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部屋にいた
去年の暮れに体験した話。
22時ごろに仕事を終えて帰宅し部屋の電気をつけると、居間で力士4人がまわし姿で鍋をつついていた。
あまりに信じられない光景だったので、テンパって
「ああ、部屋を間違えた」
と思って慌てて部屋を出た。
けど、確かに鍵を開けて入ったし部屋を間違えたわけがない。
もう一度部屋に入ると、もう力士達はいなかった。
それ以来何も起きていないし、不動産屋に聞いてもこの部屋に力士がいた事とかもないみたい。
友人や知人にその話をしても笑われるけど、体験した俺自身は凄く怖かった。
一体なんだったんだろう・・・
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苦しそうな女性
私は大阪難波のとあるビルで働いていました。
3年ほど前のある日、まだ私がそこに勤めていた時のことです。
深夜まで続いた売り場の模様替え作業がようやく終わり、地下のトイレに行くと手洗い場の所に女の人がいました。
女の人は見たことのない制服で、深夜なので不審に思いましたが、私と同じように深夜残業なのだろうと考えることにしました。
その人は気分が悪そうにうつむき、かがんでいたので、
「どうかなさいましたか?」
と声をかけると、
「痛い・・・痛い・・・」
と言っています。
とりあえず事務所まで案内しようと、
「それは大変ですね。事務所の方でおやすみになっては。お連れします」
と声をかけ、手を差し出しました。
女の人は顔をうつむけたまま手を握ってきました。
「っ!」
女の人の手は驚くほど冷たかったのです。
その瞬間に私は、その女の人がこの世のものではないと感じました。
咄嗟に私は手を離しました。
女の人はうつむけていた顔をこちらに向けました。
見てはいけないと思いながらも、私の目は言うことを聞いてくれませんでした。
その女性の顔は真っ青で、生気が全く感じられませんでした。
女性は立ち上がり、
「助けて・・・助けて・・・・」
と、私に迫ってきました。
私は声にならない悲鳴を上げていたと思います。
後ずさりしながら、何とかトイレから出ようと思いました。
よく見ると、女性は胸の辺りを押さえています。
「助けて・・・」
と、もう一度その女性は言うと、すぅっと私の前から姿を消しました。
私は動揺しながらも、事務所に駆け込みました。
事務所の先輩に一部始終を話すと、先輩は落ち着いた口調で、
「あなたも見たんやね。よく出るんよ。あれはね・・・」
と話し始めました。
実は20年ほど前にそのトイレで、洋品店に勤めている女性が17歳の少女に刺殺される事件があったそうです。(相当有名な事件らしいです)
この世に未練を残したまま亡くなった彼女は、今頃またトイレに現れ、苦しんでいるのかもしれません。
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目撃者
一年程前。
母は早朝のお散歩の時に、交通事故を目撃しました。
ワゴン車とバイクがぶつかり、バイクの人はすぐに動かなくなったそうで、その時、かなり悪いのでは・・・?と思ったそうです。
他に目撃者らしき人はいなかったので、ここににいなければと思いながらも、母はショックで気分が悪くなってしまい、よろよろしながら帰宅してしまいました。
その日は一日気分がすぐれず、ゴロゴロしていたそうなのですが、しばらくウトウトしていたら、枕もとに頭がパックリ割れた女性が立ったのだそうです。
血まみれの顔で・・・
その時点では、母にはバイクに乗ってた人が女性なのか、男性なのか、どこを怪我したのか、亡くなったのかすら分かっていなかったのです。
あぁ、あの人亡くなったんだろうか・・・?
