「 事件 」 一覧
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南港
今から数年前、霊的なそれじゃないけど高校3年の夏休み実体験したことでも書いてみる。
当時、俺は高3の6月頃に推薦入試で大学が決まり、夏休み前に野球部を引退し夏休みは何して遊ぼうか考えてた。
クラスのみんなとは基本仲良いけど、野球部の奴としか連るんでなかった。
終業式の日、教室に入ると部活してないアルバイト馬鹿のAが、車の免許取って今日車で学校に来たとみんなに自慢してた。
車の免許は20歳にならないと取れないと思ってた俺は、テラ興奮。
Aとは一度も遊んだことないし、一緒に帰った事もなかったけど乗せてくれとせがんだ。
Aは乗せてと言い寄ってくる奴に帰る方面を聞き、たまたま俺の住む難波付近(大阪ね)で用事があるらしく、難波近辺の奴なら送るとのことだった。
俺含めB、C(野球部じゃない)の3人が乗れることに。
学校終わってA・俺・B・Cの4人みんなが初めて帰るメンバーで、会話はかなりぎこちなかった。
が、車でテンションが最高潮に沸き、今日から夏休みという事もあってテンションが訳のわからない事になって、初絡みだけどこのまま今から遊ぼうかってなった。
それだったらとAが、今から俺の用事に付き合ってと言い出した。
聞くと、Aはかなりのガンマニアでモデルガンやらを売ってる店に行くんだとのこと。
知らない世界と言うか、面白そうだからついてくことに。
日本橋に着いて、想定外のスケールのモデルガンやらエアーガンを置いてるお店に着いた。
無茶苦茶な量の銃があって、その上に客も迷彩服の奴、やたらムキムキな奴、皮パンのお兄さん、ファッションの一部として銃を腰につけてる奴とかいた。
それ見てB、Cと興奮してると、遊びで無性にエアーガンやりたくなった。
Aはと言うとパンチの効いた客と談笑し、やったらごついエアーガンを購入。
店出たら言うまでもく、みんなでA家に寄り、用意してそっからエアーガンで毎日遊んだ。
Aの地元の友達3人ともエアーガンから遊ぶようになり、他にも楽しいことを毎日してた。
夏休み最終日の日曜日。
俺らは刑事モノドラマに出てきそうな港街でエアーガンやろうってなった。
場所は南港っていう地名のとこ。
ただ、俺らはガンショップの店員から、その南港の良い感じのスポットは大きな網で囲われてて、中に入れないから遊べないと言うのを聞いていた。
それを覚悟で網を切る用に工具を持って行ったんだが、そのスポットの門と言うか扉の鍵が開いていた。
むっちゃラッキーじゃんと、またここでテンションが上がり、チーム組んでいざ撃ち合いスタート。
(この時は相手の位置とか分かるサバゲッチュっていうTV番組で採用されてたサバイバルガン&防具を使用)
これがハラハラ、ドキドキで最高に盛り上がった。
始まって30分たったぐらいで、いきなり門の方から『ウ~ウ~』っとパトカーのサイレン音。
しかも半端じゃない数。
と同時に、
「お前らは包囲されてる!武器を捨て直ちに出てこい!!!(大阪弁)」
と言う。
夢でも見てんじゃないかと思う声が爆音のスピーカー音でお届けにきた。
頭ん中が訳わからなくなって、とりあえず何かあったら集まると約束した場所へダッシュ(網の中)。
どうするよ俺?大学の推薦取り消しだ、懲役は何年?とかもう1人と喋りながら足ガクブル。
そしたらみんなも足ガクブルしながら来た。
アワアワってなってるとAがガンマニアの血か、はたまた生まれついての血なのか、
「俺が囮になって出て行く。やからお前らはその隙に逃げろ。」
と言い出した。
