「 伝承 」 一覧
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猫を助けたのは誰?
震災での被害はほとんどなかったものの、津波で水をかぶった地域。
地震発生後、町内で一番高い所にある神社に避難していく途中、見慣れない女の子が、前から町内をうろついていた猫を数匹抱えて走るのを複数の人が目撃している。
小学校低学年くらいの女の子で、黒か紺のジャージの上下着用。
ほとんどの目撃者は走って追い越されたそうだ。
当時は不思議に思わなかったが、死に物狂いで走る壮年の男性などを、腕いっぱいに動物を抱えた小学校低学年の女の子が追い抜けるものだろうか?
しかも、うちの町内は南と西が海に面しており、北は山で、東は車で30分ほど行くと隣町というどんづまりの田舎町なもので、基本的に『知らない子供』がいることがまずない。
町内で直接の死人は出なかったが、海に近い通りなどは軒並み半壊。
しかし、浜の近くに住んでいた野良猫の多くは無事だった模様。
あの女の子は神社の神様かな?
それともその手前に祭ってあるお地蔵さんかな?
と地元で語られている。
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さえがみさん
俺は、子どもの頃は超がつくド田舎に住んでいた。
山々に囲まれた閑静な農村地帯だった。
その村では一年のうちで、ある月の満月の日の前後一週間は、絶対に山に入ってはいけないという決まりがあった。
村の子どもたちは、その期間は山の神様が降りてこられる日だからと聞かされていた。
その期間は、山の入り口の所にある道祖神様(俺らは「さえがみさん」って呼んでた)の祠の前で山から村に入る道に注連縄を張って道祖神様を御祭りしていた。
このお祭りの間は、子どもだけでなく大人たちも決して山に踏み入ることは許されなかった。
村の子どもたちは物心ついたときから厳しく戒められているのと、山に入っても楽しい時期でもなかったこともあって、わざわざ叱られるのを覚悟で山に分け入るやつはいなかった。
とはいえ、腕白盛りの子どもたちのことだから、それでも数年に一人か二人は無謀にも山に入ろうとする馬鹿が現れるのが常だった。
隠れて山に入ったのが見つかったやつは、厳しく叱られて頭を丸坊主にされて学校を休まされた上で隣村にある神社で泊り込みで一週間修行させられるというお仕置きが待っていた。
それを見た村の子供たちは、お仕置きを恐れて期間中は山に入らないが、世代交代した頃にまた馬鹿が現れる。
お仕置きを見て自重。
忘れた頃にまた。。。ということが繰り返されていた。
ここまでの話だと、田舎によくあるわけのわからない風習で終わってしまうのだけど、俺が小学6年のときにその事件は起こった。
起こったといっても俺自身が『何か』を見たというわけではないし、『それ』自体も単なる村の風習と精神錯乱で、オカルトとは関係ないと言われればそれまでかもしれない。
ただ、村の禁を破って山に入った俺の従兄弟の妹が精神に異常をきたしてしまい、その兄も責任を感じてかその後おかしくなってしまったという事実だけが残っている。
その年は、従兄弟の親父さんがお盆に休みを取れないということで、お盆の帰省の代わりに季節外れのその時期に一家四人(両親と兄と妹)で里帰りしてきた。
普段だったら誰も訪れないような時期のことである。
そして、それが全ての間違いの元だった。
村の子どもたちは、その時期に山に踏み入ってはいけないと厳しく教えられていたが、従兄弟たちは普段はこの時期には村には帰ってきていないのでそのことは知らなかった。
祖父と祖母が従兄弟たちにそのことを教えたが、都会育ちの従兄弟たちにとってはイマイチ理解できていなかったのかもしれない。
あるいは、古風な村の風習だということで迷信だと馬鹿にしていたのかもしれない。
今となっては知るすべもないことではあるが。
従兄弟たちが普段帰省してくる夏休み中であれば、俺たちも学校が休みなので一日中つきっきりで遊びまわれるが、あいにくとその時期は平日で、俺たち村の子どもたちは学校に行かなくてはいけなかった。
学校が終われば俺たちは従兄弟たちと一緒に遊ぶわけだが、少なくとも午前中は従兄弟たちは彼ら兄妹だけで遊ぶことになる。
俺たちが学校に行っている間は、祖父母が山に入らないように見てたりするわけだが、さすがに常につきっきりというわけにはいかない。
それでもまぁ、3日目くらいまでは従兄弟たちはおとなしく祖父母の言いつけを守っていた。
少なくともそう思わせていたわけだ。
問題が起こったのは従兄弟たちが村にやってきて4日目のことだった。
さえがみさん(道祖神様)の御祭りも丁度中日でその日が満月の日だった。
俺たちが学校に行っている午前中に、祖父母に隠れて従兄弟の兄(Sとする)が妹(Y子)を連れ出してこっそり山に入ってしまったらしい。
Sは祖母に
「妹と川で遊んでくる」
と言って出かけたそうだが、俺たちが昼頃に家に帰って(土曜日だった)川にSを探しに行ったら姿が見えなかった。
最初はもしかして事故かと思ったけど、川に行くときにいつも自転車を止めさせてもらうことになっている友人Dのおばちゃんに聞いたら
「朝から来てない」
とのことで、俺は友人たちと一緒にSたちを探すことにした。
そうしたら、友人のTが山の入り口の近くの木陰にSの乗っていた自転車(祖父の家のやつ)が隠すように老いてあるのを見つけた。
