「 怖いけどちょっといい話 」 一覧
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幼馴染の挨拶
数年前に、幼稚園からの幼馴染(小学・中学・高校と一緒)だった親友のNが肺炎で死んじまったんだが、そいつはよく冗談交じりに、
「死んだら、お前の枕元に絶対に立ってやるからな」
なんて言ってたのよ。
俺の方も、
「虚弱なお前よりも、無茶して事故死しそうな俺様のほうが絶対に早死にするだろうから、こっちが先手取るだろうよ」
とか言ってたわけ。
そいつが死んでから2週間も経ってなかったと思うが、ショックから立ち直れなくて、他の友人達ともほとんど会わずにアパートに一人でいたときなんだが、ロフトで寝ていると小さい地震みたいな振動で目が覚めたのよ。
俺ってそういった振動で目を覚ますことが多かったので、また地震でも来たかなと思って、下にある電光表示の時計を見ようと顔をロフトから出したら、死んだNが腕組みして見上げてる。
洒落っ気のない奴で、いつものワイシャツと茶色系のスラックス姿で不敵な笑みを向けてるのよ。
怖さとか、びっくりなんてことよりも、生前に言っていた事を本当にやりやがったという気持ちの方が先に立って、頭の中で『やられたっ!!』とか考えたら、まるで見透かしたように
「まっ、そういうことだ」
とはっきり言って、ロフト下の通路を玄関に向かって消えていっちまった。
遊びに行ったりしても、別れ際は「じゃっ」の一言だけで手も振らず振り返りもしない、あいつらしいプレーンな別れ方がそのままで、あいつの姿が消えた後も、嬉しいやら先を越されたことが悔しいやらで、妙な気分で泣いちまったよ。
あの野郎、今度墓参りに行ったら、柄杓で水をかけずにバケツで水をかけてやる(笑)
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形見分け
私が16歳の時に祖母が亡くなり、愛用していた包丁を形見分けにもらってきたんだけど、その形見分けをする日、貴金属や着物なんかもあったのに、何故か包丁が欲しくて欲しくてたまらなかった。
持って帰って改めて見てみても、なぜこれが欲しかったのかさっぱり分からない。
まあいいかと台所に置いた。
それから10年が経つけど、おっちょこちょいな私なのに一度も包丁で手を切らない。
2度ほど足に落としたけど、全然足には切傷が付かず床に傷がついた。
今日も軽快にキャベツを千切りしてます。
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救いの天使
半年前に仕事をクビになり、新しい就職先は見つからず、貯金が底をつき、アパートを追い出され・・・
ホームレスに落ちぶれるくらいなら、死んだ方がマシだ。
そう思い、手元に残ったなけなしの1万円札を見て、最後に女を味わってからこの世を去ろうと決心。
1度だけ利用したことのある上野の人妻系デリヘルに電話しました。
ホテル代が4000円、デリのクイックコースが6000円。
それで僕は無一文。
そしたらどっかのビルの屋上から飛び降りよう・・・
やって来たデリ嬢は、僕の顔をまじまじと見つめています。
「ねぇアナタ、もしかしたら自殺とか考えてない?」
どうしてそんなことが分かるのか聞いてみると、少し霊感があるという不思議な女性でした。
なんだかわかんないけど、プレイもせずに身の上話になってしまって・・・
すると彼女がこう言ったのです。
「ウチの店、今スタッフ募集してるから、私から店長に話してあげるから働きなさいよ。お金が貯まるまでは事務所に寝泊まりさせてもらいえばいいのよ。24時間営業の店だから、仮眠するところも布団もあるし」
「でも風俗店の仕事なんて僕には・・・」
「甘えたこと言わないの。死んだ気になれば何でもできるわよ」
彼女は救いの天使なのでしょうか?
