「 海外の怖い話 」 一覧
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飛行機接触事故
1960年末に発行された『アメリカ連邦航空局年鑑』には、実に奇妙な報告が記されているので紹介する。
その年の1月25日、アメリカのオハイオ州上空をジョン・ウォールが『セスナー82型』に乗って飛行していた。
しばらく順調な飛行を楽しんでいたが、そのうち目の前に見たこともない淡いピンク色の雲が現れたのだ。
すでにベテランの域にあったウォールは、コースを変える必要を感じることなく、そのままのコースで雲の中に入っていった。
そのとき思わね事件が起きた。
雲に入った瞬間、急に目の前に木製の複葉機が現れたのである。
驚いたウォールは、急いで機体を旋回させたが、正面衝突は避けられたものの、翼の先を相手の複葉機の胴体に接触させてしまった。
にもかかわらず、雲の中にいた複葉機はそのままどこかへ消え去ってしまったのである。
飛行場に降りたウォールは、セスナ機をチェックして、片翼の先がわずかに凹み、塗装が削り落とされているのを確認した。
その後、ニアミスと接触事故の報告をアメリカ連邦航空局に提出した。
その報告を受けてアメリカ連邦航空局は、相手側の複葉機の当て逃げ同然の行為を、航空法から悪質と見て調査を開始することになった。
そして、接触事故が発生した3ヵ月後、ようやく相手の複葉機を発見したのである。
調査委員たちが、オハイオ州の牧場の中に建てられた古い倉庫の中で発見された複葉機の翼の一部からウォールのセスナ機と同じ塗装痕を発見したことで、事件は解決したかに思えた。
しかし、とんでもない展開がそのあとに待ち受けていた。
その複葉機は、長年誰も飛ばしていない状態で放置されていたのである。
驚くべきは、複葉機の中で発見された1932年の飛行記録の中に『見たこともない金属製の飛行機と、空中で接触事故を起こした』と記されてあったことだ。
つまり、ウォールのセスナ機と木製の複葉機は、時間を超えた未知の空域で実際に接触事故を起こしたことになる。
あまりの異様さに、調査委員たちは飛行記録を押収し、そこに使われたインクの成分分析をFBIに依頼。
その結果、時間経過を測る化学テストから、間違いなく30年代に書かれたインク跡という報告が届いた。
この事件は、アメリカではタイム・スリップ事件として有名だが、ウォールが過去に行って事故を起こしたか、複葉機が現在(当時)に来て事故を起こしたかで見解が分かれている。
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謎の西洋人
異世界から来た謎の西洋人の記事。
1.1990年代に存在しない国のパスポートを持った西洋人が飛行機で成田に到着。
2.男を拘束したら、男が激怒&当惑。
3.入管によれば、存在しない国のパスポート(フェイク)は存在するが、この西洋人が持っていたパスポートのページには、様々な国の入管の正式なスタンプが押されており、日本の入管のスタンプも押されていた。つまり、以前に日本に入国経験有りだが、入管には記録はない。
4.男曰く、男の出身国は1000年以上存在しているヨーロッパの国であり、様々なヨーロッパの紙幣と国際自動車免許証を所有し、数カ国語を喋れる。
5.男は、冗談で拘束されているんじゃないかと言い、抗議のため政府高官との面会を要求。
6.拘束から14時間後、男を空港からホテルへ移送。
7.入管は、男に指示があるまでホテルの部屋から一歩も出ないように命令。複数の警備員が監視。
8.翌朝、男が失踪。唯一の出口は、警備員が立っていたドアと階段などに繋がっていない部屋の窓のみ。尚、部屋は15階にあった。
7.入管は東京中を探すよう指令を出したが、結局見つからず打ち切りになった。
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死んだはずの男
1990年2月。
バミューダ海域で一隻の漁船が漁をしていると、白い布で出来た袋のようなものが流れてきた。
船の上へ引き上げて中を開けてみると、中から60過ぎくらいのやつれた男性が入っていた。
船員たちは皆びっくりしたが、放置しておくわけにもいかない。
詳しい事情を聞いてみると驚くようなことを語り始めた。
男の名前はミッシェル・ガヤンといい、フランスからバミューダの方に移住してきたのだが、自分は1926年に死んだはずだと言い張るのだ。
