「 田舎の怖い話 」 一覧
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心霊スポット
勝浦の言わずと知れた心霊スポット、サンパーキング。
断崖絶壁の階段に霊がでるとの情報だが、実はサンパー前の公衆便所にでる。
男子便所に入り、用を済ませ、手洗っているときに小さな子供を連れた女の霊を目撃した。
その女の顔は、はっきりみえない。
高速で頭を左右に振ってた。
子供は3歳くらいの男の子。
黒目が無いのだが、こちらをひたすら睨んでいるのが分る。
10秒くらいだろうか?全く動くことができず、声もでない。
女の霊は頭を左右に振っているだけで動かない。
子供の霊は口をパクつかせ、俺を指差してた。
丁度、そのとき車がトイレ前に停まって霊は消えた。
通勤路なのだが、あれから2度とあのトイレは使用していないよ。
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ぐにゃぐにゃおばさん
大無間から光へ。
これが一発でわかる奴は山が好き。
けど、行った事のある奴は少し変態かな。
このルートはそんな所だ。
これは2001年夏。
その山行の終盤、加々森から光へ抜ける時の話。
加々森は陰欝なピークだ。
見晴らしがきかず、暗く寂しいから、留まるような場所じゃない。
友人と二人で来てみたものの、鹿の骨が散乱する暗い深南部の森もいい加減厭きてきてたし、会社に休みを延長してもらって、明るい聖まで足を延ばそうかなぁなんて思いながら、ほとんど加々森には立ち止まらず、先へ進んだ。
起伏が連なり、ほとんど消えかけた道をしばらく進んでいると、やがて急な下りに。
先行した友人が舌打ちをして止まる。
「うわ、わりぃ。ルート間違えた。」
地図を見ると、確かにこんなに下っていない。
光岩へ右に行く所を直進してしまい、尾根をかなり下ってしまったようだった。
溜息をついて戻ろうとしたが、ぬかるんだ急斜面。
ずるずるに滑って、上るのは結構骨が折れそうだった。
「まぁ、場所はだいたいこの辺だから、少しトラバースして、上りやすいとこから、行こうや。」
なんとなく萎えた気持ちのまま、しばらくトラバースすると急に開けた場所に出た。
紫の原っぱ。
窪地いっぱいに広がるミヤマトリカブト。
素晴らしくきれいだった。
こんな場所があったのかぁ。
見回せば、この窪地から上へ小さい道が続いている。
誰か知ってて来る人もいんのかなぁ?とりあえずルートに戻れそうだ。
俺は少しほっとした。
その時、トリカブトの群落から派手な合羽のおばさんがすうっと出てきた。
「助かるわぁ。道に迷ったんです。お兄ちゃん光まで連れてって。」
友人が震えているのが不思議だった。
「まぁ、ルートはこの上だと思うんです。この道悪いかもしれんけど。」
俺たちも迷ってしまった事は棚にあげて、俺は自信満々だった。
まぁ、現在地もだいたい把握できてたからだと思う。
じゃあ行きますか?
ところが、俺が先に行こうとした途端に、友人が俺の腕をひっつかんで、絞りだすような声で呻いた。
「俺たちは後から行くから、先に歩け。」
おばさんは少しお辞儀をして、先に上る道を上がっていった。
が、遅い。
たいした坂でもないのに這いずるような格好で辛そうに歩く。
あまりに遅いペースにいらだち、先に行ってルート見てくるから、おばさん後からゆっくり来なよって言おうとした瞬間、友人が俺につぶやいた。
「こいつに後からついてこられるのは嫌だからな。絶対見える所がいい。」
なんとなく気持ち悪くなってきた。
このおばさんはどこに行くつもりだったんだ?
光より南から、こんな装備で来たはずない。
光から来たなら、こんなとこには来ない。
おばさんはなんだかぐにゃぐにゃと上っている。
「ねぇ。どっから来たんですか?」
俺の問いには一切答えずおばさんは言った。
「前。代わらない?」
「代わらない!行けよ!」
友人が怒鳴る。
「前。代わらない?」
ぐにゃぐにゃのろのろ歩くおばさんの後をしばらく上った。
四、五回同じ問答をしたと思う。
俺はいつの間にかすっかり、怯えていた。
だが、ぐいっと急斜面を上ると突然本道にでた。
「あぁ、良かった。戻ったぁ。」
と思った瞬間。
バキン!!
