怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 田舎の怖い話 」 一覧

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因果応報

母親から聞いた話です。

家の近所に、有名な女性の住んでいた家があります。

母親と同級生なので、生きていれば56、7歳くらいになりますか。

…細長い3m級のマフラーを編んで近所中に配る。

…金属バットを持って隣の家に殴りこみ。

…冬でもノーブラ・タンクトップで家の前で掃き掃除。

…春になると誰彼かまわず喧嘩を売る。

…イタズラ電話が趣味。

とまぁ、精神的に問題を抱えていた女性です。

一時期、病院に入っていたのですが親が無理やり連れ帰り、2度の結婚離婚を経て(ただし、実際には籍を入れていなかったらしい噂が)何年か経ち、1、2年前にガンで亡くなったそうです。

亡くなった場所は、結婚の際に同じ敷地内に建てた一軒家だそうです。

彼女の両親は、精神的に問題を抱えていた娘を恐れていたのでしょう。

その一軒屋に閉じ込め、仕事の為、食事は出来合の弁当を毎日買って、その同じ敷地内にある一軒家に届けるだけで特に面倒も見ず、本人自ら気づく事無く、ガンに侵され精神的にも益々狂ってゆく娘を病院に連れて行く事も無く、そのまま放っておいたのです。

そして死にました。

当り前です。

ガンなのに、何もしないで放っておいたのですから…

死亡時、警察の検分が確かに行われたのですが、両親は罪には問われませんでした。

この近所は田舎なので、葬式が出ると付近住民が手伝う習わしが残っていました。

母も行きました。

田舎での事ですので、警察の検分が行われた事は皆知っていました。

女性の死因については色々な噂が飛び交い、好奇心に駆られた女性数人が、葬式の参列者が火葬場に行ってしまっている間、死んだ女性の一軒家を覗きに行ったらしいのです。

母の話では、

「大変だったみたいよー。○○さんなんて全身鳥肌立っちゃって、『私は言えない、私は言えない』って繰り返すばかりで!当り前だよね!気が狂ってるんだもの。掃除なんかしないし、弁当は食い散らかしてあるままだし、血だらけのシミだらけの布団がそのままだったんだよ!ガンで痛くて暴れてたらしいし。一番イヤなのは、その血だらけの布団が、そのままゴミ集積所に捨ててあったんだよ!葬式の後!丸めもしないで、そのままだよ!」

