「 嫌な話 」 一覧
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じいさんの昔話
俺の親父の実家がある村の話。
父親の実家、周囲を山にぐるっと囲まれた漁村(もう合併して村ではないけど)なんだ。
元の起源は、落ち延びた平家の人間たちが隠れ住んだ場所で、それがだんだん村になっていった感じ。
まぁそんなこと、村で一番の年寄りの爺さんがガキンチョに聞かせるだけで、ほとんどの人間は意識していない。
若い子とかは、知らない子のほうが多いくらいだ。
俺の住んでいる市街(といってもすげー田舎)とそれほど距離があるってわけじゃないんだが、地形の関係で周囲と孤立している。
今でこそ道路もきちんと整備されて、簡単に行き来できるようになったけど、数十年前なんかはろくに道路も整ってなくて、まさに陸の孤島って言葉が似合う、そんな場所だった。
よく田舎では余所者は嫌われるって言われてるけど、全然そんなことないんだよな。
村の人たちは排他的ではないし、気のいい人たちだよ。
土地柄的に陽気な人が多い。
親族内でお祝い事があったら、明らかに親戚じゃない知らないオッサンとか混じってて、それにも構わずみんなでわいわいやったりとか。
基本的に飲めや歌えやっていう感じ。
俺は半分身内みたいなもんだから、それでよくしてくれてるところもあるんだろうけどさ。
正確な場所はさすがに訊かないでくれ。
俺まだその村と普通に交流してるからあんまり言いたくない。
言えるのは九州のとある地方ってことだけだ。
親父の実家自体は普通の漁師の家。
でも、家を継いだ親父の兄貴(親父は九人兄弟の真ん中)が、「年を取ってさすがに堪える」って言うんでもう漁業は止めてる。
実家は親父の兄弟姉妹とその家族が何人か一緒に住んでたり、親父の叔父叔母が同居してたりでカオスだ。
俺も親父も親戚関係は全然把握できてない。
誰が尋ねてきても「多分親戚」ってくらい親戚が多いんだよ。
で、俺の家は何かあれば、ちょこちょこ実家に遊びに行ってた。
俺がガキの頃はかなり頻繁だった。
小さい頃は楽しかったけど、中学生にもなるとさすがにそういうのもうざくなってくるが。
それ俺って一族の中では年少者だったから可愛がられてて、お小遣いとか結構貰ってて、そういうの目当てで大人しく親についていってた。
近所の爺さん婆さんたちも、子供は独立して滅多に帰ってこないっていうので寂しかったのか、俺や俺の弟や妹たちをすげー可愛がってくれてさ、今でも俺が来ると喜ぶんだよな。
そんな年寄りたちのなかで一番に俺たちを可愛がってくれたのが、シゲじいさんっていう人だった。
シゲじいさんはもともと海の男だったんだけど、とうの昔に引退して、気ままな道楽生活を送っている人だった。
俺がガキの頃の時点で90超えてたと思うが、口は達者で頭もしっかりしてた。
奥さんもずいぶん前に亡くなってて、子供のほうは東京に出たっきり正月や盆にも帰ってこない。
だから俺らの遊び相手をして、寂しさを紛らわせてたんだと思う。
豪快なじいさんで、俺との木登り勝負に余裕に勝ったり、エロビデオ毎日観てたりと、俺にエロ本読ませてくれたりと、殺しても死なないんじゃないか、というような人だった。
でも、そんなじいさんもさすがに死ぬときは死ぬ。
俺が中学生のときに病気になって半分寝たきり状態。
夏休みのときに実家に長期滞在したんだが、じいさんの病気を知ってからは、親戚付き合いそっちのけで、じいさんの家に見舞いにいきまくってた。
じいさんは
「もう自分は長くないから」
と、昔話を聞かせてくれた。
そのときじいさんの話を聞いたのは、俺と弟だったわけだが、あれを子供に聞かせていいような話だったのかと、あの世のじいさんにツッコミを入れたい。
じいさんの話は、生贄の話だった。
じいさんは、
「昔ここらへんではよく生贄を捧げていた」
とかぬかしやがる。
それも何百年も昔ってわけじゃなくて、昭和初期から中期に差し掛かる頃まで続いていたとかなんとか。
俺「いや、そげんこと言われても……」
弟「……困るし」
