと『森の中の人』からの伝言が俺にあったらしい。
婆さんは苦笑しながら、受信した言葉を伝えてくれた。
『○○△△(俺の本名)の声はとても不愉快だ。二度と来るな。次は無い。気持ちが悪い』…本当に、気持が悪い、まで言っていたそうだ。
婆さん曰く、なんか俺の声は人でないもの、特に実体を持たないものを抑え付ける何かがあるらしい。
俺が泣き叫んだせいで、体調を崩す程に消耗させられたそうだ。
その日以降、森に行かなかったが、両親含め周囲が腫れものを扱うかのように他人行儀になり、結局それに耐えられず、中学を卒業と共に都会に逃亡。
勤めて結婚も出来て子供も生まれ、年老いた両親から連絡があり、和解の為に十数年ぶりに帰郷。
家に行くまでにあの森を通り掛かったら、いきなり五歳の娘がギャン泣き。
『森の前で、イース(?キース?なんかのアニメの女の子?)が怖い顔で見てた』とか言い出した。
これ以上、ここにいたくないという娘を嫁に任せて、近くのファミレスに避難させた。
まだ生きていた婆さんと両親との挨拶もそこそこに、もう二度と帰って来ない事を誓って、自宅に帰った。
余談だが、本当に出るという曰く付きの格安物件をわざと借りて、三日ほど家の色んな所で歌い続けていたら、いつの間にかいなくなっていたらしい。
(様子を見に来た不動産屋や、見えるらしい知り合いが曰く、目に見えて建物の雰囲気が変わったと驚いていた。俺自身に霊感とかは一切無いしわからない)
というか、今住んでいる所も、土地の広さと家のでかさの割に妙に安かった。
わざとやった。
そして過去現在何事も起きていない。
ここら辺りは、森の中の人に感謝しています。
嘘みたいな、本当にあった話でした。
正直、見えないものよりも人間の方が怖かった。
俺は何も変わっていないのに、態度が百八十度変わられると本当に恐怖を抱いた。
自分だけ別の世界に放り込まれたような気分だった。
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風習
つい先日、田舎に帰った時に聞いた話が、衝撃的だったので書かせていただきます。
うちの田舎はお墓参りの後に、お墓から提灯に火を点けて、本家に徒歩で帰るっていう風習のようなものがあります。
それだけだったらありがちなんですが、色々と制約がありまして、
1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」
2.「走ってはいけない」
3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者(ただし赤ん坊のように自分でもてない場合はその次の年齢の者)」
4.「絶対にお社を見てはならない」
この4番目のお社というのは、本家からお墓までの間、ほとんど田んぼしかない道の道中に、不自然に小さい林のような場所がぽつんとありまして、その中には石造りの小さいお社があります。
そのお社の方向を見てはいけない、というものです。
子供の時は、私も提灯を持つ役をした事がありましたが、その時も祖父や祖母に約束を守るようにと厳命されました。
その時に聞かされたのが「提灯の火に御先祖様が乗り移って家の仏壇に入るから途中で消してはいけないよ」という内容で、子供ながらに「なんか変なの」と思ってその役をやっていました。
そしてその提灯持ちの最中、お社の付近に差し掛かると母親が私の目を隠してきたのを覚えています。
当時の私は母親のおふざけだと思い、無邪気にきゃっきゃっとはしゃいでいました。
そしてお社を通り過ぎるまでは、その状態が続き、母親が手を外すとそのまましばらく歩き、家に到着。
仏壇の蝋燭に火を移して終了という風習でした。
当時はなんとも思っていなかったこの風習なのですが、今年、何年かぶりに田舎に帰り、祖母にその風習について聞く機会があったので聞いてみました。
「そういやYちゃん(私)にはちゃんと話してなかったね。」
と、あの提灯持ちのルールの真意を聞いて正直驚きました。
1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」
これは昔聞いたとおり、御先祖様を家に連れて帰る為の依り代のような物、火が消えると連れていけない。
2.「走ってはいけない」
走るとアレに見つかりやすくなる為。
3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者」
アレは弱いものを狙うので、御先祖様の守護が確実に届く位置、要は提灯の持ち手が一番近い。
4.「絶対にお社を見てはならない」
直接アレを見てしまうと御先祖様の守護も効かない。
祖母は説明しているときに「アレ」という言葉を多様したが、私は意味がわからない。
「アレってなに?」と聞くと
「アレはほら、お社の中にいるアレだよ。」
