怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 怖いけどちょっといい話 」 一覧

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オオカミ様

俺が宮大工見習いをしてた時の話。

だいぶ仕事を覚えてきた時分、普段は誰も居ない山奥の古神社の修繕をする仕事が入った。

だが、親方や兄弟子は同時期に入ってきた地元の大神社の修繕で手が回らない。

「おめぇ、一人でやってみろや」

親方に言われ、俺は勇んで古神社に出掛けた。

そこは神社とはいえ、小屋提程度のお堂しかなく、年に数回ほど管理している麓の神社の神主さんが来て掃除するくらい。

未舗装路を20km程も入り込んで、更に結構長い階段を上って行かねばならない。

俺は兄弟子に手伝ってもらい、道具と材料を運ぶのに数回往復する羽目になった。

そのお堂は、酷く雨漏りしており、また床も腐りかけで酷い状態だった。

予算と照らし合わせても中々難しい仕事である。

しかし俺は初めて任せられた仕事に気合入りまくりで、まずは決められた挨拶の儀式をし、親方から預かった図面を元に作業に掛かった。

この神社はオオカミ様の神社で、鳥居の前には狛犬ではなくオオカミ様の燈篭が置いてある。

俺は鳥居を潜る度に両脇のオオカミ様に一礼する様にしていた。

約一ヶ月経過し、お堂がほぼカタチになってきた。

我ながらかなり良い出来栄えで、様子を見に来た親方にも

「なかなかの仕事が出来ているな」

と褒めてもらった。

それで更に気合が入り、俺は早朝から暗くなるまで必死で頑張った。

ある日、内部の施工に夢中になりハッと気付くと夜の10時を過ぎていて帰るのも面倒になってしまった。

腹が減ってはいるが、まあいいかと思い、

「オオカミ様、一晩ご厄介になります。」

と、お辞儀をしてお堂の隅に緩衝材で包まって寝てしまった。

どれくらい眠っただろうか。

妙に明るい光に、

「ん…もう朝か?」

と思って目を開けると目の前に誰か座っている。

あれ?と思い、身体を起こすと日の光でも投降機の光でもなく、大きな松明がお堂の中にあり、その炎の明るさだった。

そして、明るさに目が慣れた頃に、目の前に座っていたのは艶やかな長い髪の巫女さんだった。

「○○様、日々のご普請ご苦労様です」

鈴の鳴るような澄んだ声が聞こえると共に、彼女は深々とお辞儀をした。

「ホウエ?」

俺は状況が飲み込めず間抜けな声を返しながら、お辞儀でさらっと流れた黒髪に見惚れてしまった。

「我が主から、○○様がお堂にお泊りなのでお世話をする様にと申し付けられ、ささやかでは有りますが酒肴をご用意して参りました」

彼女が料理と酒の載った盆を俺の前に置く。

盆の上には大盛りの飯、山菜の味噌汁、大根や芋の煮物、渓流魚の焼き物、たっぷりの漬物。

そして徳利と杯が置いてある。

「さ、どうぞ」

彼女が徳利をもち、俺に差し出す。

俺は良く解らないまま、杯を持ちお酌をしてもらった。

くっと空けると、人肌ほどの丁度良い燗酒で、甘くて濃厚な米の味がした。

「・・・旨い!」

俺が呟くと、巫女さんは、

「それはようございました」

と涼やかな微笑みで俺を見つめた。

途端に腹がぐうと鳴り、俺は夢中で食事をした。

巫女さんは微笑みながらタイミング良くお酌をしてくれる。

食べ終わり、巫女さんがいつの間にか用意してくれたお茶を飲みつつ

「ご馳走様でした。ところで貴女はココの神主さんの身内の方か何かですか?」

と聞いてみた。

「ふふ、そのような物です。お気になさらず。」

巫女さんは膳を片付けながら答えてくれた。

突然俺は猛烈に眠くなってきて、もう目を開けているのも苦痛なくらいになった。

「お疲れのようですね。どうぞ横におなり下さいませ」

巫女さんはふらつく俺の頭を両手でそっと抱え、彼女の膝の上に乗せてくれた。

彼女の長い黒髪が俺の顔にさらっと掛かる。

彼女の黒髪に似合う髪飾りってどんなのだろう、と柄でもない事を考え、暖かく柔らかな感触を頭に感じつつ俺は深い眠りに落ちていった。

「おい、○○。起きろや」

親方の声で目を覚ました俺はバッと飛び起き時計を見る。

朝の7時。

目の前にはニコニコした親方と神主さんが居る。

「あ、すみません親方。昨夜遅くなったんで泊まっちまいました」

俺は親方にどやしつけられるかとビクビクしながら謝った。

「ふ。お堂の中で一晩過ごすなんざ、おめぇもそろそろ一人前かぁ?」

なぜか嬉しそうな親方。

なんとか怒られずに済んだようだ。

「あ、神主さん、昨夜はありがとうございました。食事届けていただいて。」

「はぁ?なんですかそれは?私は存じませんが?」

「え?だって神主さんのお身内だっていう巫女さんが酒と食事を持ってきてくれて…」

「いやあ、あなたがお堂に泊まってるのに気付いたのは今朝ですよ。朝、様子を見に来たらあなたの軽トラが階段の下に止まっていたので何か有ったのかと思って親方に連絡して、一緒にお堂に来たのですが…」

「え?そんなはずは…?」

戸惑う俺を見て、親方が大笑いしながら言った。

「大方、腹減らしながら寝ちまったからそんな夢を見たんだろうよ。それか、オオカミ様がおめぇの働き振りを気に入ってご馳走してくださったかだ。まあ後でお礼の酒でも納めれば良いんじゃねえか。」

一週間後、無事に竣工した神社を奉納する儀式も終わった。

俺は休日に一人で神社に行き、酒と銀細工の髪飾りを納めた。

帰りに鳥居を潜ろうとしたとき、お堂の前に間違いなく誰かが居る様な濃厚な気配を感じて振り向きそうになったが、そのまま一礼して階段を降り始めた。

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裏ビデオ

1994年の夏の話です。

当時、私は東京に出てきたばかりで裏ビデオにハマってました。

その日も店員に薦められた裏ビデオを買い、自宅に帰ってさっそく見始めました。

それは、主観視点で作られたビデオで自分の好きなタイプのAVです。

主観視点とは要するに、男が自分で片手にビデオを持って性行為をしながら撮影する、いわゆる『ハメ撮りビデオ』です。

自分自身が男優になったかのような疑似体験ができるので気に入ってました。

裏ビデオにしては比較的画質も良く、出ている女の子は美人で巨美乳・スタイル抜群。

素人なのか恥ずかしさや躊躇いがあって、それがまた興奮しました。

女が裸になって、マ○コをパックリ開き(もちろん無修正)、それをカメラがじっくりと撮影し、手コキ・パイズリ・フェラ・手マン・そして本番のハメ撮りと、性行為のオンパレードで最後は顔射。

