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幼馴染の挨拶
数年前に、幼稚園からの幼馴染(小学・中学・高校と一緒)だった親友のNが肺炎で死んじまったんだが、そいつはよく冗談交じりに、
「死んだら、お前の枕元に絶対に立ってやるからな」
なんて言ってたのよ。
俺の方も、
「虚弱なお前よりも、無茶して事故死しそうな俺様のほうが絶対に早死にするだろうから、こっちが先手取るだろうよ」
とか言ってたわけ。
そいつが死んでから2週間も経ってなかったと思うが、ショックから立ち直れなくて、他の友人達ともほとんど会わずにアパートに一人でいたときなんだが、ロフトで寝ていると小さい地震みたいな振動で目が覚めたのよ。
俺ってそういった振動で目を覚ますことが多かったので、また地震でも来たかなと思って、下にある電光表示の時計を見ようと顔をロフトから出したら、死んだNが腕組みして見上げてる。
洒落っ気のない奴で、いつものワイシャツと茶色系のスラックス姿で不敵な笑みを向けてるのよ。
怖さとか、びっくりなんてことよりも、生前に言っていた事を本当にやりやがったという気持ちの方が先に立って、頭の中で『やられたっ!!』とか考えたら、まるで見透かしたように
「まっ、そういうことだ」
とはっきり言って、ロフト下の通路を玄関に向かって消えていっちまった。
遊びに行ったりしても、別れ際は「じゃっ」の一言だけで手も振らず振り返りもしない、あいつらしいプレーンな別れ方がそのままで、あいつの姿が消えた後も、嬉しいやら先を越されたことが悔しいやらで、妙な気分で泣いちまったよ。
あの野郎、今度墓参りに行ったら、柄杓で水をかけずにバケツで水をかけてやる(笑)
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島の禁忌
うちの父方の家は長崎のとある島にあって、議員さんも出た名のある家柄でした。
その家は、絶対口外してはいけない過去がある家でした。
今は父方の家系にあたる人間は私しかおらず、私の父が家出(駆け落ち?)同然で東京へ出てしまい、家を継がなかった事と、父の死後、その家を取り潰してしまった為、今は断絶したことになります。
父は去年亡くなりました。
父方の親戚もいません。
だから、ここで書いても最早問題ないと思います。
それを知ったのは高校一年の頃。
その家へ遊びに行った時に、爺様から教えてもらいました。
この家は昔、海外への人身売買を生業にしてきたと。
正しくは、人身売買で引き取った子を海外に輸出する前に、ある程度の作法やら言葉を教育するという事を行っていました。
その稼業は室町以前から始まり(ちょっと眉唾ですが)昭和初期まで続いていたそうです。
95歳で亡くなった爺様も、関わらないまでもそれを生で見ていた、ということになります。
まず、全国の農村を子を買って回る業者(名前は失念)から子供を引き取ります。
爺が言うには、当時で大体男子が50円、女子が20円程度だったと聞きます。
10円が今で言う1万円くらいだったらしいので、人一人の命が2万や5万程度だったことに驚きです。
末端価格でその値段ということは、実際の親にはその半額程度しか支払われていなかったことでしょう。
あまりに哀れですが、それほど困窮していたとも取れます。
連れてこられたその子たちは、うちの家で大切に扱われます。
綺麗な洋服を着て、美味しいものを食べて、遊んで暮らします。
そして、色々教えていきます。
言葉、字、作法、女子には料理、すべては洋式の事ばかりだったそうですが・・・
海外へ行っても困らないように養育したそうです。
さて、子供たちはどこに住んでいたのかと言うと、長崎の家は一見2階建てと気づかないのですが、2階がありました。
2階には一切窓がありません。
