怖っ!怖っ?怖い話

いろんな怖い話を集めています。

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「 学校での怖い話 」 一覧

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忘れられない電話

僕は京都の○○大学・文学部・仏教学科の学生です。

この話は、僕が所属するゼミの教授から聞いた話です。

もう一昔前ですが、当時助教授だった教授の元に、一本の電話が掛かってきました。

関東に住む弁護士さんからでした。

『ぜひ仏教の知識に秀でる○○助教授に教えて頂きたいことがあります。』という内容でした。

最近、中年女性が弁護士さんに相談に来て、息子を助けて欲しいと。

内容は、自分の息子が、ある新興宗教に入信してしまい、帰ってこないどころか連絡も一切とれずに困っているとの事でした。

それどころか、息子は家のお金を数百万も盗み、その宗教団体に寄付しているんです。

と、母親の女性は涙ながらに語っていました。

母親は、

「出家とはそういうものなのですか?」

「いくらなんでもおかしいんじゃないですか?」

弁護士は悩みました。

いくら弁護士でも、宗教については分からなかったからです。

そこで、世界の宗教について研究して本も出版していた、当時の○○助教授に連絡が至ったわけです。

「○○教授にお尋ねしたい。宗教において出家とは、二度と親には会ってはいけない、また多量のお金を寄付しなければいけない、とか決まりがあるのでしょうか?」

助教授は答えました。

「いえ、そんな事はありません。日本宗教においては、出家しても会いたくなれば親に会ってもいいですし、そんな決まりは昔から存在しません。」

「まして、元の自分の家から多額の金を寄付するなど、ありえません。あきらかにおかしいことです。」

弁護士は、

「やはりそうですか。実はですね。こういった相談が最近私の元に沢山くるんです。」

「このお母さんだけではないのですよ。しかも全部の相談がある一つの宗教団体なんです。」

教授は「何ていう宗教団体ですか?」と尋ねました。

「はい、何やらオウム真理教という新興宗教の団体なのですが・・・」

教授は「オウム?聞いたことないですね。」

「いやあ、何やらこの団体の噂が多々ありましてね、施設の近所に住む方々からも苦情があるんです。真夜中に凄い叫び声や奇声がするやらなんやらで・・・。」

「とにかく、もう少しこの団体について調べてみます。○○教授ありがとうございました。また何か分かれば連絡致します。」

そう言って○○弁護士と電話で話したのが、最初で最後になったそうです。

そう・・・この弁護士は坂本弁護士からの電話だったらしいのです。

後にオウムによって一家惨殺されました。

教授は今でも、あの電話を忘れることができないそうです。

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木琴

私が中学生の頃、合唱コンクールっつーのがあった。

なんか、うちの学校では妙に力の入ったイベントらしくて、放課後でも皆残って練習したりしてた。

で、まずは曲を何にするか?っつーのも、教師が勝手に決めるのではなく、生徒達で決めたりもした。

最終的には担任が決定するけど。

で、ある日私たちは音楽室で何を歌うか選んでいた。

たぶん英語担当の教師(以下K先生)が一緒だったと思う。

生徒も私以外に10人くらいいたと思う。

随分昔の話なんで、当時はテープだった。

で、候補曲をテープレコーダーで聞きながら決めるわけだ。

数ある合唱曲の入ったテープを見ていたら、K先生が、

「面白いのがあるぞ」

(っぽいことを言ったと思う)

とか言って、1本のテープを出した。

その合唱曲は『木琴』だった。

で、K先生がレコーダーに入れて再生開始。

最初は普通に曲が始まった。

K先生が、

「ここからがな・・・」

とか言って皆が妙に緊張した。

間奏だったと思う。

急に戦火(WW2だと思う)の悲鳴やら轟音がしだした。

で、間奏が終わり、歌が始まったらそれは止んだ。

その時は、その『木琴』という曲が中学生には難しいだろうという事でコンクールには歌わないことになった。

しかし、なぜか当時の私はそのテープを持ち帰らせて貰った。

ただの好奇心だった。

コンクールが終わった頃、友人たちとテープを聴きなおした。

戦火の部分が、聞いたときよりも長くなって鮮明になっていた。

悲鳴やら『おかあさん』と呼ぶ声や、多分戦闘機の音だと思うけど『ゴォー』という音や火災?のような音もあった。

妙に生々しかった。

好奇心はあったものの怖かったので、そのテープはそのまま返しそびれ、自宅に残したままだった。

今、私は社会人になって実家を出ている。

たぶん、そのテープはまだ実家にあると思う。

怖いので、あれから聞きなおしはしていない。

後になってウィキとかで『木琴』について調べたら怖かった。

 

