「 月別アーカイブ:2012年11月 」 一覧
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廃棄処分
これは旧友のチンピラに聞いた話なんだが、そいつとある組の若い衆とで、良く若い女を街でさらっては交尾をしていたんだそうだ。
まあナンパ仲間と云った所だな。
ある日も、チンピラは何時もの様に若い奴に誘われて、街中に繰り出そうとしていたそうだ。
だが、どうも急に体調が悪くなり、今日の所は止めといて、一人自宅で寝込んでいたそうだ。
で、若い衆の方は単身街に繰り出したと。
それで、上手く上玉の女子を引っ掛ける事に成功したそうだ。
嫌がる娘を押さえつけ、まあ打つ物を打って、ぐったりした娘と無理矢理性交して楽しんでいたそうだが、明け方、その女子の容態が急変し、あっさり死んでしまったらしい。
死因は、暴力と薬物の過剰摂取といったところだろう。
娘は、そう云う物をやるのは初めてだったらしい。
警察沙汰になるのだけは避けようと、早朝からそいつは自分の組に、その娘の死体を持って行き、若頭に泣きついた。
しかし、その娘の顔を見た若頭が凍り付く。
どうやらその娘、ある名のある組長の関係者で、その筋の人々が手を出すのはヤバい。
さらに輪をかけて、ご法度の粉にまで手を付けていて、娘にも投与してしまっている。
体中に青々と暴力の後も残っている。
これはまずいという事で、組員数名で取り急ぎ、その娘を奥多摩の山中に埋めに向かった。
しかし、その道中はそれだけの目的ではなかった。
察しの通り、若頭は失態を晒した若い衆も一緒に埋めようと考えていたわけだ。
娘を埋める穴を苦労して掘った後、疲れた様子の若い衆の四肢をガムテープで縛り、生きたまま娘の隣に放り込んだ。
激しく暴れるが、構わず土を順調に振りかけていき、生き埋めに。
組に帰り、この事を組長に伝えた。
しかし、その組愛用の廃棄所は、新しく道路が通るとかで、工事が来月にも始まる予定で、既に使ってはいけない所だったらしい。
大急ぎで山に取って返し、場所を移さなければならない。
組員数名で現場に着いて、まだ柔らかい先程の土を掘り返すと、少しずつ男女の抱き合っているような死体が姿を現す。
すでに男も息絶えている様子だった。
しかし、何かおかしい。
先程は女の死体を放り込んだ後、その上から男を生きたまま放り込んだ。
ところが掘り返すと、横に抱き合っているような形になっている。
何よりも奇妙なのは、死んでいたはずの女の両手が男の首に絡み付いていて、赤黒い指の跡が男の首に浮き出ていたそうだ。
どうやっても、女の両手が男の首から外れず、結局その場で焼き捨てたそうだ。
男の死因はどちらだったのだろうか。
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終電
僕の家から会社までは、小さな私鉄の電車で約30分です。
都会では考えられないでしょうが、行きも帰りも、ほとんど座って通勤しています。
その電車で帰宅途中、無気味な出来事を体験しました。
その日、僕は部長の誘いで飲みに行き、12時前の終電にようやく間に合いました。
タクシーで帰ると1万円弱かかりますから、とりあえず電車に乗れた事でほっとしながら、座席に腰を下ろしました。
田舎の事なので、終電といっても静かなものです。
どうやらこの車両には、僕一人のようでした。
僕は足を前の座席に伸ばすと、酔いのせいもあって、すぐに居眠り始めました。
何分くらいたったでしょうか。
僕は、小さな声で目を覚ましました。
くすくすと笑う声は、どうやら小さな子供と、若い母親のようです。
子供「ねえ、この電車もよく乗ったよね」
母親「そうね。けんちゃん、電車好きだったものね」
子供「うん。○○駅に行った時はとっても楽しかったね」
母親「そうね、できたら東京駅とか、国鉄の大きな駅にも連れて行ってあげたかったわ」
子供「うん、夜行列車とか、一度乗ってみたかったな」
僕は夢うつつに、親子の会話を聞いていました。
車両は4人がけの座席になっているので、姿は見えませんでしたが、結構はっきり聞こえてくるという事は、すぐ近くのシートにいるのでしょうか。
どこか途中の駅で乗ってきたのかな、と思いました。
母親「けんちゃん。国鉄にはあんまり乗せてあげられなかったものねぇ」
コクテツ、という響きが奇妙に感じました。
JRになってから、もう15年以上経つのではないか。
そんな事を考えているうちに、目が覚めてきました。
