「 幽霊 」 一覧
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ただいま
ただいま
知人の恵子(仮名)さんは、ご主人と結婚して十年になるそうです。
八歳と四歳の娘がおり、ご主人はきわめて真面目な会社員で、恵子さんは都下にある大型高級マンションで幸せな家庭生活を送っていました。ところが、ある日、恵子さんが夕食の準備にとりかかろうとしていたら、
「ただいま」
という声が、玄関から聞こえたのだそうです。恵子さんは八歳の娘が帰ってきたものと思い、妹のほうが幼稚園から帰ってくる時刻だったこともあり、幼稚園のバス停まで迎えにいってくれないかしらと台所から声を掛けました。
しかし、なんの返事もありません。
<おかしいな・・>
と思って台所を出ると、自分の部屋に入っていく娘の姿を見つけました。
ただ、変だなと思ったそうです。なぜかというと、娘は公立の小学校に通っていて私服なはずなのに、そのとき見た後姿はどこかの中学か高校のセーラー服に見えたからだといいます。
<娘だと思ったのに、誰か別の子が勝手にあがりこんだんじゃないでしょうね>
そう、恵子さんは思い、娘の部屋まで行き、ドアを開けました。
が、部屋のなかには誰もいなかったのです。その夜のこと。
恵子さんが眠っていると、八歳の娘の声が聞こえ、廊下のあたりで、ドンッ!というものすごい音がしました。
何事かと思って寝室から飛び出すと、上の娘が廊下にうずくまっています。「どうしたの」
声をかけると、首が苦しいといいます。
見ると、誰かに絞められたとしか思えないような痕がありました。それからというもの、恵子さんは、娘たちふたりとともに和室で眠ることにしました。
しばらく経ったある日、恵子さんは娘の唸り声で目を覚ましました。
そして、隣に寝ている八歳のほうに顔を向けてみると、
いつのまに家のなかに入ってきたのか、セーラー服の女の子が娘の上に馬乗りになって首を絞めているではありませんか。「なにしてんの、あんた!」
恵子さんは大声で怒鳴りつけました。
しかし、女の子はやめようとしません。
ぐいぐい娘の首を絞めていきます。
恵子さんは布団をはねとばして起き上がり、女の子を掴み離そうとしました。
ところが、女の子の身体はまるで立体画像のようで、いくら掴みかかっても空を切るばかりです。
なのに、娘のほうはうんうんと苦しがっています。恵子さんは声をはりあげて寝室にいるご主人に助けを求めました。
ですが、ご主人は起きてきません。
そればかりか、それだけ大きな声を出しているのに、八歳の娘も四歳の娘も目を覚まさないのです。
恵子さんはゾッとしました。
ですが、どうしても娘を救わなければなりません。「やめて!やめて!」
叫びつづけました。「どうしてこんなことするのよ!」
とも、叫んだそうです。
すると、セーラー服の女の子は手を止め、娘の上に馬乗りになったまま、恵子さんのほうに顔を向けました。
恵子さんは、その女の子が泣いているのを知りました。
よく見ると、とても綺麗で優しそうな顔をしています。「なんで、泣いてるの?」
尋ねてみましたが、何も応えません。
かわりに静かに立ち上がり、ご主人の寝ているはずの寝室に向かい、ご主人の顔を覗きこんだあと、煙のように消えてしまいました。それから恵子さんの家にはセーラー服の女の子は現れなくなったそうです。
恵子さんは、いろいろと考えました。
ご主人の過去に何かあったのではないか、恋人がいて、その相手の女性が妊娠でもしていたのではないか。
それともどこかで浮気をして、娘たちとは腹違いの別な娘がいて・・・・・などなど、さまざまなことを思い悩んだといいます。
けれど、結局、余計な詮索はしないほうがいいと思うことにしました。かわりに、たとえば買い物に行ったときなど、この服は彼女に似合うかもしれないわと思うたびに、あなたに買ってあげるわねと胸の中で囁き、買って与えてやる光景を想像したのだそうです。
それは、なんとなく楽しい時間だったといいますが、一年ほど経つうちに、だんだんと彼女のことは忘れてしまい、今では、ふとした時に思い出すだけだといいます。