あいつら、隠れて山に入ったのかと思って追いかけようとしたけど、厳しく山には入るなと言われていたこともあって、その前に祖父に知らせることにした。
家に帰って祖父に知らせたところ、祖父は
「それは本当か!」
と普段は温和な祖父らしくない形相で聞いてきた。
それを聞いた祖母は血の気の引いた顔をしていた。
叔父(Sの父親で俺の親父の弟)も心なしか顔色が悪かった。
叔母(Sの母親)は何が起こっているのか理解できていない様子だった。
祖父は俺から話を聞いてすぐにどこかに電話していた。
その後はもう大変だった。
村の青年団がさえがみさん(道祖神様)の社のある山の入り口に集合して、長老たちが集まって何事か話し合っている。
いくら村の決まりごととはいえ、子どもが山に入ったくらいでこれはないやろと思ったのを覚えている。
その後のことだけど、青年団が山の入り口に集まってしばらくした頃に、Sが何かに追いかけられるかのような必死の形相で山道を駆け下りてきた。
それを見た祖父が、さえがみさん(道祖神様)の所に供えてあった日本酒と粗塩の袋を引っ掴んで酒と塩を口に含んでから、自分の頭から酒と塩をぶっ掛けて、それからSのところに駆け寄ってSにも同じように頭から酒と塩をかけていた。
その後でSにも酒と塩を口に含ませていた。
酒と塩を口に入れられたSは、その場でゲェゲェと吐いていた。
Sが吐き出すもの全部吐き出してから祖父がSを連れて戻ってきた。
祖父とSが注連縄を潜るときに、長老連中が祖父とSに大量の酒と塩をぶちまけるようにぶっかけていた。
その後、Sは青年団の団長に連れられてどこかへ連れて行かれた。
(後で聞いたところによると隣村の神社だったらしい)
妹のY子だけど、何故か祖父も含めて山に入って探そうとはしなかった。
不思議に思って父に聞いたら
「今日は日が悪い」
と言って首を横に振るだけだった。
叔母が半狂乱になって
「娘を探して!」
と叫んでいたが、悲しそうな諦めの混じったような表情の叔父がそれを宥めていたのが印象に残っている。
結局、Y子はそれから4日後に山の中腹にある山の神様の祠で保護された。
後で聞いた話では、そのときにはもうY子は精神に異常をきたしていたそうだ。
発見された後でY子は何故か病院ではなく、兄と同じく隣村の神社に送られたらしい。
このとき村の長老たちの間で一悶着あったらしいと、かなり後になって父から聞いた。
後日談だけど、Y子は今でも隣村の神社にいるらしい。
表向きは住み込みで巫女をしているということになっているけど、実際は精神の異常が治らずに座敷牢みたいな所で監禁に近い生活を送っているそうだ。
このことは一族内でもタブーとされていて、これ以上詳しいことは聞き出せないんだ。
監禁の件は、親父を酒に酔わせてやっと聞き出せたくらいだし。
Sの方だが、彼は一時期は強いショックを受けていて錯乱気味だったけど、その後は心身ともに異常はなく普通に生活を送っていたそうだ。
あの事件以降は、叔父一家は帰省しなくなったので俺が直接Sに会うことはそれ以降なかったわけだが、その後Sは妹をおかしくしてしまったのは自分の責任だと思い詰めて精神に異常をきたしたらしい。
おかしくなったSは、18歳のときに妹が見つかったという山の神様の祠の前で自殺したと聞いた。
そのときには俺は進学で村を出ていたので、その話を聞いたのは成人して成人式で村に帰省したときだった。
以上、体験した俺も何が何だかわからない話です。
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勾玉
中学生の頃、祖父から聞いた話。
(話自体は祖父の父=曽祖父から祖父が聞いた話)
俺の地元の山に、神主もいない古びた神社があるんだが、そこに祀られている神様は所謂『祟り神』というやつで、昔から色々な言い伝えがあった。
大半は粗末に扱うと災害が起きるとかそんな話なのだが、そのうちの一つにこんな話があった。
それは戦国時代、当時の領主の放蕩息子が祟りなど迷信だといって神社のご神体を持ち出し、あろうことか酔った勢いで御神体に向かって小便をかけたらしい。
それから暫くは何事も無かったのだが、数年後から異変が起きた。
(古い話で詳しくは伝わっていないが、口伝として語り継がれているのは以下のようなもの)
・詳細は不明だがあちこちで説明の付かない怪異が多発。
・村人が何人も理由不明で失踪。
・領主の顔が倍近くに腫れあがる原因不明の病気にかかり、回復はしたが失明。
・問題の放蕩息子以外の3人の息子達は戦で重症を負ったり病気にかかったり。
・問題の放蕩息子は乱心し山に入ってそのまま帰らず。
・祟りを恐れた村人達が色々と神様を鎮める試みをしたが全てうまくいかず、村人は次々と村を去り事実上の廃村に。こんなところなのだが、まあ古い話であり、文献として残っているわけでもなく、事件の結末も解らない中途半端な話なうえに、口伝として語り継がれる程度のものだったのと、その後村に住んでいる人たちは、後になって移り住んだ人たちばかりなので、いわゆる噂程度のものだった。
そして時代は変わって祖父がまだ生まれる前、明治維新から数年後頃の話。
神社は当時から神主などはおらず、村の寄り合いで地域の有力者などが中心となって掃除や神事などの管理し、たまに他所から神主さんを呼んで神事をしてもらっていた。
また、口伝として残されている話などから、『触らぬ神に祟り無し』ということで、御神体は絶対に誰も触れることなくずっとそのまま存在し続けていた。