俺たちの反応のなんと淡白なことか。
でも、いきなりそんなこと話されても実感沸かないし、話されたところで、俺らにどうしろと?って感じだった。
俺「生贄ってあれだろ?雨が降らないから娘を差し出したり、うんたらかんたらとかいう……」
弟「あと生首棒に突き刺して、周りで躍ったりするんだよな?」
じいさん「ちげーちげー(違う違う)。魚が取れんときに、若い娘を海に沈めるっつーんじゃ」
俺「あー、よく怖い話とかであるよな。人柱とか」
じいさん「わしがわけー頃には、まだそれがあった」
俺「……マジで?」
じいさんの話はにわかには信じられないものだったが、まぁ昔だし、日本だし……
そんな感じで、当時若い姉ちゃんの裸よりも、民俗学だの犯罪心理だのを追求することに生きがいを感じている狂った中学生だった俺は、ショックではあったが受け入れてはいた感じ。
弟のほうはよく分かっていないような感じだった。
多分、漫画みたいな話だなーとか思ってたんだと思う。
生贄を捧げるにしても、なんかそれっぽい儀式とかあるんだろうけど、じいさんはそこらへんの話は全部端折った。
俺としてはそっちのほうも聞きたかったんだけど、当時若造だったじいさんも詳しいことは知らないそうだ。
当時の村の代表者(当然、既に故人)とか、そういう儀式をする司祭様みたいなのが仕切ってたんだろうけど、そのへんのことも知らないらしい。
じいさんが知っているのは、何か不可解なことが起きたときや不漁のときに、決まって村の若い娘を海に投げ込んでいたというだけ。
親父の実家は、先にも言ったように陸の孤島みたいなところだ。
そういう古臭い習慣がだいぶ後まで残ったんだと思う。
じいさんがなんでそんなこと俺らに聞かせたのかは、未だによく分からないんだけど、その生贄の儀式っていうのは、神の恩恵を求めたものっていうよりは、厄介払いの意味を含めたものであったらしい。
村中の嫌われ者、身体・知的障害者や、精神を病んだ人(憑き物ってじいさんは言ってた)を、海に投げ込んでハイサヨウナラって感じ。
だから、捧げられるのは若い娘だけじゃなかったらしい。
その裏で、多分こっちが本当の目的なんだろうけど、厄介者を始末する。
実際、近所の家にいたちょっと頭のおかしい人が、生贄を捧げた次の日から見かけなくなった、というのがよくあったそうだ。
あまりにも頻発するんで、村の中枢とはそれほど関わっていなかったじいさんも、薄々は気づき始めたらしい。
俺の妹が軽度の知的障害者だから、聞いたときは本当に嫌な気分になった。
俺「でもさ…、それっておかしいとか思わなかったの?娘さんは最初から沈められるって決まってるけど、そういう厄介払いされる人たちって行方不明じゃん」
じいさん「いやー……娘さんにはむげー(可哀想・酷い)とはおもうたけんど、ほかんしぃが消えたあとはまわりんしぃ、むしろ厄介者が消えてせいせいって感じやったなぁ」
俺「……」
生贄の儀式が実は厄介払いのための建前っていうことは、当時の村の人間の、暗黙の了解みたいなものだったんだと思う。
誰も何も言わなかったってのは、そういうことなんじゃないかな。
ちなみにこの風習も、昭和の中ごろになる前に自然消滅していったそうだ。
村の人間も、戦後あたりに家を継ぐ長男以外は出稼ぎで全国に散らばっていったから、生粋の地元人ってのもあまりいないし、事実を知っている人間は年寄りばかりで、そのほとんども亡くなっている。
今生きているのは、当時子供で詳しくは知らない人とか、そういうのばっかりだ。
そういう人たちも、わざわざ話したりしない。
だから生贄関連の話、記録とかには残っているんだろうけど(慰霊碑があるし)知らない人のほうが多いみたいです。
まぁ自分の地元の郷土史なんて興味なけりゃ、ごく最近の出来事でも周囲の認識はこんなもんだと思う。
結局、シゲじいさんは、なんで俺と弟にこんな話をしたのかわからない。
俺が民族学やらなんやらが大好きってことを知っていたから、それで聞かせてくれたのかもしれないけど。
あの人、変人だったし。
もう墓の下だけど、死ぬ直前まで口の達者なじいさんでした。