そこでビデオは終わってます。

最初から最後まで男の主観視点で撮影されていて、男の方も慣れているのか、最後まで片手で器用に撮影してました。

私にとっては完璧と言っていい程の出来で、お気に入りの一本になりました。

毎日、最低でも一回はそのビデオを見ながらオナニーしました。

若かったのでそりゃもうサルみたいにw

そうこうしてる内に、確か10日以上が過ぎたと思います。

私はいつものようにそのビデオでオナニーをすませると、心地よい気分になり、ビデオつけっぱなしでそのまま目をつむってしばらく余韻に浸ってました。

画面は『ザーッ』という砂嵐になってました。

時間にして5分ちょっとくらいだったと思います。

そろそろパンツを穿こうかなと起き上がったとき、それまで砂嵐だった画面にいきなり女の顔が映し出され、思わずビクッとなりました。

その女は目を真っ赤に泣きはらしており、グスングスンと鼻を鳴らしています。

どうも自分で自分を撮っているようでした。

なんだ?と思ってよく見ると、その女はこの裏ビデオに出ていたあの女の人です。

カメラを確認しているようで、

「写ってるの?」

とか涙声でつぶやいています。

そして顔を写したまま、やはり涙声でこんなことを言い始めました。

「あの、映ってますか?これ見てる方いますか?これは裏ビデオになるはずです。もしうまくこれをあなたが見る事が出来たら、お願いします。警察に行ってください。私は○○県○○市に住む△△といいます。自宅の電話番号は×××-××××です。○○市にある●●という闇金にお金を借りて、返せずにいたら、やくざに拉致されて監禁されました。ここがどこかはわかりません。ビデオ撮影だけじゃなく、ここでもう何人もの男の相手をさせられました。言う事を聞かなければ電流を流されます。そしていずれ殺されると思います。もう限界です。お願いします。お願いします。頼むからこれを見たなら警察に行ってください。助けて下さい。もう一度言います。私は○○県○○市に住む△△といいます。●●という闇金にお金を借りました」

いきなりのことに、自分はそれを呆然と見ていました。

女は泣きながらですが、それでも比較的落ち着いてそう言ってました。

二度しか見なかったので、詳細は違うかもしれません。

でもあまりにインパクトがあったので、確かそんな内容だったと記憶しています。

しかし、最後だけはいまでもハッキリと覚えています。

「お願いだから助けて!もうダメ!もうイヤァー!」

と女が狂ったような悲鳴を上げ、そこでビデオはまた終わったのです。

あまりの怖さに長い間動けず、呆然としているとテープ自体が終わったらしく、ビデオ再生そのものが終わりました。

そこで我に帰り、怖かったけどもう一度巻き戻して再生して二度目を見ました。

どう見てもふざけてるように見えません。

少し迷いましたが、そのビデオを持って慌てて警察に行きました。

あったことを全て話し、そのビデオも渡しました。

警察は最初いぶかしげにしてましたが、ビデオを確認するとこれはただ事でないと認識したらしく、事件として捜査を始めたようです。

そして数日後、あの女性を無事保護したという連絡がありました。

心身共かなり衰弱していたけど、意識もあって命に別状はないという話でとりあえずホッとしました。

そして後々になって、以下のような数々の幸運が重なって女性を救出できたことがわかりました。

・ビデオが編集作業などをまったく必要としないタイプのものであったこと。

(主観視点の手持ちカメラ方式で最初から最後まで撮りっぱなしの長回しです)

・それ故、さほどしっかり撮影した内容を確認せずダビングしたこと。

(少なくとも撮影が終わってる箇所からテープの残りを最後まで確認する必要などない)

・裏ビデオはダビングされたテープからまたダビングする粗悪品が多い中、このビデオは全てマスターテープからダビングされてたこと。

(その為画質がよかった)

・撮影した人間が女性がいた部屋にビデオカメラを忘れ、女性がとっさに気転を利かせたこと。

・普通はダビングする時は本編が終わればその時点でさっさと停止するのだが、これをダビングしてた下っ端のヤクザ(?)がうっかり居眠りをしてしまい、テープが全て終わるまでダビングしてしまったこと。さらにそれを確認せずにただ巻き戻しだけして製品にしたこと。