戦国時代の事件以降、ずっとそんな状態で神社も村も何ら大きな出来事も無く続いてきたのだが、ある年ある事件が起きてしまった。
ある日、村の若い人たちが集まって話をしているときに、ふと前記の祟りの話が話題になった。
その時、数人の若者がこんな事を言い出したらしい。
「祟りなんてあるわけがない、日本は開国して文明国になったのだから、そういう古い迷信に囚われるのは良くない」と。
そんなこんなで、その後どういう経緯でそうなったのかは解らないが、迷信を取り去るためにその御神体とやらの正体を見に行こうという事になったらしい。
まあ気持ちとしては、一種の肝試し的な軽い気持ちのものだったのだろうと祖父は言っていた。
ただし、全員が全員その話に賛同したわけでは無く、やはり祟りは恐ろしいということで実際に見に行ったのは10人ほどの集団で、やはり肝試し要素があったので夜中に集まり神社へ向かった。
(神社での一連の話は、一緒についていった人から曽祖父が聞いた話。)
神社の境内に入り、拝殿の扉を開け中に入ると、こじんまりとした祭壇があり、そこの台の裏に古ぼけた桐の箱が置いてあり紐で厳重に封がされていて、どうやら御神体はその中に入っているらしかった。
みなそこまで来たところで少し怖気づいてしまい、また、何か妙な胸騒ぎがしたため箱に触れることが出来なかったらしいが、最初に「迷信だ」と言い出したやつが意を決して箱を手に取り、箱を固定していた紐などを解くと蓋を開けた。
中には綺麗な石(どうも勾玉らしい)が3つ入っており、とくにそれだけで何事も無く、急に緊張がほぐれたため逆に気が強くなり、御神体を元に戻し、そのまま朝まで拝殿の中で酒盛りをしたらしい。
翌朝、拝殿で御神体の箱を開け、更に中で朝まで酒盛りをしていた事が村中にばれ、若者達はこっ酷く叱られたらしいが、特にその後なにもないため、村人達もその事をそれ以上追求しなかった。
一応、その時神社で酒盛りをした連中を連れて、村の地主が神社へ謝罪しに行ったらしいが。
3年後、村で妙な事件がおき始めた。
村の外れに猪や鹿や猿が木に串刺しにされて放置されていたり、夜中に人とも獣ともつかない不気味な声を聞いたという人が何人も現れたり、あちこちの家に大量の小石が投げ込まれたり、犬が何も無い空を見上げて狂ったように吠え出したり、これは曽祖父も深夜に便所へ行った時に見かけたらしいが、黒い人影が何十人も深夜に列を作って歩いているのを見かけたりと、とにかく実害のある被害者はいないが、気持ちの悪い事件が多発し始めた。
こういった事件が多発したため、流石に村でも「3年前の事件が原因ではないか」と噂になり始めたのと、治安の面から不安なので、村人は村の駐在さんと相談し、近隣の警察署に応援を頼み警備を厳重にしてもらう事と、村で自警団を作り夜中に巡回する事、それと同時に、3年前の事件を引き起こした者たちでもう一度神社へ謝罪しに行く事などが決まった。
しかし、様々な策を講じても一向に怪現象はとまらず、それどころかとうとう被害者まで出るようになってしまった。
山に入った村人が、何かに襲われボロボロの死体で発見された事件をかわきりに、子供が遊びに行ったまま帰らない、自警団の見回りをしていた4人が4人とも忽然と消えてしまう、夜中に突然起き出して何か喚きながら外に飛び出し、そのまま失踪してしまう、女の人が何かに追われているかのように必死で逃げて行き、自宅に戻ると包丁で自分の首を掻き切って自殺してしまうなど。
そういった事件が立て続けに1ヶ月ほどで起きたため、最早村人達には手に負えないと、何か解決策は無いか話し合っていたところ、村のおじいさんが、
「山向こうの○○神社は、山の神社の神事の代行を何度かおこなっていて、それなりに縁があるようなのでそちらを尋ねてみたらどうか」
との提案をした。
他に何か良い案があるわけでもなかったため、だめもとで明日○○神社へ向かう事で話し合いは終った。
翌日、地主が3年前の事件の主犯格などを連れて○○神社へ向かい、神主さんに取り次いでもらう事にした。
神主さんは、とにかくお互い落ち着いて話そうということとなり、社務所で一連の事件等の事を詳しく話す事にした。
しかし、ある程度話が進むと、神主さんは「それはおかしい」と言い出した。
どうも山の神社の御神体は祭壇の上に置いてある平たい箱に入った銅鏡であって、桐の箱の勾玉は違うらしい。
戦国時代の話にしても、領主の息子が粗相をしたのはその銅鏡であると○○神社に伝わっているらしかった。
そもそも、○○神社は何代も前から山の神社の神事を代行してきた経緯があり、自分も若い頃に一度代行した事があるが、桐の箱や勾玉の事は全く知らないらしい。
実は地主も若者達が開けたのはてっきり祭壇の上の箱の事だと思っていたらしく、その時はかなり驚いたのと、地主も桐の箱に入った勾玉の事を今初めて知ったようだった。
また神主さんは、これは悪霊や祟り神による祟りの類では無く、もっと異質な何か別なものの仕業で、とにかく一度その勾玉を見てみないことには解らないが、もしかすると山の神社の神様はその『何か』を勾玉に封じる役割があったのではないか?とのことだった。
神主さんは、まず○○神社に残る文献を調べてみて、何か勾玉に関する情報が無いか調べてみるとの事で、2日後に地主の家で落ち合う事になり、その日は帰る事となった。
