怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 子供に纏わる怖い話 」 一覧

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怒る人形

数年前の話なんだけど、ちょうど今くらいの時期に付き合ってた彼女との同棲が決まった。

とにかくテンション上がりまくりで、部屋決めたりなんだりしてた。

んで、メゾネットに決めて、2tトラック借りて自分らで引っ越しも終わって新しい生活がスタートしたのね。

んで、うちらには普通のカップルとは違う点がひとつ。

相手は×付きの子持ちだったってこと。

子供は5歳。

まぁ、やんちゃ盛りの可愛い男の子だったし、自分の子供だと思って接してた。

お母さんと一緒じゃなきゃ眠れなかった子も、一緒にいるうちに一人で眠れるようになってきて成長に驚いたりしてた、そんなある日。

夜中の2時くらいだったかな…

「怖い、寝れない」

って、隣の部屋で寝てた子供が俺らの寝室にきた。

「なにが怖いの?」

と聞いても、

「だって怒ってるもん、怖い」

と、繰り返すばかり。

らちがあかないので、横で寝てた彼女を起こして状況説明。

「ママに言ってご覧?」

と、なだめてしぶしぶ語りだした子供。

「電気の上の、屋根に乗ってる人形さんが怒ってる」

と、こう言うわけ。

子供の部屋のライトはぶら下げるタイプなので、屋根=ライトの傘なんだと思う。

たが当然、そんなとこに人形なんざ置いていない。

びびりながら二人で確認したけど、やはり人形なんてない。

でも隣で子供は、

「怒ってるよおおお」

と、号泣する始末。

何ががなんだかわからんし、でもどうすることも出来ないので、その日は3人一緒に、俺らの寝室で寝た。

それからというもの、俺と彼女の関係が徐々に崩れ出した。

些細なことで喧嘩になったり…

まぁ関係があったのかはわからないけれど。

で、1ヶ月程経った時に聞いてみた。

「まだ人形さんはいるの?」

って。

そしたら、

「うん、でも笑ってるから怖くないよ」

だって。

いるのかよ!ってツッコミいれたくもなったけど、なんで怒っていたのが笑ってるのかがわからない。

で、彼女とあれこれ話してたら、

「元カレとの子供かもしれない」

「???」だったのでよくよく話を聞いてみたら、以前、知らないうちに流産していたことがあったらしい。

生理と思ってナプキンで丸めてポイしたんだと。

ここで仮説を立てた。

流れた子供は幸せを疎ましく思ってるのかもしれない。

だから怒ってた。

最近仲が悪くなるばかり。

だから笑ってる。

「水子供養にいこう」

てわけで、近場で比較的有名な水子供養の寺に行って供養してきた。

これできっと!と思ったけれど、今度は俺にだけ変なことが起こり始めた。

寝てる時に、頭に何か小さいものを投げられた感じがあったり、靴紐が1週間で3回切れたり。

だんだん怖くなってきて、また子供に聞いたんだ。

「ずっと○○くん(俺のことね)の方を見てる、でも笑ってるからもう怖くないよ」

だいぶ関係も悪化してたし、ここにいたら駄目になると思って別れました。

実家に戻ってからは一切何も無い。

ただ、子供にしか見えない+俺が標的にされてそうで本当に怖かった。

余談だが、今でも当時の彼女は男に逃げられたりを繰り返してるそうです。

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ヒトナシ坂

俺の中学生の時の話。

俺は週末に、中学で仲良くなった友達Aの所に、泊まりに行くことになっていた。

Aの家はI山という山の中腹にあって、俺の家は山のふもとにある。

双方の家、共に一番近くのコンビニに行くのに車で30分もかかる、寂れた所だ。

泊まりに行く前日に、Aの家の場所がわからないので、山の地図を持ってAに家がどの辺にあるか教えてもらった。

地図上で見れば、俺の家とは、かなり近かった。

が、Aの家まで行くには、山の周りにある道路に沿ってぐるりと遠回りしなければならない。

その距離、10キロ。

真夏の暑い中、10キロも走るのか・・・と少しげんなりしていた俺は、地図の中を走る一本の道を見つけた。

その道は、俺の家から少し行った所から始まって、山を一直線に登り、Aの家のすぐ近くで終わっていた。

長さは5キロほど。

この道を使わない手は無いだろう。

俺「こっちの道のほうが近いやん」

A「あー、でもこの道なぁ、舗装もされてないし、急やし、人もぜんぜん通らんからやめたほうがイイで」

俺「通れるんやろ?」

A「うーん・・まぁ通れるけど・・まあええか。そっから来いや」

ということで、その道で行くことになった。

その晩、家族に「こんな道、全然知らんかった」とその道のことを話した。

両親は「そんな道あったんやねぇ」とかなんとか言っていたが、じいちゃんは一人眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をしている。

