「 月別アーカイブ:2013年01月 」 一覧
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不可解な事件
警察が自殺と断定、または事件性が無いと判断したもの
・自動車事故で胸部大動脈損傷した後、5キロほど車を運転して、橋の欄干から5mほどジャンプして投身自殺した自衛官
・400kgの重りを自分で身体に縛り付けて海に飛び込んだ高校生
・時速80キロで、ガードレールとガードレールのわずかな隙間をタイヤ痕ひとつ残さない絶妙な運転テクニックですり抜けて50m下へ転落したナース集団
・ロープを首に巻いて空中浮揚し、門扉にひっかかったタクシー運転手
・証拠品の銃を奪い取って、別の袋で保管された弾丸を装填し、わざわざ銃を自分から離して自分の胸に発射、ただちに飛び散った血をふき取って取調室を掃除した容疑者、この間5秒。
・逆立ちして、マンションの窓際まで指をひきずった跡をつけながら歩行、足を引っ掛けて手すりにぶら下がり、空中で方向転換して50cmの隙間に向けて飛行した市議会議員
・わざわざ動脈と反対側の手や腕の甲を切って自殺しようとするも未遂、その後自分で自分の背中に針金でおもりを結びつけて川にうつぶせになり死亡
・火の気のない玄関で人体発火現象を起こして、燃え尽きるまで気管に煤が入らないようじっと息を止めて待ってた審査委員長
・自分で左右の手首切り、さらに首の頚動脈も左右とも自分で切り、脊髄まで達するほど深く腹に刃物を刺し、血の跡一つ付けずに3メートル以上歩いて非常用ブザーを押した証券会社副社長
・口の中に靴下を入れたままガムテープで口を塞ぎ、両手を後ろで手錠により拘束し左手には手錠の鍵を持ち、玄関内で衣服の乱れもなく窒息死した記者
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硫黄島の英霊関連の話
その1
硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。
ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところでばったり!と倒れたそうです。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、
「誰かに呼ばれた気がする……。」と。
その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。
その霊感青年以外にも『呼ばれた』隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。
その2
外来宿舎に金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。
私たちが行った時、人数の都合で自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。
怖いのが嫌というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが、きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土からミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えて、
「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが、この半分を○○県の△川に流します。半分はこちらに置いていきます。」
と、念じました。
心配されていた私の部屋では何も起こりませんでした。
が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。
明かりをつけると、ベッドの位置が引きずった跡もなく、思い切りずれていました。
それから後、夜は何事もありませんでした……。
その3
医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。
入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。
医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。
(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)
「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」
試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で、
「地下があったらしいと聞いています。」と。
……下に降りる階段が見つからないのだそうです。
今も。
他の壕では『平成○年○月、調査ここまで』と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。
遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。
その4
横須賀の教育隊に行ったとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。
分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、お供え物の一品としてタバコが置かれてあったんだって。
そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。
まぁ、まだ硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。
案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。
そいつを起こして何があったか聞いたところ、
「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたらさ、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」
と真っ青な顔で答えたとのこと。
戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。
異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。
嗜好品は唯一の慰めだね。
甘いもの。
水分。
本や写真。
人によってそれぞれ。
俺は吸わなかったけど、煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たよ。
その5
硫黄島の戦い終盤には、西戦車中隊の95式軽戦車、97式中戦車は殆ど破壊されて残っていなかった。
擱坐した米軍のM1シャーマン戦車の75mm砲を使って、しばしば反撃した事は生き残った人間の証言からわかっている。
それよりも自衛隊スレのオカルトのところにすごい話が載っている。
硫黄島勤務の自衛官は度々英霊を目撃しているのだが、ある自衛官が『加藤隼戦闘隊』のビデオを一人で見ていたら、
「いいものを見せてくれてありがとう」
と言う声が聞こえたそうだ。
あ~今、英霊が来られてるんだ、と感じたその人は、テーブルの上にビールとタバコを置いて供養したそうだ。
その後、本土に帰隊した後、宝くじを買ったところ・・・なんと1億円あたった。
うそみたいな話だけれど、自衛隊の中では有名な本当の話だ。