外から見ても、窓が無いので2階があることさえ分かりません。
しかし、当時は煌びやかな壁紙や装飾が施された部屋がいくつもあり、その部屋に子供たちが引き取られる一時期だけ暮らしていたそうです。
そこへ上がるための階段に、ちょっとした特徴がありました。
2階に上がるのは、階段から簡単に登れるのですが、降りる為には、1階から移動階段を渡してもらわないと、降りれないようにもなってたそうです。
構造をもうちょっと説明すると、階段を上り終わった所の板は、下からしか上げられない戸になっており、降りる側の戸は、登った側の反対側で階段の裏側が見えるという状態です。
逃げ出せないようになっていたのですね。
ちなみに、私は爺様にその場所を教えてもらったのですが、上りの階段も外されていて、上ることが出来ないようになっていました。
あと、家の中央付近にはつるべのような仕掛けがあり、一種のエレベータのようなものが置かれていました。
片方の下は井戸になっており、石を繋いで落とすと、すべりの悪くしている(?)滑車が、ゆっくりと片方に乗せられた盆を上げていく仕組みです。
あくまで料理や生活や教育に必要な道具を上げるだけで、人は乗れないモノだったそうです。
私が見たときは井戸が埋められていて、ロープも無く、上の暗い穴のところに、滑車の車を外したモノがあるだけでした。
一番オカルトチックだったのは、発育の悪い子や、貰い手が無いまま15歳を超えた女子を殺して捨てる井戸があったこと。
本当かどうかは分かりませんが、逃げ出そうとしたり、知能が遅れすぎて役に立たない子は、牢屋に入れて毒で殺した挙句、その井戸から落としたそうです。
貰い手が無かった男子は、そのまま近隣の島の労働力としてもらわれていくことが多かったそうです。
私が行った頃には、すでに井戸は跡形も無くなって、庭の片隅に鳥居と鎮魂の為と思われる文字が刻まれた岩があっただけです。
爺様は幽霊なぞは見たことが無いと言っていましたが、子を落としてからしばらくは、井戸から声が聞こえることがあったらしいです。
「しにぞこない」とか「仲間入り」なんて呼ばれてたらしいですが…。
でも、この話を聞いてから、二度とその家へ行かないと決めたものです。
実際取り壊しの時も私は立ち会いませんでした。
父は祖父が死んだとき、一切合財の財産は島で家を管理されてた人に任せることにしました。
きっと父も、その呪われた島に行きたくは無かったのでしょう。
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宝くじ
大学のときに死んだ祖母が、よく小額(と言っても三十万とか五十万とか)のレベルで宝くじを当てていた人で、親に内緒でお小遣いとか貰って旅行に行ったりしてました。
そんな感じで相当な小金持ちだったはずの祖母だったんですが、突然死んだ時は悲しいと同時に、親戚連中の遺産の取り合いとかそういうのを軽く想像してしまって、かなり欝になりました。
ところが蓋を開けて見たら親戚連中、遺産を取り合うどころか、
「これはお前が持っておけ」
だの、
「いやいや、これはアンタの所の取り分だ」
だの、互いに形見の押し付け合い。
金銭も含めて、祖母が持っていた物は出来る限り受け取りたくないという雰囲気でした。
うちの親なんか、早々に相続放棄してたぐらいだし。
正直、あって困るものでもないんだから、受け取っておけばいいのにと思ってましたが、どうしても受け取れない(受け取りたくない?)理由が、親を含め親戚たちには何かあるようでした。
当時は相続税とか、そういう税金関係の負担が重いからだろうと勝手に思っていましたが、その後の三回忌で近所に住むおばさんが、
「過ぎた幸運は身を滅ぼすって、ばあちゃんにはあれほど言ったのに」
と、ぼそりと言うのにちょっと水を向けて見ると、どうやらばあちゃん、宝くじを当てるのに何かおまじない?だか占いだか、そんなのをやってたらしい。