でも、あのじじいがこんな話をしてくれたもんだから、しばらくは大変だったよ。
今まで(今でも)可愛がってくれた年寄りたちの何人かはこの事を知っていて、実際に身内の中に生贄を出した家ってのもあるかもしれない。
そう思うと嫌な気分になるっていうか、気のいい彼らに対する認識が少し変わったんだよな。
彼らがいい人ってのはよく分かってるから、それで交流を止めたりはしないんだけど。
以上、あまり怖くはないんだが、俺個人としては気分の悪くなった話。
俺は相変わらず実家に訪問することが多いのだが、まだ他にも普通じゃない話はいくつか見聞きしている。
それは、話すときがあるかもしれないし、ないのかもしれない。
さすがに地元特定されるようなネタとかは話せないし。
個人的に、かつて村の有力者だったという家の話は、もっと凄かった……
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前の住人
俺が大学3年になる頃の話。
それまで大学のすぐ近くに住んでたんだけど、バイクを買って通学時間が短縮できるようになったのと、部屋が荷物で手狭になってきたこともあって、引っ越そうと思ってあれこれ部屋を探してたんだ。
そしたら隣町の不動産屋で、少し大学から離れるけれど、家賃はそのままでそれまでの倍ぐらいの広さの部屋を見つけた。
4階建てのマンションの4階で、屋根がちょっとカマボコ型のドームみたいになってロフトのついてる物件で、すごくお得だった。
家賃がすごく安いから、下見の時に不動産屋の人に
「自殺でもあったんじゃないんですか?」
って冗談めかして聞いてみたんだけど
「自殺があったらもっと安くしてますよ。それに前もお兄さんと同じ大学の学生さんに住んでもらってたんですよ」
って言われて特に怪しい感じでもなさそうし、とにかく安くていい物件だったから信用してそこに決めたのね。
で、あっという間に引越しの日になって、友達に手伝ってもらって荷物運び込んであれやこれや作業して、落ち着いたときにはすっかり夜中だった。
ホントは友達と新居で酒飲む話になってたんだけど、前日から徹夜で片づけしててあまりに疲れたので、その日は帰ってもらってぶっ倒れるように寝込んじゃった。
次の日も休みだったから、そのままとことん寝てやるつもりだったんだけど、3~4時間してに急に目が覚めた。
最初、自分がなんで目覚めたのかもわからずに「?」って感じで明け方の薄明るい部屋の中でぼさっとしてたんだけど、ちょっと目が冴えて来ると同時に、なにか屋根の上でごそごそ音がしてるのに気付いた。
さっきも書いたけどロフトがあって屋根裏みたいな空間になってるから、ちょっと音が響くわけよ。
ちょうどベランダの窓の上のあたりから、ごそごそ、かさかさ、ごそごそ、かさかさ、って聞こえてくる。
何の音か分からなくて気持ち悪かったんだけど、眠たい所邪魔されて少しイラッと来たのもあったから、思い切って窓開けてベランダに出てみた。
そしたらその瞬間、バサバサバサっ!って、でっかいカラスが2.3匹飛んでいった。
「なんだ鳥か」って思ってその時はまたすぐ寝ちゃったの。
で、そのまま何事も無く3日ほど過ごしてたんだけど、毎朝鳥が来てガサガサやるのは続いてた。
正直ウザかったけど、「家賃が安いしこういうのもしょうがないかな」って思って慣れるまで我慢することにした。
そして次の日に引越し手伝ってくれた友達と、あと何人か呼んで部屋で飲み会やったんだ。
いろいろ持ち寄ってワイワイやって、気がついたら明け方。
最後までいた2人もそろそろ帰るって事になって、俺が最寄り駅まで送っていったのね。
まだ誰もいない明け方の道をてくてく歩いて駅まで行って、またてくてく歩いてマンションの前まで帰ってきた。
中に入ろうとしたその時、ハッと上を向いて気付いたんだけど、うちのマンションの上だけカラスが10匹くらいいるんだよ。
それもほとんどが俺の部屋の真上。
それ見てすごく気味が悪くなった。
しかも、普通カラスってアンテナの上とかにいるじゃない?
