怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 月別アーカイブ:2013年05月 」 一覧

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なんだったんだ・・・

小学生の時、昼休みに国語のおばちゃん先生と渡り廊下ですれ違ったんだ。

だから元気よく「こんにちわ!」って挨拶したんだ。

そしたら先生、目を見開いて、

「なんで、こんにちわなんて挨拶するの!?会釈すればいいのよ!?いい!?朝は『おはようございます』放課後は『さようなら』!お昼は『会釈!』」

「『こんにちは』なんて挨拶は、お客さんが来たときだけすればいいの!わかった!!」

なんてそりゃもうすごい剣幕で怒られた。

俺が泣きそうになってたら教頭登場。

事の顛末を俺と先生両方から聞き、その後、俺は解放。

先生は職員室に連れて行かれた。

で、放課後、校内放送で職員室に呼び出されて行ってみたら、その場でしばらく待たされて、校内の手が空いてる先生全員集合。

教頭先生が教員に全てを話し、国語の先生つるし上げ。

挨拶しただけの俺は、なぜか他の先生方から拍手を受け取る。

国語の先生、来学期で引退した。

挨拶して怒られたあげく、大勢のオトナに注目され、拍手されて、対人恐怖症になって通院した。

マジで怖かった。

【でじほん!】

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車の下の何か

7~8年前、茨城の下妻に出張した時のこと。

宿泊したのは、下妻の繁華街(?)から車で少し行ったとこ。

地ビールと温泉があって、出来たばかりなのか新しくてきれいだった。

温泉に入り、地ビールでご機嫌になった俺は、ロビーのテレビで野球中継を見てた。

俺の他にもロビーには4、5人いて、それぞれ思い思いのことをしてた。

突然『ギャーッ!』というような、女性の叫び声が聞こえた。

テレビからじゃない。

何だ?と思って辺りを見回すが、特に何もない。

でも、何かおかしい。

あんなでかい声なのに、誰も聞こえてないみたいだ。

不思議に思って、もう一度周りを見る。

すると、一人の女性と目が合った。

『あなたも聞こえたの?』ってな感じでこっちを見てる。

黙って頷くと、その人はこっちに寄って来て小声で話し掛けてくる。

『何なんですか?他の人には聞こえてないみたいだし…』

いや、そんなこと俺にも分からんし…、と思っていると

『あっちの方からでしたね…』

と、外の駐車場の方を指差した。

確かに、叫び声は駐車場の方からだったけど、そのホテルの駐車場はかなりの広さ。

しかも明かりはあるけど、それでもかなり暗い。

ロビーから覗き込んでると

『行って…みます?』

とか、ありえないことを言い出す。

残念なことに、男らしく「無理!」と断言するには、その女性は若くて可愛いかった…

ちょっと下心を持ちつつ、一緒に外へ出る。

駐車場は、ホテルの出入り口を出て、車が対面通行出来るくらい広い道を挟んで向こう側。

おっかなびっくり道を渡り駐車場へ。

その時、女性が駐車場の奥を指差し

『あそこ!』

とか言ってる。

指差してる方を見る。

RV車が止まってた。

「車だよ?」

『…その下の。…何?』

よく見ると、その車の下に何かある。

というより、何か…いる!

人が地面に寝転がって、もがいてるみたい。

さっきの叫び声は、こいつが誰かに襲われて出したのか?