その中には、ただのおまじない程度じゃすまないものもあって(なんか生き物を殺す系のものとかもあったようです)おばさんと母の兄=長男が叱っても意に止めない。
うちは地元でも古い方の家で、氏神さんとも結構な関わりがあったから、絶対いつか祟られると、皆、余計怖かったようでした。
なのでばあちゃんが死んだときも、うちの母含め、親戚連中は皆「バチが当たった」と思ったそうです。
遺産も「穢れたお金だから」と言う理由で、皆が受け取るに受け取れなかったとか。
「ああいうお金は身を滅ぼすのだから、身につけてはいかんのよ」
と溜息をついたおばさんに、そのお金で旅行したり服買ったりして遊んじゃったことがありますとは言えませんでした。
それ以来、ばあちゃんのご利益を期待して毎年買ってた宝くじから、なんとなく遠ざかってしまいました。
蓄財はやっぱり堅実な手段が一番だなと、今は思ってます。
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海の巨大生物
職場の後輩が、高校時代に体験した話。
後輩の高校は船乗り?の養成やってる学校で、実習で実際に船に乗って海にも出てたそうです。
これはグァムだかハワイだかへの遠洋実習のときの話です。
航海から何日かした早朝に突然、船が航行不能になりました。
船長、教官以下で原因究明したところ、機関には異常はないが、スクリューが動かないことが判明しました。
船尾から観察したところ、どうやらスクリューに異物が絡まったとのこと。
船尾から観察するかぎり、なにか大きいものがスクリューに巻きついて、よく見ると大型のイカからしかった。
巻きついていない触手が海に漂っているが、長さは少なく見積もっても15m以上はあった。(基準は船体で、約50mだったそうです)
イカの本体は船体の下に入って確認できず、おそらくすでに死んでいる。
スクリューを逆転させても触手は排除できず、直接取り除く以外ない。
結局、ロープとカラビナでダイバー要員が二人、ナイフとノコギリを持って潜行作業のため海中へと消えていきました。
2~3分でダイバーが一人浮上し、
「作業は困難で一時間以上はかかる」のと「絡まっているのは、見たこともないくらいの大型のイカ」と言った。
ダイバーは作業に戻り、浮き沈みしながら30分ほどたったころ、突然二人のダイバーが一緒に浮いてきて何か叫んでいます。
二人は
「はやくあげろ!」
と叫んでいました。
わけもわからず、船上で数人が二人のロープを引き上げました。
最中に、船に少し大きめの衝撃に続き、地震のような揺れがありました。
それはダイバーを引き上げた後も数秒続き、最後にまた大きな衝撃とともにおさまりました。
船上のいる者は一斉に海中を覗き込みます。
みな声を失いました。
船長以下が水面に見たものは、巨大なイカの本体部分と、それを咥えた有り得ない大きさの鮫の魚影でした。
水深約3mほどを、目算で畳六畳ほどのイカと体長20mほどの鮫の魚影。
シルエットでしか目視していないが、間違いなくホホジロザメに似た形。
それはそのまま海底へと消えていったそうです。
おれはこの話を聞いたとき、マッコウクジラかジンベイを見間違ったのではと疑いましたが、同乗していたベテランも当のダイバーも、間違いなくホホジロザメだと譲らないし、ジンベイがそんな大きいものは食さないとのこと。
結局スクリューは、シャフトを曲げられ作動不能になった。
おそらく鮫らしきものが、絡まったイカを無理やり引きちぎったのが原因らしい。
すったもんだして、救難信号で通りかかった日本行きのオーストラリアの商船に牽引してもらい、数日後には日本に帰国したそうです。
スクリューに絡まったイカの足は、ほとんど消えていたそうです。
さて、彼らの見たものはいったいなんだったのでしょう?
