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後部座席
2年前に免許を取って、おぼつかない運転をしていた頃です。
私は、多分、下手だから車体をすぐこするだろうと思い、中古車の軽自動車を70万ほどで買いました。
新品同様でとても気に入ったのです。
ドアが事故って替えてあるのか、ちょっと閉まり具合が悪かったですが・・・
3ヶ月は何も無かったんですが、深夜のある時、ふと後部座席に誰かいるような気配を感じるようになりました。
慌ててバックミラー越しに覗くと誰もいません。
心臓が波打ちました。
今から車を替えるお金もないので『気のせい』と言うことにして乗っていました。
ある雨の夜、普段なら通らない道を通って間違えて細い道に入ってしまいました。
仕方なく前へ進むと橋があったので、
「あ、ここか。ここ渡れば広い道出れる」
と思い前へ進みました。
橋の手前で雨はざーざー激しくなって、視界が悪くなってきました。
その時、また後部座席からすごい視線を感じ、私は焦りアクセルをふかしました。
気が動転してかアクセルとブレーキを間違え、急ブレーキをかけて見事にエンストを起こし、車は『ばっこん』と止まりました。
何だかなぁ・・・こんな激しい雨の中で。
ふと車が立ち止まった前を見ると、橋の先が見えないのです。
いくら雨で視界が悪いとは言え・・・。
念のため仕方なく車を降りると、橋は途中でぷっつり壊されていて道が無いのです。
このまま直進してたらあの世逝きでした。
逆U字にカーブしてる橋で、橋げたから下までかなりの距離があったので、ひざも足もガクガクして、その場をバック走行して逃げ去るまで酷く時間を費やしました。
後部座席のうっすら気配のする人物は、男かも女かも分かりません。
車はその後、エンジントラブルで走行中に煙を出し、見事1年も乗らないうちに廃車になりました。
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TV録画
もう10年近く前のこと。
ろくに就職活動をしないまま大学を卒業してしまった俺は、職を求めて単身関東へ引っ越した。
とりあえずバイトを見付けて何とか生活する目処が立った頃、俺はある地方局のローカル番組にハマった。
毎日の放送をVHSに録画して繰り返し見るだけでは飽きたらず、番組が視聴できない地域に住んでる友人に貸し出して布教活動をするほどのハマリっぷりだった。
その番組の放送時間は30分なのだが、月~金の平日は毎日放送。
視聴を始めて半年が経つ頃には、俺の部屋はその番組を録画したVHSが山積みになっていた。
録画視聴がすっかり習慣になってしまったある日のこと。
俺は諸々の事情で録りだめ状態になってた数日分の放送をまとめて見ていた。
何か別の作業をしつつVHSの映像を延々と垂れ流し続け、2時間ほどが経過した頃。
ふと違和感を感じてテレビへ視線を向けると、画面にはさっきまで全くなかった激しいノイズが。
よくよく見てみるとそれはノイズというよりも、受信できないチャンネルを映した時の映像に似ていた。
酷く歪んだ映像には何かが映っているようだが、それが何かまでは判別できない。
音声も流れているようではあるが、雑音が酷くて全く聞き取れない。
『うわぁ、録画するチャンネルの指定まちがえたかも?』と思いながら早送りボタン。
暫くすると画面は鮮明な映像に変わり、いつものローカル番組のオープニングが映し出された。
一日分の放送を録り損ねたことは悔やまれたが、それ以降はちゃんと録画できていたので別段気にすることもなく、数日後にはそのことすら忘れてしまっていた。
引っ越してから初めての年の瀬。
帰省する旨を実家へ連絡した際、俺にとってラッキーな情報が入ってきた。
実家暮らしの弟が自分の部屋にDVDレコーダーを導入したらしい。
それまで使っていたビデオデッキも健在とのことなので、二台を繋げばVHSからDVDへのダビング編集ができる。
俺は部屋に溜まった大量のVHSをダンボールに詰めて実家へ配送することにした。
無事実家に到着し、既に届いていた荷物を受け取った俺は、弟の部屋で早速ダビング作業を行うことに。