と音をたててオバサンの首が直角に曲がったんだ。
そんで、すぅっとさっきの道を下りていった。
俺は怖いというより、驚いて硬直したまましばらく動けなかった。
その後は、光小屋までものすごいスピードでいったよ。
友人はその晩言った。
「おまえ合羽のフードの中の顔見た?目も鼻も口の中も全部土がいっぱいに詰まってたぞ」って。
あんなのにぴったり後ろついて歩かれるのは、俺は絶対に嫌だねって。
まぁ、そんだけ。
下手な文ですまない。
俺は山は好きだけど、あれから光より南は行ってないなぁ。
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白い何か
俺が毎日通勤に使ってる道。
田舎だから交通量は大したことないし、歩行者なんて一人もいない。
でも道幅だけは無駄に広い田舎にありがちなバイパス。
高校時代から現在(27歳)まで毎日といっていいほど使っている道だから、その日も特になにも考えず車で通勤。
このときは何事もなかった。
問題は帰り道。
その日は急な仕事で少し帰りが遅くなった(23時頃)
街灯もロクになく、時間も時間なので車もほとんど走ってない。
もちろん歩行者なんて一人もいない…と思ってたら一人の背の高い人が横断歩道の手前で立ち止まっていた。
こんな時間にこんな暗い道を散歩か~物好きやな~なんて考えながら、俺は車内で信号が青になるのを待っていた。
…が、よく考えるとおかしい。
俺が自動車用の信号に引っ掛かって止まっているんだから、歩行者信号は青のはず。
何故渡らないんだ?
暗いので目を凝らしてその人を見ると、全身真っ白。
白い服を着ているとかそういうことじゃなく、ただひたすら白い。
次の瞬間俺はゾッとした。
こいつ両腕がねぇ!
しかも身長が高いという次元じゃない。
細長すぎる。
後から思い出すと顔まで真っ白で、のっぺらぼう状態だった気がする。
不気味で仕方ない。
信号が青になった瞬間、俺はアクセルをベタ踏みして急発進。
あんなものを見たのは初めてだったので、一刻も早くその場を離れたかった。
サイドミラーに映る白い奴がどんどん小さくなっていく。
ベタな怪談話のように追っかけてくる気配もない。
俺はホッとしたが体の震えが止まらない。
温かい飲み物でも買おうと、バイパス沿いにあるセブンイレブンに車を停めた。
車から降りると、すぐ近くのバス停にあいつがいた。
こちらを見ているのかどうかはさっぱりわからないが、コンビニの光のせいで先程より鮮明に奴の姿が見えた。
やっぱり両腕がない。
そして上半身だけ左右にゆらゆら揺れている。
ヤバイ。
直感的にそう思った俺は、降りたばかりの車に飛び乗り家まで直帰した。
自宅に逃げるように駆け込むと居間に母が座っていた。
母が振り向き俺に言った。
あんたどぎゃんした?鼻血垂れ流しとーがね。
鼻血が出たのなんて産まれて初めてだった。
これがあいつのせいなのか、恐怖のあまり鼻血が出たのか、それともただの偶然かはわからない。
しかしいずれにしても、あの道は二度と使わない。
よく考えると、あいつを最初に見た交差点の少し奥には階段があって、その先には草が生い茂り、手入れなど全くされていない神社がある。
あいつはあの神社関係の何かだったのかもしれない。
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古い宿
昭和50年頃、アタシは旅役者で全国をドサ周りしてたの。
んで、某県に行った時のことさ。
いつも木賃宿(って分かる?)的な安宿に泊まるんだけど、この時の宿は気持ち悪かった。
戦災から焼け残ったボロボロの木造平屋で、廊下の両側に畳二畳の小部屋がズラーッと並んでる。
聞いたところでは、昭和34年の売春禁止法施行前まで売春宿(いわゆる赤線)として使われていたらしい。
ここで一人一部屋ずつ入れられて寝たんだけど……
廊下の片側の部屋に泊まった人間全員(マジ全員!)が金縛りに遭って、16,7の田舎臭い女の子が血まみれの大きな舌を首もとまで垂らしてる夢に一晩中うなされた。
しかも、その子はケーロケロと蛙みたいな声を出し続けてるんだって。
アタシは被害に遭わなかったから、翌朝その話を聞いて不覚にも笑っちゃった。
でも、被害者の中で一人だけ、蛙語を聞き分けた東北出身の女性がいた。
彼女いわく、
「あれは蛙の鳴きマネじゃない。ケェシテケロ(=帰してくれ)って言ってたんだよ」
朝、窓を開けたら裏庭に大きな柿の木があったから
「あの柿の木で首を吊ったんだと思う」
と言っていた。