その人は、今でも英霊が引き当ててくれたと信じている。
その6
B大の3学年には硫黄島研修と言うのがある。
愛国心を高めるために悲惨な激戦地の戦史を勉強する為にね。
俺が聞いた話では、硫黄島の石を持って帰ってはいけないと言われていたのに、隠して持って帰って来た学生が帰って来て3日目の朝の点呼の時に出てこなかった。
週番が調べに行くと心臓麻痺で死んでいたそうだ。
で、B大に伝わる怪談はここから始まるだが・・・
その死んだ学生のベットをそのまま使っていたらしい・・・
そのベッドで寝ていると、とにかく金縛りにあう。
それでベッドを替えてくれと指導教官に頼むと、教官はやっぱりそうかって顔をしてすぐに変えてくれる。
と言う噂を話を聞いた。
ちなみに、俺は半年で辞めたから本当の理由があると言う話は聞いた事がない。
その7
元海自で潜水艦勤務経験者の主人が、硫黄島に行ったことがあると話していたので日曜日の朝っぱらから聞いてみました。
砂持ち帰りダメな理由は、
「昔、沢山の方が亡くなっているから・・・」と。
もっと詳しく聞こうとしたら、すごく嫌がってました。
「砂って何色?砂にホネとかまじってるの?」
とたずねると、砂はふつうの砂浜の色との事ですが、ホネ以前に
「・・・怨霊とか、そういう問題」
との事で、すっかり黙り込んじゃいました。
検疫とか放射能ではなくて、マジにオカルトな理由との事です。
ちなみに主人はあまりオカルト信じたくない人間ですが、あんまり聞くと怒り出しそうな感じでした。
それから小一時間問い詰めたら、国家の機関が堂々とオカルト認めるのは立場的に云々・・・
でも世の中には科学で説明のつかないこともあるっていうのも、かなりの隊員が経験しているので結果的に、
『もちかえると、根拠はわからないが、不思議とよくないことが実際に起こる』ので禁止との事です。
話している主人の顔が真っ青で、こっちの方が怖かったです。
どれだけ怖い事なのか、よく伝わったので・・・
その8
YS-11M機上整備員です。
実体験ですが、数年前の夏、無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便。
大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。
定刻に離陸なのですが、いつもより滑走距離が長い。
Pも変だなーという顔。
夏の日差しの機内は程よい温度で、弁当の後やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというか、ひそひそ声でふと目が覚め、機内を見回しても海保さんが寝てる姿しかない。
改めて寝直すと、
「これで国に帰れる」
「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。
流石に目が覚めて、後部貨物室を見回してもなにも。。。。
海保さんも、やや青ざめた顔で、
「聴きましたか?」
と、2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが、
「それで重かったのか、お盆も近いし」と。
その後、何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと、
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」
その9
こういう話も。
YS-11Mはもうよぼよぼの機体で、あっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが、厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が、戻るか戻らないかという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると、当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは、霊の類は信じない人でしたが、それ以来、硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。
その10
まぁ、書くか。
YS-11Mの機上整備員です。
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが、偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが、
「先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!」
「あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスにその話してみろ。」
ロードマスターに上記の話をしたら、どうも旧軍の霊らしいと。
日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も定期便時(厚木→硫黄)は、内地から和菓子、水、酒、弁当を1組積んで飛んでいきます。
こういう話も。
有る定期便が硫黄に向かうと天候悪化で滑走路が見えず、もう1度トライしてだめなら帰ると言うときに硫黄の滑走路端に灯りが見え、無事にタッチ。
Pが礼を言いに行くと、誰もサーチライトとかを付けてないと。
その11
昭和天皇の話だが、幽霊島になってた硫黄島に慰霊に訪れたら何処からともなく万歳三唱が聞こえてきて、以降幽霊がパッタリ出なくなったっていうのは聞いた。
その時に御読まれになられた俳句。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ(皇后陛下)
その12
■硫黄島の高松宮殿下
『高松宮日記』全八巻の完結を前に『This is 読売』一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。
昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。
硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。
戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。
殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。
「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」
次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。
とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。
仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。
「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」
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くねくね
これは小さい頃、秋田にある祖母の実家に帰省した時の事である。
年に一度のお盆にしか訪れる事のない祖母の家に着いた僕は、早速大はしゃぎで兄と外に遊びに行った。
都会とは違い、空気が断然うまい。
僕は、爽やかな風を浴びながら、兄と田んぼの周りを駆け回った。