そして今現在、その女性の父親が病院に入院していて、母親の方が親戚中に泣きついているらしいのです。

「家にいるのが怖い」と…

近所では当たり前のように語られていますが、出るらしいのです。

その気の狂った娘さんが…

死に場所の一軒家から、母屋の方へやって来るらしいのです。

その家に最近伺った方の話では、母屋にはたくさんの部屋があるのにもかかわらず、使っている形跡が無いらしいのです。

年寄りの一人住まいとはいえ、おかしな事です。

お客様がいらっしゃるなら、掃除くらいはするはずです。

掃除すら怖くて出来ないらしいのです。

娘さんが徘徊しているので……

『出る』という現象については、私も近所の方々もわからないのです…

何分、現在は老女の一人暮らし。

元々、金属バットを持って隣家に殴りこみに行くような人が暮らしていた家なので、ご近所の方々も、なるべく関わりあいにならないように普段から避けているご家庭なのです。

ただ、お家は敷地内に家が2つあるぐらいですから庭も広く、農家といえども案外立派な構えです。

これは母と私の考えなのですが、恐らくその女性は自分が死んだ事を知らないのではないかと思います。

いつも用意してくれた食事が見当たらないので、母屋の母親の所へ這いずる様に行き来しているのではないかと思います…

そして、お前には話しておくわねと、母が話してくれました。

私の家の北側には、兼業農家の祖父・祖母、息子夫婦にその子供達と、3世代が住む広い家があります。

今は亡き祖父さんのお母様、子供達にとっては曾祖母にあたる方は自殺されたそうです…

その理由は、昔、私の家のお隣さんがお嫁さんを迎える準備をされていた時に、保管されていた結納金の窃盗容疑をかけられたからだそうです。

昔のお金で3万円。

お嫁さんの家に差し上げるため、箪笥の奥に隠してあったものが無くなってしまい、ある人間のタレコミで嫌疑がかかり、悩んだ挙句の自殺だそうです…

そのタレコミをした人こそ、只今入院中の、件の家のガンに蝕まれていく娘を閉じ込めた父親です。

自殺された曾祖母さんのお葬式の後、残された家族の方があまりの悔しさに、家にいわゆる拝み屋さんを呼び、ご近所中が興味津々で集まったらしいです。

拝み屋さんを呼んだなら、誰でも勝手に参観可能なのだそうです。

そして拝み屋さんの口から語られたのは…

「今、この家にいないのが盗った」

その人間こそ例の家の入院中の父親、タレコミをした本人だったのだそうです。

噂はあっという間に広がりました。

子供も娘が一人しかもうからず、しかも、その娘は年をとるごとに気が触れていく……

そして結局、今に至るわけです。

多分、祟られたのでしょう…あの家は。

一人娘が気が触れたまま死に、父親は脳梗塞で体が動かず入院中。

もう二度と家に帰る事はできないでしょう。

そして件の家には生きている人間が一人、得体の知れないモノが一人…

あの家はもう駄目です……多分。

これで母から聞いた話しは終わりです。

因果応報。

そんな言葉が脳裏をよぎりました。

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嘘ついたら

正月に実家の旧家で体験した話。

布団で寝てたら夜中に目が覚めたので、尿意かいなーと思ってボーッとしてたら、天井に十二単みたいな着物を着た女が張り付いていた。

ずーと耳鳴りがしていた。

弱気に出たら舐められると思い、昔読んでた孔雀王とかの呪文を適当に唱えてたら、その女が天井に張り付いたまま体をイナバウアーみたいにして、グググーと顔をこちらに向けてきた。

女が、

「○○(昔の人の名前ぽくて聞き取れない)、今何時ぞ?」

と聞いてきたので、正直に答えたら呪われると、とっさに思い

「まっぴるまです」

と答えたら、思いっきり顔を着物の裾ではたかれた。

気がつくと朝で、布団に寝ていて、何故か枕が足の下にきていた。

夢かいなーと思って、天井を見上げてみると、すすで汚れたような黒い人間の裸足の足跡が2つあった。

怖くなったので初詣に4~5回行った。

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後女

中1の夏でした。

私の祖母の一番上の兄、Tさんが亡くなりました。

といっても、私はTさんとは殆ど面識がなかったのですが、夏休みという事もあり、両親と共にお葬式に出掛ける事になり、私はその時初めてTさんの屋敷を訪れたのでした。

そこは某県の山奥、大自然に囲まれた、まさしく田舎といった場所で、屋敷と呼ぶにふさわしい、古いながらも、とても大きな家構えでした。

敷地内には鶏小屋があり、たくさんの鶏が飼育されていました。

Tさんの娘にあたるおばさんが、売りには出せない小さな卵を私や親戚の子供達にくれたので、大人達が集まるまでの時間、私は子供達と一緒に、その卵を使って、おままごとなどをして過ごしました。

そのうち、お葬式が始まり、私は足の痺れと眠気と闘いながら、あまり面識のないTさんの遺影を見つめていました。

そしてお葬式も滞りなく終わり、両親や親戚のおじさんおばさん達は、ビールや寿司を囲みながら、Tさんの思い出話や子供たちの話、世間話などで盛り上がり、私もおじさん達にビールを注いだりと愛想をふりまきながら、やがて田舎の涼しく心地よい風を感じる夕暮れ時となっていました。

ふと尿意を感じた私は席を立ち、ひとり便所へと向かいました。

かなりの田舎という事もあり、便所は少し変わった作りをしていました。

扉を開くと裸電球の下、まず男用の小便器があり、そこにまた扉があります。

それを開くといわゆる、ぼっとん便所が奥にあるのです。

ですが、電気は始めの個室の裸電球しかなく、私はふたつめの扉を開けたまま、薄暗いぼっとん便所で用を足す事になりました。

田舎の夏の夕暮れの独特な雰囲気と、慣れない木造の便所で少し気味が悪かったのですが、鼻歌を歌い、気を紛らわしながら用を足し、服を整えて振り返りました。

それはいました。

ひとつめの個室の裸電球の下、白い服を着て、真っ黒な長い髪を無造作に束ねた女のうしろ姿。

私は恐怖で体が痺れたようになり、厭な汗が体中から噴き出しているのを感じました。

どれぐらいの時間でしょう。

長いような短いような。

女の頭から目を離せずにいた私の耳に

「コォォーーーーー……」

という、かすれた音のような、声のようなものが聞こえてきました。

それと同時に、私は少しずつ視線を下へと落としていきました。

私の目に飛び込んできたものは、異様に爪の長い女の手の甲…そして足の…指…?

こっちを向いてる……!!