・そして何の因果か知らないがそれを買ったのが自分で、たまたま最後まで見た事。

女性が助かったのはよかったですが、自分はそれがトラウマになって『AV恐怖症』になりました。

大好きだった裏ビデオはもちろん、普通のAVも怖くなりました。

特にあの『ザーッ』という砂嵐画面はビデオにしろテレビにしろ、怖くて仕方ありません。

最近はDVDやデジタル放送になって砂嵐も少なくなったのでホッとしてます。

しかし、一番悲劇だったのはそれがきっかけでインポになったことです・・・

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トンネルの先の町

私が小学校低学年の頃だから、もう十数年前の話です。

私の実家はド田舎にあるのですが、家の裏手に山があります。

あまり人の手も入っておらず、私はよく犬の散歩で山の麓や少し入った山道を歩いていました。

梅雨が明けて暑くなりだした頃だから、7月頃だったと思います。

いつものように山道に入っていくと、犬が急に走りだそうとするんです。

よし、じゃあ走ってみようか!って、一緒になって走って気が付いたらいつもより険しい山道に入ってしまったようでした。

15時くらいに家を出たので、まだ明るい時間帯のはずなのに山の中は薄暗く不気味に感じました。

元来た道を戻ろうと引き返し始めると、途中で道が途切れてしまいました。

かなり出鱈目に走り回ったから、場所も方角もわからなくなってしまったわけです。

少し涙目になりながら、それでも下に下に降りていけば山からは出られると思い、草だらけの道無き道を犬と一緒に降りていきました。

しばらく山を下りていくと、段々と周囲が明るくなり、夕焼けの色の空が木々の合間から覗きます。

こんなに時間が経っていたのか、早く帰らないとお母さんに怒られる、そんな事を思いながらさらに山の麓を目指しているとトンネルの脇に出ました。

トンネルの向こうからは夕焼け色の光が見えます。

人工物を見つける事が出来て安心した私は、そのトンネルを抜ければどこか知っている道に出られると思い、トンネルの中を犬と一緒に走りました。

トンネルを抜けると、そこには緩やかな盆地に作られた町のよう。

家が沢山あり、夕焼けが屋根を照らしています。

こんな町があったんだなぁ、と少し興奮しながら山の麓に下りる道を聞こうと、私は町へ向かいました。

トンネルから町に入る道の右に民家があって、少し離れた場所から道の左右にズラッと家が並んでいるのがわかります。

町に近付きながら誰かいないかな、と思っていると、トンネルから一番近い民家からおじさんが一人出てきました。

犬を連れた私が近づいてくるのを見て笑顔で挨拶してくれます。

私も挨拶を返した後、麓に下りる道を尋ねました。

おじさんは不思議そうな顔で、

「君が今来たトンネルを抜けて、そこから山道を下れば麓に出られる」

と教えてくれました。

この町を抜ける道を聞きたかったのですが、まぁいいかと思い、礼を言って引き返そうとするとおじさんが私の名前を尋ねてきました。

私は山の近くに住んでいます○○です、と答えるとおじさんは納得したような顔で頷きながら、

「ここら辺は夜になると野良犬がうろつくから早く帰った方がいいよ」

とトンネルを指差します。

私は再度礼を言ってトンネルに引き返しました。

途中で振り返ると、おじさんが私を見ながら手を振ってくれたので、私もお辞儀してから手を振り返しました。

トンネルに入る前に、もう一度振り返るとおじさんはまだ家の前にいたので、また手を振りながらトンネルに入りました。

そこからトンネルを抜けて山道を下っていくと、周囲がさらに明るく開けて山の麓の知っている道に出ました。

今日は歩き回ったね~なんて犬に声を掛けながら家に帰る途中で、まだ夕日が照っていない事に気付きました。

あれ?とか思いつつ家に帰り着いたのは16時半くらいでした。

家に帰ってから母にその日の冒険の事を話すと

「そんな町あったんだねぇ」

と不思議がっていました。