取説とにらめっこしながら手順を確認すると、どうやらVHSの映像を再生しながらでしかダビングはできないらしい。
つまり120分のビデオテープに録画した映像のダビングを完了するのに、丸々2時間かかることになる。
発送したVHSの中身を全てダビングするにはかなりの時間を要するが、収納スペースのことを考えれば致し方ない。
俺はダビング作業を開始した。
が、帰省してから3日が経過し正月を過ぎても、ダビング作業は遅々として進んでいなかった。
俺自身に外出の用事があったり、弟が部屋でゲームしたいとゴネたりと、いろいろな要因が重なったためである。
正月休みで実家に居られるのもあと2日、実家に送った全てのVHSのダビングはできないにしても、少しでも数をこなさなければ。
と言うわけで、その日の俺は弟が朝からパチンコに出掛けたのを機にダビング作業を開始。
1本のビデオのダビングが終わる度にテープを入れ替えるという作業を延々半日繰り返した。
夕方6時を過ぎた頃、早めに用意された夕飯をリビングで食べていると弟が帰宅。
「開店初日でめちゃめちゃ勝てた」
と自慢気に語ってニ階の自室へ向かおうとする弟に、
「ダビングしてるからデッキとかイジるなよ」
と釘をさす。
食事を再開して間も無く、ニ階から突然叫び声が。
そして、ドタドタと慌てた様子で階段を駆け降りてくる弟。
「お前、アレ何だよ!?」
「何がよ?」
「テレビに変なモン映ってんぞ!」
食事を中断して弟と共に2階へ。
夕飯食うためリビングへ降りる際に電気を消していたので、弟の部屋は真っ暗。
その中でダビング作業中のテレビのブラウン管だけがぼやーと光を放っている。
その画面に映っていた映像を見て、俺は卒倒しそうになった。
ところどころノイズが入った粗い画質の中、目を見開き、口を大きく開けたまま首を横に傾けた女の顔が画面いっぱいに映し出されているのだ。
その瞬間、俺は録画に失敗した日のことを思い出した。翌日以降の録画には何も問題がなかったのですっかり忘れていたが、これはその時のビデオテープだ。
弟と暫し無言でその映像を眺めていた俺は、ハッと我に返った。
平静を装いつつ、
「あれー?何かダビング失敗してるわぁ」
とか言いながらビデオデッキのリモコンを取り上げ、停止ボタンを押す。
反応が無い。
ボタンをいくら押しても映像が止まらない。
デッキのカウンターは数字でも英字でもない表示が付いたり消えたりしている。
DVDのリモコンも同様に無反応。
のみならず、チャンネル変更や電源ボタンなどのあらゆる操作を一切受け付けない。
俺はコンセントに刺さったコードを、タコ足プラグごと引っこ抜いた。
ブツンという音と同時に部屋の中のあらゆるAV機器の電源が落ちる。
ブラウン管の灯りだけで照らされていた部屋は途端に真っ暗になり、俺は慌てて部屋の電気を付けた。
すっかり気が動転してしまっている弟。
俺も心臓バクバクだったが、
「とりあえず飯食おうぜ」
と平静を装ってリビングに戻った。
その後は大変だった。
件のビデオをデッキから取り出そうとすると、ヘッドにテープが絡まって全然出てこない。
強引に引き抜いたものの、ビロビロと吐き出されたテープをデッキから取り除くのに悪戦苦闘。
ドライバーやら何やらで何とか作業を完了させた後、テープはまとめてゴミ箱へ。
その後、DVDの方を確認。
ダビング作業は途中で中断されてるだろうけど、内容が気になる。
そこでまた仰天。
チャプター画面のサムネイル画像が、先ほど映ってた首を傾けた女の顔。
しかも10数個に分割表示された全ての画像が、同じ女の顔で埋め尽くされている。
すぐさまDVDデッキの取り出しボタンを押す。
ビデオとは違ってスムーズに出てきてくれたそれを、両手で思いっきり力を込めて真っ二つに。
先ほどゴミ箱に捨てたビデオテープと共に紙袋に詰めた上で小さく折りたたみ、ガムテでグルグル巻き。
台所に居た母に
「これ捨てといて」
と言って手渡した。
以来あんなにハマっていた番組への熱がすっかり冷めてしまい、録画はおろか視聴すらしなくなってしまった。
その後しばらくして再び引っ越しをしたため、今はあの番組の放送局を受信できない地域に住んでいるけど、こっちでもネット放送か何かで深夜に放映されているので、何の気無しのザッピングでチャンネルが合うたびにドキッとしてしまう。