僕はそっとシートから体を乗り出して、周りを見回しましたが、親子の姿などこにも見えないのです。
僕からは死角になっている所に座っているのだろうか。
思い巡らしているうちに次の駅に着き、乗降の無いまま発車しました。
また、うとうとし始めると、それを待っていたかのように、親子のひそひそ声が聞こえてきました。
母親「けんちゃん、あの時はこわかった?」
子供「ううん、お母さんが一緒だったもん。ぜんぜん平気だったよ」
母親「でも、痛かったでしょう」
子供「んー、わかんない。でも、大好きな電車だったからよかった」
母親「そう、そうよね。けんちゃんの好きな、この青い電車を選んだんだもの」
子供「あ、もうすぐあの踏切だよ」
子供が、はしゃいだ声を出しました。
僕は、ぼんやりと窓の外を見ました。
カーブの先、田畑の中に、ぼんやりと浮かぶ踏切の赤いシグナル。
その踏切に親子らしい人影が立っていました。
親子は、下りた遮断機を、くぐり抜けようとしているように見えました。
キキキキーーーーーー
と、電車が急ブレーキをかけると同時に、鈍い衝撃が伝わってきました。
そして、僕の座っているシートの窓ガラスに、ピシャっと赤い飛沫がかかりました。
全身の血の気が引く思いで、僕は思わずドアの方へと走ろうとしました。
しかし…座席から立ち上がって、ふと気付くと電車は元通り走っています。
僕の心臓だけが、激しく鼓動を打っていました。
夢か…と、立ち上がったついでに車内を見まわしましたが、やはり誰もいません。
さっきから聞こえてきた親子の会話も、夢だったのかもしれない。
そう思って気を落ち着かせると、一人で車両に乗っているというだけでおびえている自分が、情けなくさえ思えてきました。
「終点です。」
と、車内アナウンスが聞こえ、ようやく電車が本当に減速し始めました。
僕はコートと鞄を抱えて、出口に向かいました。
ホームの明かりが見え始めた時、はっきりと後ろに人の気配を感じました。
何か、ぼたぼたと水滴の落ちるような音も聞こえてきました。
視線を上げ、僕の背後に映った人影を見た瞬間、僕は思わず持っていた物を取り落とし、その上、腰を抜かしてしまったのです。
ガラスに映っていたのは、五歳くらいの子供を抱いた若い母親でした。
母親の左腕は肘から先が無く、胸もずたずたで、その傷口から血をぼたぼたと垂らしていました。
そして右腕で抱き締められている子供は、左半身が潰されて、ほとんど赤い肉塊にしか見えませんでした。
子供は残っている右目で、僕をジッと見つめていました。
その後は、あんまり覚えていません。
へたり込んでいる僕を駅員が引っぱり出し、事務所で冷たい水を出してくれました。
車内の出来事を、その駅員に聞く事はできませんでした。
実際に飛び込み自殺があったと言われたら、おかしくなりそうでしたから。
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リョウメンスクナ
俺、建築関係の仕事やってんだけれども、先日、岩手県のとある古いお寺を解体することになったんだわ。
今は利用者もないお寺ね。
んで、お寺ぶっ壊してると、同僚が俺を呼ぶのね。
「ちょっと来て」と。
俺が行くと、同僚の足元に、黒ずんだ長い木箱が置いてたんだわ。
俺:「何これ?」
同僚:「いや、何かなと思って・・・本堂の奥の密閉された部屋に置いてあったんだけど、ちょっと管理してる業者さんに電話してみるわ」
木箱の大きさは2mくらいかなぁ。
相当古い物みたいで、多分、木が腐ってたんじゃないかな。
表に白い紙が貼り付けられて、何か書いてあるんだわ。
相当、昔の字と言う事は分ったけど、凡字の様な物も見えたけど、もう紙もボロボロで何書いてるかほとんどわからない。
かろうじて読み取れたのは、
「大正??年??七月??ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ???二封ズ」
的な事が書いてあったんだ。
木箱には釘が打ち付けられてて、開ける訳にもいかず、業者さんも
「明日、昔の住職に聞いてみる」
と言ってたんで、その日は木箱を近くのプレハブに置いておく事にしたんだわ。
んで翌日。
解体作業現場に着く前に、業者から電話かかってきて、
業者:「あの木箱ですけどねぇ、元住職が、絶対に開けるな!!って凄い剣幕なんですよ・・・なんでも自分が引き取るって言ってるので、よろしくお願いします」
俺は念の為、現場に着く前に現場監督に木箱の事、電話しておこうと思い、
俺:「あの~、昨日の木箱の事ですけど」