話しを聞くと、アレというのは田んぼの真ん中にある林の、お社の中にいるモノで、足の長い猿のような外見をしており、大昔からそこにいる存在で普段は静かにしているらしいが、お盆の季節になると害をなすモノになるらしい。
名前もあるらしいが、それを口にするのは禁忌らしく「知らないほうがいい」と教えてくれませんでした。
この存在は子供には教えないらしい、興味が出ると「見えて」しまうからだそうだ。
今思えばあの日、母親が私の目を隠したのも、そういう都合があったからなんだなぁと、今になって感謝したものです。
祖母は続けてこの風習、というより儀式の失敗した場合の事を教えてくれました。
過去には途中で火が消えたまま本家に帰ったり、アレを見てしまったりしたりと、失敗があった時があったらしいのですが、その時は、次のお盆までに必ず一族の誰かが不可解な事故や事件で亡くなってるそうだ。
私はそこで(急に話しが胡散臭くなったなぁ 必ずって…)と思っていると、
「去年亡くなったFはアレにやられたんよ」
そこで私はものすごく鳥肌が立ちました。
去年の年末、私の従兄弟にあたるF君が車の事故で亡くなった。
子供の頃、よく遊んだのでとても悲しかった。
母親から聞いた話だと、直線の見晴らしのいい道路で、急にハンドルをきって横の川に転落し、亡くなったそうだ。
なぜハンドルをきったのか、原因はいまだに不明らしい。
私が何年ぶりかに田舎に帰ってきたのも、F君にお線香をあげなきゃと思ってのことであった。
「じゃあ、去年の夏に失敗したの?あの提灯のやつ」と聞くと、
「去年はUちゃん(親戚の子供)が提灯持ちをやったんだけどねぇ。どうやらアレを見ちゃったみたいでな。ものすごく怯えておったんよ」
その後、大慌てでお払いをしてもらったりしたらしいが駄目だったらしい。
昔、なんとも思わずに参加していたものに、重大な意味があると知った時、私はとても恐怖を覚えました。
私が田舎に帰ったときは、その儀式はすでに終わっており、お墓参りだけしてきました。
今年のその儀式は、きちんと成功したのか一年間不安でしかたありません。
来年は参加して、きちんと見守りたいと思います。
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モニターに写る女
コンビニで夜勤のアルバイトをしていたときの話。
入って3ヶ月くらいのある晩、同じ夜勤の人間でその日は深夜1時に上がる予定だった先輩が
「今日は明け方まで残ってもいいかな?」と私に訊いてきた
ウチの店は深夜1時までは二人制、1時から翌朝6時までは一人での勤務になる。
「べつに構いませんけど、どうかしたんですか?」
その日は特別な仕事も無く、残業をする理由などないはずだ。
「仕事じゃないよタイムカードももう切ったしね、ただ事務所に居させてくれればいいんだ」
レジ内の扉の先にある狭い事務所、横に長いスペースに事務用のパソコン机、更衣室、在庫品用の保管棚が並んでいる。
二人がなんとか通り抜けられるような部屋、そんな場所にあと3,4時間も居たいというのだ。
「先輩の家すぐ近くでしたよね?歩いて5分くらいの、鍵でも失くしました?」
私が尋ねると先輩は苦笑いを浮かべてこう言った。
「ちょっと確かめたいことがあるんだ、笑わないでくれよ」
先輩の話によると、一人で夜勤をしている際、事務所に居ると誰もいないはずの店内から「すみません」と声をかけられることがあるという。
来客を知らせるチャイムが風や振動などで誤作動を起こしたり、逆に人が入ってきても鳴らないということはたまにあることなので「はーい、お待たせ致しましたー」とレジ内の扉から店に出ると、店には誰もいない。
また別の日、事務所で作業中「すみません」と声をかけられ、今度は扉近くの事務机で作業をしていた為、すぐさま店に出るがやはり誰も居ない。
さらに別の日、またしても聞こえてきた「すみません」の声に素早く防犯カメラのモニターを見るも、店内はもちろん店のすぐ表を映しているカメラにも誰も映っていない。
こんなことが週に1,2度はあるのだという。
「キミはそんな経験ない?」
先輩は最後にそう尋ねてきた。
自分も週に2回ほど夜勤をしているがそんな事があった覚えはない。
私が首を横に振ると先輩は「そうか…」と再び苦笑いを浮かべて「とにかくよろしく頼むよ」と事務所に入っていった。
それから二時間が経ち深夜3時。
その日は来客もほとんど無く、先輩の協力もあって作業も早々に片付き私たちは事務室でお喋りをしていた。
珍客話が盛り上がり、私がのんきにも先輩が残っている理由を忘れかけていたその時。
「すいません」
自分のすぐ後ろ、店内へと続く扉の向こうから声が聞こえた。
先輩の話を思い出した私が先輩を見ると、モニターを見ていた先輩は私の視線に気づき首を振る。
やはり誰も映ってはいない。
内心焦りながらも私が「レジ近くにもカメラの死角ありますし一応確認してきますね」と店内に出るために扉に手を伸ばすと