どうやら、この道のことを知っているようだ。

この道は正式な名前はわからないが、この辺では『ヒトナシ坂』と言うらしい。

何か名前にいわくがありそうだったが、まぁ、どうでもいいことだ。

さて、翌日、Aの家に行く日がやってきた。

家を出ようとする俺に、じいちゃんが真剣な顔で話しかけてきた。

「ええか、B(おれの名前)。あの坂は、夜になったら絶対通るな。絶対や。今じいちゃんと約束してくれ」

と、何故か本気で心配している。

わかったわかったと一応言ったが、気になるので理由をたずねた。

すると、

「あの坂には、昔っから化け物がおる。昼間はなんともないが、夜になるとでてくる。だから絶対通るな」

なんだ年寄りの迷信か、と思った。

俺は幽霊なんて信じていなかったし、ましてやバケモノや妖怪なんて、すべて迷信だと思っていた。

心の中で少しじいちゃんをばかにしながら自転車を走らせると、ヒトナシ坂が見えてきた。

本当にどうして、こんなに近いのに今まで気づかなかったのだろう。

坂は少し急になっており、一直線。

地面は剥き出し。

左右の道端には、とても背の高い草が生えていて、横の景色が見えない。

だが、うっそうとしている感じは微塵も無く、真夏の太陽の光を地面が反射していて、とても清々しい気持ちになった。

しばらく自転車を走らせていると、トンネルがあった。

高さは2.3メートルほどで、幅は車一台がギリギリ通れるくらい。

とても短いトンネルで、7.8メートルくらいしかない。

すぐそこに向こう側が見えている。

立ち止まらずに、そのまま通った。

中は暗く湿っていて、ひんやりした空気があり気持ちよかった。

その後、何事も無くAの家に着き、遊び、寝た。

翌日も、Aの部屋でずっとゲームをしたりして遊んでいて、夕飯までご馳走になった。

気付いたら、8時になっていた。

まずい、今日は9時から塾だ。

遅れれば親に怒られる。

俺は急いでAに別れを告げ、自転車に跨った。

帰りは、いくら坂でも10キロの道のりを行けば、間に合わないかもしれない。

だから、ヒトナシ坂を通ることにした。

じいちゃんと約束したが、しょうがない。

バケモノもきっと迷信だろう。

月明かりに照らされた夜道を、ブレーキ無しで駆け下りていった。

この調子なら塾に間に合いそうだ。

そう思っていると、昨日の昼間通過した狭いトンネルが、ぽっかりと口をあけていた。

少し怖かったが、坂で加速していたし、通り過ぎるのは一瞬だろう。

いざ入ったトンネルの中は真っ暗。

頼りになるのは自転車のライトだけ。

早く出たかったので、一生懸命ペダルを漕いだ。

だが、おかしい。

中々出られない。

昼間はすぐ出られたのに、今は少なくとも30秒はトンネルの中を走っている。

思えば、今夜は満月で、外の道は月光が反射して青白く光っている。

だから、こんなに短いトンネルなら、その青白い道がトンネル内から見えるはずだ。

真っ暗と言うことは絶対にない。

一本道なので、道も間違えるはずがない。

おかしい。

おかしい。

おかしい。

おかしい。

怖い。

そこまで考えたら、いきなり自転車のチェーンが切れた。

どうしよう、どうしよう、どうしよう!!

立ち止まり、焦りまくる俺。

まだ出口は見えない。

すると闇の中、何かがいた。

浮いていて、遠くから近づいてくる。

体はしびれたように動かない。

眼が闇に慣れ、ソレの姿がはっきり見えた。

白装束を着た女だった。

ただし、かなり大きな。

異様に長い手足。

最初は宙に浮いているように見えたが、四本足でトンネルの壁に張り付いている。

そして、ゆっくりゆっくりこちらに向かってきている。

ずりっずりっと音を響かせながら。

髪は地面まで垂れ下がり、顔には異様にでかい。

目玉と口。

それしかない。

口からは何か液体が流れている。

笑っている。

恐怖でまったく働かない頭の中で、きっと口から出てるのは血なんだろうなぁとか、俺はここで死ぬんかなとか、くだらないことをずーっと考えていた。

女がすぐそこまで来ている。

1メートル程の所に来た時、初めて変化があった。

大声で笑い始めたのだ。

それは絶叫に近い感じだった。

ギャァァァァアアアアアハハハハァアアアァァァ!!!!!!