夜になって父親にもその話をしましたが

「山の中にそんな町あるわけない」

の一点張りで、さらにあまり山の中でウロチョロするなと軽く叱られました。

私はもう一度その町に行こうと思ったのですが、トンネルもそのトンネルから麓に下りた道も見つける事が出来ませんでした。

その年のお盆、家族や祖父母と一緒に墓参りに行きました。

それまでに数回訪れたことのあるはずの墓地を見た瞬間、妙な既視感を感じました。

なだらかな丘に道がありその左右に墓が並んでおり、そして墓地の入り口から一番近い墓が私の実家の墓です。

当時の私は、それを理解してから本気で泣きました。

理由を聞いて祖母が、

「そのおじさんにしっかりお礼言わなきゃね」

とお墓を磨かせてくれました。

あの時のおじさんの顔は、ぼんやりとしか覚えていません。

しかし最近歳をとった父親の顔を見ると、こんな感じの顔だったなぁなんて思います。

ただ、もしそのおじさんに出会わなかったらと想像すると、今だに私は怖いです。

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清衡塚

作家、民俗学者として知られる山田野理夫氏の話。

或る春の朝、氏が起きると突然右膝が痛み出し、立つ事も出来なくなった。

知り合いの鍼灸師を呼んで治療してもらったが、原因不明の痛みは治まらない。

その前後、山田氏は不思議な夢を見るようになったという。

夢の中で山田氏は荒涼とした池の畔に佇んでおり、その池畔には一基の古碑がある。

そこで場面が転換し、いつの間にか氏は杉の大木に囲まれた坂道を登っているのだという。

そのうち杉木立は途切れ、右崖下に川が流れる物見台で膝をさすっていると、そこからは寺の本坊らしき建物が見える。

そこでいつも僧に会うのだが、ここはどこだ問うても、いつも口を閉ざして答えてくれないのだという。

そのまま奥へ進むと、やがて右手奥に微かな光が見えてくる。

ゆったりとカーブした丘の上の建物が、眩い黄金色の輝きを放っているのが見え、そこで夢は終わってしまうのだそうである。

同じ夢を見るうち、山田氏は「あの夢に出てくる寺は平泉中尊寺ではないか」と気がついた。

奥に見えるのは国宝である中尊寺金色堂。

最初に見た池は毛越寺の庭園であり、そしてその池畔に見えたのは、かの有名な松尾芭蕉の「夏草や~」の句碑であろうという。

そうして、山田氏はやっと右膝の痛みが藤原清衡の呪いではないか、と思い当たったという。

なんと山田氏は、奇妙なめぐり合わせから、金色堂の中に眠る藤原清衡のミイラの一部を持っていたのである。

その昔、昭和25年の朝日新聞文化事業団による本格的な調査以前に、ある学者たちが清衡の棺を暴き、清衡の遺体を直に見て、触って、調査した事があったのだという。

金色堂内には奥州藤原氏四代、清衡、基衡、秀衡のミイラと、四代・泰衡の首級が納められているが、このミイラには大きな謎があった。

このミイラは自然発生的にミイラ化したのか否か、という謎であった。

この謎を解き明かさんと、清衡の棺を暴いた学者の名前を仮にABCとする。

調査中、この学者たちが清衡の遺体の右膝に触れた際、わずかに遺体の一部が欠落したのだという。

骨と皮膚の間の筋肉部と思われる、茶褐色の毛片のような欠片であった。

その欠片を、調査目的で学者達が持ち帰ったという訳だ。

しかし、すぐに三人に異変が現れた。

Aは電車事故、Bは階段から落下、Cは関節炎で、各々、右膝に何らかの事故が発生したのだという。

そんな事があった為、ABCの夫人達が、民俗学者であった山田氏に相談を持ちかけ、

「これは清衡の呪いだと思うが、どうしたらいいかわからない」

と、遺体の欠片を譲渡したのである。

そんな訳で、山田氏は藤原清衡の遺体を手に入れたのであった。

山田氏は、この遺体を元の場所に返さなければならないと思い立たち、人づてに連絡を取り、後に中尊寺貫主になる僧侶・今東光氏と連絡を取り、事の次第と、ミイラの一部の始末をどうすべきか伝えた。