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死んだ幼児を抱いて歩く女
死んだ幼児を抱いて歩く女
<あれ、あの女の人、いったい誰?>
社宅の前の公園で、おなじ社宅に住む主婦仲間と話に夢中になっていた私は、少し離れた場所でしゃがんで土をいじっている三歳のひとり娘・まなみのほうに目をやった時に、心の中でそうつぶやきました。
見知らぬ女性が、まなみを見下ろすように横に立っているのです。
女性は後ろ姿でしたが、なんとなく初めて見る人だと思いました。
また、まなみもその女性のほうに目を向けたまま身動きひとつしないことに気づき、おかしいなと不安をつのらせました。「ねえ・・・・・あの人、誰かしら?」
私は主婦仲間の友達にそう尋ねてみましたが、誰一人として、その女性のことは知らないようでした。
「ごめん、ちょっと、まなみをつれてくるわ」
私は心配になり、娘を連れにいきました。
まなみのほうに近づくにつれ、ますます不安感は増していきます。
女性を見ているまなみの顔が真っ青に青ざめています。
そして、母親の私が近づいていくにもかかわらず、娘は視線を動かそうとしません。
私は足早にまなみのところに駆け寄り、抱き上げました。
その身体は、まるでプールから出てきたばかりのように冷えきっており、ガタガタと小刻みに震えていました。「どうしたの、まなみ・・・・・・大丈夫?」
と、まなみの背中をさすりながら、その女性のほうに振り返った時でした。
私は、自分の見ているものがすぐには把握できませんでした。
あまりにも現実と隔たりがあり、それがいったい何を意味するのかわからなかったのです。その女性は、腕に幼児を抱えていました。
それも死んだ幼児です。
全身が血まみれで、手や足は枯れ枝のように細く、血でべったりと濡れた頭とともに女性の腕から力なくだらりと垂れ下がっていました。
半開きの目には白目しかなく、口からあふれだした血がポタリポタリと地面に落ちています。
私は、この穏やかな晴れた日の午後に、こののんびりした公園に、なぜこんな光景が存在するのか、この女性がどこから現れたのか、混乱と恐怖が入り交じって、どうしていいのかわからなくなりました。
そして、しだいに恐怖心に大きく全身を包み込まれ、ブルブルと身体が震えだしました。
私は、とにかくその場を離れようと、主婦達のいるほうへ逃げるように駆けていきました。「どうしたの、そんな真っ青な顔して」
と、私の表情を見た主婦達が心配そうに聞いてきました。
「あの女の人・・・・・・あの女の人、へんなの・・・・・抱えてる子供がね・・・・・・」
そういいながら、女性を指さそうと私は振り返りましたが、その女性の姿はどこにもありません。
「あれ?ねえ、さっきまであそこに立ってた女の人・・・・・どこ行っちゃったの?・・・・」
主婦達は、その女がどこに行ったかなど気が付かなかったといいます。
私は、その女性が抱いていた子供のこと詳しく主婦達に話しましたが、みんな、ただ笑うだけで信じてくれる人は誰もいませんでした。
「玲子さん、ちょっと疲れてるんじゃない?」
と、苦笑いされるだけです。
私は娘のまなみに何もなかったことにホッとしましたが、しばらくあいだ、その女性の腕に抱えられた子供の姿が忘れられませんでした。ところが、それから数日後、私は再び、その女性と出会う事になったのです。
ある日の夕方、娘を部屋に置いたまま近くのクリーニング店まで夫のワイシャツを取りに行き、帰ってきたときのことです。
クリーニング店から十分ほどで戻ってきた私は、まなみが居間にいないのに気づきました。
娘の名前を呼んでみましたが、返事は返ってきません。「まなみ?・・・・ねえ、どこにいるの? 隠れてないで出てきて」
急に心配になった私は、奥の寝室まで探しに行きました。
そして、寝室のドアを開けたとき・・・・・。
私は冷や水を浴びたかのような恐怖とショックを受けて、その場に立ち尽くしました。きちんと鍵をかけて外出したはずだったのに、いつのまにか例のあの女性が入り込み、まなみと一緒にそこに立っていたのです。