死んだはずだと本人は言っているが、現にこうして生きている。
袋詰めで海を漂っていたために、精神に異常をきたしたのか、船員たちはそう思いながらもとりあえずバミューダ島の病院に連れていくことにした。
病院についてカルテを調べてみると、確かに男の言うように1926年にミッシェル・ガヤンという男がガンで死んでいたことが判明した。
63歳だった。
さらに調べてみると、彼の遺言で死体は焼かれずに布でくるんで水葬として海に流されたということまで分かった。
死亡証明書に押してある指紋を照合した結果、本人に間違いはない。
となると、実際生きていた状態であるのに水葬にされて息を吹き返したということも考えられるが、問題はその年月である。
彼が死んだのが1926年、そして発見した今は1990年。
彼が死んでから実に64年の歳月が経っている。
ずっと生きていたなら本来ならば127歳になっているはずだ。
なのに、当のミッシェル・ガヤンは死んだときの年齢そのままの状態で64年間も死体として海を漂い、そして今再び生き返ったことになる。
彼に何が起こったのか、結局謎は解明されないままだった。
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クリミナルグループ
留学生(主に中韓)を中心とした数千人とも言われる集団『クリミナルグループ』が存在する。
・このグループは全国各地にあって、心細い生活を強いられている彼らの精神的支柱にまでなっている。
・各グループはいついかなるところでも、初対面でも仲間を見分ける暗黙の了解が成り立っている。
・極端な拝金主義(彼らが犯す犯行の九分九厘は金目当て)
・仲間内で目立つためだけに派手に殺す。
・そして彼らは主にインターネットでつながっている。世田谷一家殺人事件、大阪曽根崎風俗嬢殺し、福岡一家4人殺害事件、大分恩人虐殺事件 etc・・・
『世田谷一家殺人事件/侵入者たちの告白』(草思社)元公安の北芝によると、↑の本の世田谷事件の推理内容はともかく、クリミナルグループについては事実とのこと。
ちなみに日本で殺人しても、せいぜい刑は7年程度。
その間、刑務所ではとてもいい食事が出て、訓練してくれて、日本語が覚えられる。
中国ならばすぐ死刑。
日本では刑期を終えて出所すると、その間の『お給料』までいただける。
殺人でさえこの程度の刑だから、彼らにすれば強盗などその他の犯罪なんてやりたい放題。
彼らは一旦帰国し、家族に金を渡すと再び日本に潜入する。
彼らが一番怖いのは『仲間』。
仲間を裏切ると殺される。
だから日本国内で『仲間に狙われたら日本人を殺し刑務所に入る』それが一番安全。
ただ出所して帰国すると、郷里に手が回っているからこれは危険。
家族も危ない。
だから再び日本国内に潜伏して『荒稼ぎ』する。
これの繰り返し。
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ケネディーの妹
米国政治史に燦然と輝くケネディー家であるが、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺に続き、弟のロバート・ケネディも大統領候補指名選中に暗殺されたことを始めとして、その家族は皆決して幸せな人生をおくったわけではない。
ケネディー家の中でも、その存在がタブー視されている人物にローズマリー・ケネディがいる。
彼女は知能指数が若干低かったという話や、時として不機嫌になり周囲に暴力をふるうことがあったという。
しかしながら、その一方で、彼女の知能には一般生活においては何の問題も無く、それが証拠にオペラを鑑賞したり、男性とダンスに興じるのを好んだという話もある。
彼女は、その素行不良から、父のジョセフ・ケネディから女子修道院に入れられたのだが、しばしばそこを抜け出して遊び歩くこともあったという。
彼女が23歳の時、父ジョセフは彼女に前頭部の左右の神経線維を切断するロボトミー手術を受けさせる。
素行不良が解消し順応になるという話であったが、手術の結果、彼女の知能は三歳程度に退化し尿失禁をわずらい何時間も壁を見続けるようになり、話す言葉も支離滅裂になってしまった。
この事件がきっかけとなり、ケネディ家はロボトミー手術に対して徹底的に調査を行うように政治的に働きかけ、米国でのロボトミー手術は下火になった。