みたいな感じ。

人の声じゃなかった。

その瞬間、俺は弾かれたように回れ右をして、今来た道を走りはじめた。

どういうわけか入り口はあった。

もう少し。

もう少しで出られる。

振り向くと、女もすごい速さでトンネルの中を這ってくる。

追いつかれる紙一重で、トンネルを出られた。

でも、振り返らずに、ひたすら坂を駆け上がった。

それからの記憶はない。

両親の話によると、Aの家の前で、気を失っていたらしい。

目覚めたら、めちゃくちゃじいちゃんに怒られた。

後で、俺はじいちゃんに、トンネルの中の出来事を話した。

あれはなんなのか、知りたかった。

詳しいことは、じいちゃんにもわからないらしい。

だが、昔からあの坂では人がいなくなっていたという。

だから廃れたのだと。

化け物がいるといったのは、人が消えた際に調べてみると、その人の所持品の唐傘やわらじが落ちていたからだそうだ。

だから、化け物か何かに喰われたんだ、という噂が広まったらしい。

まぁ実際に化け物はいたのだが。

そういうことが積み重なって、その坂は『ヒトナシ坂』と呼ばれるようになった。

ヒトナシ坂のトンネルは去年、土砂崩れで封鎖されて通れなくなったらしい。

あの化け物は、まだトンネルの中にいるのだろうか。

それともどこかへ消えたのか。

誰にもわからない。

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懸賞アンケート

子供の頃の奇妙な体験って結構あるよな。

ずっと気になってたことを書いてみる。

毎年3月が近くなると「クラス替えアンケート」のことを思い出すんだけど、俺以外にこんな体験した人っているかな?

俺が小学校4年生の時の話で、俺が当時通う小学校は結構な大規模校で毎年クラス替えがあった。

春休み中、3月の終わりに先生方の離任式があって、その時に体育館に新しいクラスの名簿を張り出すんだけど、親友や好きな女の子と一緒になりたいとか、毎年すごくドキドキしたことを覚えている。

その年、3学期の2月に入ってすぐ、俺に一通の封書が来た。

「クラス替えアンケート」

という文字が表に大きく印刷され、教材会社の主催になってたけど、これまで調べた限りでは、その名前の教材会社は存在しないんだ。

中身はどんな内容かというと、俺の小学校の4年生の中で、絶対に同じクラスになりたくない人の名前を一名書いてくださいというもので、それを出した人には文房具のセットが当たるかもしれないということだった。

当時俺は、雑誌の懸賞に応募するのが趣味だったし、返信用のはがきが入っていたので、特に変だとも思わず、同学年で一番嫌ないじめっ子の名前を書いて出してやった。

実は、俺はその名前を書いたやつと家が近所で、登下校でよく嫌がらせをされていた。

別のクラスだからまだよかったものの、同じクラスになれば本格的なイジメを受ける可能性があって、絶対に同じクラスにはなりたくないと思っていた。

5年生は6クラスあるから可能性は低いんだけど。

その後、すっかりそのアンケートのことは忘れていたんだけど、3月に入ってすぐに同じ名前の教材会社から大きな封筒が届いた。

それで前のアンケートのことを思い出したんだけど、内容は、俺に文房具セットが当選したというもので、そこまでは不思議はないんだけど、その文房具セットが送られてくるには条件があって、一つやってほしいことがあると書いてあった。

それから、俺が名前を書いてやったいじめっ子とは同じクラスにはならないだろう、ということも書かれていて、まだクラス替えの先生方の会議も行われていない時期のはずだったので、それはちょっと不思議だった。

その封書の中には一つ、厳重に和紙でくるまれたお守りのような物が入っていて、その表には俺の住んでいる地域から遠く離れた県名と、知らない小学校名、それから5年生という文字と、やはり知らない男の子らしい名前が気味の悪い赤い字で大きく書かれていた。

それを俺の住んでいる地域にある神社、これは古くて由緒があるけれど大きな所ではなくて、ほとんど普段は参拝する人もいない忘れ去られたような所なんだけど、そこの境内にある松の木に3月8日の午後9時以降に釘で打ち付けてほしいという内容だった。