彼女の話がホントなら、柿の木側の部屋に泊まった人間だけがやられたんだろうね。
戦後は東北から売られてくる娘がまだいたんだねーと、みんなで何となくしんみりしちゃったことを覚えてる。
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じいさんの昔話
俺の親父の実家がある村の話。
父親の実家、周囲を山にぐるっと囲まれた漁村(もう合併して村ではないけど)なんだ。
元の起源は、落ち延びた平家の人間たちが隠れ住んだ場所で、それがだんだん村になっていった感じ。
まぁそんなこと、村で一番の年寄りの爺さんがガキンチョに聞かせるだけで、ほとんどの人間は意識していない。
若い子とかは、知らない子のほうが多いくらいだ。
俺の住んでいる市街(といってもすげー田舎)とそれほど距離があるってわけじゃないんだが、地形の関係で周囲と孤立している。
今でこそ道路もきちんと整備されて、簡単に行き来できるようになったけど、数十年前なんかはろくに道路も整ってなくて、まさに陸の孤島って言葉が似合う、そんな場所だった。
よく田舎では余所者は嫌われるって言われてるけど、全然そんなことないんだよな。
村の人たちは排他的ではないし、気のいい人たちだよ。
土地柄的に陽気な人が多い。
親族内でお祝い事があったら、明らかに親戚じゃない知らないオッサンとか混じってて、それにも構わずみんなでわいわいやったりとか。
基本的に飲めや歌えやっていう感じ。
俺は半分身内みたいなもんだから、それでよくしてくれてるところもあるんだろうけどさ。
正確な場所はさすがに訊かないでくれ。
俺まだその村と普通に交流してるからあんまり言いたくない。
言えるのは九州のとある地方ってことだけだ。
親父の実家自体は普通の漁師の家。
でも、家を継いだ親父の兄貴(親父は九人兄弟の真ん中)が、「年を取ってさすがに堪える」って言うんでもう漁業は止めてる。
実家は親父の兄弟姉妹とその家族が何人か一緒に住んでたり、親父の叔父叔母が同居してたりでカオスだ。
俺も親父も親戚関係は全然把握できてない。
誰が尋ねてきても「多分親戚」ってくらい親戚が多いんだよ。
で、俺の家は何かあれば、ちょこちょこ実家に遊びに行ってた。
俺がガキの頃はかなり頻繁だった。
小さい頃は楽しかったけど、中学生にもなるとさすがにそういうのもうざくなってくるが。
それ俺って一族の中では年少者だったから可愛がられてて、お小遣いとか結構貰ってて、そういうの目当てで大人しく親についていってた。
近所の爺さん婆さんたちも、子供は独立して滅多に帰ってこないっていうので寂しかったのか、俺や俺の弟や妹たちをすげー可愛がってくれてさ、今でも俺が来ると喜ぶんだよな。
そんな年寄りたちのなかで一番に俺たちを可愛がってくれたのが、シゲじいさんっていう人だった。
シゲじいさんはもともと海の男だったんだけど、とうの昔に引退して、気ままな道楽生活を送っている人だった。
俺がガキの頃の時点で90超えてたと思うが、口は達者で頭もしっかりしてた。
奥さんもずいぶん前に亡くなってて、子供のほうは東京に出たっきり正月や盆にも帰ってこない。
だから俺らの遊び相手をして、寂しさを紛らわせてたんだと思う。
豪快なじいさんで、俺との木登り勝負に余裕に勝ったり、エロビデオ毎日観てたりと、俺にエロ本読ませてくれたりと、殺しても死なないんじゃないか、というような人だった。
でも、そんなじいさんもさすがに死ぬときは死ぬ。
俺が中学生のときに病気になって半分寝たきり状態。
夏休みのときに実家に長期滞在したんだが、じいさんの病気を知ってからは、親戚付き合いそっちのけで、じいさんの家に見舞いにいきまくってた。
じいさんは
「もう自分は長くないから」
と、昔話を聞かせてくれた。
そのときじいさんの話を聞いたのは、俺と弟だったわけだが、あれを子供に聞かせていいような話だったのかと、あの世のじいさんにツッコミを入れたい。
じいさんの話は、生贄の話だった。
じいさんは、
「昔ここらへんではよく生贄を捧げていた」
とかぬかしやがる。
それも何百年も昔ってわけじゃなくて、昭和初期から中期に差し掛かる頃まで続いていたとかなんとか。
俺「いや、そげんこと言われても……」
弟「……困るし」
俺たちの反応のなんと淡白なことか。
でも、いきなりそんなこと話されても実感沸かないし、話されたところで、俺らにどうしろと?って感じだった。
俺「生贄ってあれだろ?雨が降らないから娘を差し出したり、うんたらかんたらとかいう……」
弟「あと生首棒に突き刺して、周りで躍ったりするんだよな?」