 

『木琴』金井直

妹よ

今夜は雨が降っていて

おまえの木琴が聞けない

おまえはいつも

大事に木琴を抱えて 学校へ通っていたね

暗い家の中でも おまえは木琴と一緒に歌っていたね

そしてよくこう言ったね

早く町に 赤や青や黄色の電灯がつくといいな

あんなにいやがっていた戦争が

おまえと木琴を 焼いてしまった

妹よ

おまえが地上で木琴を鳴らさなくなり

星の中で鳴らし始めてから まもなく

町は明るくなったのだよ

私のほかに 誰も知らないけれど

妹よ

今夜は雨が降っていて

おまえの木琴が聞けない

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飛び降り

大学時代の経験を一つ。

神奈川の、敷地だけは広い某大学でのこと。

講義を受けてる時に、遠方の校舎の屋上から飛び降りる男を見た。

俺は窓からその光景を見ていたんで、驚いて立ち上がったんだけど、声を上げようとしておかしなことに気づいた。

男が落ちた場所に死体が無い。

おかしいな、と思ってもう一度屋上を見ると、また同じ男が屋上からダイブしていた。

そして地面に墜落する寸前に消えた。

んで、また屋上から飛び降りる。

後はもうエンドレスだった。

飛び降りては消え、飛び降りては消え、動画をループ再生してるみたいに延々それの繰り返し。

俺は、『よく死者は死んだ時の状況を繰り返す』って話を思い出して、その男がこの世のモノじゃないんだってわかった。

毎日毎日、朝も昼も夕方も、延々その自殺風景はループしていた。

さすがに何度も見てると慣れてしまうもので、俺はだんだん気にしなくなっていった。

もはや、その自殺風景が日常になってしまったんだ。

でも、ある日俺が食堂に向かうために友人と外を歩いてると、ふと真上から震えたような声がした。

「誰か止めて」

びっくりして上を見上げると、頭上数メートルくらいのところに、飛び降りてきた男の顔があったんだ。

一瞬で思い出したよ。

俺が立ってる場所が、男が墜落した場所だってこと。

気づいた時には遅かった。

左肩に凄まじい衝撃を感じて、俺は気を失った。

起きた時には病院のベットで寝てた。

幸い、肩の脱臼と肘を骨折した程度で済んだ。

友人に聞いたところ、何もないのにいきなり俺が肩を沈ませて倒れたらしい。

頭から垂直に落ちてくる男の引き攣った半笑いみたいな顔と、肩に感じた髪の毛が擦れるような感触と衝撃を今も覚えてる。

去年、サークルの飲み会で久々に大学に行ったんだけど、男はまだ飛び降りを繰り返してたよ。

それ以来、自殺だけはしねぇと誓った。

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踊場

私の卒業した小学校付近は戦争当時、空襲がひどかったらしく、今でも防空壕の跡地や数年前も不発弾などが見つかったり、慰霊碑などが多く建てられている。

小学生の頃、部活が終わり、さぁ帰ろうとしている時に仲良しのAが、

『あ!給食着がない…もしかしたら教室かも…』と言った。

あいにく明日は休み。

週末は給食着を持ち帰り、洗濯をして次の当番へ回さないといけない為、どうしても取りに行かないと、との事でAと仲良しのBと私の三人で恐る恐る教室へ探しに行くことにした。