「待て!!」
先輩が突然声を張り上げた。
驚いて硬直した私に先輩は「これ…」とモニターの一部を指差す。
先輩の指差す場所。
モニターに映ったレジ内部。
防犯カメラの死角ギリギリに映る事務所への扉の下半分、そこに黒く長い髪と女の足が映っていた。
それも立っているのではない。
カメラに映った部分からその女の状態を考えると、壁にしがみついているのだ。
壁に張り付いているような女の足。
そして膝から上を覆い隠している長い髪。
モニターにはそこしか映っていない。
私は振り返れなかった。
自分のすぐ後ろの扉の、ちょうど私の胸元から頭頂部くらいまでの位置にある、一辺50センチメートルほどの正方形の窓。
マジックミラーになっていて向こう側からは覗けないはずの窓から、こちらを女が見ているような気がしたからだ。
「消えた…」
先輩の一言に我を取り戻すと、すでにモニターの中には誰も映ってなかった。
今度こそ本当に誰も。
その後、私は先輩に頼み込み私の勤務終了まで残ってもらうことになった。
それから月末までの半月間、私は内心怯えながら勤務にあたったが、その後例の声を聴くこともモニターにあの女が映ることもなかった。
そして翌月、先輩が店を辞めた。
気になってオーナーに話を聴くと、私とともにアレを見た次の日の晩、オーナーから防犯カメラの録画した映像を見る方法を訊くと、翌朝には辞めさせてほしいと言い出してきたのだという。
「なんなんだろうねぇ、悪い事をしてたわけじゃないとは思うんだけど」
不思議がるオーナーから録画した映像の見方を聞き出すと、私は一人になってすぐにその映像を観た。
「ああ…」
私は合点がいった。
それは先輩が残っていった日より前、先輩が一人で夜勤をしていた晩。
誰も居ない店内からの声に応えて店に出る先輩が映った映像にやはりソレも映っていた。
カメラの死角ギリギリの事務所への扉、その壁にしがみついているかのような女の足と髪。
そして扉が開き先輩が出てくる。
その女を通過して…
きっと先輩もこれを観たのだろう。
モニターを元の状態に戻し、私は次のバイト先を探すことを決めた。
結局その後、大学を卒業するまでの2年間その店で夜勤を続ける事になったのだが、その間オーナーや後輩たちにそれとなく聞いてみたが、変なモノを見聞きした人間は誰もいなかった。
アレはいったい何だったのか。
元々先輩に憑いていたモノだったのか。
あるいは先輩に付いていったのか。
見えないだけ、聞こえないだけで今でもあそこにいるのか。
もう私には何もわからないのだった。
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見える人
私の友達に所謂、見える人がいる。
その友達と酒を飲む機会があり、今まで聞きたかった事を質問してみた。
まず、見えるってどんな風に見えるの?と聞くと
「大体その人の背後に見える」
「背後に黙って佇んでいる様なのは、その人の守護霊なので、視界に収まれば、その人にも見えるかも知れない」と言っていた。
「でも、大体視線の反対側に移る様なので見えないと思う」という事だった。
そういえば時々、視界の端に何か見える事があるって言ったら
「それが、背後霊だよ」といわれた。
じゃー、お前は目に入る人全部に霊が見えるのか?と聞いたら
「いや、他人の背後霊は波長が近ければ誰でも見える」とか言っていた。
そしたらお前は、特別見える人でも何でもないじゃないか?って、ふってみたら急にそわそわして
「いや、俺はその他の物もみえるんだ」
「まず一つはその場所にじっと動かずに周りの人を睨んだり、触ろうとしている様な奴」
「んで、もう一つは…」
と言ったきり、友人は周りに視線を泳がせて口を開かなくなった。
どうしたのかと思い、先を聞きたい事もあり、肩を叩いてみたら、ハッとした様な感じで話し出した。
「もう一つは、その人の死期が近づいてきて守護霊が離れ始まった奴」
「これは、今にも消えそうな感じでその人の上の方に浮かんでる」
「存在自体が薄くなっているので普通の人には見えないと思う」
「前に叔母さんが癌で無くなる1日前に見えたのが最初だった」という事を落ち着きなく話した。
聞きたい事を聞けて、上機嫌になった私は友人に酒とツマミを振舞った。
友人はやはり、落ち着き無く飲み食いしながら周りを見ている。
どうかしたのか、と聞いてみると
「いや、気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど」
と前置きをした上でこんな話を言った
「店に入った時からおかしいと思ってたんだけど、さっき急に波長が合ってみえちゃったんだ」
「この店にいる人の半分以上の人の守護霊が浮いている」
と言ったきり泣き出した。
それから店を出るまで他のお客さんに冷やかされたり、支えてもらったりで大変だった。
3/10南相馬市の居酒屋での話しです。