でも、うちのマンションもアンテナの上にも2匹ほどいるんだけど、それ以外が全部俺の部屋の上にいるのね。
それでなんかガサガサやってんの。
ほろ酔い気分も一気に醒めて、速攻で家に帰って、部屋の中から物干し竿で天井ガンガンガンガン!って突いてやった。
そしたらまたバサバサバサって飛んでいったんだけど、やっぱりどうも気分が悪い。
で、朝になるのを待って、ちょっとキレ気味で不動産屋に電話した。
「天井にやたらカラスが来てうるさくて寝れない。なんとかならないか」って。
そしたら
「わかりました、一度業者を伺わせます」
って言って、結構あっさりそういう話になった。
2日後にヘルメットと作業着のオッサンが2人ウチにやってきた。
事情を話すと
「巣でもあるんでしょうかね?」
って言って、若い方のオッサンがベランダにロープと脚立出して、俺ともう一人が見守る中手際よく屋根に上って行ったのね。
上ってすぐだったと思う。
その若い方が嫌な顔して戻ってきてこう言うんだ。
「骨がある。良く分からないけど、多分人間の」って。
俺ももう一人のベテランの方のオッサンも「ハァ?」って感じで、今度はベテランの方が代わりに上ったのよ。
そしたらやっぱりすぐ戻ってきて、
「ありゃ子供の骨だわ、スイマセンちょっと会社に連絡します」って。
俺は最初、2人して俺が学生だからおちょくってるのか?とか思ってたんだけど、オッサンらの姿を見るとどう見てもマジなの。
で、結局不動産屋が来て、警察も来て、オッサンと俺とあれこれ聞かれて、俺はそのまま言われるままに警察署まで行った。
警察が言うには、詳しいことは鑑定してからだが、おそらく嬰児の白骨死体だと。
死後かなり時間が経ってるはずだから、最近引っ越してきたばかりの君を疑うつもりはないが、一応いろいろ聞かせてほしい、と。
そこまで聞いて、やっと自分の住んでた部屋の真上に人間の死体があったってことを脳が理解できた。
吐き気がしたよ。
結局その日、そのまま夜まで拘束されて、フラフラになって友達の家に泊めてもらった。
警察からの帰り際、警官はもう全員俺の家から引き上げたって聞いてたが、もちろん家に帰るなんて気持ち悪くて出来なかった。
次の日、朝一番で不動産屋に行って即時解約を申し込んだ。
契約では2ヶ月前に解約通知しないとダメってなってたけど、事情が事情だけに向こうも何も言わなかった。
敷金や手数料や当月の家賃など、一切の金を返却することも了承させた。
今回の引越し代と、次の引越し代も負担してもらえる事になった。
ただ不動産屋が言うには、騙して契約させたわけじゃないことだけは分かって欲しいとのことだった。
自分達もまさかそんな物が屋根の上にあるとは思わなかったし、鳥が多いのも把握してはいたけど、近くに食肉処理場があるから特に不自然には思わなかったとのこと。
まあ俺は金銭面で全面的に主張が通ったので、それ以上何かを言うつもりは無かった。
もちろんいい気分ではなかったけどね。
そんで早速家を出ることになって、当然そんなにすぐに新しい部屋の都合がつかないから、当面友達の家に居候することになった。
小さな荷物だけはそこに持っていって、大きい荷物はレンタル倉庫に預けることにした。
幸い何個かのダンボールは荷解きせずにそのままだったし、他のものも結構すぐ片付いたから、解約申し込んだ3日後には部屋の荷物を全部運び出し終えてた。
で、部屋がカラになったから、段取りどおり不動産屋を呼んで部屋の引渡し前の確認をしてもらった。
確認も終わって不動産屋と俺と順に部屋を出て鍵をかけて、さあ行きましょうという段になって、俺は玄関の表札をまだはがしてないのに気付いたんだ。
折りたたんだルーズリーフにサインペンで名前書いただけのお粗末な表札を表札入れから抜き取った時、もう一枚裏に紙が入ってるのに気付いた。
全く見覚えのないその紙はひっくり返すと、一面サインペンで塗りつぶしたようになっていた。
日に当てて透かして見ると「○○祐子」か「○○佑子」と書いてあったように見えたが、はっきりとは見えなかった。
不動産屋は
「前の人の書き損じですかね、多分表札の紙が薄いから、書き損じを裏に重ねて入れてたのを置き忘れていったんでしょう」
と言っていた。
俺は、自分の前に住んでいたのは「学生」と聞いていたので何となく男だと思い込んでたから、少し面食らったんだけど、
「そうですか」
とだけ言って、そのまま不動産屋と別れてバイクで友達の家に帰った。
「女が住んでいた」ってわかって、何となく嫌な気分はあった。
俺が家について友達に真っ先に尋ねたのは、1年ぐらい前に起こった暴行事件のこと。