囮も何も出口1つしかないからそんなんしても意味ねーよって、言いたい所だけど、このテンパるもテンパった状況下じゃそういう思考もなく、”ただ逃げたい”という1点の考えしかなくて俺らは、
「Aやめろ!」
と本気で止めた。
そしたらこの発言が、またAの何かに火を点けたのか、出口に向かい猛然と突き進んで行った。
そしたら、
「コゥラァアアア!押さえろ!!!」
っと聞こえた。
そん時、初めて逃げよう、どこに!?出口1つしかねーよ!って思考ができ、震えながらみんなで自首。
銀行強盗とかの時の盾みたいなの持って武装した警官みたいなのが、ウワっと沢山いて事の重大さに気づいた。
警察も子供が出てきたからなのか、あれっ?て感じだった。
パトカー乗せられて、まぁそっから署で、1人ずつ個室に入れられ刑事に鬼のように怒られた。
何でも南港の夜はかなり危ないらしく、ヤクザから、麻薬の売人とか危ない奴がいてるから気をつけろとのことだった。
刑事は最初、お前の仲間は最初から開いてた言うけど、門はどうやって開けた?っていうことを聞いてきた。
初めから開いてたと言っても中々信じてもらえなかった。
明け方に取り調べ終わって、また南港行って犯行現場で指さして写真撮られて、始末書みたいなの書いて親も来てまた凄い怒られた。
結局、不法侵入予備?みたいなので軽くしてもらい学校にも内緒にしてくれた。
で、1週間後ぐらいに指紋取るからまた署に来いと言われ7人で行った。
指紋とか、ひと通りやって帰れると思ったら、担当の刑事さんに呼ばれた。
聞くと、お前らが侵入した網の所は防犯カメラついてて、今からその映像見せると言ってきた。
映像始まってしばらくしたら、夏なのにジャケット着た、おそらくスーツの男が鍵開けて網の中に入ってきた。
そしたら、次にまた大きなフランスパンみたいな長細い包みを持った小さいおやじが来た。
で、それを夏ジャケットに渡す。
と、途端に影に隠れる2人。
しばらくして俺ら登場。
この時点で?!!ってなった。
そんで、俺らがエアーガン持ち出してワイワイ喋ってるのを影からじーっと見てる。
そしたら夏ジャケットが、俺らの方に向かって懐から銃らしき物(てか100%銃)を、スッと出して構えてバーンって撃つふりをしてスッと扉から出て行った。
映像はそれで終わった。
刑事さんは、
「こいつらが鍵を何故持ってるのか、そもそも何者かわからないし、あの袋の長細いのが何なのかわからない、銃みたいなのも本物かわからない、ただ南港はこんな所だ。」
と言われた。
それ以来エアーガンはやってない。
ただ当時はこの映像の奴らに暗殺されるんじゃないかとか、精神的に不安になり洒落じゃ済まなかった。
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詐欺の結末
20数年前、バブル真っ最中で銀行はどんどん回収見込みの無い所にまで貸し付けをやっていた。
銀行を真似て、マリンバンクや農協も組合員に簡単に貸していたんだ。
ある漁業系の貸し付けはめちゃくちゃ酷かった。
1000万円の評価額の土地を担保に、2年間で計3000万円を貸りたAという人がいた。
なぜ、そんな貸し付けが出来たのかと言うと、組合の会長が入院中で代理のBが決済を下してたらしい。
詳しくは知らないが、Aのように、どう考えても絶対に貸りられるはずの無い大金が数人の組合員に貸し付けられた。
で、数年後。
金を借りた人の親戚の元に督促状が何通も届くようになった。
そのほとんどが高校はおろか、中学もろくに行っていなかったような老人なんだ。
督促状には大金を借りた組合員の保証人と書いてあった。