監督「あぁ、あれ!お宅で雇ってる中国人(留学生)のバイト作業員2人いるでしょ?そいつが勝手に開けよったんですわ!!とにかく早く来てください」
嫌な予感がし、現場へと急いだ。
プレハブの周りに、5~6人の人だかり。
例のバイト、中国人2人が放心状態でプレハブの前に座っている。
監督:「こいつがね、昨日の夜中、仲間と一緒に面白半分で開けよったらしいんですよ。で、問題は中身なんですけどね・・・ちょっと見てもらえます?」
単刀直入に言うと、両手をボクサーの様に構えた人間のミイラらしき物が入っていた。
ただ異様だったのは・・・頭が2つ。
シャム双生児?みたいな奇形児いるじゃない。
多分、ああいう奇形の人か、作り物なんじゃないかと思ったんだが・・・
監督:「これ見てね、ショック受けたんか何か知りませんけどね、この2人何にも喋らないんですよ」
中国人2人は、俺らがいくら問いかけても、放心状態でボーっとしていた(日本語はかなり話せるのに)。
あ、言い忘れたけど、そのミイラは「頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本」という異様な形態だったのね。
俺も、ネットや2ちゃんとかで色んな奇形の写真見た事あったんで、そりゃビックリしたけど、「あぁ、奇形か作りもんだろうな」と思ったわけね。
んで、例の中国人2人は一応、病院に車で送る事になって、警察への連絡はどうしようか、って話をしてた時に、元住職(80歳超えてる)が息子さんが運転する車で来た。
開口一番、
住職:「空けたんか!!空けたんかこの馬鹿たれが!!しまい、空けたらしまいじゃ・・・」
俺らは、あまりの剣幕にポカーンとしてたんだけど、住職が今度は息子に怒鳴り始めた。
岩手訛りがキツかったんで、標準語で書くけど、
住職:「お前、リョウメンスクナ様をあの時、京都の~寺(聞き取れなかった)に絶対送る言うたじゃろが!!送らんかったんかこのボンクラが!!馬鹿たれが!!」
ホント、80過ぎの爺さんとは思えないくらいの怒声だった。
住職:「空けたんは誰?病院?その人らはもうダメだと思うけど、一応アンタらは祓ってあげるから」
俺らも正直怖かったんで、されるがままに何やらお経みたいの聴かされて、経典みたいなので、かなり強く背中とか肩とか叩かれた。
結構長くて30分くらいやってたかな。
住職は木箱を車に積み込み、別れ際にこう言った。
「可哀想だけど、あんたら長生きでけんよ」
その後、中国人2人の内、1人が医者も首をかしげる心筋梗塞で病室で死亡。
もう1人は精神病院に移送、解体作業員も3名、謎の高熱で寝込み、俺も釘を足で踏み抜いて5針縫った。
まったく詳しい事は分らないが俺が思うに、あれはやはり人間の奇形で、差別にあって恨みを残して死んでいった人なんじゃないかと思う。
だって物凄い形相してたからね・・・その寺の地域も、昔部落の集落があった事も何か関係あるのかな。
無いかもしれないけど、長生きはしたいです。
俺だってオカ板覗くらいだから、こういう事には興味しんしんなので、真相が知りたく何度も住職に連絡取ったんだけど、完全無視でした。
しかし、一緒に来てた息子さん(50過ぎで不動産経営)の連絡先分ったんで、この人は割と明るくて派手めの人なんで、もしかしたら何か聞けるかも?と思い、今日の晩(夜遅くだけど)飲みに行くアポとれました。
リョウメンスクナの話、「宗像教授伝奇考」という漫画に出てきた覚えがある。
スクナ族という、恐らく大昔に日本へ来た外国人ではないかと思われる人が、太古の日本へ文化を伝えた。
それが出雲圏の文化形成となり、因幡の白ウサギの伝説もオオクニヌシノミコトの国造りの話もこれをモチーフとした話だろう、と。
そして大和朝廷による出雲の侵略が起こり、追われたスクナ族がたどり着いたのが今の飛騨地方だった。
日本書紀によれば、飛騨にスクナという怪物がおり、人々を殺したから兵を送って退治した、という話が書かれている、と。
つまり、スクナというのは大和朝廷以前の時代に日本へ文化を伝えた外来人のことで、恐らくは古代インドの製鉄を仕事とする(そして日本へ製鉄を伝えたであろう)人々のことではないかと書かれていた。
そして、出雲のある場所で見つけた洞窟の奥にあったものが、「リョウメンスクナ」(両面宿儺)の像だった、とあった。
スクナ族は、日本へ羅魔船(カガミノフネ)で来た、と書かれ、鏡のように黒光する船であったとのこと。
羅魔は「ラマ」で、黒檀系の木の名である、と書かれていたけど、黒ずんだ長い木箱とあったので、これももしかするとラマなのかも・・・?