実は、うちの大学の女子学生が帰宅途中に暴漢に襲われる事件があって、それ以来注意を喚起するビラが毎日のように配られてたのよ。
その学生は、結局事件のショックが尾を引いて大学をやめちゃったって噂で聞いたんだけど、事件が起きたのが確か、俺のマンションの最寄り駅の近くだった。
それことについて友達に尋ねてみると、
「確かにあの駅って書いてあった覚えがあるなあ」
って言っていた。
予想通りの返事を聞いて俺には思うところがあったけれど、その時は敢えてそれは口に出さなかった。
それからはマンションで起きたことについてほとんど話す機会もなかった。
周りの人も気を遣ってくれてたのかも知れないが。
ただ一つ不気味だったのは、この件に関してテレビでも、地元の新聞ですら、全く触れられていなかったこと。
大学の図書館に行って、あの期間の新聞をありったけ調べたが、何一つ記事が載っていなかった。
何らかの見えざる力が働いたのか、それ以上のことは調べる術もないわけだが、俺は8割か9割ぐらいで、多分、前の住人が我が子を屋根に遺していったんだと思っている。
確信はないんだけど。
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心中現場
焼き鳥屋のオヤジから聞いた話。
オレは居合わせた事はないんだけど、近くに警察の寮が有るらしく、若い警察官が結構連れ立って飲みに来るそうで、そんな客の警察官が
話してくれたそうだ。自殺とかの第一報が入ると、真っ先に制服の警官が駆けつけるらしいのだが、その警官が見たのは男女の首吊り心中の現場だった。
覚悟の上での首吊りだったらしく、二人とも後ろに両手を廻して縛ってあって、並んで首をくくったらしいのだ。
で、グロイ話だけど首吊り死体って時間が経つと首が伸びてしまって、両足がつくまでずっと伸びたままになるらしい。
その男女の死体もそういう状況になっていた。
処刑とかの場合は、高所から落とすので首の骨が折れて即死状態になるそうなんだけど、単に首を吊っただけだとやはり長く苦しむのだそうだ。
で、両足が畳まれて、まるで座っている様な状態になるまで首が伸び切った壮絶な死体だったのだが、奇妙な事に気が付いたんだって。
覚悟の上とは言え、苦しさのあまり縛ってあった手を本能的に解こうと何かに捕まろうとしたらしく、紐の所は血まみれだった。
これは頷ける。
奇妙なのは、男の伸び切った首に噛み付かれた様な歯型が2箇所有った事。
鑑識が来て調べていった後、こう聞かされたそうだ。
男女は同時に首を吊った。
で、女のロープが少し緩んで男の胸の辺りまで沈んだ。
その頃は二人とも(少なくとも女は)苦しんでいても未だ死んではおらず、本能的に体を持ち上げようと両手を動かすが、紐は解けない。
そして女は口を使って相手の男に噛付き、必死で体を持ち上げようとした。
「こういう事もあるんだねぇ。だけどね」
と警官はオヤジに言ったそうだ。
「目の前の男の首に必死で噛付いて助かろうとした。それだけでも想像を絶する事だよね。だが男の首には噛み痕が二箇所有った。という事は、目の前で恋人の首が伸びていくまで女は生きていた。愛する男の首が伸びていくのを見ながら最後は何を思って噛み付いていたんだろうねぇ」
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島の禁忌
うちの父方の家は長崎のとある島にあって、議員さんも出た名のある家柄でした。
その家は、絶対口外してはいけない過去がある家でした。
今は父方の家系にあたる人間は私しかおらず、私の父が家出(駆け落ち?)同然で東京へ出てしまい、家を継がなかった事と、父の死後、その家を取り潰してしまった為、今は断絶したことになります。
父は去年亡くなりました。
父方の親戚もいません。
だから、ここで書いても最早問題ないと思います。
それを知ったのは高校一年の頃。
その家へ遊びに行った時に、爺様から教えてもらいました。
この家は昔、海外への人身売買を生業にしてきたと。
正しくは、人身売買で引き取った子を海外に輸出する前に、ある程度の作法やら言葉を教育するという事を行っていました。
その稼業は室町以前から始まり(ちょっと眉唾ですが)昭和初期まで続いていたそうです。
95歳で亡くなった爺様も、関わらないまでもそれを生で見ていた、ということになります。
まず、全国の農村を子を買って回る業者(名前は失念)から子供を引き取ります。
爺が言うには、当時で大体男子が50円、女子が20円程度だったと聞きます。
