東北の人形イベントで会った友人の話。
友人は街中に住んでいるが、引越しのため、かさばる人形は実家に置いておくことにした。
地震のとき、実家は壁にひびが入ったものの倒壊をまぬがれたそうだ。
地震の前日に、離れの部屋において居た人形の箱が倒れ人形が転がり出たのを、おばあさんがかわいそうに思い居間に飾っておいたらしい。
地震のとき人形のある居間はガラスも割れずに無事だった。
その後、おばあさんが人形に
「家の修復が困ったねぇ」
「娘は連絡つかないけど無事かねぇ」
と、何の気なしに話しかけてると保険で家の修繕費が下りたり、連絡のつかなかったおばさんと連絡がついたりという出来事が重なったそうだ。
「これはひょっとしてオコナイ様(神様)かもしれない」
と考えたおばあさんは、人形を神棚に置いて、いよいよ人形を大切に扱うことに。
友人は自分が遊んできた人形だけに否定的。
「神棚に置くのやめてよ!あれは大量生産品だって。偶然がかさなっただけだよ」
「偶然も重なるとね・・・それに実際にご利益があったし・・・」
「え、母さん何かあったの?」
「ネックレス無くしたのを見つかるようにお願いしたら次の日に見つかったのよ。しかも何度探してもなかったケースの中に」
「それこそ偶然だと思うけど」
それからも、父の海外転勤予定が人形へのお願いで急に本社勤務に変更になることなどがあり
(これも会社の部品生産の地震被害が少なかったという偶然らしいが・・・)
それからは、家族が人形趣味に理解を示すようになったり、おばあさんが人形用にと小遣いをくれるらしい。
(おばあさんは、大きな畑の地主とのこと)
そのことはご利益があったと言えるのだろうけど・・・
「でもね、私が人形に”彼氏ができますように”って言っても何もおきないのよね」
知人は今でも人形のご利益に否定的らしい。