と憂鬱になりながらも、ものすごい形相だったのが怖くてたまらなかった、と言います。
その後、気を取り直して、夕方お風呂に入ろうと風呂場のドアを開けたら、そこにまたいる・・・同じ女性が、同じ様子で。
「ひっ」と息をのんだら、消えていきました。
なんで私のところに出てくるのよと、不可解な気持ちでその日は終りました。
次の日、新聞の地方版にその事故のことが載りました。
その時母は、彼女が自分の所へ来た理由がわかったそうです。
記事には、『女性は頭を強く打って死亡。どちらかが信号を見間違えたとして、警察は捜査している』
『どちらかが』ではないのです。
母はワゴン車が無視したのを知っていたのです。
証言してください。
私は悪くない。
そう訴えていたに違いない・・・と思った母は、警察に電話しました。
案の定、ワゴン車の運転手はシラを切っていたのだとか。
その後もシラを切りとおせると思ったのか、とうとう裁判にまでなってしまい母は憂鬱でした。
もともと人前で話すのが苦手なのに、ましてや裁判です。
ところが、裁判の三日前くらいから母は「いやだ、いやだ」と言わなくなったので、どうしたのかと聞いてみると、
「昨日あの女の人に、『あなたのために証言するのだから力を貸して』と声を出して頼んでみたら、綺麗な姿で夢に出てきて、にっこり笑っていたのよ。それから、何だか上手くいくような気がして、イヤじゃなくなったの。不思議でしょ」
母いわく、彼女が付いててくれてる感じがするとか。
もちろん、裁判で堂々と証言してきました。
私も傍聴したのですが、いつものあがり性の母ではありませんでした。
まもなく結審します。
ドライバーの皆さん、気をつけてくださいね。
死んだ被害者は、自分で証人を導いてきます。
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胸騒ぎ
小学生の時、塾の先生に聞いた話です。
その先生は現役の大学生で、その大学の友人に妙な体質の人がいたそうです。
仮にAさんとしますが、彼はごくたまに、ものすごく胸騒ぎするときがあるそうです。
正月前、先生の部屋で二人で飲んでいた時に、急にAさんが真っ青な顔をして額から大汗をかき出したので、先生がどうしたのかと聞きました。
Aさんはそれには答えずに、部屋の電話を取り上げて、懐から手帳を取り出し、そこに書かれた親しい友人の連絡先に片っ端から電話をし始めたんです。(当時、携帯はなかった)
しかも電話して何を言うかといえば、
「今どこにいる?そうか。今日は○○(この町の名前)から絶対に出るなよ。理由は後で説明するから」
何人か、電話に出なかった人もいました。
かけ終わって、先生は彼に説明を求めました。
Aさんが胸騒ぎを覚えるときには、自分に親しい友人で、自分の近くの場所にいない人が必ず死ぬんだそうです。
この時は、いち早く本州に帰省していた人が、実家近くの交差点で事故に遭い亡くなったそうです。
時間的には彼の胸騒ぎ後、二時間ほどたった時でした。
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焼死体
10年以上前の話です。
当時学生だった私は、友人とドライブに出かけました。
昼間にもかかわらず『横須賀の心霊スポットを見に行こう』というものでした。
場所は、ご存知の方はマニアと呼ばれる『旧*部倉トンネル』
当時、横浜・横須賀道路は開通していたものの、完全竣工までは至っておりませんでした。
車ではトンネル跡までたどり着けなかったため、車を降りて徒歩で坂を登っていった記憶があります。
トンネル跡まであと少しという所で、私と友人はほぼ同時に、急にある方向を見つめました。
何故って?それは得体の知れない臭いが漂ってきたからです。
何かが腐って強烈な臭いを発している様な・・・
ここで帰ればよかったのですが、余計な好奇心が、後に最悪の事態を招く事を当時のバカ2人組は全く予測しておりませんでした。
さて、無用心にも臭いのする方へ近づいていったバカ2人組。
あまりの臭いに、
「もう止めるか。こりゃ」
と思っていたところ、6~7m先に黒い物がある事に気がついた。
「なんだありゃあ?しっかし、くせーなぁ。何かの死骸か?」
あたりは背の低い草むらで(10~15cm位の草が生えていた)私が事もあろうにズカズカと近づいたところ、
「ブオオオオオオオォォォォォォンンンンン!!」
と、ものすごい音が。
「!」「?」
何と、無数のハエが飛び立ったのであった。
今まで生きてきて『蚊柱』は何度も見たことがあるが、『ハエ柱』にお目にかかったのはこれが初めてで、かつ、これ以後ない。
かなりおっかなびっくりになった2人組に、さらに追い討ちが!!
「おい・・・これ・・・人の形してねぇか」
「なぬ??ンゲェェェェェェェ!!」
皆さん、焼死体なるものを見た事がありますか?