とすると、リョウメンスクナ様も、逃げ延びて岩手地方に来たスクナ族の末裔なのかもしれないな。
・・・と、オカ板的にはあわない内容かも、と思いつつ書いてみたが。
直前になって何か「やはり直接会って話すのは・・・」とか言われたんで、元住職の息子さんに「じゃあ電話でなら・・・」「話せるとこまでですけど」と言う条件の元、話が聞けました。
時間にして30分くらい、結構話してもらったんですけどね。
なかなか話し好きなオジサンでした。
要点を主にかいつまんで書きます。
息子:「ごめんねぇ。オヤジに念押されちゃって。本当は電話もヤバイんだけど」
俺:「いえ、こっちこそ無理言いまして。アレって結局何なんですか??」
息子:「アレは大正時代に、見世物小屋に出されてた奇形の人間です」
俺:「じゃあ、当時あの結合した状態で生きていたんですか?シャム双生児みたいな?」
息子:「そうです。生まれて数年は、岩手のとある部落で暮らしてたみたいだけど、生活に窮した親が人買いに売っちゃったらしくて。それで見世物小屋に流れたみたいですね」
俺:「そうですか・・・でもなぜあんなミイラの様な状態に??」
息子:「正確に言えば、即身仏ですけどね」
俺:「即身仏って事は、自ら進んでああなったんですか!?」
息子:「・・・君、この事誰かに話すでしょ?」
俺:「正直に言えば・・・話したいです」
息子:「良いよ君。正直で(笑)まぁ私も全て話すつもりはないけどね・・・アレはね、無理やりああされたんだよ。当時、今で言うとんでもないカルト教団がいてね。教団の名前は勘弁してよ。今もひっそり活動してると思うんで・・・」
俺:「聞けば、誰でもああ、あの教団って分りますか?」
息子:「知らない知らない(笑)極秘中の極秘、本当の邪教だからね」
俺:「そうですか・・・」
息子:「この教祖がとんでもない野郎でね。外法(げほう)しか使わないんだよ」
俺:「外法ですか?」
息子:「そう、分りやすく言えば(やってはいけない事)だよね。ちょっと前に真言立川流が、邪教だ、外法だ、って叩かれたけど、あんな生易しいもんじゃない」
俺:「・・・具体的にどんな?」
息子:「当時の資料も何も残ってないし偽名だし、元々表舞台に出てきたヤツでもないし、今教団が存続してるとしても、今現在の教祖とはまったく繋がりないだろうし、名前言うけどさ・・・物部天獄(もののべてんごく)。これが教祖の名前ね」
俺:「物部天獄。偽名ですよね?」
息子:「そうそう、偽名。んで、この天獄が例の見世物小屋に行った時、奇形数名を大枚はたいて買ったわけよ。例のシャム双生児?って言うの?それも含めて」
俺:「・・・それで?」
息子:「君、コドクって知ってる?虫に毒って書いて、虫は虫3つ合わせた特殊な漢字だけど」
俺:「壺に毒虫何匹か入れて、最後に生き残った虫を使う呪法のアレですか?(昔マンガに載ってたw)」
息子:「そうそう!何で知ってるの君??凄いね」
俺:「ええ、まぁちょっと・・・それで?」
息子:「あぁ、それでね。天獄はそのコドクを人間でやったんだよ」
俺:「人間を密室に入れて??ウソでしょう」
息子:「(少し機嫌が悪くなる)私もオヤジから聞いた話で、100%全部信じてるわけじゃないから・・・もう止める?」
俺:「すみません!・・・続けてください」
息子:「分った。んで、それを例の奇形たち数人でやったわけさ。教団本部か何処か知らないけど、地下の密室に押し込んで。それで例のシャム双生児が生き残ったわけ」
俺:「閉じ込めた期間はどのくらいですか?」
息子:「詳しい事は分らないけど、仲間の肉を食べ、自分の糞尿を食べてさえ生き延びねばならない期間、と言ったら大体想像つくよね」
俺:「あんまり想像したくないですけどね・・・」
息子:「んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。奇形と言ってもアシュラ像みたいな外見だからね。その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな」
俺:「なるほど・・・」
息子:「で、生き残ったのは良いけど、天獄にとっちゃ道具に過ぎないわけだから、すぐさま別の部屋に1人で閉じ込められて、餓死だよね。そして防腐処理を施され、即身仏に。この前オヤジの言ってたリョウメンスクナの完成、ってわけ」