それをやったら懸賞のセットを送ってくれるということみたいだった。

それからその封書は、前に来た物と共に一切が済んだら近くの川に流してほしいとも書かれていた。

これはすごく不思議で、最初は仲のよかった中学生の兄に相談しようと思ったけど、封書にはこのことは誰にも話してはいけないと書いてあったのでやめにした。

神社は自転車で5分程度の所にあり、そのお守りのようなのを釘で木に打ち付けるのは難しいことではない。

雪の降る地域でもないし、寒いけど9時過ぎに15分ほど家を空けるのは何でもなかった。

その封書とお守りは、自分の勉強机に入れておいた。

3月8日になった。

俺は手紙の依頼通りにやることに決めていて、夕食後9時を過ぎてから、そのお守りと、どこにでもあるような釘とカナヅチを持って、グランドコートを着て自転車で神社に出かけた。

その神社は住宅街のやや小高い丘の上にあって、俺は下で自転車を降りて幅の狭い石段を登っていった。

石段にも神社の境内にも、一つずつ街灯があったので、暗いけど足元は見えた。

もちろんまったく人影はなく、さすがに気味が悪くて早く終わらせようと、コートのポケットからお守りと釘とカナヅチを取り出し、走って何本か鳥居をくぐり、神社までの参道から脇に入って、おみくじが結びつけられたりしている松の木を一本選んで、自分の頭の上くらいの高さに名前が書かれている方を表にして、真ん中に強く二・三度釘を打ち付けた。

すると、手の中でそのお守りが微妙に動いた感覚があって、俺は思わず手を離したけど、お守りは木に固定されて落ちなかった。

その時、10mほど離れた神社の脇から急に人が出てきて、こっちに向かって大きな声で「見届けた」と言った。

その人の姿は暗くて、後で思い出してみてもどんな服装だったかもわからなかった。

声は男のものだった。

俺はもう完全に怖じ気づいていたので、そのまま後ろも見ないでカナヅチを放り出して走って石段を下まで降り、自転車に飛び乗って家に帰った。

ここから書くことはあまりない。

俺がアンケートに名前を書いたいじめっ子は、その1週間後に自転車に乗っている時にトラックにひかれて死んだ。

封書などは、指示通り近くの川に流した。

4月に入って有名なデパートから立派な文房具セットが送られて来たが、封書にあった教材会社名はどこにもなかった。

その後、一回も連絡はない。

神社には何年も立ち寄らなかったので、木に打ち付けたものがどうなったかわからない。

カナヅチを無くしたので親父に後でしかられた。

一番気になるのは、そのお守りに名前があった知らないやつだが、どうなったかはもちろんわからないし調べてもいない。

改めて書いてみるとやっぱり奇妙な体験で、すべて自分が想像で作り出したことのような気もする。

文房具セットは兄にずいぶんうらやましがられたけど、たんに懸賞に当たっただけなのかもしれない。

こんな経験をした人って他にいるんだろうか?