6000円の料金も受け取らず、そのまま僕の手を引いて、ドライバーの待つ車に僕を引っ張って行ったのでした。
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市松人形
俺が小学生の頃の話。
5年生だったから、もう想像と現実の区別はできているのに、絶対に現実とは思えないのに、どうにも頭から離れないある映像が気がかりでならなかった。
どうも、自分は小さい頃に人を殺したことがあるらしい。
幼稚園にも入る前で、相手は同じ年頃の小さな女の子であるらしい。
近所にそんな小さなうちに死んだ子はいないのだが、なぜかそんな気がしていた。
その子の骨が埋まっている場所の映像の記憶。
それが頭から離れない。
田舎なもんで、林を切り開いて建てられた俺の家は庭が結構広かった。
当時は周りの家もみなそうで、林と畑の間にぽつぽつと家が点在している集落。
所々に点在する古井戸や廃屋などが、子供たちの格好の肝試しスポットになっていた。
そんな土地だ。
俺の家の庭の隅の方にある、使っていない古い物置小屋の裏側の陽が当たらない場所、その向こうは深い森になっている。
じめじめとした薄暗い狭い空地。
そこの落ち葉に覆われた柔らかい土の下にその女の子の骨が埋まっている。
その場所が恐ろしい。
そういう夢を何度も何度も見た。
それが、小学5年生だった俺の頭に刷り込まれていた映像だ。
その狭い空地は子供には薄気味悪い場所なので、そんな所で遊んだことなどほとんどなかったのだが。
想像と現実の境目ははっきりしているから、俺はその映像がただの夢であることを確かめようと思った。
そして俺はひとりで、その薄暗い狭い空き地に立った。
誰もおらず、昼間ながら周囲はしんと静まりかえっている。
樹木の並び方、しょぼしょぼと力無く生えている日陰の雑草、俺の記憶と違いはない。
秋でまだ寒くはなかったが、俺は鳥肌が立った。
記憶の目印である小さな常緑樹(榊の木だった)はすぐに見つかった。
夢の記憶の通りに、そこにはかすかに陽が当たり、湿った枯れ葉が積もっていて、踏んだら柔らかくて足が沈み込んで、ぎくりとした。
元々窪んでいた所に、落ち葉や枯れ草が積もったらしい。
そこにはほとんど草も生えていなかった。
俺は、用意していたスコップでそこを慎重に掘り始めた。
するとまもなく、スコップはかちりと何か硬いものに当たった。
枯れ葉と湿った土の隙間から、白いものと布と髪の毛の束ようなものが覗いていた。
俺は全身から血の気が引き、気が遠くなるのを感じたが、やはり、という妙に透き通った夢の中のような感覚も同時にあった。
恐怖が麻痺したような夢見心地の中で、俺は淡々と土や枯れ葉を除け、そのものを掘り出した。
半ば腐り崩れかかった着物を着た市松人形だった。
俺は掘り出したそれを母に見せた。母は、
「けっこう立派な作りだし、人の形をしたものだから、これはちゃんと供養しないといけないね」
と言い、すぐ近くのお寺に持って行ってくれた。
ここから後は、母がお寺の老住職さんから聞いてきた話になる。
この市松さんは40年以上前に亡くなった、以前近所に住んでいた一家の女の子のものに間違いなかろう。
その子がとても気に入っていたものだったから、あのときお棺に一緒に入れて送ってあげようとしたのに見つからなかったものだよ。
その女の子が亡くなったのは事故でね。
小さな子供たちだけであの辺りで遊んでいたとき、ある男の子が振り回していた火箸かなにかがすっぽ抜けて、その女の子の頭に刺さってしまったらしい。
(目に刺さったんじゃないかしらね:母)
子供たちが「大変だ」とぐったりした女の子をお寺に連れてきたものだから、大騒ぎになったよ。
結局その子はその傷が元で亡くなり、男の子の方は少し後で風邪をこじらせた肺炎で亡くなった。
あの頃はこの辺りに医者がいなくて、当時は贅沢品だった自動車なんぞ持っている家があるはずもなく、手当てがどうしても遅れがちだったんで二人とも可哀想だったな。
女の子の家も怪我をさせてしまった男の子の家も居づらくなって、遠くへ引っ越してしまったので、今ではここらで憶えている人も少なかろう。
そのとき俺の祖父母が生きていれば、人形を見た瞬間にはっと気づいたかもしれない。
その女の子は、たまたま市松人形を持って遊びに出て事故に遭い、人形を落としたのがあまり人が近寄らない場所だったのと、子供たちがその子をあの場所からお寺に連れて行ってしまったのとで、そのままになってしまったのに違いない。
それから俺は、あの場所に骨が埋まっている夢を見ることがなくなった。
俺はオカルトは信じない方だが、女の子に人形を返してあげることができたという安堵の気持ちを打ち消すつもりはない。
もともと仲良しだった二人の子供たちが大好きだった市松さんを俺に託して取り戻したかったのだろうと思うことにした。
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なんだったんだ・・・
小学生の時、昼休みに国語のおばちゃん先生と渡り廊下ですれ違ったんだ。
だから元気よく「こんにちわ!」って挨拶したんだ。
そしたら先生、目を見開いて、
「なんで、こんにちわなんて挨拶するの!?会釈すればいいのよ!?いい!?朝は『おはようございます』放課後は『さようなら』!お昼は『会釈!』」
「『こんにちは』なんて挨拶は、お客さんが来たときだけすればいいの!わかった!!」
なんてそりゃもうすごい剣幕で怒られた。
俺が泣きそうになってたら教頭登場。
事の顛末を俺と先生両方から聞き、その後、俺は解放。
先生は職員室に連れて行かれた。
で、放課後、校内放送で職員室に呼び出されて行ってみたら、その場でしばらく待たされて、校内の手が空いてる先生全員集合。
教頭先生が教員に全てを話し、国語の先生つるし上げ。
挨拶しただけの俺は、なぜか他の先生方から拍手を受け取る。
国語の先生、来学期で引退した。
挨拶して怒られたあげく、大勢のオトナに注目され、拍手されて、対人恐怖症になって通院した。
マジで怖かった。