教室へ行くには階段を登り、二階の踊場を通り過ぎなければならない。

その踊場の鏡は、この学校の七不思議の一つであり、夕方この鏡を見ると、この世のものではないものが映ると言われていた。

ただの迷信と言い聞かせていたが、やはり夕闇に照らされてるこの踊場は不気味というしかなかった。

目をつむりながら踊場を通り過ぎ、急いで階段を登り、やっとの思いで教室へ辿り着いた。

『あ!あった!』

と給食着を持ち、Aの安堵する表情とは裏腹に、またあの踊場を通り過ぎなければいけないのかと苦痛に思った。

すると、突然Bが、

『ねぇ、あの踊場の鏡ってさ…本当に何かが映るのかな?』

と言い出した。

…おいおい、やめてくれ。

とは思ったが、どっちにしろ帰るには、あの踊場を通り過ぎなければならない。

辺りは一層暗くなるばかり。

それならば早く進むしかないと、意を決して教室を出て階段を降り始めた。

一段、二段と降り続け、とうとう踊場へ。

早く通り過ぎようとするAと私とは違い、Bは興味深くまじまじと鏡を見つめていた。

すると…

『あ…』

とBが呟き、私とAも不意に鏡を見つめてしまった。

そこには、いつもと何ら変わらない情景。

そして私達の強張った表情。

そしてその横に防空頭巾を被ったモンペ姿の女の子…。

私達は、その場から動けなくなってしまった。

その女の子は泣きそうな表情を浮かべながら、私達の方へ必死に手を伸ばし、

『…もう戦争は終わったの?』

とつぶやいた。

私達は、恐る恐る頷いた。

すると、見る見るうちに女の子は笑顔になり、

『…よかった。』

と一言呟き、そのまま消えていった。

私達は歩き出し、気がつくと通学路を歩いていた。

誰も一言も話さなかった。

恐怖というより、切ない虚しさがこみあげていた。

戦争でたくさんの方が亡くなった。

あの女の子も恐らく犠牲者で、恐怖で何十年も隠れていたのだろう。

…鏡の中に。

ふと、見上げると慰霊碑があった。

いつもは何とも思わず通り過ぎていて気づかなかった、ただの慰霊碑。

私達は誰からとも言わず、手を合わせてた。

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壁の落書き

この間、ちょうど小学校の同窓会があったんで、その時に当然のごとく、話題に上がった俺達の間では有名な事件をひとつ。

俺が通っていた小学校はちょっと変わっていて、3階建ての校舎のうち、最上階の3階が1・2年の教室、2階が3・4年の教室で、一番下の1階が5・6年の教室になってる。

別の学校に通ってた従兄弟に、この話したらびっくりしてたんで多分、俺の学校が特殊なんだと思う。

校舎自体はコンクリート造りで、相当という程でもないが、そこそこ年数が経ってたらしく、廊下の壁とかは薄汚れていて、汚いなと子供ながらに思ってた記憶がある。

で、6年になるまで気がつかなかったんだが、1階の6年2組の教室の前の廊下だけ、壁が綺麗に塗り直されてるのね。

下級生の時代に6年のフロアになんか怖くて行けないから、知らなくて当たり前なんだけども。

元々のコンクリートの壁と似たような色のペンキ?で、隣りの6年1組との境目から6年3組の境界まできっちりと塗られてる。

そこだけ汚れてないからすぐわかる。

ある日、その塗り直された壁の右下に近い部分(6年3組寄り)に、薄ーく鉛筆で『←ココ』って書いてあるのに気がついた。

『←ココ』と指された部分を見ても、まあ何の変化もない。

ただの壁だ。

その当時、学校では校舎の至る所に、『左へ○歩進め』『真っ直ぐ○歩進め』『上を見ろ』『右を向け』等と書いて、その通りに進んで行く、という遊びが流行っていたので、『←ココ』もその類のものだろうと、気にも留めなかった。