うしろ姿だとおもっていた女は、まぎれもなく正面を向いていました。

髪をすべて前へ下ろし、あごのあたりでひとつに束ねていたのです。

女の顔は全く見えない…見えないけれど見える…見えない…。

「ひぃぃ…ひぃぃ…」

私はガタガタ震えながら、泣いていました。

そして女はゆっくりと両手をあげ、髪を束ねている紐に手をかけようとしました…。

そのとき「ガタッ」と扉の開く音と同時に、父の姿が見えました。

グルッ

女が扉の方へ振り返り、そこで私は気を失いました。

目を覚ますと、私は布団に寝かされていました。

両親が、心配そうに私の顔を覗き込んでいました。

「変な女がおったんよ!!怖かった…怖かった…。」

また泣きそうになる私を見て、二人はうんうんと頷いていました。

父は、あの女の姿を見てはいないようでした。

少し落ち着きを取り戻した私に、おばさんが一冊の古びた冊子を持ってきました。

それは、亡くなったTさんの覚え書きのようなものでした。

そのうちの、黄ばんだ1ページに墨で描かれていた絵は、私が便所で見た女そのものでした。

「うちのお父さんな、こんなおそろしいもん、よう見とったみたいなんよ。」

「この覚え書きは、お父さんが死んでしもてから見つけたんやけど、なんやいつもえらい怯えとったんやわ。」

「それやのに、全然気付いてあげれんかった…。」

そう言っておばさんは涙ぐんでいました。

その覚え書きを見せてもらうと、Tさんはあの女のことを後女(うしろ女?)と呼んでいたようでした。

鶏の飼育についてや、森での狩りなどの覚え書きの合間合間に、後女について記してありました。

今となっては、あまり覚えていませんが、最後のページにはこう書いてあったと思います。

「後女の真の面、真の背、目にしたとき我は死すか」

私は後女が振り返ったあの時、女の後頭部を見たような気もするし、見なかったような気もします。

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風習

つい先日、田舎に帰った時に聞いた話が、衝撃的だったので書かせていただきます。

うちの田舎はお墓参りの後に、お墓から提灯に火を点けて、本家に徒歩で帰るっていう風習のようなものがあります。

それだけだったらありがちなんですが、色々と制約がありまして、

1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」

2.「走ってはいけない」

3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者(ただし赤ん坊のように自分でもてない場合はその次の年齢の者)」

4.「絶対にお社を見てはならない」

この4番目のお社というのは、本家からお墓までの間、ほとんど田んぼしかない道の道中に、不自然に小さい林のような場所がぽつんとありまして、その中には石造りの小さいお社があります。

そのお社の方向を見てはいけない、というものです。

子供の時は、私も提灯を持つ役をした事がありましたが、その時も祖父や祖母に約束を守るようにと厳命されました。

その時に聞かされたのが「提灯の火に御先祖様が乗り移って家の仏壇に入るから途中で消してはいけないよ」という内容で、子供ながらに「なんか変なの」と思ってその役をやっていました。

そしてその提灯持ちの最中、お社の付近に差し掛かると母親が私の目を隠してきたのを覚えています。

当時の私は母親のおふざけだと思い、無邪気にきゃっきゃっとはしゃいでいました。

そしてお社を通り過ぎるまでは、その状態が続き、母親が手を外すとそのまましばらく歩き、家に到着。

仏壇の蝋燭に火を移して終了という風習でした。

当時はなんとも思っていなかったこの風習なのですが、今年、何年かぶりに田舎に帰り、祖母にその風習について聞く機会があったので聞いてみました。

「そういやYちゃん(私)にはちゃんと話してなかったね。」

と、あの提灯持ちのルールの真意を聞いて正直驚きました。

1.「提灯の火を消してはいけない。消えた場合はすぐにお墓に戻って火をつけ直す」

これは昔聞いたとおり、御先祖様を家に連れて帰る為の依り代のような物、火が消えると連れていけない。

2.「走ってはいけない」

走るとアレに見つかりやすくなる為。

3.「提灯を持つのはその場にいる最年少者」

アレは弱いものを狙うので、御先祖様の守護が確実に届く位置、要は提灯の持ち手が一番近い。

4.「絶対にお社を見てはならない」

直接アレを見てしまうと御先祖様の守護も効かない。

祖母は説明しているときに「アレ」という言葉を多様したが、私は意味がわからない。

「アレってなに?」と聞くと

「アレはほら、お社の中にいるアレだよ。」

話しを聞くと、アレというのは田んぼの真ん中にある林の、お社の中にいるモノで、足の長い猿のような外見をしており、大昔からそこにいる存在で普段は静かにしているらしいが、お盆の季節になると害をなすモノになるらしい。

名前もあるらしいが、それを口にするのは禁忌らしく「知らないほうがいい」と教えてくれませんでした。

この存在は子供には教えないらしい、興味が出ると「見えて」しまうからだそうだ。

今思えばあの日、母親が私の目を隠したのも、そういう都合があったからなんだなぁと、今になって感謝したものです。

祖母は続けてこの風習、というより儀式の失敗した場合の事を教えてくれました。

過去には途中で火が消えたまま本家に帰ったり、アレを見てしまったりしたりと、失敗があった時があったらしいのですが、その時は、次のお盆までに必ず一族の誰かが不可解な事故や事件で亡くなってるそうだ。