2日後、地主と当事者の若者達が、地主の家で神主さんを待っていると村の駐在さんが訪れ、怪現象が近隣の村や村の近くの陸軍の駐屯地でも起き始めている事、一部ではそれに関連したと思われる失踪者も出始めており、どうも被害がこの村を中心としてあちこちに拡散しているらしい。
まだこの村で起きている事が噂となっている兆候は無いが、いずれ噂になり責任を追及されるかもしれない、早く何とかしたほうが良いらしい。
そうこうしているうちに○○神社の神主さんがやってきたため、皆でまず山の神社の勾玉を確認しようということになった。
山道を抜け神社に辿り着くと、神主さんが自分が調べた事をまず説明し始めた。
神主さんが言うには、この辺りには大昔から何か良くないモノがおり、その『何か』はよく人をさらって行ったらしい。
そこで土地に人々は土着の国津神にお願いし、この良くないものを退治してくれうよう頼んだのだが、その『何か』の力があまりにも強く、しかもさらった人々を取り込んでどんどん強くなるため、その神様でも力を封じ込めるのでやっとで、とても退治することはできなかったという。
要するに、その『何か』そのものは封じられたわけでは無く、ずっとこの村の周辺に潜んでいたが、力が封じられて何も出来なかっただけであったと。
そこへ来て若者達が神様の封じていた勾玉の箱を開けてしまったため、再び力を取り戻して人をさらったり殺したりするようになったとの事だった。
神主さんが言うには、戦国時代の話は恐らくここの神様による祟りで間違いないが、今回の一連の事件はそれとは全く別であり、村の人たちが見た黒い人影はその『何か』に取り込まれた人たちの姿で、最早この人たちを解放するのは無理だろうとの事だった。
また、今回の一件でその『何か』はまた更に力をつけたが、まだ神様の力を借りて力を封じる事そのものは可能であるはずで、手に負えなくなる前に力を封じてしまわないといけない。
そして、恐らくその『何か』は長い年月をかけて勾玉と一心同体のような状態にあるようで、あまり勾玉から遠くに離れることが出来ず、恐らくまだこの近くに潜んでいるはずだという。
また、封を開けてしまった若者達は全員この『何か』に魅入られてしまっており、さらわれて取り込まれる事とは別の事に利用される可能性があり、『何か』の力を封じた後でも全く安心できない。
なので神様が力を封じた後、これとは別に御払いをし、それでもだめなら○○神社は分社であるため、本体のある明神大社へ行って御払いをしないといけない事を伝えた。
更に、『何か』の力を封じるため神様を降ろしている間、『何か』が若者達を利用して儀式を妨害する可能性も十分にあるので、封を開けるときに立ち会った若者は全員ここへ集めたほうが良いとの事だった。
そして神主さんは、地主にまず普段神事を行う時の道具と、紙に書いてある物を早急にここへ持ってくる様に指示し、若者達はここにいない者も含め全員ここへ集めるように伝えると、首謀者の若者達には決して何があろうと神社の外へ出ないよう伝え、自分自身は桐の箱を開け、中の勾玉の状態を確認し始めた。
勾玉を調べていた神主さんが言うには、文献にあった通り、勾玉は力を封じるための物だったらしく、今は何の力も感じない。
ただし、これもやはり文献にあったとおり、『何か』は勾玉と一心同体なため、『何か』の異様な気配だけは勾玉からも感じるらしい。
数時間後、地主と村の者が神事に使う道具と残りの若者達を連れて戻ってきたため、そのまま国津神の力を借りるための儀式が執り行われた。
神主さんが若者達を全員縄で囲った『結界?』のようなものに入れると、祝詞を読みあげ儀式が始まった。
最初は何事も無く進んでいたが、暫くすると辺りが異様に獣臭くなり、外で何人もの人がうろつく気配がし始めた。
神社へやって来た村人は全員拝殿の中にいるし、地主がこちらへ戻る前に、残っている村人達に「今日は何があろうと家から出ないように」と指示していたため、誰かがやってくることもありえない。
つまり『何か』が今、神社の外にやってきているということ。
神主さんが言うには、
「今は神様が依代の銅鏡に降りてきているから絶対にあれは拝殿に入れない、だからこちらから外に出なければ絶対に安全」らしく、あとどれくらいかかるか分からないが、暫く我慢してこらえてほしいとのことだった。
それから朝まで儀式は続いたが、その間、外からは獣とも人とも区別の付かない笑い声、ざわつく大勢の人の声、何かが歩き回る音やガリガリと壁を引っ掻くような音、朝方になるとあちこちを無差別に叩いて回る音が聞こえてきていたらしい。
朝になり儀式が終ると、全員緊張から疲労困憊で、とにかく早く家に帰って眠りたかったので、神主さんから『この後』の事を聞いた後、拝殿の扉を開けた。
すると、あちこちの木が倒され、神社周辺はそこらじゅうに何十人か何百人かの人の泥だらけの無数の足跡と、神社の壁には何か大きな生物が引っ掻いた引っ掻き傷があり、鳥や狸などを食い荒らした残骸まであったらしい。
ちなみに、後から神主さんに聞いた話によると、この村は一度廃村になったため、それまでの言い伝えや伝統が殆どなくなってしまい、その時に『何か』の存在の言い伝えや神社の役割も伝える人がいなくなってしまったので、今まで神主さん自身も文献を調べるまで儀礼的な単なる義務としての神事しか知らなかったのだという。
ただし、文献を調べて見ても『何か』の正体や、○○神社と山の神社の関係などは殆ど解らなかったらしい。