当然、私は初めてでした。
まともに死体と目が合ってしまった。
一目散に逃げようとしたその時、友人が
「四方八方に何か散らばってるが、ありゃ何だ??」
「何、のん気な事言ってんだよ。アホ!」
が、足元を見れば、確かに何かを細かく切り刻んだものが散らばっていた。
紙のような物もあれば、薄いプラスチックのような物もあった。
比較的大きな破片もあったので、適当に拾い、御遺体から離れて並べてみると、何かの絵?女の子みたいな。
その間、友人は近くの公衆電話へ一目散。
当然110番通報。
戻ってきて言うなり、
「(警察が)着くまでここにいてくれってさ」
「・・・マジかよ」
このときは本当に鬱になった。
ふと、白い紙切れが近くにある事に気が付いた。
私達から向かって右数m先の所に。
「現状維持なんじゃねーのか??」
と言う友人の声を無視し、私は紙切れを拾った。
その紙切れにはこう書いてあった。
『ノロウ。ノロウ。コノヨノスベテヲノロウ。ワガウラミ、トワニハツルコトナシ。』
私は寒毛立った。
これ、遺書じゃねーの??
恐る恐る御遺体の方へ目を向けてみると、何と、顔がこっちの方に向いてるじゃあ~りませんか・・・・(T_T)
頭髪は燃え尽き全身黒こげ。
口の一部は腐ったのかハエに食われたのか、一部骨が露出している様にも見えた。
ここまでひどく焼けてるとなると、ガソリンかぶったみたいだな・・・(実は当時、私は科学を専攻していた院生でした)
もともと生物の肉体は、そう簡単には燃えない。
総体重の半分は水分なのだから、全身黒こげとなると、相当量の可燃性物質を浴びてから、自らに火を放ったとしか考え付かなかった。
そうこうしている内に警察が到着。
初めて事情徴収を受けましたです。はい。
担当のおまわりさんが、
「とんだもの見つけちゃったねぇ」
と苦笑いしながら私に言った。
私は「はぁ・・・」としか返答のしようがなかった。
おまわりさんが
「手に持っている紙切れは何?」
と聞いてきたので、
「近くで拾いました。遺書みたいです」
と答え、私は紙切れを渡した。
この時、私は妙に冷静だった事を覚えている。
ちなみに友人はガクガクブルブルで、事情を聞ける状態ではなかったそうな。
そりゃ普通はそうだ。
「その細かい物は何かな?」
と、別のおまわりさんに聞かれたので、
「御遺体の周囲に散らばってます。適当に集めてみたら、何かの絵みたいなんですよねぇ・・・」
私はこの絵に何か見覚えがあった。
実はこの絵が更なる戦慄を私にもたらす事になるとは、その時は夢にも思っていなかった。
友人は車を運転できる状況ではなかったので、私が運転して帰途についた。
家に戻り両親に事情を話した所、見事に沈黙された。
食欲など全くわかなかったので早々に寝ることにしたのだが、その時に私は思い出した。
「あの絵・・・確か、ミンキーモモっていうアニメーションじゃなかったか?」
正直言って私はアニメには興味がない。
が、予備校時代の知り合いに変わった奴がいて、そいつがミンキーモモ好きで、当時いろいろなグッズを予備校内で持ち歩いていたので、思い出したのだ。
真性ロリコンで医学部志望。
「ちっちゃい子が大好きだから、小児科医になりたい」
等とほざく、私が人の親ならば絶対医者にはさせたくない奴であった。
といっても、成績は理学部志望の私より悪かったので、まず医者は無理だろうなぁ・・・とは思っていた。
「そういやあいつ、どうしているんだろう・・・まさかなぁ・・・」
しばらく経って、同じ大学の予備校以来の友人が、私の所属する研究室にやって来た。
「時間ある?」
「ああ、いいけど・・・珍しいなぁ。何?」
「***が横須賀で、焼身自殺したらしいんだよ。1週間ほど行方が分からなくなっていて、親御さん、捜索願出してたらしいよ。それもさぁ・・・自分の周りにミンキーモモグッズ切り刻んで、ばら撒いたらしくてさぁ」
私は自分の血がみるみる引いていくのを覚えた。
「どうしたんだよ??おい!」
「それ・・・見つけたの。俺だ・・・」
絶句する友人。
これ以上、会話の必要はなかった。
4浪の末、受験したすべての大学の入学試験にPASS出来ず・・・という事だった。
覚悟の上の自殺だったのだろう。
奴は私に見つけて欲しかったのだろうか?
とにかく、未だにミンキーモモの絵を時たま目にしてしまうと、当時の『ハエの羽音』と『焼け焦げた顔』がフラッシュバックする事がある。
私の数少ない恐怖体験でありトラウマでもある。