この前と同じように左手には死んだ幼児を抱えており、そして右手ではまなみの手を握って、窓の外に連れ出そうとしています。
女は私のほうに振りかえりましたが、顔はまったくの無表情でした。
私は、まなみをなんとか奪い返さなければと、ガタガタと震える身体を無我夢中で動かして、その女に体当たりしていきました。
女は思わずまなみの手を放し、壁にもたれかかりました。
私は、放心状態のまなみを素早く抱えあげると、台所のほうに逃げるように出て行きました。台所からその女性のほうを見ると、無表情なまま、壁の中にスーッと消えていったのです。
私は、その後すぐにその社宅を出て、賃貸マンションに引っ越しましたが、その後、その女性が社宅周辺に現れているのかどうかは知りません。
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助手席
8月に入って急なコンテ変更が続き、あおりを食ったN子さんが深夜までの作業になってしまった。
彼女は主力作監だったので、どうしてもこういった事は多い。
ここは当然、進行が車で送るべきなのだが、彼女は頑として進行車には乗らない。
いつものように、
「二駅ですから自転車で帰れます」
といって帰途についた。
が、ものの10分も経たないうちに青い顔で戻ってきて、
「車お願いします」
と、ぽつりといった。
N子さんはアイドル声優との対談でも、カメラマンが彼女ばかり撮るといった美女っぷりで、すわ痴漢か?と、いいとこ見せたい野郎共が色めきだつ。
が、彼女は何も答えず、急いで欲しい、とだけ告げて外へ。
「お前行ってこい」
と社長に言われ、喜び勇んでキーをひっつかみ彼女のあとへ続く。
ちなみに私の隣に座りたがる女性は少ない。
もちろん彼女も後部座席にさっさと乗り込む。
広い交差点へ出てすぐ、あろうことか、街灯の下にランドセルを背負った少女を見つけてしまった。
–夏休みの午前2時に。
もしかして、これか?と思ってルームミラーに彼女を確かめると、
「あそこで止めて下さい」と仰る。
真顔で。
絶対に嫌、絶対に嫌なのだが、真顔の彼女には社長だって逆らえない。
前だけ見つめて、車を止める。
と、何を思ったかN子さん、なんと、後ろから手を伸ばして助手席のドアを開放してしまう。
やめてぇ、と叫ぶまもなく扉は全開。
ランドセル少女の顔が、視野の隅でとんでもない大きさになったような気がした。
至近に人の気配が寄り添って来る、良い匂いがしてふと、横を見てしまう。
いつのまにか外を廻ってN子さんが助手席に来ていた。
「もういいですよ、出して下さい」
大急ぎで車を出す。
「待ち合わせ、ずっとずれてたみたいなんです」
そういって彼女は笑った。
「誰とですか?」
「いつも助手席にいた男の子」
そういって彼女はまた嬉しそうに笑った。
はい?
・・・ずっと?
この車の助手席に?
誰か?居たですか?
そう質問しようと思ったが止めておいた。
ええ、知らなくて結構です、街灯の下が大きく抉れていた理由も聞きたくないです。
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心霊スポット
勝浦の言わずと知れた心霊スポット、サンパーキング。
断崖絶壁の階段に霊がでるとの情報だが、実はサンパー前の公衆便所にでる。
男子便所に入り、用を済ませ、手洗っているときに小さな子供を連れた女の霊を目撃した。
その女の顔は、はっきりみえない。
高速で頭を左右に振ってた。
子供は3歳くらいの男の子。
黒目が無いのだが、こちらをひたすら睨んでいるのが分る。
10秒くらいだろうか?全く動くことができず、声もでない。
女の霊は頭を左右に振っているだけで動かない。
子供の霊は口をパクつかせ、俺を指差してた。
丁度、そのとき車がトイレ前に停まって霊は消えた。
通勤路なのだが、あれから2度とあのトイレは使用していないよ。
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硫黄島の星条旗