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電波塔の整備
うちの夫は、山奥の電波塔や中継局などに整備の仕事に行くんだけど、そういう建物がある場所ってしばしば自殺スポットのようになっている。
車で機材を運ぶための林道が整備してあるから、山に不慣れな人でもわりと簡単に奥まで入っていけちゃうみたいだね。
木の枝に掛けられた数珠とか、そろえて脱いだ靴とか、明らかに遺品らしき品物もたまに見かけるらしいけど、時間内に作業を終えなければならないから、目の前に死体がぶら下がってる場合でも無い限り、
「うわーやだー怖いねー」
「首吊りかなあ、夏場は溶けるの早いしなー」
と、作業員みんなでスルーするのが当たり前になってるらしいw
うちの人はオカルト全く信じない人間なんだけど、自殺スポットの中継局で作業した日の夜は、決まって誰かと会話してるかのような妙な寝言を言うのがちょっと怖い。
朝には全然覚えてないんだけどね。
あと、使ってない部屋から稀にラップ音?が聞こえる時もあるけど、年がら年中窓を開け放して換気しまくる家なせいか、しばらくすると自然に音が消えて静かになる。
まぁ現実の人間関係もそうだけど、必要以上に怖がったり気を遣いすぎたりすると、相手にナメられて付け込まれやすくなってしまうから、気にしない事って案外と重要なのかなと思ったり。
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じいさんの昔話
俺の親父の実家がある村の話。
父親の実家、周囲を山にぐるっと囲まれた漁村(もう合併して村ではないけど)なんだ。
元の起源は、落ち延びた平家の人間たちが隠れ住んだ場所で、それがだんだん村になっていった感じ。
まぁそんなこと、村で一番の年寄りの爺さんがガキンチョに聞かせるだけで、ほとんどの人間は意識していない。
若い子とかは、知らない子のほうが多いくらいだ。
俺の住んでいる市街(といってもすげー田舎)とそれほど距離があるってわけじゃないんだが、地形の関係で周囲と孤立している。
今でこそ道路もきちんと整備されて、簡単に行き来できるようになったけど、数十年前なんかはろくに道路も整ってなくて、まさに陸の孤島って言葉が似合う、そんな場所だった。
よく田舎では余所者は嫌われるって言われてるけど、全然そんなことないんだよな。
村の人たちは排他的ではないし、気のいい人たちだよ。
土地柄的に陽気な人が多い。
親族内でお祝い事があったら、明らかに親戚じゃない知らないオッサンとか混じってて、それにも構わずみんなでわいわいやったりとか。
基本的に飲めや歌えやっていう感じ。
俺は半分身内みたいなもんだから、それでよくしてくれてるところもあるんだろうけどさ。
正確な場所はさすがに訊かないでくれ。
俺まだその村と普通に交流してるからあんまり言いたくない。
言えるのは九州のとある地方ってことだけだ。
親父の実家自体は普通の漁師の家。
でも、家を継いだ親父の兄貴(親父は九人兄弟の真ん中)が、「年を取ってさすがに堪える」って言うんでもう漁業は止めてる。
実家は親父の兄弟姉妹とその家族が何人か一緒に住んでたり、親父の叔父叔母が同居してたりでカオスだ。
俺も親父も親戚関係は全然把握できてない。
誰が尋ねてきても「多分親戚」ってくらい親戚が多いんだよ。
で、俺の家は何かあれば、ちょこちょこ実家に遊びに行ってた。
俺がガキの頃はかなり頻繁だった。
小さい頃は楽しかったけど、中学生にもなるとさすがにそういうのもうざくなってくるが。
それ俺って一族の中では年少者だったから可愛がられてて、お小遣いとか結構貰ってて、そういうの目当てで大人しく親についていってた。
近所の爺さん婆さんたちも、子供は独立して滅多に帰ってこないっていうので寂しかったのか、俺や俺の弟や妹たちをすげー可愛がってくれてさ、今でも俺が来ると喜ぶんだよな。
そんな年寄りたちのなかで一番に俺たちを可愛がってくれたのが、シゲじいさんっていう人だった。
シゲじいさんはもともと海の男だったんだけど、とうの昔に引退して、気ままな道楽生活を送っている人だった。
