「 月別アーカイブ:2013年05月 」 一覧
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偽物の神
祖父の体験談。
小学校6年生の頃、夏休みに友達と二人で川遊びを始めた。
川遊びは危険なので、学校では厳しく禁止を呼び掛けていたが、当時土手は綺麗に整備されていなく、木で覆われていて隠れて遊ぶ事が出来た。
その時、遊びの一環で土手の木々の陰に川石で『神様の祠』を作った。
川石で壁と天井を作って土で固定して、子供の膝くらいまでの小さな祠を組み立てた。
その中に、適当な流木の破片を置いて御神体に見立てた。
冗談で野苺や花を供えたり、願掛けの真似事をして遊んだ。
ごっこ遊びとはいえ、手を合わせて目を瞑ると神妙な気分になったものだった。
川で遊んで3週間経った頃。
同級生の告げ口で川遊びが学校にバレた。
友達と共に、親と同伴で学校に呼び出され猛烈に怒られた。
さらに夏休み期間、家の畑仕事などの手伝いが終わった後、毎日学校に来て校長が指定した本の書き写しをするという罰も与えられた。
勿論、もう川に行くわけにはいかない。
川に行かなくなって1週間程経った時、一緒に罰を受けてる友人が言った。
「あの俺達の神様、俺たちが行かないから怒ってる」と。
友人曰く、川通いをやめてから夢に棒きれの様に痩せ細った男が毎日現れる。
そして、酷い地元なまりの口調で、
「もう知らないふりはできないぞ、川に来い」
「腕が惜しいか足が惜しいか」
と繰り返し言ってくる。
あれはきっとあの祠に居る神様だ、との事だった。
眠れない事と、ずっと腹を下しているという事も言っていた。
俺は
「きっと神様の祟りだ」
と『神様』に恐怖を感じ、家族に相談した。
父と母は、くだらない…と聞き流したが、祖母は
「また川に行きたいからそういう話作るんだろ、この不良共!」と激怒。
次の日、祖母はその日の罰を終えた俺と友人を連れて川原に行き、俺たちの目の前で『神様の祠』を破壊し
「ほら、これでもう神様いない!川の遊びはお終いな!」
と俺と友人の頭を一発ずつ殴った。
その日の夜、俺の夢にボロを着た骸骨の様な男が現れた。
顔の肉は殆ど無く、骨の形がはっきり浮き出ていた。
窪んだ眼窩に目玉は無い。
前屈みに胡坐をかいて座っている。
その骸骨は酷い地元なまりの口調でこう言った。
「子を喰らってまで生き永らえようとしたが叶わず、野に骸を晒したるは無念」
「もう片方の童には唾をかけた。いつでも喰えるぞ」
当時、その言葉の意味は分からなかったが、言葉自体は今も忘れられない。
俺が骸骨男の夢を見たのはその一度きりだった。
後から知ったが、周囲一帯は歴史的な大飢饉で深刻な被害がでた土地だった。
自分が見た夢の事は友人には言わなかった。
その後、友人の家族は家業に失敗し、抵当に当てていた家を競売に出され、周囲にろくに挨拶もしないままひっそりと他所へ移った。
だから、友人の安否は分からないという。
祖父から聞いた話。
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小倉黒人米兵集団脱走事件
1950年7月11日に小倉市で黒人のアメリカ軍兵士250人が城野補給基地から集団で脱走。
完全武装した彼らは4、5人に分かれて繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦を繰り返した。
カービン銃やライフルを手にした脱走兵の中には手榴弾をぶら下げている者もいた。
駐日アメリカ軍の憲兵と小倉警察はなすすべもなく、アメリカ陸軍二個中隊が鎮圧のために投入され市街戦となる。
翌日12日には終息に向かうが、市街戦の末15日に鎮圧したとも言われている。
彼らは前日10日に岐阜から城野補給基地第24連隊に移送され、近いうちに朝鮮戦争に送られる予定であり、その恐怖が脱走につながったとされている。
生き残った逮捕者は朝鮮戦争の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。
大事件ではあったが、日本がアメリカ軍を中心とした連合国軍に占領されている状況下であったことから、GHQの情報規制の為ほとんど報道されず、被害の詳細もわかっていない。
警察に届けられた被害は70数件だが、表ざたにならない強姦事件も多数あったと伝えられている。
当時の日本人の多くはこの事件を知らなかった。
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廃ホテル