怪我でもしてるのかと思い、急いで近づく。

少し行ったところで

『ちょっと待って』

と女性から。

?と思い、振り返ると女性が震えてるみたい。

『何?あれ何?』

俺は視力が良くないのではっきりは見えないが、人がうつ伏せになってるように見えた。

急がなきゃ、と小走りで駆け寄る。

が4、5歩進んで止まる。

這いずりながら、それは近づいて来ていた。

見た目は人だが、動きが人っぽくない。

「何か…ヤバいぞ…」

そいつは、ゆっくり顔を上げようとした。

直感的に、目があったらヤバい!と思い、ダッシュでホテルへ。

途中、固まってた女性の手を取って、半ば引きずるように中へ。

ホテルの中は、さっきと変わってなかった。

強いて言えば、ゼイゼイ言いながらホテルに飛び込んで来た二人組に奇異の目が向けられたくらい。

「ついてきてるかな?」

『わからない…』

恐る恐る後ろを振り返って、自動ドアのガラスの方を見ると、取りあえずは何も見えない。

ホッとして、二人とも地ベタに座り込む。

その日は、お互いにそのまま各自の部屋へグッタリして戻った。

ただ、とてもじゃないけど怖くて寝れないので、翌朝まで明かりを点け、テレビを見て過ごす。

翌朝8時頃、チェックアウトの為フロントへ行くと、ホテルの従業員らしき人が首を捻りながら自動ドアを拭いている。

どうしたのか聞いてみると、ドアガラスの外側に手の跡がついていて、いくら拭いても落ちないらしい。

見てみるとガラスの真ん中やや下あたりに、ベタベタといくつか手の跡が。

昨晩のことを思い出してうすら寒くなり、速攻でチェックアウトしてホテルを後にした。

後で気付いたんだが、あの女性の連絡先を聞きそびれてた。

もったいないことをしたな…

【愛テク】

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押入れのシミ

洒落にならんと言うか、なんか生々しい話。

10年ほど前。

引っ越す時に荷物を運び出してから最終チェックしたんだが、その時、押入れの壁に何か染みができてるのを見つけた。

なにぶん男の一人暮らしだったもんで、押入れの中にもゴミを放り込んでたこともあったから、それの汁かなってことで、とりあえず雑巾で拭き取っておいた。

そこを引っ越すことになった理由と言うのはまぁ色々あるんだけど、隣人のやかましさに辟易したってのもあったんだ。

いかにもDQNぽい母親と男の子だったんだが、とにかくその母親がヒス起こすわけ。

引越し前の1週間ぐらいは静かだったんだけどね。

そんでまあ新しい部屋への引越しも済んで1ヶ月ぐらい経った頃、何気なくTVを見てたら、なんとあのDQN母が逮捕されたってニュースが流れてる。

えーっと思って聞いてると、どうやらあの男の子をはずみで殺してしまい、そしてその死体を自宅の押入れの中に放り込んでおいたそうだ。

男の子は昨日発見され、その時点で死後約2ヶ月。

で、捕まった母親の方はと言うと、先月中旬頃(俺が引っ越す1週間ほど前)から実家に帰っていて、そこで逮捕されたらしい。

それを聞いてまあ大体のことは納得が行ったんだけど、少し腑に落ちないことがある。

俺がDQN母の怒鳴り声を聞いていたのは引越しの1週間前まで。

一方、男の子は死後2ヶ月。

その間に半月以上のラグがあるわけだけど、その間は間違いなく俺はDQN母のヒスを確認している。

精神に異常をきたしてたと考えれば不思議ではないんだけども。

あと、あの押入れの染み。

あまり考えたくはないんだけど、もしかしたらあのアパートは押入れ同士が背中合わせになるような作りだったんじゃないだろうか。

確認する気にはなれなかったが…

幽霊だとか心霊じみたことが起こったわけではないけど、今でもあの時の隣室の様子を想像すると、なんだか怖気が上ってくる。

そんな体験ですた。

【体験談】

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レッサーパンダ帽男殺人事件

2001年4月30日午前10時35分頃、短大生のAさん(当時19歳)はブラジリアン柔術大会に出場する友人の応援をするために台東リバーサイドスポーツセンターに向かう途中であった。

たまたまAさんの後を追うようにレッサーパンダの帽子を被った男も、同じ道を進んでいた。

交差点でAさんがレッサーパンダ帽の男を確認した際に驚いた顔をしたため、この男は自分が馬鹿にされたと思い込み、Aさんを狭い路地に引き込んで胸や腹、背中などを包丁で刺し、失血死させる事件が発生。

現場近くでレッサーパンダ帽を被った男が何度も目撃されていたことから、捜査機関はこの男を犯人と見て捜査を開始。

5月10日、東京都代々木でレッサーパンダ帽男のY(当時29歳)が逮捕された。

事件直後から、レッサーパンダ帽という装いの異様さに注目したマスコミ、特に週刊誌は、この事件を大々的に取り上げようとしていたが、Yが養護学校卒で軽中度の知的障害者と判明した後は事件を取り上げることをしなかった。

17歳の時に母が病死し、家出や放浪を繰り返し、Yには窃盗など4件の前科があった。

レッサーパンダの帽子は函館市で購入しているが、Yはこの帽子を犬の顔と思っていた。

裁判ではYに知的障害があったため、検察側と弁護側が責任能力で対立。

2004年11月26日、東京地裁は「弁護側が主張するように、被告が広汎性発達障害に当たるとしても、完全な責任能力を有していたことは明らか」としてYに無期懲役を言い渡した。

2005年4月1日、Yは控訴を取り下げ、無期懲役が確定した。

【体験談】

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死んだはずの男

1990年2月。

バミューダ海域で一隻の漁船が漁をしていると、白い布で出来た袋のようなものが流れてきた。

船の上へ引き上げて中を開けてみると、中から60過ぎくらいのやつれた男性が入っていた。

船員たちは皆びっくりしたが、放置しておくわけにもいかない。

詳しい事情を聞いてみると驚くようなことを語り始めた。

男の名前はミッシェル・ガヤンといい、フランスからバミューダの方に移住してきたのだが、自分は1926年に死んだはずだと言い張るのだ。

死んだはずだと本人は言っているが、現にこうして生きている。

袋詰めで海を漂っていたために、精神に異常をきたしたのか、船員たちはそう思いながらもとりあえずバミューダ島の病院に連れていくことにした。

病院についてカルテを調べてみると、確かに男の言うように1926年にミッシェル・ガヤンという男がガンで死んでいたことが判明した。

63歳だった。

さらに調べてみると、彼の遺言で死体は焼かれずに布でくるんで水葬として海に流されたということまで分かった。

死亡証明書に押してある指紋を照合した結果、本人に間違いはない。

となると、実際生きていた状態であるのに水葬にされて息を吹き返したということも考えられるが、問題はその年月である。

彼が死んだのが1926年、そして発見した今は1990年。

彼が死んでから実に64年の歳月が経っている。

ずっと生きていたなら本来ならば127歳になっているはずだ。

なのに、当のミッシェル・ガヤンは死んだときの年齢そのままの状態で64年間も死体として海を漂い、そして今再び生き返ったことになる。

彼に何が起こったのか、結局謎は解明されないままだった。

【テクノ】