10円が今で言う1万円くらいだったらしいので、人一人の命が2万や5万程度だったことに驚きです。
末端価格でその値段ということは、実際の親にはその半額程度しか支払われていなかったことでしょう。
あまりに哀れですが、それほど困窮していたとも取れます。
連れてこられたその子たちは、うちの家で大切に扱われます。
綺麗な洋服を着て、美味しいものを食べて、遊んで暮らします。
そして、色々教えていきます。
言葉、字、作法、女子には料理、すべては洋式の事ばかりだったそうですが・・・
海外へ行っても困らないように養育したそうです。
さて、子供たちはどこに住んでいたのかと言うと、長崎の家は一見2階建てと気づかないのですが、2階がありました。
2階には一切窓がありません。
外から見ても、窓が無いので2階があることさえ分かりません。
しかし、当時は煌びやかな壁紙や装飾が施された部屋がいくつもあり、その部屋に子供たちが引き取られる一時期だけ暮らしていたそうです。
そこへ上がるための階段に、ちょっとした特徴がありました。
2階に上がるのは、階段から簡単に登れるのですが、降りる為には、1階から移動階段を渡してもらわないと、降りれないようにもなってたそうです。
構造をもうちょっと説明すると、階段を上り終わった所の板は、下からしか上げられない戸になっており、降りる側の戸は、登った側の反対側で階段の裏側が見えるという状態です。
逃げ出せないようになっていたのですね。
ちなみに、私は爺様にその場所を教えてもらったのですが、上りの階段も外されていて、上ることが出来ないようになっていました。
あと、家の中央付近にはつるべのような仕掛けがあり、一種のエレベータのようなものが置かれていました。
片方の下は井戸になっており、石を繋いで落とすと、すべりの悪くしている(?)滑車が、ゆっくりと片方に乗せられた盆を上げていく仕組みです。
あくまで料理や生活や教育に必要な道具を上げるだけで、人は乗れないモノだったそうです。
私が見たときは井戸が埋められていて、ロープも無く、上の暗い穴のところに、滑車の車を外したモノがあるだけでした。
一番オカルトチックだったのは、発育の悪い子や、貰い手が無いまま15歳を超えた女子を殺して捨てる井戸があったこと。
本当かどうかは分かりませんが、逃げ出そうとしたり、知能が遅れすぎて役に立たない子は、牢屋に入れて毒で殺した挙句、その井戸から落としたそうです。
貰い手が無かった男子は、そのまま近隣の島の労働力としてもらわれていくことが多かったそうです。
私が行った頃には、すでに井戸は跡形も無くなって、庭の片隅に鳥居と鎮魂の為と思われる文字が刻まれた岩があっただけです。
爺様は幽霊なぞは見たことが無いと言っていましたが、子を落としてからしばらくは、井戸から声が聞こえることがあったらしいです。
「しにぞこない」とか「仲間入り」なんて呼ばれてたらしいですが…。
でも、この話を聞いてから、二度とその家へ行かないと決めたものです。
実際取り壊しの時も私は立ち会いませんでした。
父は祖父が死んだとき、一切合財の財産は島で家を管理されてた人に任せることにしました。
きっと父も、その呪われた島に行きたくは無かったのでしょう。
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担任
俺が小学5年生の時、クラスに貧乏な家の男の子D君がいたんだ。
彼は給食費を払うことができなかったらしい。
なぜなら担任が給食の時間、毎日のように
「D、ただ飯はうまいか?」
と言っていたからだ。
D君は引きつった様な顔でぺこりと頭を下げていた。
たまに給食を残したりしようものなら、
「お前は金を払わないのに食べれるんだから、残す事は許さない。」
と教師に言われ、掃除の時間中、後ろにずらされた机で黙々と食べていた。
これがクラスの悪ガキのいじめならば、誰か止めに入る事ができたのだろうが、担任のいじめとなるとどうしようもなかった。
その担任の教師は、自分のお気に入りの女子の生徒を膝の上に乗せたりしたり、嫌いな子にはビンタするという、ひいきを平気でするような先生だった。
そして事件が起きたんだ。
授業中にD君が飛び降りた。
3階からだったんだけど下が花壇で助かった。
D君の机の上に紙が置いてあった。
俺は隣の席でその紙の内容は知っていた。
『担任の先生に怒られて叩かれる。僕は駄目な人間だから死にます。』みたいな内容だった。
担任は、その遺書のようなものをサッとポケットに入れて、飛び降りた理由も僕を含めた五人の児童になすりつけた。
世の中悪が勝ち、正直者が泣くと思わされた思い出です。