そして、日が登りきり、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風か止んだ。
と思ったら、気持ち悪いぐらいの生緩い風が吹いてきた。
僕は、
『ただでさえ暑いのに、何でこんな暖かい風が吹いてくるんだよ!』
と、さっきの爽快感を奪われた事で少し機嫌悪そうに言い放った。
すると、兄は、さっきから別な方向を見ている。
その方向には案山子(かかし)がある。
『あの案山子がどうしたの?』
と兄に聞くと、兄は、
『いや、その向こうだ』
と言って、ますます目を凝らして見ている。
僕も気になり、田んぼのずっと向こうをジーッと見た。
すると、確かに見える。
何だ…あれは。
遠くからだからよく分からないが、人ぐらいの大きさの白い物体が、くねくねと動いている。
しかも周りには田んぼがあるだけ。
近くに人がいるわけでもない。
僕は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
『あれ、新種の案山子(かかし)じゃない?きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、農家の人か誰かが考えたんだ!多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!』
兄は、僕のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。
風がピタリと止んだのだ。
しかし例の白い物体は相変わらずくねくねと動いている。
兄は、
『おい…まだ動いてるぞ…あれは一体何なんだ?』
と驚いた口調で言い、気になってしょうがなかったのか、兄は家に戻り、双眼鏡を持って再び現場にきた。
兄は、少々ワクワクした様子で、
『最初、俺が見てみるから、お前は少し待ってろよー!』
と言い、はりきって双眼鏡を覗いた。
すると、急に兄の顔に変化が生じた。
みるみる真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには持ってる双眼鏡を落とした。
僕は、兄の変貌ぶりを恐れながらも、兄に聞いてみた。
『何だったの?』
兄はゆっくり答えた。
『わカらナいホうガいイ……』
すでに兄の声では無かった。
兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。
僕は、すぐさま兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。
しかし気になる。
遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。
少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。
しかし、兄は…。
よし、見るしかない。
どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる!
僕は、落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。
その時、祖父がすごいあせった様子でこっちに走ってきた。
僕が『どうしたの?』と尋ねる前に、すごい勢いで祖父が、
『あの白い物体を見てはならん!見たのか!お前、その双眼鏡で見たのか!』
と迫ってきた。
僕は、
『いや…まだ…』
と少しキョドった感じで答えたら、祖父は、
『よかった…』
と言い、安心した様子でその場に泣き崩れた。
僕は、わけの分からないまま、家に戻された。
帰ると、みんな泣いている。
僕の事で?
いや、違う。
よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。
僕は、その兄の姿に、あの白い物体よりもすごい恐怖感を覚えた。
そして家に帰る日、祖母がこう言った。
『兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと、狭いし、世間の事を考えたら数日も持たん…うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ…。』
僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。
以前の兄の姿は、もう、無い。
また来年実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。
何でこんな事に…
ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で…。
僕は、必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。
祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。
僕は、遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと、双眼鏡で覗いたら、兄は、確かに泣いていた。
表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初で最後の悲しい笑顔だった。
そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。
『いつか…元に戻るよね…』
そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。
そして、兄との思い出を回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。
…その時だった。
見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまったのだ。
『くねくね』
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怨まれる女
そんなに仲良くなかったし、学生当時も嫌われていた同級生の話。
学生時代からよく友人の彼氏を寝取る子で、近所に住んでいるが故に腐れ縁だった。
私は彼女に、「恨まれるような事は止めなよ」と、たまに注意していた。
大人になった彼女はやっぱりと言うか、為るべくして為ったと言うか、不倫女になってしまって2人の子供がいる男性を奥さんから奪い、男性の家庭を崩壊させ離婚させ、その後、件の男性と出来婚した。
不倫の末の結婚だったけど、堂々と式も挙げて、家も新しく買って、端から見ると祝福はされないものの幸せそうではあった。
ところが結婚して子供が生まれた頃に、男性の会社が事件を起こし、やむを得ず倒産。
その直後、男性の元奥さんが、男性と彼女の家の玄関で首吊り自殺。
第一発見者は早朝散歩の近所の人で、近所中の噂に。
悪評と嫌がらせに耐え切れなくなった彼女ら一家が、引越しようとした矢先、男性の会社倒産で煽り倒産した会社の社長が、先の元奥さんと全く同じ場所、同じ方法で自殺。
その後、男性の両親(地方に住んでいた)が殺人事件の被害に遭い死亡。
強盗殺人で、かなり惨い殺され方だったそう。
その後、男性は帰宅途中に失踪して今も行方不明。
夜の仕事しながら一人で子供を育ててた彼女だけど、数年前に子供が知障だと発覚。
で、彼女自身もこの前、元奥さんの子供に家を放火されて右半身に大火傷。
夫婦揃って怨霊憑き過ぎだろ……。
しょっちゅう「子供捨てたい」「金貸して」とうちに来るけど、いつか本人も殺されるんだろうなと、なんとなく思ってる。
学生時代の同級生らは、皆口を揃えて「因果応報でしょ」と笑ってる。