最後に、なぜこんなうろ覚えのような文才の無い文章をあえてここに書いたかというと、2年ほど前にその地元の神社が盗難事件に遭い、中の祭具や御神体など一式が全て盗まれたから。
最近多いらしいですね、この手の盗難事件。
問題はその泥棒が桐の箱も盗んだらしい事と、あと数ヶ月で3年目であること、あとはこの『何か』は勾玉周辺の人々を周囲数十キロの範囲で無差別に襲うという事実です。
祖父が言うには「今更どうにもならないし、勾玉の場所がわからなければ対策のしようが無い」のだそうだ。
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無知
数年前の夏休み。
俺が中学生の頃、実家のすぐ近くにあるお寺で、盗難事件が発生した。
お寺の2つある宝物庫のうちの、1つの中身が盗難にあったらしい。
それだけなら、ただの盗難事件なのだが、何か様子がおかしかった。
うちは代々そこの檀家を勤めているのだが、うちも含め、檀家や周辺の家の人たちが事件の翌日に集められ、大人達で何事か話し合っているようだった。
当時、俺はガキだったので、色々大変なんだな、としか思わず、その時はあまり気にしていなかった。
数日後、俺や同い年の従弟や、その他数人の友達が、お寺の裏山でエアガンでサバイバルゲーム(というかごっこだなw)をしていると、和尚さんが俺達のところへやってきて、
「○○(俺)と○○(従弟)、ちょっと来なさい。話があるから」
と呼ばれた。
俺たちは、お寺の裏山で大騒ぎしていたのを叱られるのだ、と思い、ビクビクしながら和尚さんについていくと、和尚さんはお寺の本堂に俺達を入れて、
「ひとまず座りなさい」
と俺達に促した。
和尚さんは、ほんとうに神妙な顔つきで、俺と従弟は、こりゃまずいな…と縮こまっていると、予想とは裏腹に、説教ではなく別の話をし始めた。
和尚さんの話は俄かには信じられず、何か荒唐無稽な話に聞こえたが、とにかく、真剣な顔つきで話していたのを覚えている。
その話というのは、和尚さんによると、2つある宝物庫のうち、1つは確かにお寺に伝わる経典や仏像など、価値のあるものを収めているのだが、もう一つの宝物庫は、宝物庫とは名前だけで、別の物を保管しているらしい。
その『別の物』とは。
元来、お寺や神社には、不吉な物や呪物などを、『お払いして欲しい』或いは『引き取って欲しい』と頼み込んで来る人が、結構どこでもいるとか。
しかし普通は気のせいや、偶然が重なっただけの物が多く、基本的にそういう物の受け取りは拒否するか、気休め程度に祈祷をして、本人に納得してもらう方法を取っているらしい。
しかし、どうしてもと押し付けられてしまう場合や、稀に本当に危険なものが持ち込まれるため、その場合は仕方なく引き受けるらしい。
その倉庫には、そういった『いわく付き』の品々が収められていたとか。
これら『いわく付き』の品物の数々を、時間をかけてお払いするために、倉庫は存在していたわけだった。
ただし、そうやってお寺に持ち込まれたものは、金銭的な価値があるようなものではなく、ただ単に霊的、或いは祟りとして危険なだけな物なため、普通は盗まれるなんて事は無い。
しかし、今回そういう『いわく付き』のものが盗まれてしまった。
盗まれたのは2つらしいが、そのうち1つが、俺の一族に縁のある品物らしく、その話をしておきたいと呼んだという。
今回盗難事件にあったのは、要するに『いわく付き』の品物がある倉庫の方だった。
泥棒は、警備の厳重な方の宝物庫に、価値がある物があると考えたのだろう。
『いわく付き』の方の宝物庫は、外に出してはいけない物がいくつもあったので、本来の宝物庫よりも、ずっと施錠などが厳重だった。
盗まれた『いわく付き』の品物2つの説明をすると、一つは一振りの日本刀、もう一つは金でできた仏像らしい。
俺は、なるほど、売れば高そうだな、と思った。
刀の方は俺の一族とは無縁なため、説明は大雑把にするだけにするが、これは和尚さんの先代が住職を勤めていた頃、男の人が「とにかくこれを引き取ってくれ」と持ち込んだもの。
当時の住職は、「許可が無いと犯罪になってしまうから」と断ったが、無理に押し付けられるような形で、その男の人は置いていってしまったのだという。
その刀は和尚さん曰く、「専門家でないから価値はわからないが、相当に古いもので、なぜか銘の部分が削り取られていた」らしい。
ちなみにこの刀は、『所持していると自分が人を切り殺す夢』を何度も見てしまうというもので、持ち込んだ男の人は、「そのうち自分が人殺しをしてしまうのではないか」と不安になり持ち込んだとか。
ちなみに、住職はその話を信じていなかったが、引き取ったその日から、本当に自分が刀で人を切り殺す夢を何度も見るようになってしまい、これは大事だと『いわく付き』の方へ保管したとか。
銃刀法関連は、当時の住職が警察と話し合って、詳しくは知らないがどうにかなって、今までお寺に保管されていたらしい。
そしてもう一つの、金でできた仏像。
これが俺の一族に関係する物だった。
ちなみに仏像と呼んでいるが、実際は和尚さんがいうには、『今までこんな形の仏像は見た事が無く、便宜上形が似ているためそう呼ばれていただけ』の物で、厳密には仏像ではない。
この仏像という像は、今から150年近く前、俺のご先祖様が地元で起きた大洪水の翌日、土石流の片付け中に、泥と瓦礫の山の中から見つけた品物。