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終電

僕の家から会社までは、小さな私鉄の電車で約30分です。

都会では考えられないでしょうが、行きも帰りも、ほとんど座って通勤しています。

その電車で帰宅途中、無気味な出来事を体験しました。

その日、僕は部長の誘いで飲みに行き、12時前の終電にようやく間に合いました。

タクシーで帰ると1万円弱かかりますから、とりあえず電車に乗れた事でほっとしながら、座席に腰を下ろしました。

田舎の事なので、終電といっても静かなものです。

どうやらこの車両には、僕一人のようでした。

僕は足を前の座席に伸ばすと、酔いのせいもあって、すぐに居眠り始めました。

何分くらいたったでしょうか。

僕は、小さな声で目を覚ましました。

くすくすと笑う声は、どうやら小さな子供と、若い母親のようです。

子供「ねえ、この電車もよく乗ったよね」

母親「そうね。けんちゃん、電車好きだったものね」

子供「うん。○○駅に行った時はとっても楽しかったね」

母親「そうね、できたら東京駅とか、国鉄の大きな駅にも連れて行ってあげたかったわ」

子供「うん、夜行列車とか、一度乗ってみたかったな」

僕は夢うつつに、親子の会話を聞いていました。

車両は4人がけの座席になっているので、姿は見えませんでしたが、結構はっきり聞こえてくるという事は、すぐ近くのシートにいるのでしょうか。

どこか途中の駅で乗ってきたのかな、と思いました。

母親「けんちゃん。国鉄にはあんまり乗せてあげられなかったものねぇ」

コクテツ、という響きが奇妙に感じました。

JRになってから、もう15年以上経つのではないか。

そんな事を考えているうちに、目が覚めてきました。

僕はそっとシートから体を乗り出して、周りを見回しましたが、親子の姿などこにも見えないのです。

僕からは死角になっている所に座っているのだろうか。

思い巡らしているうちに次の駅に着き、乗降の無いまま発車しました。

また、うとうとし始めると、それを待っていたかのように、親子のひそひそ声が聞こえてきました。

母親「けんちゃん、あの時はこわかった?」

子供「ううん、お母さんが一緒だったもん。ぜんぜん平気だったよ」

母親「でも、痛かったでしょう」

子供「んー、わかんない。でも、大好きな電車だったからよかった」

母親「そう、そうよね。けんちゃんの好きな、この青い電車を選んだんだもの」

子供「あ、もうすぐあの踏切だよ」

子供が、はしゃいだ声を出しました。

僕は、ぼんやりと窓の外を見ました。

カーブの先、田畑の中に、ぼんやりと浮かぶ踏切の赤いシグナル。

その踏切に親子らしい人影が立っていました。

親子は、下りた遮断機を、くぐり抜けようとしているように見えました。

キキキキーーーーーー

と、電車が急ブレーキをかけると同時に、鈍い衝撃が伝わってきました。

そして、僕の座っているシートの窓ガラスに、ピシャっと赤い飛沫がかかりました。

全身の血の気が引く思いで、僕は思わずドアの方へと走ろうとしました。

しかし…座席から立ち上がって、ふと気付くと電車は元通り走っています。

僕の心臓だけが、激しく鼓動を打っていました。

夢か…と、立ち上がったついでに車内を見まわしましたが、やはり誰もいません。

さっきから聞こえてきた親子の会話も、夢だったのかもしれない。

そう思って気を落ち着かせると、一人で車両に乗っているというだけでおびえている自分が、情けなくさえ思えてきました。

「終点です。」

と、車内アナウンスが聞こえ、ようやく電車が本当に減速し始めました。

僕はコートと鞄を抱えて、出口に向かいました。

ホームの明かりが見え始めた時、はっきりと後ろに人の気配を感じました。

何か、ぼたぼたと水滴の落ちるような音も聞こえてきました。

視線を上げ、僕の背後に映った人影を見た瞬間、僕は思わず持っていた物を取り落とし、その上、腰を抜かしてしまったのです。

ガラスに映っていたのは、五歳くらいの子供を抱いた若い母親でした。

母親の左腕は肘から先が無く、胸もずたずたで、その傷口から血をぼたぼたと垂らしていました。

そして右腕で抱き締められている子供は、左半身が潰されて、ほとんど赤い肉塊にしか見えませんでした。

子供は残っている右目で、僕をジッと見つめていました。

その後は、あんまり覚えていません。

へたり込んでいる僕を駅員が引っぱり出し、事務所で冷たい水を出してくれました。

車内の出来事を、その駅員に聞く事はできませんでした。

実際に飛び込み自殺があったと言われたら、おかしくなりそうでしたから。

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お婆さんの狙い

それはまだ、私が幼い頃です。

記憶は曖昧なのですが、確か妹がまだ赤子だったので、私は小学生の低学年だったと思います。

当時、妹はひどい小児喘息で、診察と常備薬を処方してもらう為、車で1時間程かかる遠方の病院に通っていました。

私は病気でもないのに、よくそれについて行きました。

何故なら、幼い頃は例え病院だろうと、遠くに行くだけで楽しかったですし、それに外食をする事もあったのです。

一方、手間がかかる私を連れて行くのを母は嫌がり、「家にいなさい」と言っていました。