俺:「リョウメンスクナって何ですか?」
詳しい説明は無かったが、神話の時代に近いほどの大昔に、リョウメンスクナと言う、2つの顔、4本の手をもつ怪物がいた、と言う伝説にちなんで、例のシャム双生児をそう呼ぶ事にしたと、言っていた。
俺:「そうですか・・・」
息子:「そのリョウメンスクナをね、天獄は教団の本尊にしたわけよ。呪仏(じゅぶつ)としてね。他人を呪い殺せる、下手したらもっと大勢の人を呪い殺せるかも知れない、とんでもない呪仏を作った、と少なくとも天獄は信じてたわけ」
俺:「その呪いの対象は?」
息子:「・・・国家だとオヤジは言ってた」
俺:「日本そのものですか?頭イカレてるじゃないですか、その天獄って」
息子:「イカレたんだろうねぇ。でもね、呪いの効力はそれだけじゃないんだ。リョウメンスクナの腹の中に、ある物を入れてね・・・」
俺:「何です?」
息子:「古代人の骨だよ。大和朝廷とかに滅ぼされた(まつろわぬ民)、いわゆる朝廷からみた反逆者だね。逆賊。その古代人の骨の粉末を腹に入れて・・・」
俺:「そんなものどこで手に入れて・・・!?」
息子:「君もTVや新聞とかで見たことあるだろう?古代の遺跡や墓が発掘された時、発掘作業する人たちがいるじゃない。当時はその辺の警備とか甘かったらしいからね・・・そういう所から主に盗ってきたらしいよ」
俺:「にわかには信じがたい話ですよね・・・」
息子:「だろう?私もそう思ったよ。でもね、大正時代に主に起こった災害ね、これだけあるんだよ」
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名
俺:「それが何か?」
息子:「全てリョウメンスクナが移動した地域だそうだ」
俺:「そんな!教団支部ってそんな各地にあったんですか?と言うか、偶然でしょう(流石に笑った)」
息子:「俺も馬鹿な話だと思うよ。で、大正時代の最悪最大の災害、関東大震災の日ね。この日、地震が起こる直前に天獄が死んでる」
俺:「死んだ?」
息子:「自殺、と聞いたけどね。純粋な日本人ではなかった、と言う噂もあるらしいが・・・」
俺:「どうやって死んだんですか?」
息子:「日本刀で喉かっ斬ってね。リョウメンスクナの前で。それで血文字で遺書があって・・・」
俺:「なんて書いてあったんですか??」
日 本 滅 ブ ベ シ
俺:「・・・それが、関東大震災が起こる直前なんですよね?」
息子:「そうだね」
俺:「・・・偶然ですよね?」
息子:「・・・偶然だろうね」
俺:「その時、リョウメンスクナと天獄はどこに・・・??」
息子:「震源に近い相模湾沿岸の近辺だったそうだ」
俺:「・・・その後、どういう経由でリョウメンスクナは岩手のあのお寺に?」
息子:「そればっかりはオヤジは話してくれなかった」
俺:「あの時、住職さんに(なぜ京都のお寺に輸送しなかったんだ!)みたいな事を言われてましたが、あれは??」
息子:「あっ、聞いてたの・・・もう30年前くらいだけどね、私もオヤジの後継いで坊主になる予定だったんだよ。その時に俺の怠慢というか手違いでね・・・その後、あの寺もずっと放置されてたし・・・話せる事はこれくらいだね」
俺:「そうですか・・・今リョウメンスクナはどこに??」
息子:「それは知らない。と言うか、ここ数日オヤジと連絡がつかないんだ・・・アレを持って帰って以来、妙な車に後つけられたりしたらしくてね」
俺:「そうですか・・・でも全部は話さないと言われたんですけど、なぜここまで詳しく教えてくれたんですか?」
息子:「オヤジがあの時言ったろう?可哀想だけど、君たち長生きできないよ、ってね」
俺:「・・・」
息子:「じゃあこの辺で。もう電話しないでね」
俺:「・・・ありがとうございました」
以上が電話で話した、かいつまんだ内容です・・・はっきり言って全ては信じてません。
何か気分悪くなったので今日は落ちますね。連投・長文スマソ。
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着物の少女
毎年夏、俺は両親に連れられて、祖母の家に遊びに行っていた。
俺の祖母の家のある町は、今でこそ都心に通う人のベッドタウンとしてそれなりに発展しているが、二十年ほど前は、隣の家との間隔が数十メートルあるのがざらで、田んぼと畑と雑木林ばかりが広がる、かなりの田舎だった。