金で出来ている事や、見た目が仏像に似ていることから、何かありがたい物であろう、ということで持ち帰り、そのまま家の仏間にかざっていた。
和尚さんが言うには、洪水で山の上の方から流れてきたのではないか、との事だった。
(ただし、俺の地域は元々山深い場所で、俺の住んでいた地域より上に村などは無い)
その像を持ち帰ってから数日後。
あちこちで異変が起き始めた。
初めは家で飼っている猫や家畜が、謎の病気で死に始め、それはご先祖様の家だけでなく、周辺の家々でも起き始めた。
更に暫らくすると、子沢山だったご先祖様の家の子供が次々と死に始め、10人いた子供が、たった半年の間に3人にまで減ってしまった。
当初疫病かと思われ、村で様々な対策がされたらしいが、何一つ効果が無かった。
ご先祖様の家以外の子供が死に始めた頃、その金の像に、ある異変が起きている事に気が付いた。
拾ってきた当初、その像は無表情に近い顔をしていて、感情を読み取れるようなものは何も無かった。
しかし、ふとご先祖様が像を見てみると、明らかにニヤニヤという感じの、笑い顔に表情が変わっていたとか。
更に不気味な事に、像の足元辺りから上の方へ、まるで血管のような赤い線がいくつも伸び始めてきていた。
当初は「気のせいだ」と見なかった事にしていたご先祖様だが、その血管のようなものが、人が死ぬ度にどんどん上の方へ広がっていくのを見て、これはもう手に負えないと、当時のお寺の住職に持ち込んだらしい。
金で出来ていたので、手放すのが惜しかったというのもあるだろう。
当時の住職は、像の噂は聞いていたが、一度も見た事は無く、その日初めて像を見たらしいが、一目見て『これは危険なものだ』と感づいたらしい。
像が何の為に作られ、どうやってこの村へやってきたかは分からない。
しかし、相当に危険な呪物である事は間違いが無く、このまま放置しておけば、村が全滅しかねないほど危険だったため、当時の住職は、すぐにお払いの祈祷を始めた。
しかし、祈祷を始めてから数時間後。
その住職は両目両耳から血を流して、恐怖に歪んだ表情のまま死んでいるのが本堂で発見された。
死因は不明。
ただし、像が何らかの形で関係しているのは間違いなかった。
なぜなら、祈祷をする前には腰の辺りまでしかなかった血管のような模様が、一気に首の辺りにまで達していたから。
それを見た村人たちは、これはもう手に負えないと、像をどこかに捨てる計画を立てていたらしい。
次に本山からやって来た住職が、
「一度に御払いをするのは、恐らく危険すぎて無理だろう。お寺で災いが外に漏れぬよう保管をして、何代もかけてゆっくり穢れを浄化するしかない。捨てて解決できるようなものではない」
と村人達を説得し、現在まで少しずつ祈祷で呪いを払いながら、お寺で厳重に保管されてきていた。
長くなってしまったが、ここまでが和尚さんが俺達に話した、盗品に関する『いわく』の話。
和尚さんは、続けてこんな話をし始めた。
ここ数年(当時で数年なので今からだと10年ほど前)、お寺や神社の宝物庫への窃盗事件が増えており、どうも大半が、外国人の窃盗団によるものらしい。
ここで問題となるのが、最初に書いたとおり、『問題のある品物』を、便宜上宝物庫と呼ばれている場所に保管しているお寺や神社は、ここ以外にも多数あり、そういった品物が、やはりあちこちで盗まれているとか。
当時から少し2ちゃんをやっていた俺は、コピペなどで情報を得ていたため、『ああ、かの国の窃盗団だな』とすぐに分かり、和尚さんに聞いてみたが、曖昧な返事しかしてくれなかった。
その代わり、別の話をしてくれた。
仮にの話として、もし一連の寺社への窃盗事件が、かの国の窃盗団によるものだとすると、『いわく付き』の品物が次々とかの国へ、何の保護措置もしないまま送られ続けている事になる。
これは非常に危険な行為で、一つの国に何の措置もしないまま、無秩序に『いわく付き』の品物が集められたら、一体何が起きるのか想像も出来ない。
「普通、そんな何の利益にもならない、バカな事をする人はいないだろう」
と和尚さんは言っていた。
おかしな話だが、呪いの類にも人間関係のような相性があって、人で喩えるなら、意気投合するものもあれば、性質が合わずに反目しあうものもあるらしい。
そういったものが何の規則性も無く、制限無く集められていっているとしたら、
「恐らくとんでもない事になる。何が起きるのかは分からないが…」
とも言っていた。
そこで俺は、こう和尚さんに言ってみた。
「でも、外国に持ち出されたなら、俺達は安心じゃん。その国にいかなければ害も無いでしょ?」と。
しかし和尚さんは、
「そうではない。仮に行かなくとも、これだけ大きく無秩序な呪物の集合の場合、『縁』を持っただけでも危ない。『縁』が軽い場合や一時的なものだったとしても、一体どういう影響があるのか全く予想も出来ない。もしお前達が『縁』を持ちそうになったら、何があってもそこから逃げろ」
と言われた。
これが当時、俺が聞かされた話の全て。
ぶっちゃけて言うと、俺はこの話を信じていなかった。
だから最近まで、ほぼ完全に忘れていたのだが、そこであるコピペが関係してくる。
そのコピペを見て、もしかしてこれがその影響か?と直感的に感じたから。
以下がそのコピペ。
新種の精神障害『危険水準(2004年)』
前頭葉が破壊されてる韓国人激増。火病と同根かも知れないがこれは脳損壊である。
・症状は、前頭葉の損壊――最も高度な部位。創造的な文化が皆無なのにも理由があった訳。