私は、それでも無理を言って病院について行きました。

病院では、私はいつも妹が診察を受ける間、病院内をうろうろと歩いておりました。

いつものように、広い病院を探検する気持ちで歩いていると、いきなり、院内服を着た知らないお婆さんから話しかけられました。

「ぼく、飴いる?」

そのお婆さんは、真っ白な白髪にまばらに残る黒髪が印象的で、体格は小柄、それに酷く痩せていました。

顔色も悪くて、不健康そうに見えました。

思い詰めたように暗くて、疲れきったような表情に見えます。

何より、私を見る目が怖かったのを覚えています。

お婆さんは、「自分はここに入院している」のだと言いました。

前からよく病院内を歩く私を見て、話しかけたかったのだそうです。

「寂しいから友達になって欲しい」と言いました。

私は、お婆さんを怖いと思ったので嫌だと思い、黙って首を横にふり、母の元に逃げました。

お婆さんが、そろそろと私の後をついてくるのがわかりました。

私は妹を抱く母を見つけると、泣きながら駆け寄り、お婆さんを指差しながら

「変なお婆さんがついてくる」と言いました。

お婆さんはいつの間にか僕のハンカチを持っていて、

「落としましたよ」と言いました。

母は「すいません」と謝りハンカチを受け取ると、私には「失礼な事を言うな」と叱りつけました。

お婆さんは「いいんですよ」と母に近寄り、そこで驚いたように口を開けると、涙を流しはじめました。

お婆さんは母を見て言いました。

「娘にそっくり」

お婆さんには10年以上昔、母にそっくりな娘がいたそうで、その娘さんを病気で亡くされてたそうなのです。

母は、そんなお婆さんを可哀想な顔で見ておりました。

それからお婆さんは、母と妹が病院に行く曜日には、入り口で待つようになりました。

そうして、妹と僕にお菓子や玩具をくれるのです。

「死んだ娘といっしょにいるようだ」

と、喜ぶお婆さんを、母は断れないようでした。

いつの時間に行っても、入口にいるお婆さんが気味悪くなり、私は病院へは、ついて行かないようになりました。

そうして何ヵ月か経ったころでしょうか。

母の方から私に、「病院についてこない?」と誘うようになりました。

私は不思議に思いながらも、帰りに美味しい物をごちそうしてくれるかもと思い、了承しました。

病院に着き、妹の診察が済んで母と受付を待っている時、今日はお婆さんはいないんだ、もう退院したのかもしれない、と思っていると、背後から声がしました。

「見つけた」

振り返ると、例のお婆さんが笑って立っていました。

母の顔はひきつっています。

お婆さんは院内服ではなく、私服を着ていました。

「○○(母)ちゃん、最近月曜日に見ないから寂しかったのよ。通院する曜日変えるなら教えてよ」

お婆さんは、私を見て笑いました。

「久しぶりね○○くん。今日はおばさんがご飯に連れて行ってあげるね」

断る母を強引に説き伏せて、お婆さんは私達を近くのファミレスに連れて行きました。

食事の間、お婆さんはずっと笑っていました。

お婆さんと母が、変な会話をしていたのを覚えています。

「ふたつあるんだから、いいじゃないの」

「いい加減にしてください」

「いいじゃないの」

「警察を呼びますよ」

「じゃあこれを読んで」

お婆さんは母に封筒を渡しました。

その日の帰りの車は、いつもとは違う道を走ったのを覚えています。

それと、車の中で母が変な質問をしてきた事も。

「Y(妹)ちゃんを可愛いと思う?」

「……うん」

「あなたはお兄ちゃんなんだから、何かあったらYちゃんを守らないといけないよ」

「うん」

「来週からYちゃんと一緒に病院に来て、そばから離れたらいけないよ」

「うん」

当時は、何故母がそんな事を言うのかわかりませんでした。

それから毎回病院でお婆さんと私達は会いましたが、ある日を境に急に見なくなりました。

それから十年以上経ち、母に

「そういえば、あのお婆さんどうしてるんだろうね?」

と尋ね、返ってきた答えに私は震えました。

「あの人は多分亡くなったよ。それに、お婆さんじゃなくて私と同じ年なの」

私は驚きました。

当時の母は30才代ですが、お婆さんはどう見ても60才は、いってるように見えたのです。

母から聞いた話はこうです。

退院してからも、いつも病院で会うおばさんを不思議に思い、母は知り合いの看護師に、お婆さんはそんなに悪い病気なのかと尋ねたそうです。

おばさんは病気ではなく、自殺未遂で入院していたというのです。

娘が亡くなったショックで自殺未遂をしたお婆さんの外見は、みるみる老けていきました。

(亡くなった娘というのは、まだ赤ちゃんだったそうです)

それなら母と似ているはずがありません。

そういえば、お婆さんが母に向かって「娘にそっくりだ」と言った時、妹が母に抱かれていた事を思いだしました。

お婆さんは妹に向けて言っていたのです。

最初は優しかったお婆さんは、次第に母に妹を譲るよう懇願してきたらしいのです。

もちろん母は断りました。

妹をさらわれる、とお婆さんが怖くなった母は、私を見張り役として病院に付き添わせてたそうです。

そして、封筒の中の手紙を見せてくれました。

短い文でした。

『近く娘の所に行きます、あなたのせいです、ずっと恨みます』