同年代の子があまりいなくて、俺は祖母の家に行くと、いつも自然の中を一人で駆け回っていた。
それなりに楽しかったのだが、飽きることもままあった。
小学校に上がる前の夏のこと。
俺は相変わらず一人で遊んでいたが、やはり飽きてしまって、いつもは行かなかった山の方へ行ってみることにした。
祖母や親に、「山の方は危ないから言っちゃダメ」と言われていて、それまで行かなかったのだが、退屈には敵わなかった。
家から歩いて歩いて山の中に入ると、ちょっとひんやりしていて薄暗く、怖い感じがした。
それでもさらに歩いて行こうとすると、声をかけられた。
「一人で行っちゃだめだよ」
いつから居たのか、少し進んだ山道の脇に、僕と同じくらいの背丈で、髪を適当に伸ばした女の子が立っていた。
その子は着物姿で、幼心に変わった子だなと思った。
「なんで駄目なの?」
「危ないからだよ。山の中は一人で行っちゃ駄目だよ。帰らなきゃ」
「嫌だよ。せっかくここまで来たんだもん。戻ってもつまらないし」
俺は、その子が止めるのを無視して行こうとしたが、通りすぎようとした時に手をつかまれてしまった。
その子の手は妙に冷たかった。
「……なら、私が遊んであげるから。ね?山に行っちゃ駄目」
「えー……うん。わかった……」
元々一人遊びに飽きて山に入ろうと思っていたので、女の子が遊んでくれると言うなら無理に行く必要もなかった。
その日から、俺とその女の子は毎日遊んだ。
いつも、出会った山道の辺りで遊んでいたので、鬼ごっことか木登りとかが、ほとんどだった。
たまに女の子が、お手玉とか、まりとかを持って来て、俺に教え込んで遊んだ。
「Kちゃん、最近何して遊んでんだ?」
「山の近くで女の子と遊んでる」
「女の子?どこの子だ?」
「わかんない。着物着てるよ。かわいいよ」
「どこの子だろうなあ……名前はなんつうんだ?」
「……教えてくれない」
実際その子は、一度も名前を教えてくれなかった。
祖母も親も、その子がどこの子か、わからないようだった。
とりあえず、村のどっかの家の子だろうと言っていた。
その夏は女の子と何度も遊んだけど、お盆を過ぎて帰らなきゃならなくなった。
「僕、明日帰るんだ」
「そうなんだ……」
「あのさ、名前教えてよ。どこに住んでるの?また冬におばあちゃんちに来たら、遊びに行くから」
女の子は困ったような、何とも言えない顔をしてうつむいていたが、何度も頼むと口を開いてくれた。
「……名前は○○。でも約束して。絶対誰にも私の名前は言わないでね。……遊びたくなったら、ここに来て名前を呼んでくれればいいから」
「……わかった」
年末に祖母の家に来た時も、僕はやはり山に行った。名前を呼ぶと、本当に女の子は来てくれた。
冬でも着物姿で寒そうだったが、本人は気にしていないようだった。
「どこに住んでるの?」
「今度、僕のおばあちゃんちに遊びに来ない?」
などと聞いてみたが、相変わらず首を横に振るだけだった。
そんな風に、祖母の家に行った時、俺はその女の子と何度も遊んで、それが楽しみで春も夏も冬も、祖母の家に長く居るようになった。
女の子と遊び始めて三年目、俺が小二の夏のことだった。
「多分、もう遊べなくなる……」
いつものように遊びに行くと、女の子が突然言い出した。
「何で?」
「ここに居なくなるから」
「えー、やだよ……」
引越しか何かで、居なくなるのかなと思った。
自分が嫌がったところで、どうにかなるものでもないと、さすがにわかっていたが、それでもごねずには居られなかった。
「どこに行っちゃうの?」
「わからないけど。でも明日からは来ないでね……もうさよなら」
本当にいきなりの別れだったので、俺はもう、わめきまくりで女の子の前なのに泣き出してしまった。
女の子は、俺をなだめるために色々言っていた。
俺はとにかく、また遊びたい、さよならは嫌だと言い続けた。
そのうち女の子もつうっと涙を流した。
「……ありがとう。私、嬉しいよ。でも、今日はもう帰ってね。もう暗いし、危ないからね」
「嫌だ。帰ったら、もう会えないんでしょ?」
「……そうだね……。あなたと一緒もいいのかもね」
「え?」
「大丈夫。多分また会えるよ……」
俺は諭されて家路についた。