いったい船長はどう報告して航海日誌にはなにを書いたのか、興味が湧きます。
心霊とかじゃなくて、UMA系の話でした。
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旧家の言い伝え
俺の実家は海沿いの田舎町。
メチャ綺麗な海が有名なんだけど、色々とイワクがあるんだよね・・・
幼馴染のKの実家は代々続く名家なんだけど『そこの家の嫡男は、15才の誕生日に海に近づくと命を落とす』って言い伝えがあったんだ。
死ぬって言うのは、海神(地元の言い伝えでは美しい女)が死んでしまった自分の子供を生き返らせようと、選ばれた家の嫡男の魂をもって行くって話しなんだけど、俺もKも眉唾だと全然信じてなかったんだよね。
誕生日当日、Kは学校を休んだ。
俺は昼休に学校を抜け出して、様子を見に行った。
Kの家に着いて呼び鈴を押すと、Kの母親が出てきた。
話を聞くと、今日は大事をとって家の座敷に缶詰状態らしい。
Kに会いたいと伝えると、
「今日で最後かも知れないから・・・」
と、家に上げてくれた。
俺はそんな与太話本気で信じてるのかと思ったが、町中その噂で持ちきりだったので、ナーバスになるのも仕方ないかと、座敷に向かった。
座敷の前にはKのオヤジと爺さんが、ふすまの前に厳しい表情で座り込んでいた。
俺に気づいた二人に軽く挨拶をし、Kに会いたいと伝えると座敷に通してくれた。
ふすまを開けると、缶ビール片手にくわえタバコのKが、ダビスタに夢中だった。
本人は全く緊張感が無く、何故かホッとした。
Kが俺に気づき「オウ」と、いつもの様に挨拶を交わした。
しばらくは下らない話をしていたのだが、Kが急に
「なぁ今日本当に俺が死んだらどうするよ?」
と聞いてきた。
一瞬返答に困ったが、
「俺が死に際見取ってやるよ」
と冗談ぽく言った。
Kの話では、Kのオヤジさんも爺さんも嫡男で、15の誕生日には同じように座敷に缶詰だったらしい。
2人とも全くその日の記憶が抜けていて、何も憶えていないとの事だった。
俺は今日一日Kと一緒に過ごすと決め、食料とタバコの買出しにコンビニへ向かった。
コンビニから戻ると、何やら座敷の方が慌ただしい様子だった。
何やらエライ坊さんが来て、結界だの魔除けだの準備をしていた。
Kはと言うと、酒を頭からかけられ灰をかけられ、物凄い状態になっていた。
Kが体を洗って帰って来ると、2人でお札がビッチリと貼られた座敷へ戻った。
特にやる事が無いのでDVDを観てた。
座敷の前では、近所のオッサンどもが順番で番をしていた。
特に何も起こらず、夜もふけて来た11時過ぎに便所に立って、戻るとふすまが開き、番をしていたオッサン2人が眠りこけていた。
まさかと思い、座敷を覗くとKがいない。
オッサン達をたたき起こし、家の人間にKが居ない事を告げた。
その日Kの家に詰めていた人間全員で、Kの捜索がはじまった。
俺はバイクを飛ばし、すぐに海へ向かった。
海岸線の国道を走っていると、すぐに砂浜に立っているKの姿を見つけた。
俺はすぐ携帯でKの家に連絡を入れ、Kに走り寄った。
「オイ、Kお前何やってんだよ」
と肩をつかむと、物凄い力で振り払われた。
無言で振り返ったKを見ると、白目を剥きヨダレを垂れ流した状態だった。
これはヤバイとKを羽交い絞めにしたのだが、Kは海へと向かう足を止めない。
物凄い力で海へと引きずられてしまった。
何を言っても聞く耳を持たないので、仕方なく後頭部を力一杯ぶん殴った。
4~5発は殴ったのに、こっちのコブシが腫れ上がっただけでビクともしない。
そうこうしてる内に、大人達が集まって来た。
10人以上でKを取り押さえたのだが、引きずられるばかりで止める事ができない。
海水が胸位まで来た時、昼間の偉い坊さんが現れ、お経を唱え始めた。
するとKは、意識を失った様に海に沈んでしまった。
慌ててKを引き上げて浜へ上げた。
坊さんがKの額にお札をはり、お経を読み始めた。
読経は日が昇るまで続けられた。
読経が終わり、坊主がKの背中を叩き、
「アイ!!」
と気合を入れるとKが目を覚ました。
Kは目の前で何が起こっているのか、全く理解できていない様子だった。
「何故俺は海にいるのか?」
「何でお前まで水浸しなのか?」
と、状況を理解しようと必死なようだった。
Kに昨晩起こった事を話すと、
「マジ?」
と唖然としていた。
本当に何も憶えていない様子だった。
それから町ではその話しで持ちきりだったが、すぐに噂は絶えて、誰もその事を口にしなくなった。
Kは今、北海道で牛を飼いながら元気に暮らしている。
来年結婚するそうだ。