私はそこで(急に話しが胡散臭くなったなぁ 必ずって…)と思っていると、

「去年亡くなったFはアレにやられたんよ」

そこで私はものすごく鳥肌が立ちました。

去年の年末、私の従兄弟にあたるF君が車の事故で亡くなった。

子供の頃、よく遊んだのでとても悲しかった。

母親から聞いた話だと、直線の見晴らしのいい道路で、急にハンドルをきって横の川に転落し、亡くなったそうだ。

なぜハンドルをきったのか、原因はいまだに不明らしい。

私が何年ぶりかに田舎に帰ってきたのも、F君にお線香をあげなきゃと思ってのことであった。

「じゃあ、去年の夏に失敗したの?あの提灯のやつ」と聞くと、

「去年はUちゃん(親戚の子供)が提灯持ちをやったんだけどねぇ。どうやらアレを見ちゃったみたいでな。ものすごく怯えておったんよ」

その後、大慌てでお払いをしてもらったりしたらしいが駄目だったらしい。

昔、なんとも思わずに参加していたものに、重大な意味があると知った時、私はとても恐怖を覚えました。

私が田舎に帰ったときは、その儀式はすでに終わっており、お墓参りだけしてきました。

今年のその儀式は、きちんと成功したのか一年間不安でしかたありません。

来年は参加して、きちんと見守りたいと思います。

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山のテント

私は、野生動物の写真を撮って寄稿するという仕事をしていました。

夜間に山中の獣道でテントを張り、動物が通るのを待って撮影する。

また、赤外線センサーを用いて自動シャッターで撮影するなどです。

仕事柄、人気のない山中に一人でこもるのが怖いと思った事はありませんでした。

奥多摩秩父山地を沢沿いに登ったときのことです。

地図を見て、想定していた付近には午後の1時頃に着きました。

河原に一人用のテントを貼って、5時過ぎまで仮眠をするのがいつものルーティンです。

絶対に人のいるはずのない山奥ですので、都会の只中よりは安全なはず…そう思っていました。

起きた時にはもう、外はかなり暗くなっていました。

ランタンをテント内に吊し、機材を準備してヘッドランプを装着し撮影に出かけます。

テントを出て、おかしなことに気づきました。

沢の上流に向かって10mほど離れた所に、やはりテントが見えます。

青い色のようです。

ここは釣り場ではないし、本当に人外の地です。

私の他に、登山者がいるとはとても考えられませんでした。

テント内の明かりは透けて見えません。

誰かが眠っているのでしょうか?

それにしても、私がテントを張ったときには無かったのは間違いありません。

仮眠の間に音もなく誰かがやってきた、という事なのでしょうか…

とりあえず撮影の下見に、出かけることにしました。

その時、青いテント内に明かりがつきました。

するとテントの色が急にまだらに変化しました。

テントの内側から、そこかしこにどす黒い色がしみ出しています。

青い地でよくわからないのですが、その時に古い血の色を連想しました。

礼儀としてテントの人に一声かけるべきなのだろうか?

そう思いましたが、後からきた向こうがなんの挨拶もないのに、それも変かなと考えました。

しかし、それは言い訳で、何よりそのテントが不吉な感じがして怖かったのです…

大変だけど場所を変えよう、と思いました。

そこでテントを撤収し、なるべくそのテントの方を見ないようにしながら1kmほど沢を登りました。

これで今夜の撮影はできなくなってしまいました。

上流の河原で、テントを張り直したら時刻は9時近くになっていました。

簡易食を食べて眠りにつきました。

まだ肌寒い五月のはずですが、びっしりと寝袋内に汗をかいて夜中に目を覚ましました。

午前2時頃です。

テント内の空気がこもっていたので、ジッパーを開けて外の空気を入れようとして愕然としました。

私のテントのすぐ目の前に、さっきの青いテントがあったのです。

「えっ、嘘!」

するとテント内に明かりがつきました。

そして、まだらになったテント内から二つの手のひらが黒く浮かびあがりました。

テント内の人が私の方に向かって手を突っ張っているのです。

私は一瞬気が遠くなりかけましたが、急いで反対側から外に出て横に回り込み、持っていた懐中電灯でそのテントを照らしました。

そのテントの中のモノは、あちこち手探りをしていましたが、ジッパーを開けて外に出ようとしています。

私は後ろも見ずに沢に入り、膝までぬらして駆け下りました。

真っ暗な中で何度も転びながら、駆けて駆けて駆け下りました。

途中で懐中電灯も放り出してしまいました。

息が切れて走れなくなった所で、うずくまって震えながら朝を待ちました。

次の日、麓から人を呼んで昨夜の場所に行ってみると、二つのテントがならんであり、一つは私の物、一つは青いテントでしたが昨日見たよりもずっと朽ち果てていました。

テントの中には10年以上経過したと思われる、男性の人骨がありました。

私はそれ以来、動物の撮影はやめ、山へも行っていません。