・1997年~2004年で子供の発病率が100倍に急増。遺伝子的欠陥なので指数関数的に蔓延する。
・現在2008年には、1997年(基準年?)の数千倍の発病率になっていても不思議じゃ無い。現在でも国民的な病だが、『子供の』発病が21世紀に入って急増したという事で、彼等が成人を迎える10年後辺りからは、民族としての、更なる壊滅的様相が想定される。
これはもう、セルフ・ホロコーストになるかも…
時期的にも、窃盗団が日本に来始めた頃と合致する。
俺は絶対に、かの国との『縁』を持たないようにしようと思った。
無知というのは、ほんとうに恐ろしい…
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揺れる大木
2年ほど前の話。
その年の夏、俺は大小様々な不幸に見舞われていた。
仕事でありえないミスを連発させたり、交通事故を起こしたり、隣県に遊びに行って車にイタズラされた事もあった。
原因不明の体調不良で10キロ近く痩せた。
そして何より堪えたのは、父が癌で急逝したこと。
そんなこんなで、お祓いでも受けてみようかな・・・・・なんて思ってもない独り言を呟くと、彼女(現在嫁)が、
「そうしようよ!」
と強く勧めてきた。
本来自分は心霊番組があれば絶対見るくらいのオカルト大好き人間なんだけど、心霊現象自体には否定的(こういう奴が一番多いんじゃないか?)で、お祓いが利くなんて全く信じちゃいなかった。
自家用車に神主が祝詞をあげるサマを想像すると、シュールすぎて噴き出してしまう。
そんなものを信用するなんて、とてもじゃないが無理だった。
彼女にしてもそれは同じ筈だった。
彼女は心霊現象否定派で、なお且つオカルトそのものに興味がなかった。
だから俺が何の気なしに言った『お祓い』に食いついてくるとは予想外だった。
まぁそれは当時の俺が、いかに追い詰められていたかという事の証明で、実際今思い返してもいい気はしない。
俺は生来の電話嫌いで、連絡手段はもっぱらメールが主だった。
だから彼女に神社に連絡してもらい(ダメ社会人!)お祓いの予約を取ってもらった。
そこは地元の神社なんだけど、かなり離れた場所にあるから地元意識はほとんどない。
ろくに参拝した記憶もない。
死んだ親父から聞いた話では、やはり神格の低い?神社だとか。
しかし神社は神社。
数日後、彼女と二人で神社を訪ねた。
神社には既に何人か、一見して参拝者とは違う雰囲気の人達が来ていた。
彼女の話しでは午前の組と午後の組があって、俺たちは午後の組だった。
今集まっているのは皆、午後の組というわけだった。
合同でお祓いをするという事らしく、俺たちを含めて8人くらいが居た。
本殿ではまだ午前の組がお祓いを受けているのか、微かに祝詞のような声が漏れていた。
所在なくしていた俺たちの前に、袴姿の青年がやって来た。
「ご予約されていた○○様でしょうか」
袴姿の青年は体こそ大きかったが、まだ若く頼りなさ気に見え、(コイツが俺たちのお祓いするのかよ、大丈夫か?)なんて思ってしまった。
「そうです、○○です」
と彼女が答えると、もう暫らくお待ち下さい、と言われ、待機所のような所へ案内された。
待機所といっても屋根の下に椅子が並べてあるだけの『東屋』みたいなもので、壁がなく入り口から丸見えだった。
「スイマセン、今日はお兄さんがお祓いしてくれるんですかね?」
と、気になっていた事を尋ねた。
「あぁ、いえ私じゃないです。上の者が担当しますので」
「あ、そうなんですか(ホッ)」
「私はただ、段取りを手伝うだけですから」
と青年が言う。
すると、待機所にいた先客らしき中年の男が青年に尋ねた。
どうやら一人でお祓いを受けに来ているようだった。
「お兄さんさぁ、神主とかしてたらさ、霊能力っていうか、幽霊とか見えたりするの?」
その時待機所に居る全員の視線が、青年に集まったのを感じた(笑)。
俺も、そこんとこは知りたかった。
「いやぁ全然見えないですねぇ。まぁちょっとは、『何かいる』って感じることも、ない事はないんですけど」
皆の注目を知ってか知らずか、そう笑顔で青年は返した。
「じゃあ修行っていうか、長いことその仕事続けたら段々見えるようになるんですか?」
と俺の彼女が聞く。
「ん~それは何とも。多分・・・」
青年が口を開いた、その時だった。
シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、
入り口にある結構大きな木が、微かに揺れ始めたのだ。
何事だと一同身を乗り出してその木を見た。
するとその入り口の側に、車椅子に乗った老婆と、その息子くらいの歳に見える男が立っていた。
老婆は葬式帰りのような黒っぽい格好で、網掛けの(アメリカの映画で埋葬の時に婦人が被っていそうな)帽子を被り、真珠のネックレスをしているのが見えた。
息子っぽい男も葬式帰りのような礼服で、大体50歳前後に見えた。
その二人も揺れる木を見つめていた。
シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ、
と音を鳴らして、一層激しく木は揺れた。
振れ幅も大きくなった。
根もとから揺れているのか、幹の半分くらいから揺れているのか不思議と分からなかった。
分からないのが怖かった。
ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!