途中、何度も振り向いた。
着物の女の子は、ずっとこちらを見ているようだった。
その日、祖母の家に帰ったらすぐに、疲れて床に入ってしまった。
そして俺は、その夜から五日間、高熱に苦しむことになった。
この五日間の事は、俺はほとんど覚えていない。
一時は四十度を越える熱が続き、本当に危なくなって、隣の町の病院に運ばれ入院したが、熱は全然下がらなかったらしい。
しかし五日目を過ぎると、あっさり平熱に戻っていたという。
その後、祖母の家に戻ると、驚いた事に俺が女の子と遊んでいた山の麓は、木が切られ山は削られ、宅地造成の工事が始まっていた。
俺は驚き焦り、祖母と両親に山にまで連れて行ってくれと頼んだが、病み上がりなので連れて行ってもらえなかった。
それ以来、俺は女の子と会う事は無かったが、たまに夢に見るようになった。
数年後聞いた話に、宅地造成の工事をやった時、麓の斜面から小さく古びた社が出てきたらしいというものがあった。
工事で削った土や石が降ったせいか、半壊していたという。
何を奉っていたのかも誰も知らなかったらしい。
その社があったのは、俺が女の子と遊んでいた山道を少し奥に入った所で、ひょっとして自分が遊んでいたのは……と思ってしまった。
実際、変な話がいくつかある。
俺の高校に、自称霊感少女がいたのだが、そいつに一度、
「あんた、凄いのつけてるね」
と、言われた事があった。
「凄いのってなんだよ?」
「……わかんない。けど、守護霊とかなのかな?わからないや。でも怪我とか病気とか、あまりしないでしょ?」
確かに、あの高熱以来、ほぼ完全に無病息災だった。
さらにこの前、親戚の小さな子(五才)と遊んでいたら、その子がカラーボールを使ってお手玉を始めた。
俺にもやってみろと言う風にねだるのでやってみると、その子は対抗するかのように、いくつもボールを使ってお手玉をした。
何度も楽しそうにお手玉をした。
あんまり見事だったので、後でその子の親に、
「いやー、凄いよ。教えたの?あんな何個も、俺だってできないよ」
と言うと、親はきょとんとして、
「教えてないけど……」
と答えた。
もう一度その子にやらせてみようとすると、何度試してみてもできなかった。
「昼間みたいにやってみて」
「?なにそれ?」
と言う感じで、昼の事を覚えてすらいなかった。
何と言うか、そのお手玉さばきは、思い返すとあの女の子に似ていた気がしてならない。
今もたまに夢に見るし、あの最後の言葉もあるし、ひょっとしてあの子は、本当に俺にくっついてるのかなと思ったりする。
ちなみに女の子の名前は、なぜか俺も思い出せなくなってしまっている。
不気味とかそういうのはなく、ただ懐かしい感じがするのみである。
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お婆さんの狙い
それはまだ、私が幼い頃です。
記憶は曖昧なのですが、確か妹がまだ赤子だったので、私は小学生の低学年だったと思います。
当時、妹はひどい小児喘息で、診察と常備薬を処方してもらう為、車で1時間程かかる遠方の病院に通っていました。
私は病気でもないのに、よくそれについて行きました。
何故なら、幼い頃は例え病院だろうと、遠くに行くだけで楽しかったですし、それに外食をする事もあったのです。
一方、手間がかかる私を連れて行くのを母は嫌がり、「家にいなさい」と言っていました。
私は、それでも無理を言って病院について行きました。
病院では、私はいつも妹が診察を受ける間、病院内をうろうろと歩いておりました。
いつものように、広い病院を探検する気持ちで歩いていると、いきなり、院内服を着た知らないお婆さんから話しかけられました。
「ぼく、飴いる?」
そのお婆さんは、真っ白な白髪にまばらに残る黒髪が印象的で、体格は小柄、それに酷く痩せていました。
顔色も悪くて、不健康そうに見えました。
思い詰めたように暗くて、疲れきったような表情に見えます。
何より、私を見る目が怖かったのを覚えています。
お婆さんは、「自分はここに入院している」のだと言いました。
前からよく病院内を歩く私を見て、話しかけたかったのだそうです。
「寂しいから友達になって欲しい」と言いました。
私は、お婆さんを怖いと思ったので嫌だと思い、黙って首を横にふり、母の元に逃げました。