すべて伝え終わると、今東光氏は驚きの声を上げたという。

「金色堂の棺を開けるのは、日本銀行の金庫を開けさせるよりも遥かに難しい。清衡公を元の場所にお返ししたいのは山々だが、棺は今後もう二度と開かれる事は無いだろう」

そういう訳で結局、遺体を元の場所に戻す事は叶わなかったのである。

後日、山田氏がこの体験記を『文芸春秋』に投稿すると、予想外に多くの反応があったという。

ある新聞社が遺体の一部を撮影させてくれと言ってきたり、とある霊媒師がその夢を私も見たと主張してきたりして収集がつかなくなり、非常に持て余したという。

その後、その清衡公の遺体の一部は、山田氏の手によって中尊寺境内のどこかに埋葬されたという事である。

山田氏は遺体を埋めた場所を密かに「清衡塚」と呼んでいるというが、彼以外にその場所を知る者はいない。

世界遺産に登録された平泉中尊寺の、ちょっと不思議な話。

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着物の少女

毎年夏、俺は両親に連れられて、祖母の家に遊びに行っていた。

俺の祖母の家のある町は、今でこそ都心に通う人のベッドタウンとしてそれなりに発展しているが、二十年ほど前は、隣の家との間隔が数十メートルあるのがざらで、田んぼと畑と雑木林ばかりが広がる、かなりの田舎だった。