俺がガキの頃の時点で90超えてたと思うが、口は達者で頭もしっかりしてた。
奥さんもずいぶん前に亡くなってて、子供のほうは東京に出たっきり正月や盆にも帰ってこない。
だから俺らの遊び相手をして、寂しさを紛らわせてたんだと思う。
豪快なじいさんで、俺との木登り勝負に余裕に勝ったり、エロビデオ毎日観てたりと、俺にエロ本読ませてくれたりと、殺しても死なないんじゃないか、というような人だった。
でも、そんなじいさんもさすがに死ぬときは死ぬ。
俺が中学生のときに病気になって半分寝たきり状態。
夏休みのときに実家に長期滞在したんだが、じいさんの病気を知ってからは、親戚付き合いそっちのけで、じいさんの家に見舞いにいきまくってた。
じいさんは
「もう自分は長くないから」
と、昔話を聞かせてくれた。
そのときじいさんの話を聞いたのは、俺と弟だったわけだが、あれを子供に聞かせていいような話だったのかと、あの世のじいさんにツッコミを入れたい。
じいさんの話は、生贄の話だった。
じいさんは、
「昔ここらへんではよく生贄を捧げていた」
とかぬかしやがる。
それも何百年も昔ってわけじゃなくて、昭和初期から中期に差し掛かる頃まで続いていたとかなんとか。
俺「いや、そげんこと言われても……」
弟「……困るし」
俺たちの反応のなんと淡白なことか。
でも、いきなりそんなこと話されても実感沸かないし、話されたところで、俺らにどうしろと?って感じだった。
俺「生贄ってあれだろ?雨が降らないから娘を差し出したり、うんたらかんたらとかいう……」
弟「あと生首棒に突き刺して、周りで躍ったりするんだよな?」
じいさん「ちげーちげー(違う違う)。魚が取れんときに、若い娘を海に沈めるっつーんじゃ」
俺「あー、よく怖い話とかであるよな。人柱とか」
じいさん「わしがわけー頃には、まだそれがあった」
俺「……マジで?」
じいさんの話はにわかには信じられないものだったが、まぁ昔だし、日本だし……
そんな感じで、当時若い姉ちゃんの裸よりも、民俗学だの犯罪心理だのを追求することに生きがいを感じている狂った中学生だった俺は、ショックではあったが受け入れてはいた感じ。
弟のほうはよく分かっていないような感じだった。
多分、漫画みたいな話だなーとか思ってたんだと思う。
生贄を捧げるにしても、なんかそれっぽい儀式とかあるんだろうけど、じいさんはそこらへんの話は全部端折った。
俺としてはそっちのほうも聞きたかったんだけど、当時若造だったじいさんも詳しいことは知らないそうだ。
当時の村の代表者(当然、既に故人)とか、そういう儀式をする司祭様みたいなのが仕切ってたんだろうけど、そのへんのことも知らないらしい。
じいさんが知っているのは、何か不可解なことが起きたときや不漁のときに、決まって村の若い娘を海に投げ込んでいたというだけ。
親父の実家は、先にも言ったように陸の孤島みたいなところだ。
そういう古臭い習慣がだいぶ後まで残ったんだと思う。
じいさんがなんでそんなこと俺らに聞かせたのかは、未だによく分からないんだけど、その生贄の儀式っていうのは、神の恩恵を求めたものっていうよりは、厄介払いの意味を含めたものであったらしい。
村中の嫌われ者、身体・知的障害者や、精神を病んだ人(憑き物ってじいさんは言ってた)を、海に投げ込んでハイサヨウナラって感じ。
だから、捧げられるのは若い娘だけじゃなかったらしい。
その裏で、多分こっちが本当の目的なんだろうけど、厄介者を始末する。
実際、近所の家にいたちょっと頭のおかしい人が、生贄を捧げた次の日から見かけなくなった、というのがよくあったそうだ。
あまりにも頻発するんで、村の中枢とはそれほど関わっていなかったじいさんも、薄々は気づき始めたらしい。
俺の妹が軽度の知的障害者だから、聞いたときは本当に嫌な気分になった。
俺「でもさ…、それっておかしいとか思わなかったの?娘さんは最初から沈められるって決まってるけど、そういう厄介払いされる人たちって行方不明じゃん」
じいさん「いやー……娘さんにはむげー(可哀想・酷い)とはおもうたけんど、ほかんしぃが消えたあとはまわりんしぃ、むしろ厄介者が消えてせいせいって感じやったなぁ」