ローンも組めない年金暮らしのお年寄りを狙って、組合員と会長代理のBらが仕掛けた詐欺だった。
田舎じゃ、玄関のカギなんか掛けないから勝手に家に入って老人の実印と印鑑証明を持ち出したんだ。
その上、土地の権利書も持ち出し、勝手に抵当に入れてたから親戚中が大騒動。
そんなのが何件も出て来たんだけど、マリンバンクは『借金は借金だからなんとかして払え』
借金をした本人は『困った親戚を助けるのは当たり前』と開き直る。
被害者は子供や孫に叱られ、ショックで死んだり、首をくくったり…。
家を取られ、住む所を無くし出ていった老人もいた。
それからすぐに、会長代理のBが突然の原因不明の病気で病死。
組合理事Cの妻が病死し、息子夫婦が破産し離婚。
組合理事Dは多額の借金を残し妻子を捨てて夜逃げ。
Aは心臓病で倒れた。
これが一月以内に立て続けに起こったんだ。
Aが倒れる前に、Aの妻が何人もの老人がAの家の周りをグルグル回っているのを目撃していた。
「こいつは…どうする?」
「こいつも騙されたクチやでなぁ」
「取らんでもいいが?」
「そやけど、こらしめんとなぁ」
「そうや、こらしめんとあかん」
後になってわかったが、Aは借入金額3000万のうち、500万をB,C,Dにピンハネされていたそうだ。
今、Aは生きてはいる。
生きてはいるが、いつも耳元で、
「年寄りから騙し取った金で飯食うとるんかぁ?」
「夜中、沖で船が止まったら、そら怖いでぇー仲間が来るでなぁー」
そんな声がしょっちゅう聞こえて夜も眠れないそうだ。
なぜ、自分がこれを知っているかと言うと、Aは自分の親戚で亡くなった老人も身内なんだ。
権利書、実印、印鑑証明などを取られたのだから訴えれば良かったと思うのだが、親が言うには身内から逮捕者を出したくないと思ったんだろうとの事だった。
霊感の強い母曰く、Aの肩には嫌な笑顔の3人の老人と、もがき苦しむBがしがみ付いているのだそうだ。
Aはニトログリセリンを首からぶら下げているのだが、その瓶を3人の老人が指で弾いて遊んでいるという。
多分、今度発作が起きたらニトロを口にすること無く苦しみながら逝くのであろう。
「Kちゃん(母の名前)、因果応報なんよ、仕方ない事よなぁ」
老人の1人が母にそう語ったそうだ。
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忘れられない電話
僕は京都の○○大学・文学部・仏教学科の学生です。
この話は、僕が所属するゼミの教授から聞いた話です。
もう一昔前ですが、当時助教授だった教授の元に、一本の電話が掛かってきました。
関東に住む弁護士さんからでした。
『ぜひ仏教の知識に秀でる○○助教授に教えて頂きたいことがあります。』という内容でした。
最近、中年女性が弁護士さんに相談に来て、息子を助けて欲しいと。
内容は、自分の息子が、ある新興宗教に入信してしまい、帰ってこないどころか連絡も一切とれずに困っているとの事でした。
それどころか、息子は家のお金を数百万も盗み、その宗教団体に寄付しているんです。
と、母親の女性は涙ながらに語っていました。
母親は、
「出家とはそういうものなのですか?」
「いくらなんでもおかしいんじゃないですか?」
弁護士は悩みました。
いくら弁護士でも、宗教については分からなかったからです。
そこで、世界の宗教について研究して本も出版していた、当時の○○助教授に連絡が至ったわけです。
「○○教授にお尋ねしたい。宗教において出家とは、二度と親には会ってはいけない、また多量のお金を寄付しなければいけない、とか決まりがあるのでしょうか?」
助教授は答えました。