2週間くらいしてからかな、友達のY君が教室の外で俺を呼んでいる。

行ってみると、廊下の壁の『←ココ』の矢印の先に、青いシミが浮き出てたのよ。

5cmくらいの小さなシミだったけど、ちょうど矢印が指している先に出たもんだから、俺とY君で「すげー、不思議だね」とか言ってた。

次の日、そのシミはいきなり倍くらいの大きさになってて、『←ココ』の文字の部分にまで広がってて、もうその文字は見えなくなっていた。

その代わりに、シミの形が人間の手のように見えた。

さすがに俺達以外の生徒もそのシミに気がついて、形が形ってこともあって、瞬く間にクラス中に『呪いのシミ』として話題になった。

その話が先生の耳にも入ったらしく、その日の帰りのHRでは、「何でもないただのシミだから、気にするな」と、半ば強制的に家に帰されたわけ。

その週が空けて、次の月曜に教室に行くと、なんと廊下の壁のシミがあった部分が丸々剥がれ落ちてて、しかもそこを中心に、上下に細い亀裂と言うかヒビが入ってんの。

俺が教室に行くと、すでに廊下で数人が騒いでたので、見たらそんな状態。

朝のHRで先生が来るまでは、俺のクラスと両隣のクラスの何人かも含めて大騒ぎで、「絶対この壁のうしろに何かあるよ」「死体が埋められてる」なんていう話にもなって、クラスのお調子者K君が、カッターでその亀裂をガリガリやろうとしたところに、先生が来てものすごい勢いで怒られてた。

申し訳ないけど、俺はそのとき知らない振りしてた(笑)

その昼休みにK君が懲りもせず、

「朝の続きやろうぜ」

と言い出した。

壁を削る続きをやろうぜ、というわけだ。

俺は怒られるのが怖くて「やだ」と言ったんだけど、K君が「ここ見ろ」と言うので見たら、剥がれ落ちた中の壁から、色の違う部分が見えてる。

灰色の壁に、黒い太い線で横断歩道のような模様が描かれてるのが、剥がれ落ちた部分から確認できた。

「これの続き見たいだろ?」

K君が言う。

K君はカッターを持って、崩れた壁の部分をカリカリやり始めた。

面白いように塗装が剥がれていく。

すると、壁の中から『組』という文字が現れた。

さっき横断歩道のように見えた模様は、「組」の右側だったわけだ。

もうこの後に何かあることは間違いない。

クラスの男子の半分近くが一緒になって、壁の塗装を崩し始めた。

コンパスの針でつついたり、定規の角で削る者、彫刻刀を持ち出す奴までいた。

ちなみに俺は、崩すのを回りから見てただけね。

大抵こういう場合、壁のうしろに死体が埋まってただの、文字がびっしり書かれてただの、お札がいっぱい貼ってあっただのがよくあるパターンで、俺も当時すでに、怖い話としてそういった話をいくつか知っていた。

この壁の向こうにあるものも、まさにそういうものなのか?

そのドキドキと、先生に見つかったらどうするんだと言うドキドキで、心臓がきりきり締め上げられるような気がした。

昼休みが半分経たないうちに、壁の塗装はあっという間に崩れた。

中から出てきたのは、お化けでもなんでもない、子供たちが描いた絵だ。

『平成○年 6年2組』と書かれてる。

当時の卒業生が描いた物なんだろう。

30人くらいの男子女子の似顔絵が、集合写真のように並んで描かれている。

ただし、異様なのが、その顔一つ一つ全てが赤いペンキで『×』と塗られていたこと。

特に上の段の右から3番目の子は、×どころか完全に赤く塗りつぶされ、その下に書いてあったはずの名前も、彫刻刀かなんかで削り取られていた。

俺達は先生に怒られるだろうと覚悟を決めていたが、5時間目に先生が来るといきなり、

「よし、5時間目は体育館で自習だ。ランドセルに教科書とか全部入れて、5時間目が終わったらそのまま家に帰っていいぞ。掃除もしなくていい。教室に戻らずにそのまま帰れよ」

と、全く怒られなかった。

そして次の日に学校に行くと、1階の教室が全て立ち入り禁止になってた。

俺達は急遽建てられたプレハブで、6年の残りの学校生活を送るハメになった。

この間、13年ぶりに小学校の同窓会があって、当然のごとくその事件が話題に上がった。

当時の担任も来ていたので、

「先生、あの事覚えてますよね?あれはなんだったんですか?」

と聞いてみたが、

「いや、そんな事あったか?覚えてないなあ」

とか、超すっとぼけてた。

だが、俺達は全員あの事件を覚えている。