お婆さんが、そろそろと私の後をついてくるのがわかりました。
私は妹を抱く母を見つけると、泣きながら駆け寄り、お婆さんを指差しながら
「変なお婆さんがついてくる」と言いました。
お婆さんはいつの間にか僕のハンカチを持っていて、
「落としましたよ」と言いました。
母は「すいません」と謝りハンカチを受け取ると、私には「失礼な事を言うな」と叱りつけました。
お婆さんは「いいんですよ」と母に近寄り、そこで驚いたように口を開けると、涙を流しはじめました。
お婆さんは母を見て言いました。
「娘にそっくり」
お婆さんには10年以上昔、母にそっくりな娘がいたそうで、その娘さんを病気で亡くされてたそうなのです。
母は、そんなお婆さんを可哀想な顔で見ておりました。
それからお婆さんは、母と妹が病院に行く曜日には、入り口で待つようになりました。
そうして、妹と僕にお菓子や玩具をくれるのです。
「死んだ娘といっしょにいるようだ」
と、喜ぶお婆さんを、母は断れないようでした。
いつの時間に行っても、入口にいるお婆さんが気味悪くなり、私は病院へは、ついて行かないようになりました。
そうして何ヵ月か経ったころでしょうか。
母の方から私に、「病院についてこない?」と誘うようになりました。
私は不思議に思いながらも、帰りに美味しい物をごちそうしてくれるかもと思い、了承しました。
病院に着き、妹の診察が済んで母と受付を待っている時、今日はお婆さんはいないんだ、もう退院したのかもしれない、と思っていると、背後から声がしました。
「見つけた」
振り返ると、例のお婆さんが笑って立っていました。
母の顔はひきつっています。
お婆さんは院内服ではなく、私服を着ていました。
「○○(母)ちゃん、最近月曜日に見ないから寂しかったのよ。通院する曜日変えるなら教えてよ」
お婆さんは、私を見て笑いました。
「久しぶりね○○くん。今日はおばさんがご飯に連れて行ってあげるね」
断る母を強引に説き伏せて、お婆さんは私達を近くのファミレスに連れて行きました。
食事の間、お婆さんはずっと笑っていました。
お婆さんと母が、変な会話をしていたのを覚えています。
「ふたつあるんだから、いいじゃないの」
「いい加減にしてください」
「いいじゃないの」
「警察を呼びますよ」
「じゃあこれを読んで」
お婆さんは母に封筒を渡しました。
その日の帰りの車は、いつもとは違う道を走ったのを覚えています。
それと、車の中で母が変な質問をしてきた事も。
「Y(妹)ちゃんを可愛いと思う?」
「……うん」
「あなたはお兄ちゃんなんだから、何かあったらYちゃんを守らないといけないよ」
「うん」
「来週からYちゃんと一緒に病院に来て、そばから離れたらいけないよ」
「うん」
当時は、何故母がそんな事を言うのかわかりませんでした。
それから毎回病院でお婆さんと私達は会いましたが、ある日を境に急に見なくなりました。
それから十年以上経ち、母に
「そういえば、あのお婆さんどうしてるんだろうね?」
と尋ね、返ってきた答えに私は震えました。
「あの人は多分亡くなったよ。それに、お婆さんじゃなくて私と同じ年なの」
私は驚きました。
当時の母は30才代ですが、お婆さんはどう見ても60才は、いってるように見えたのです。
母から聞いた話はこうです。
退院してからも、いつも病院で会うおばさんを不思議に思い、母は知り合いの看護師に、お婆さんはそんなに悪い病気なのかと尋ねたそうです。
おばさんは病気ではなく、自殺未遂で入院していたというのです。
娘が亡くなったショックで自殺未遂をしたお婆さんの外見は、みるみる老けていきました。
(亡くなった娘というのは、まだ赤ちゃんだったそうです)
それなら母と似ているはずがありません。
そういえば、お婆さんが母に向かって「娘にそっくりだ」と言った時、妹が母に抱かれていた事を思いだしました。
お婆さんは妹に向けて言っていたのです。
最初は優しかったお婆さんは、次第に母に妹を譲るよう懇願してきたらしいのです。
もちろん母は断りました。
妹をさらわれる、とお婆さんが怖くなった母は、私を見張り役として病院に付き添わせてたそうです。
そして、封筒の中の手紙を見せてくれました。
短い文でした。
『近く娘の所に行きます、あなたのせいです、ずっと恨みます』