「いえ、そんな事はありません。日本宗教においては、出家しても会いたくなれば親に会ってもいいですし、そんな決まりは昔から存在しません。」
「まして、元の自分の家から多額の金を寄付するなど、ありえません。あきらかにおかしいことです。」
弁護士は、
「やはりそうですか。実はですね。こういった相談が最近私の元に沢山くるんです。」
「このお母さんだけではないのですよ。しかも全部の相談がある一つの宗教団体なんです。」
教授は「何ていう宗教団体ですか?」と尋ねました。
「はい、何やらオウム真理教という新興宗教の団体なのですが・・・」
教授は「オウム?聞いたことないですね。」
「いやあ、何やらこの団体の噂が多々ありましてね、施設の近所に住む方々からも苦情があるんです。真夜中に凄い叫び声や奇声がするやらなんやらで・・・。」
「とにかく、もう少しこの団体について調べてみます。○○教授ありがとうございました。また何か分かれば連絡致します。」
そう言って○○弁護士と電話で話したのが、最初で最後になったそうです。
そう・・・この弁護士は坂本弁護士からの電話だったらしいのです。
後にオウムによって一家惨殺されました。
教授は今でも、あの電話を忘れることができないそうです。
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山道のベンツ
友達と山にドライブに行ったとき。
深夜で、しかも霧がかかってたので、後続車も無いしチンタラ走ってたんだ。
俺達は、頂上付近の展望台を目指していた。
すると、かなりのスピードで俺達に接近してくる後続車。
後ろにいた友人が、
「ベンツや!スモーク張ってるし、やばそう!!」
と。
運転手だった俺は、停車するにもこの勢いじゃ追突される・・・!と思い、アクセルを踏んだ。
まだまだベッタリとケツに張り付いてくるベンツ。
霧などお構い無しに、勘だけを頼りに車を走らせていると、ようやく展望台が見えてきた。
俺は展望台の駐車スペースに、スっと車を入れた。
「これで前に行かせられる・・・」
と、ホッとしていられたのもつかの間。
ベンツも同じように停車した。
しかも、出入り口付近に停車しているので、逃げる事も出来ない。
俺達は恐怖の余り、車内で黙る他なかった・・。
そして、ベンツからいかにもな風貌の男が二人降りてきて、俺達に近づいてきた。
コンコン。
と、窓を叩く細身でメガネの男。
パリっとしたスーツを着て、清潔感もあるが、やはり独特のオーラは消せていない。
俺は窓を10センチほど開けた。
「こんな時間に何をしとるんや?」
と聞かれ、
「ここで夜景を見ようと思って・・」
と俺が答えると、もう一人の体格の良いヤクザ風の男が、
「男ばっかりで夜景かいな?寂しいのぅ!」
と笑った。
「煽ってすまんかったな。兄ちゃんらもええ車乗っとるから、こっちのモンか思ってのぅ。勘違いや」
俺達は一気に安心した。
どうやらこれ以上、怖い思いはしなくてすみそうだな・・と思った。
その後、自販機でジュースを奢ってもらい、タバコを吸いながらしばらく談笑した。
100%ヤクザだとは思うが、普通のオジサンみたいな感じもした。
「ほな、ワシら用事があるから行くわ」
と、細身の男。
俺達は礼を言って、二人が車に乗り込むのを見送った。
細身の男が前、体格のいい方が後部のドアを開けて、それぞれ車に乗り込んだ。
男達のベンツはエンジンをかけたまま暫く動かなかったので、その間、俺達も固まっていた。
3分後くらいにブオーン!と勢い良く、登りの方へ消えていった。
展望台より上に行くと、ほとんど整備されていない獣道があるだけなのにな?