木はもう狂ったように揺れていた。
老婆と男は立ち止まり、その木を困ったように見上げていた。
すると神主の青年が、サッと待機所から飛び出すと、二人に走り寄った。
「△△様でしょうか」
木の揺れる音のため、自然と大きな声だった。
うなずく男。
「大変申し訳ありませんが、お引取り願いませんでしょうか。我々ではどう対処も出来ません」
こちらに背を向けていたため、青年の表情は見えなかったけれど、わりと毅然とした態度に見えた。
一方老婆と男は、お互いに顔を見合わし、うなずき合うと、青年に会釈し引き上げていった。
その背中に青年が軽く頭を下げて、小走りで戻ってきた。
いつの間にか木の揺れは収まり、葉が何枚か落ちてきていた。
「い、今の何だったの!?」
と中年のおじさん。
「あの木何であんなに揺れたの?あの二人のせい?」
と彼女。
俺はあまりの出来事に言葉が出なかった。
興奮する皆を、青年は落ち着いて下さい、とでも言うように手で制した。
しかし青年自体も興奮しているのは明らかだった。手が震えていた。
「僕も実際見るのは初めてなんですけど、稀に神社に入られるだけで、ああいった事が起きる事があるらしいんです」
「どういう事っすか!?」
と俺。
「いや、あの僕もこういうのは初めてで。昔居た神社でお世話になった先輩の、その先輩からの話しなんですけど・・・・」
青年神主の話しは次のようなものだった。
関東のわりと大きな神社に勤めていた頃、かつてその神社で起きた話しとして先輩神主が、さらにその先輩神主から伝え聞いたという話。
ある時から神主、巫女、互助会の組合員等、神社を出入りする人間が、『狐のお面』を目にするようになった。
そのお面は敷地内に何気なく落ちていたり、ゴミ集積所に埋もれていたり、賽銭箱の上に置かれていたりと、日に日に出現回数が増えていったという。
ある時、絵馬を掛ける一角が、小型の狐のお面で埋められているのを発見され、これはもうただ事ではないという話しになった。
するとその日の夕方、狐のお面を被った少年が、家族らしき人達とやって来た。
間の良いことにその日、その神社に所縁のある位の高い人物が、たまたま別件で滞在していた。
その人物は家族に歩み寄ると、
「こちらでは何も処置できません。しかし○○神社なら手もあります。どうぞそちらへご足労願います」
と進言し、家族は礼を言って引き返したという。
「その先輩は、『神社ってのは聖域だから。その聖域で対処できないような、許容範囲を超えちゃってるモノが来たら、それなりのサインが出るもんなんだなぁ』って、言ってました」
「じゃあ今のがサインって事か?」
と、おじさんが呟いた。
「多分・・・・まぁ間違いないでしょうね」
「でもあのまま帰しちゃって良かったんですかね?」
という俺の質問に青年は、
「ええ、一応予約を受けた時の連絡先の控えがありますから。何かあればすぐに連絡はつきますから」
「いやぁでも大したもんだね、見直しちゃったよ」
と、おじさんが言った。
俺も彼女も、他の皆もうなずいた。
「いえいえ!もう浮き足立っちゃって!手のひらとか汗が凄くて、ていうかまだ震えてますよ~」
と青年は慌てた顔をした。
その後、つつがなくお祓いは済んだ。
正直さっきの出来事が忘れられず、お祓いに集中出来なかった(多分他の皆も)。
しかしエライもので、それ以後体調は良くなり、不幸に見まわれるような事もなくなった。
結婚後も彼女とよくあの時の話しをする。
あの日以来、彼女も心霊番組を見たりネットで類似の話しはないかと調べたりしているみたい。
やっぱり気になっているのだろう。
もちろん俺だってそうだ。
しかし、だからといってあの人の良い青年神主に話しを聞きに行こう、という気にはならない。
「もしもだけどさぁ、私たちが入った途端にさ、木がビュンビュンって、揺れだしたら・・・・もう堪んないよね~」
彼女が引きつった笑顔でそう言った。
全くその通りだと思う。
あれ以来神社や寺には、どうにも近づく気がしない。