俺「……」
生贄の儀式が実は厄介払いのための建前っていうことは、当時の村の人間の、暗黙の了解みたいなものだったんだと思う。
誰も何も言わなかったってのは、そういうことなんじゃないかな。
ちなみにこの風習も、昭和の中ごろになる前に自然消滅していったそうだ。
村の人間も、戦後あたりに家を継ぐ長男以外は出稼ぎで全国に散らばっていったから、生粋の地元人ってのもあまりいないし、事実を知っている人間は年寄りばかりで、そのほとんども亡くなっている。
今生きているのは、当時子供で詳しくは知らない人とか、そういうのばっかりだ。
そういう人たちも、わざわざ話したりしない。
だから生贄関連の話、記録とかには残っているんだろうけど(慰霊碑があるし)知らない人のほうが多いみたいです。
まぁ自分の地元の郷土史なんて興味なけりゃ、ごく最近の出来事でも周囲の認識はこんなもんだと思う。
結局、シゲじいさんは、なんで俺と弟にこんな話をしたのかわからない。
俺が民族学やらなんやらが大好きってことを知っていたから、それで聞かせてくれたのかもしれないけど。
あの人、変人だったし。
もう墓の下だけど、死ぬ直前まで口の達者なじいさんでした。
でも、あのじじいがこんな話をしてくれたもんだから、しばらくは大変だったよ。
今まで(今でも)可愛がってくれた年寄りたちの何人かはこの事を知っていて、実際に身内の中に生贄を出した家ってのもあるかもしれない。
そう思うと嫌な気分になるっていうか、気のいい彼らに対する認識が少し変わったんだよな。
彼らがいい人ってのはよく分かってるから、それで交流を止めたりはしないんだけど。
以上、あまり怖くはないんだが、俺個人としては気分の悪くなった話。
俺は相変わらず実家に訪問することが多いのだが、まだ他にも普通じゃない話はいくつか見聞きしている。
それは、話すときがあるかもしれないし、ないのかもしれない。
さすがに地元特定されるようなネタとかは話せないし。
個人的に、かつて村の有力者だったという家の話は、もっと凄かった……
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突然の失踪
バイト先の店長から聞いた話。
その店長の兄が、10年ぐらい前に経験した話らしい。
その兄は、当時とある中小企業に勤めてたんだけど、まだ2月の寒いある日、同期の女の子が無断欠勤した。
休むとの連絡も無いんで、上司がその子の自宅(アパートで一人暮らし)に電話をしても出ないし、携帯にかけても出ない。
次の日も欠勤したんで、普段まじめな彼女が2日続けての無断欠勤とはおかしい、という事で彼女の実家に電話した。
電話に出たのはその子の母親だったが、娘からは何の連絡も無いと。
とりあえずご両親が、その子のアパートに行って見るという事になった。
その子のアパートは実家から電車で1時間ほどなので、後でまた会社に連絡くれるとのこと。
で、その日の夕方、会社にその子の父親(以後Aさん)から電話があったんだが、大家さんに鍵を開けて貰い部屋に入った所、娘は居ないとの事。
部屋も別に荒らされている様子も無いし、書置き等も無いし、ご両親もかなり困惑している様子で、警察に届けるべきかどうか迷っているらしい。
電話の対応をした会社の上司も、誘拐等の犯罪に巻き込まれたんじゃないかと不安になったが、とりあえずご両親に会社に来て頂いて、そこで話し合って対応を決めようという事に。
暫くしてご両親が来社し、社長交えて話し合った結果、やはり警察に通報した方が良いと言う事になり、警察に電話した。
そして警察が来るまでの間、彼女の机やロッカーを調べて何か手がかりが無いか探そうという事になり、まずは机を調べたところ、引出しから一枚の写真が出てきた。
写真には、人で賑わうスーパーの前で半袖のTシャツとジーンズ姿でこちらを向き、ピースサインで微笑んでる彼女が写っていた。
いつ撮られた写真かもわからないし、今回の事に関係あると思えないんだけど、Aさんは何故か知らないけど違和感を覚えたみたいで、しきりに写真を見つめ考えこんでいたらしい。
そうこうしている内に警察がやってきたんで事情を説明し、社員への軽い事情聴取の後(店長の兄はその子の同期で、結構仲も良かった為に疑われたのか、聴取が長くて凹んだらしいw)