じいさん「ちげーちげー(違う違う)。魚が取れんときに、若い娘を海に沈めるっつーんじゃ」
俺「あー、よく怖い話とかであるよな。人柱とか」
じいさん「わしがわけー頃には、まだそれがあった」
俺「……マジで?」
じいさんの話はにわかには信じられないものだったが、まぁ昔だし、日本だし……
そんな感じで、当時若い姉ちゃんの裸よりも、民俗学だの犯罪心理だのを追求することに生きがいを感じている狂った中学生だった俺は、ショックではあったが受け入れてはいた感じ。
弟のほうはよく分かっていないような感じだった。
多分、漫画みたいな話だなーとか思ってたんだと思う。
生贄を捧げるにしても、なんかそれっぽい儀式とかあるんだろうけど、じいさんはそこらへんの話は全部端折った。
俺としてはそっちのほうも聞きたかったんだけど、当時若造だったじいさんも詳しいことは知らないそうだ。
当時の村の代表者(当然、既に故人)とか、そういう儀式をする司祭様みたいなのが仕切ってたんだろうけど、そのへんのことも知らないらしい。
じいさんが知っているのは、何か不可解なことが起きたときや不漁のときに、決まって村の若い娘を海に投げ込んでいたというだけ。
親父の実家は、先にも言ったように陸の孤島みたいなところだ。
そういう古臭い習慣がだいぶ後まで残ったんだと思う。
じいさんがなんでそんなこと俺らに聞かせたのかは、未だによく分からないんだけど、その生贄の儀式っていうのは、神の恩恵を求めたものっていうよりは、厄介払いの意味を含めたものであったらしい。
村中の嫌われ者、身体・知的障害者や、精神を病んだ人(憑き物ってじいさんは言ってた)を、海に投げ込んでハイサヨウナラって感じ。
だから、捧げられるのは若い娘だけじゃなかったらしい。
その裏で、多分こっちが本当の目的なんだろうけど、厄介者を始末する。
実際、近所の家にいたちょっと頭のおかしい人が、生贄を捧げた次の日から見かけなくなった、というのがよくあったそうだ。
あまりにも頻発するんで、村の中枢とはそれほど関わっていなかったじいさんも、薄々は気づき始めたらしい。
俺の妹が軽度の知的障害者だから、聞いたときは本当に嫌な気分になった。
俺「でもさ…、それっておかしいとか思わなかったの?娘さんは最初から沈められるって決まってるけど、そういう厄介払いされる人たちって行方不明じゃん」
じいさん「いやー……娘さんにはむげー(可哀想・酷い)とはおもうたけんど、ほかんしぃが消えたあとはまわりんしぃ、むしろ厄介者が消えてせいせいって感じやったなぁ」
俺「……」
生贄の儀式が実は厄介払いのための建前っていうことは、当時の村の人間の、暗黙の了解みたいなものだったんだと思う。
誰も何も言わなかったってのは、そういうことなんじゃないかな。
ちなみにこの風習も、昭和の中ごろになる前に自然消滅していったそうだ。
村の人間も、戦後あたりに家を継ぐ長男以外は出稼ぎで全国に散らばっていったから、生粋の地元人ってのもあまりいないし、事実を知っている人間は年寄りばかりで、そのほとんども亡くなっている。
今生きているのは、当時子供で詳しくは知らない人とか、そういうのばっかりだ。
そういう人たちも、わざわざ話したりしない。
だから生贄関連の話、記録とかには残っているんだろうけど(慰霊碑があるし)知らない人のほうが多いみたいです。
まぁ自分の地元の郷土史なんて興味なけりゃ、ごく最近の出来事でも周囲の認識はこんなもんだと思う。
結局、シゲじいさんは、なんで俺と弟にこんな話をしたのかわからない。
俺が民族学やらなんやらが大好きってことを知っていたから、それで聞かせてくれたのかもしれないけど。
あの人、変人だったし。
もう墓の下だけど、死ぬ直前まで口の達者なじいさんでした。
でも、あのじじいがこんな話をしてくれたもんだから、しばらくは大変だったよ。
今まで(今でも)可愛がってくれた年寄りたちの何人かはこの事を知っていて、実際に身内の中に生贄を出した家ってのもあるかもしれない。
そう思うと嫌な気分になるっていうか、気のいい彼らに対する認識が少し変わったんだよな。
彼らがいい人ってのはよく分かってるから、それで交流を止めたりはしないんだけど。
以上、あまり怖くはないんだが、俺個人としては気分の悪くなった話。
俺は相変わらず実家に訪問することが多いのだが、まだ他にも普通じゃない話はいくつか見聞きしている。
それは、話すときがあるかもしれないし、ないのかもしれない。
さすがに地元特定されるようなネタとかは話せないし。
個人的に、かつて村の有力者だったという家の話は、もっと凄かった……