同年代の子があまりいなくて、俺は祖母の家に行くと、いつも自然の中を一人で駆け回っていた。

それなりに楽しかったのだが、飽きることもままあった。

小学校に上がる前の夏のこと。

俺は相変わらず一人で遊んでいたが、やはり飽きてしまって、いつもは行かなかった山の方へ行ってみることにした。

祖母や親に、「山の方は危ないから言っちゃダメ」と言われていて、それまで行かなかったのだが、退屈には敵わなかった。

家から歩いて歩いて山の中に入ると、ちょっとひんやりしていて薄暗く、怖い感じがした。

それでもさらに歩いて行こうとすると、声をかけられた。

「一人で行っちゃだめだよ」

いつから居たのか、少し進んだ山道の脇に、僕と同じくらいの背丈で、髪を適当に伸ばした女の子が立っていた。

その子は着物姿で、幼心に変わった子だなと思った。

「なんで駄目なの?」

「危ないからだよ。山の中は一人で行っちゃ駄目だよ。帰らなきゃ」

「嫌だよ。せっかくここまで来たんだもん。戻ってもつまらないし」

俺は、その子が止めるのを無視して行こうとしたが、通りすぎようとした時に手をつかまれてしまった。

その子の手は妙に冷たかった。

「……なら、私が遊んであげるから。ね?山に行っちゃ駄目」

「えー……うん。わかった……」

元々一人遊びに飽きて山に入ろうと思っていたので、女の子が遊んでくれると言うなら無理に行く必要もなかった。

その日から、俺とその女の子は毎日遊んだ。

いつも、出会った山道の辺りで遊んでいたので、鬼ごっことか木登りとかが、ほとんどだった。

たまに女の子が、お手玉とか、まりとかを持って来て、俺に教え込んで遊んだ。

「Kちゃん、最近何して遊んでんだ?」

「山の近くで女の子と遊んでる」

「女の子?どこの子だ?」

「わかんない。着物着てるよ。かわいいよ」

「どこの子だろうなあ……名前はなんつうんだ?」

「……教えてくれない」

実際その子は、一度も名前を教えてくれなかった。

祖母も親も、その子がどこの子か、わからないようだった。

とりあえず、村のどっかの家の子だろうと言っていた。

その夏は女の子と何度も遊んだけど、お盆を過ぎて帰らなきゃならなくなった。

「僕、明日帰るんだ」

「そうなんだ……」

「あのさ、名前教えてよ。どこに住んでるの?また冬におばあちゃんちに来たら、遊びに行くから」

女の子は困ったような、何とも言えない顔をしてうつむいていたが、何度も頼むと口を開いてくれた。

「……名前は○○。でも約束して。絶対誰にも私の名前は言わないでね。……遊びたくなったら、ここに来て名前を呼んでくれればいいから」

「……わかった」

年末に祖母の家に来た時も、僕はやはり山に行った。名前を呼ぶと、本当に女の子は来てくれた。

冬でも着物姿で寒そうだったが、本人は気にしていないようだった。

「どこに住んでるの?」

「今度、僕のおばあちゃんちに遊びに来ない?」

などと聞いてみたが、相変わらず首を横に振るだけだった。

そんな風に、祖母の家に行った時、俺はその女の子と何度も遊んで、それが楽しみで春も夏も冬も、祖母の家に長く居るようになった。

女の子と遊び始めて三年目、俺が小二の夏のことだった。

「多分、もう遊べなくなる……」

いつものように遊びに行くと、女の子が突然言い出した。

「何で?」

「ここに居なくなるから」

「えー、やだよ……」

引越しか何かで、居なくなるのかなと思った。