ご両親と社長が署に同行し、捜索願いを出すことになった。
先程の写真も、警察に事情を説明したところ、何かの手がかりになるかも知れないと言うことで預かってもらった。
で、小さな会社がちょっとした騒ぎになりつつも何とか業務をこなし、それから2日経った日、Aさんから会社に電話があった。
娘らしき人物が警察に保護されたようなので、今から病院に行くと。
病院は彼女の実家から電車で3つほど先の駅の近くにあって、とりあえず社からは上司と店長の兄がその病院に向かう事になった。
病院に到着した上司と店長の兄が、病院の待合室に居た母親から話を聞いたところ、保護された人は娘で、目立った外傷も無く、やや衰弱しているだけで意識はハッキリとしているとの事。
母親もホッとしたのか、涙ぐみながら
「本当にご迷惑おかけしてすいません」
と平謝りだったらしい。
今ちょうど警察の人が娘に事情を聞いている最中で、面会はまだ出来ないとの事なので、上司と店長の兄も無事で良かったとホッとして社に戻った。
その数日後、Aさんがお礼とお詫びをかねて来社し、今までの経緯を報告してくれた。
それによると、彼女は保護されるまでの記憶が全く無いらしい。
仕事の後、帰宅して食事を取り、入浴後睡眠したところまでは憶えているが、それからの記憶が全く無く、気が付いたら見知らぬ住宅街の歩道を歩いていて急に恐ろしくなり、道端で座り込んで泣いている所を近所の人が通報して保護されたとの事。
精密検査の結果も、暴行された痕跡は勿論、目立った外傷も無く、脳にも異常は見られないが、とりあえずあと2~3日は大事をとって入院するらしい。
まぁでも、とにかく無事で良かったと社長含め一同で話をしていたが、Aさんが
「でもちょっとおかしな事があるんですよ」
と切り出した。
娘らしき人が保護されたと警察から連絡があったので、病院に急いで車で向かったんだけど、その途中で思わず
「あっ!」
と声を上げてしまったと。
あの写真に写っていたスーパーが通り沿いに見えた。
立ち寄って確認したかったが娘の安否が気にかかるし、とりあえずその場は病院に急いで、夜に妻を娘の病室に置いて一人で確認しに行った。
スーパーの前の路肩に車を止め、降りて確認すると時間も遅く閉店してるし夜で景色は違うけど、あの写真のスーパーに間違いない。
住所を確認し、急いで病院に戻り警察に電話して担当の刑事さんに調べて欲しいと訴えたけど、今回の事については、室内で争ったり拉致された形跡も無く、異性との交友トラブルも無い等、事件性が薄い上に、あの写真も今回の件との関連性は薄いので難しいとの事。
警察の対応にやや憮然とはしたけど、やはりあの写真には気になることがあったので、娘にそれとなく聞いてもそんな写真は知らないし、何の事かわからないという。
んで、翌日そのスーパーをもう一度尋ねてみたが、そこで見た光景に背筋が凍ったらしい。
写真では小さく写っていてわからなかったけど、スーパーの入り口にのぼりが立っていて、そこには『2月○日~△日まで、OPEN記念セール中!』みたいな事が書かれてあった。
○日といえば、彼女が行方不明になった日。
店内に入り店員に話を聞くと、そのスーパーは間違いなく4日前に開店したばかりだと言う。
そんな馬鹿な話がと思いつつ、その時点でAさんが写真に覚えた違和感がわかってハッとしたんだって。
あの写真、彼女は半袖だけど、写ってる周りの人は皆ジャケットなりセーターなりの防寒服着てたと。
んで、止めが、あの写真・・・一体誰が写して、いつあの子の机に入れたのか・・・と。
その場の一同、唖然を通り越して絶句。
スーパーを訪れた翌日、警察署に立ち寄って事情を話したけど殆ど相手にされず、例の写真も返却してもらった。
んで入院中の娘にその写真を見せても、やはりと言うかこんな写真は知らないし、こんなスーパー行った事も無い。
それに、こんな服はあたし持ってないと。
もう一家揃ってかなり気味が悪くなったので、写真は燃やして捨てたそうな。
ちなみに、彼女はその後元気になり無事に退院したけど、小さい会社でこういう騒ぎになったので、流石に居づらくなり辞め、父親の家業を手伝っているとの事。