先日、現役のアメリカ海兵隊士官さんと仕事の都合で話をしたんですが、その時に聞いた話。
新兵を訓練する際に何度も出る話だそうですが、いわゆる戦闘慣れした頃に陥る自信過剰って奴の1つで、敵方が逃げ出し始めた時に、戦線を崩して追いかけ始めてしまう奴が出るんだそうです。
戦線と言うより戦列と言うべきなんですが、銃を構えた兵士が横一列に並ぶのは味方同士が打ち合わない為に非常に重要な事なんだそうです。
そりゃ、だれだって味方に打たれて戦死なんていやですからね。
パープルハート勲章も貰えないし。
時は1945年。
小笠原諸島の南に浮かぶ絶海の孤島。
硫黄島。
この島を巡って血で血を洗う激戦が行われたのは皆さんもよく知る所でしょうが、私が話をした士官さんはおじいさんが従軍されたそうで、その時のエピソードをよく聞いたそうです。
曰く『どんなに不利だと思っても日本兵は投降しない』
とか、或いは
『日本兵は最後の一人まで勇敢だったとか』
んで、その中に出てくる話ですり鉢山攻防戦ってのがあるんだそうですけど、あれです、映画、父親達の星条旗のあのシーンの山です。
最後の数名が頑強に抵抗するすり鉢山を包囲して、慎重にすり潰しながら前進し、最後の一兵が手榴弾で応戦している中、十字砲火を浴びせたそうですけど、その後に星条旗を立てて占領をアピールしたんだそうです。
ところが、翌朝になるとその星条旗が倒れてる。
だからもう一回立てる。
ついでに、星条旗を立てるシーンを写真に撮ったり記録映画撮ったりしながら。
でも、翌朝になるとまた倒れている。
しかも、旗ざおが折れている。
鉄製なのに。
で、事件はおこります。
ある晩、業を煮やした若手士官が小銃を持って星条旗のすぐ近くで歩哨に立ったんだそうです。
見張りですね。
何度も何度も星条旗を倒されては海兵隊の名折れ。
責任もって犯人を射殺しろって命じられてたんだとか。
その晩、歩哨にたった士官は真夜中に足音を聞いたんだとか。
複数名の足音が、慎重に距離をとって接近して来るんだそうです。
正直「来たな!」と思って、小銃の安全装置を解除し、近くに着たら斉射してやる!と銃を構えたんだとか。
ところが、指呼の間に接近した所で足音が止まってしまい、士官は「気付かれた!」と慌てたとか。
息を殺してジッと待っていると、何事かの会話が日本語でなされ、バタバタと斜面を駆け下りる足音が聞こえたそうです。
士官はその足音の方向へ数発射撃し、自分も身を晒して足音を追いかけたんだとか。
追撃戦って非常に危ないんですが、逃がすのも癪だと思ったんだそうですよ。
一緒に歩哨に立っていた海兵隊の兵士も走ったそうです。
走って走って射撃しながらまた走って、弾を撃ちつくして次の5発を押し込んでまた撃って走って。
で、前方で『ギャー!』と悲鳴が聞こえて、しめた!当たった!と思いつつ、日本語で『トマレ!』と叫んだんだそうです。
余談ですが、大戦中の米軍士官は「トマレ」「ジュウヲステロ」「トウコウシロ」など、簡単な日本語指示を学んでいたんだそうです。
ところが、今度はその敵側から凄い勢いでバンバンと撃たれ始めたんだとか。
士官の左右をシュンシュンと音を立てて銃弾が通過したんだそうです。
コリャヤバイ!と振り返り、斜面を走りながら逃げたらしいんですが、途中で何かに躓いて倒れたら、そこが日本軍守備隊の掘った塹壕だったそうで、 頭から落ちて側頭部を痛打。
昏倒状態になっていたら、下からバリバリと射撃しながら海兵隊が斜面を登ってきたそうです。
で、一緒に追跡していた筈の海兵隊兵士と同士討ち。
翌朝、明るくなってから調べたら30人近く死んでたとか。
その日から星条旗は夜間になると取り外され、麓の前線本部で管理される事になったらしいですが、 朝になって山頂部へ星条旗掲揚へいくと、かならず足跡が残っていたんだそうです。
それも、登ってくる足跡だけ。
硫黄島では1945年9月に最後の日本兵を収容したそうですが、終戦後まで散発的抵抗は続いていたんだそうです。
死霊とか幽霊とかそう言う話も恐ろしいですが、生きてる人間の執念とかも充分恐ろしいなぁと。
そんな話でした。