自分が嫌がったところで、どうにかなるものでもないと、さすがにわかっていたが、それでもごねずには居られなかった。

「どこに行っちゃうの?」

「わからないけど。でも明日からは来ないでね……もうさよなら」

本当にいきなりの別れだったので、俺はもう、わめきまくりで女の子の前なのに泣き出してしまった。

女の子は、俺をなだめるために色々言っていた。

俺はとにかく、また遊びたい、さよならは嫌だと言い続けた。

そのうち女の子もつうっと涙を流した。

「……ありがとう。私、嬉しいよ。でも、今日はもう帰ってね。もう暗いし、危ないからね」

「嫌だ。帰ったら、もう会えないんでしょ?」

「……そうだね……。あなたと一緒もいいのかもね」

「え?」

「大丈夫。多分また会えるよ……」

俺は諭されて家路についた。

途中、何度も振り向いた。

着物の女の子は、ずっとこちらを見ているようだった。

その日、祖母の家に帰ったらすぐに、疲れて床に入ってしまった。

そして俺は、その夜から五日間、高熱に苦しむことになった。

この五日間の事は、俺はほとんど覚えていない。

一時は四十度を越える熱が続き、本当に危なくなって、隣の町の病院に運ばれ入院したが、熱は全然下がらなかったらしい。

しかし五日目を過ぎると、あっさり平熱に戻っていたという。

その後、祖母の家に戻ると、驚いた事に俺が女の子と遊んでいた山の麓は、木が切られ山は削られ、宅地造成の工事が始まっていた。

俺は驚き焦り、祖母と両親に山にまで連れて行ってくれと頼んだが、病み上がりなので連れて行ってもらえなかった。

それ以来、俺は女の子と会う事は無かったが、たまに夢に見るようになった。

数年後聞いた話に、宅地造成の工事をやった時、麓の斜面から小さく古びた社が出てきたらしいというものがあった。

工事で削った土や石が降ったせいか、半壊していたという。

何を奉っていたのかも誰も知らなかったらしい。

その社があったのは、俺が女の子と遊んでいた山道を少し奥に入った所で、ひょっとして自分が遊んでいたのは……と思ってしまった。

実際、変な話がいくつかある。

俺の高校に、自称霊感少女がいたのだが、そいつに一度、

「あんた、凄いのつけてるね」

と、言われた事があった。

「凄いのってなんだよ?」

「……わかんない。けど、守護霊とかなのかな?わからないや。でも怪我とか病気とか、あまりしないでしょ?」

確かに、あの高熱以来、ほぼ完全に無病息災だった。

さらにこの前、親戚の小さな子(五才)と遊んでいたら、その子がカラーボールを使ってお手玉を始めた。

俺にもやってみろと言う風にねだるのでやってみると、その子は対抗するかのように、いくつもボールを使ってお手玉をした。

何度も楽しそうにお手玉をした。

あんまり見事だったので、後でその子の親に、

「いやー、凄いよ。教えたの?あんな何個も、俺だってできないよ」

と言うと、親はきょとんとして、

「教えてないけど……」

と答えた。

もう一度その子にやらせてみようとすると、何度試してみてもできなかった。

「昼間みたいにやってみて」

「?なにそれ?」

と言う感じで、昼の事を覚えてすらいなかった。

何と言うか、そのお手玉さばきは、思い返すとあの女の子に似ていた気がしてならない。

今もたまに夢に見るし、あの最後の言葉もあるし、ひょっとしてあの子は、本当に俺にくっついてるのかなと思ったりする。

ちなみに女の子の名前は、なぜか俺も思い出せなくなってしまっている。

不気味とかそういうのはなく、ただ懐かしい感じがするのみである。