と、少し疑問に思ったが、
みんな安心して、
「マジ怖かったー!」
「洒落ならんわ!」
とか、安堵の表情で言っていた。
でもその中で友人のAだけ、まだ暗い表情をしている。
「どうしたん?大丈夫か?」
と、Aに尋ねた。
Aが、
「俺、見てもうた気がする・・・・」
「ゴツイ方が後ろのドア開けた時に、手ぬぐいみたいなんで口塞がれてる人が見えた・・・」
俺達は考えたくはなかったが『山+893=埋める』という嫌なセオリーを頭に浮かべた。
「はよ言えや!!」
と、他の友人が恐怖に満ちた表情で叫んだ。
俺達は、車に乗り込んで一目散に下山した。
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ポコさん
近くの公園に、いつもポコさんという大道芸人みたいなおじさんが週に3回来てた。
顔は白粉か何かで白く塗り、眉毛を太く塗り、ピエロの様な格好でいつもニコニコしてた。
ある日は紙芝居をしたり、また別の日にはジャグリングをしたり、風船で動物を作ったりと多才な人だった。
ポコさんが来る時には、何時も決まってラッパの様な笛で『ポーポー』と音を鳴らしながら空いてる手で小太鼓を叩く。
「だからポコさんって呼ばれてまーす。」
と本人が言ってた。
そのポーポーコンコンの音を合図に近所の子供は勿論の事、中学生や子連れのママさん達も集まるぐらいに人気だった。
それがある日、急にぱったりと来なくなった。
楽しみにしていた子供達は、今日こそは今日こそはと待つも、とうとう4ヶ月たってもポコさんは来なかった。
それから4ヵ月後、ポコさんの笛の音と太鼓の音が公園から聞こえた。
ワイワイガヤガヤと子供達が集まっていく。
私も同様に、友人達とそこへ向かった。
すると公園の中央で笑い声とも叫びともつかぬ、ざわめきが聞こえてきた。
私達がそこに着く頃には、16人ぐらいの子供達がポコさんの前で座ってたが、何故か子連れのママさん達は皆帰っていった。
そして何時もなら『ポコさーん』と声を掛け合っている子供の集団も、不安げに静まり返っていた。
それらの違和感の正体は、ポコさんの顔を見て直ぐ分かった。
事も在ろうに、ポコさんは白塗りの顔に赤い血を目や口から出してるペイントをして、髪の毛を白髪にしていたのだ。
ポーポーコンコンの音を鳴らしながら見開かれた目は血走っていた。
しかし、それも演出の一つなんだろうという思いから、私や友人もみんなの和に入り、座って演目の開始を待った。
それから数分後、その日用意されたのは紙芝居だった。
いつも通りの明るい声で
「さーて、始まるよー。今日の紙芝居はー」
と捲った瞬間、子供達は悲鳴をあげた。
『最愛(さいあい)の死(し)』とタイトルされた赤い手書きの文字。
そして正真正銘の死体の写真(グロでは無く死装束で棺おけに入ってるもの)が紙芝居には掲げられていた。
子供達のあまりの悲鳴に大人が何人か来て、その写真を見つけ、
「おいおい、ポコさん、これはあまりにもひどいよ・・・。」
と言うのを無視してポコさんは話を進める。
さらに捲られた一枚には血まみれの死体(グロ写真)が。
流石に子供達は散散と逃げまわり、2人の大人がポコさんを止めにかかったが、
「お、おーまーえーか!!!」
と大声をあげながら、持っていた太鼓の鉢や笛で叩いて錯乱状態。
取り押さえられて、連絡を受けた警察に連れていかれた。
どうやら、紙芝居の中身は大人が吐く位のものだったらしく、片付けを手伝ったママさんの一人がもどし、伝播したおじさんの一人も吐いた。
あとで聞いた話では、ポコさんの身内で不幸があったとの事だった。
町内の噂では、ポコさんの目の前で起きた轢き逃げ事故だったらしい。
犯人は捕まったものの、やりきれない思いから『壊れた』のだろうとの事だった。
この話には続きがある。
ある朝の5時ごろに、ポーポーコンコンという音を聞いた。
8時ごろ学校に行く為に外へ出たら、公園の方向が騒がしく、向かうとビニールシートで囲まれていた。
いつもの格好のまま、ポコさんは自殺したらしい。
それからというもの、誰もいない公園から笛と太鼓の音が聞こえたとか、朝、家の前の道を誰かがポーコン鳴らしながら歩いてたという噂が後を絶たない。
私も何度か体験しているが、それは何だか悲しい音色でした。
ポコさん、そんだけ奥さん愛してたんだろうね。
でも、やりすぎです。
トラウマになってピエロを見るとそれを思い出すし、子供を巻き込んじゃだめだよ。