箱根~三島間にあった廃ホテル。
当時は売却物件で看板も出ていたけど、中が凄かった。
場所は以前から知ってたので自宅からチョイノリ時間で行けた。
さて敷地内に入った瞬間、完全に空気が違うのを体感したなぁ。
何ていうか病院病室なんかの澱んだ空気って言うか・・・。
既に廃墟になっていて、建物は下のガレージから階段で二階の部屋に上がるタイプ。
誰かが複数で監視してるような視線を感じた。
中庭に一台、軽自動車があるのが敷地に入ると同時に目に付いた。
近付くと窓ガラスは粉砕されて車内も物が散乱。
しかし、自分がぶったまげたのは後部荷台の七輪だった。
炭の燃えカスが残っていたので誰かが火を付けていたのだと思う。
もうそれだけで、チキン状態の自分は脱兎の如くバイクで退散した。
その後、別人が現地レポを書いてくれて詳細が判明。
車内には子どもの写真何枚かと借金の督促状等があったらしい。
実際に画像もUPされたから間違いない。
行ったのは七輪を必要としない時期だったかなぁ。
そこで売主の不動産屋に軽自動車の件を訊いてみたが以下の返答。
・軽自動車は誰かが勝手に乗り付けて放置していった。
・自殺等の事故物件ではない。
・売却に当たっては更地にして引き渡す。軽自動車は伊豆ナンバーが付いてたのは自分も確認してる。
でもねぇ・・・水も食料もない所で何で七輪を車内で使うかなぁ。
家族の写真や督促状なんかもあったんじゃ、???って疑うよなぁ普通。
知人の警官に訊いたら、自殺してたら証拠物件として警察が回収するはず、だから本当に事件性はなかったみたいだけど腑に落ちない。
もう過去の話で悪かったけど、ふっと思い出したので書いた。
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猫を助けたのは誰?
震災での被害はほとんどなかったものの、津波で水をかぶった地域。
地震発生後、町内で一番高い所にある神社に避難していく途中、見慣れない女の子が、前から町内をうろついていた猫を数匹抱えて走るのを複数の人が目撃している。
小学校低学年くらいの女の子で、黒か紺のジャージの上下着用。
ほとんどの目撃者は走って追い越されたそうだ。
当時は不思議に思わなかったが、死に物狂いで走る壮年の男性などを、腕いっぱいに動物を抱えた小学校低学年の女の子が追い抜けるものだろうか?
しかも、うちの町内は南と西が海に面しており、北は山で、東は車で30分ほど行くと隣町というどんづまりの田舎町なもので、基本的に『知らない子供』がいることがまずない。
町内で直接の死人は出なかったが、海に近い通りなどは軒並み半壊。
しかし、浜の近くに住んでいた野良猫の多くは無事だった模様。
あの女の子は神社の神様かな?
それともその手前に祭ってあるお地蔵さんかな?
と地元で語られている。
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足音
中学時代の先生から聞いた話。
先生が大学時代に、友人とW県のとある村にキャンプをしに行った。
河川敷にテントを張って日が落ちるまでの間、テントの中で準備をしていたそうだ。
日没後、先生は友人と話をしていると、外で何かを引きずっているような音がする。
勿論友人はテント内にいるし周りに人影も見えない。
その『何か』はテントの周りをずっと歩いている。
先生が外を見ると何もいない。
しかし中に戻ると足音が聞こえる。
気味が悪くなった先生たちは一度テントから出て、ライトで外をガンガンに照らしながら夕食の準備を始めた。
夕食も終わり片付けをしたあと、先生たちは眠りについた。
ぐっすりと眠っていると、また外で何かを引きずるような音がする。
隣で寝ていた友人も音に気づき起きていたようで、二人ともその音を聞いていた。
またもその足音はテントの周りを何回も何回も歩いている。
怖くなった二人は寝袋に潜り込んでそのまま眠ってしまった。
翌朝起きると音は無くなっていた。
先生たちも起きるなり足早にテントを片付け始めた。
片付けている途中、川下で人だかりが出来ていて警察も来ている。
友人が聞いてくると、どうやら老婆の水死体があがったらしい。
その水死体は片方の草履を履いていなかった。
ますます気味が悪くなった二人は、最後にテントを片付けた。
すると、テントの下から草履が出てきた。
友人は真っ青になって一言。
「これ・・・さっき水死体が履いてた草履や・・・」
先生は「もしかしたら、あの足音は草履を探し回っていたおばあちゃんやったんかもしれんな」って言ってました。