「 不気味 」 一覧
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山釣り
昨日の事なんだけど、仕事が休みで山に一人で釣りに行って変な物見た。
去年、一昨年に何回か友人や嫁と遊びにその川へ行ったんだけど、昨日はヒマを持て余してる友人もいなく たまたま一人で行くことに。
10時に家を出て、昼頃から釣り開始。
夕方からかなり釣れだして、嫁には5時には帰るって言ってたんだけど、夢中になりすぎて気付いたら6時過ぎだった。
山奥なので木が生い茂り、薄暗くなってきたので帰り支度を始めようかなーと思ってたら急な寒気に襲われて、やっぱ山寒いわーとか思って脱いでた上着を着ようとした瞬間、上流の方に気配を感じ、目を向けると小学生くらいの子供?(人っぽかった)みたいな感じのが立ってた。
思わず目を擦って確認したけど、やっぱりいた。
服を着てないのか 真っ白で山林の風景に浮いて見えた。
幽霊とか信じてないし、その物体をそういう類の物と思いたくなかったし、ましてやそれが何なのか、うやむやなまま帰るのも嫌だったんで恐る恐る近づいてみると、その物体は上半分だけグネグネ動いてこっちを見てた。
手を上に上げて、かなりの速度で動いてたんで、ワインの栓抜きみたいな螺旋に見えた。
何物なのかハッキリとは確認できなかったけど、この世の物とは思えない光景に鳥肌が立ち、まじでヤバイと感じた。
その瞬間、猛烈な吐き気に襲われて、意思とは関係なく嘔吐。
その場によろめき、這いつくばって車まで行きました。
もちろん絶対に振り向きませんでした。
何とか車にたどり着き、時計を見ると7時過ぎ。
外から何やら「オーイ」「オーイ」と、たくさんの声が聞こえる。
そこから記憶が無く、嫁が心配して探しに来てくれたみたいで、記憶が無い間寝ていたのか、嫁に起こされて帰宅。
家に着いたのは10時過ぎでした。
今は脱力感が凄く、今日は会社を休みました。
あれは何だったのか、今でも鳥肌と寒気が消えません。
最悪な事に釣り具置きっぱなし。
取りに行くなら今日しかないんですが、勇気が出ません。
道具高かったのに。
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無知
数年前の夏休み。
俺が中学生の頃、実家のすぐ近くにあるお寺で、盗難事件が発生した。
お寺の2つある宝物庫のうちの、1つの中身が盗難にあったらしい。
それだけなら、ただの盗難事件なのだが、何か様子がおかしかった。
うちは代々そこの檀家を勤めているのだが、うちも含め、檀家や周辺の家の人たちが事件の翌日に集められ、大人達で何事か話し合っているようだった。
当時、俺はガキだったので、色々大変なんだな、としか思わず、その時はあまり気にしていなかった。
数日後、俺や同い年の従弟や、その他数人の友達が、お寺の裏山でエアガンでサバイバルゲーム(というかごっこだなw)をしていると、和尚さんが俺達のところへやってきて、
「○○(俺)と○○(従弟)、ちょっと来なさい。話があるから」
と呼ばれた。
俺たちは、お寺の裏山で大騒ぎしていたのを叱られるのだ、と思い、ビクビクしながら和尚さんについていくと、和尚さんはお寺の本堂に俺達を入れて、
「ひとまず座りなさい」
と俺達に促した。
和尚さんは、ほんとうに神妙な顔つきで、俺と従弟は、こりゃまずいな…と縮こまっていると、予想とは裏腹に、説教ではなく別の話をし始めた。
和尚さんの話は俄かには信じられず、何か荒唐無稽な話に聞こえたが、とにかく、真剣な顔つきで話していたのを覚えている。
その話というのは、和尚さんによると、2つある宝物庫のうち、1つは確かにお寺に伝わる経典や仏像など、価値のあるものを収めているのだが、もう一つの宝物庫は、宝物庫とは名前だけで、別の物を保管しているらしい。
その『別の物』とは。
元来、お寺や神社には、不吉な物や呪物などを、『お払いして欲しい』或いは『引き取って欲しい』と頼み込んで来る人が、結構どこでもいるとか。
しかし普通は気のせいや、偶然が重なっただけの物が多く、基本的にそういう物の受け取りは拒否するか、気休め程度に祈祷をして、本人に納得してもらう方法を取っているらしい。
しかし、どうしてもと押し付けられてしまう場合や、稀に本当に危険なものが持ち込まれるため、その場合は仕方なく引き受けるらしい。
その倉庫には、そういった『いわく付き』の品々が収められていたとか。
これら『いわく付き』の品物の数々を、時間をかけてお払いするために、倉庫は存在していたわけだった。
ただし、そうやってお寺に持ち込まれたものは、金銭的な価値があるようなものではなく、ただ単に霊的、或いは祟りとして危険なだけな物なため、普通は盗まれるなんて事は無い。
しかし、今回そういう『いわく付き』のものが盗まれてしまった。
盗まれたのは2つらしいが、そのうち1つが、俺の一族に縁のある品物らしく、その話をしておきたいと呼んだという。
今回盗難事件にあったのは、要するに『いわく付き』の品物がある倉庫の方だった。
泥棒は、警備の厳重な方の宝物庫に、価値がある物があると考えたのだろう。
『いわく付き』の方の宝物庫は、外に出してはいけない物がいくつもあったので、本来の宝物庫よりも、ずっと施錠などが厳重だった。
盗まれた『いわく付き』の品物2つの説明をすると、一つは一振りの日本刀、もう一つは金でできた仏像らしい。
俺は、なるほど、売れば高そうだな、と思った。
刀の方は俺の一族とは無縁なため、説明は大雑把にするだけにするが、これは和尚さんの先代が住職を勤めていた頃、男の人が「とにかくこれを引き取ってくれ」と持ち込んだもの。
当時の住職は、「許可が無いと犯罪になってしまうから」と断ったが、無理に押し付けられるような形で、その男の人は置いていってしまったのだという。
その刀は和尚さん曰く、「専門家でないから価値はわからないが、相当に古いもので、なぜか銘の部分が削り取られていた」らしい。
ちなみにこの刀は、『所持していると自分が人を切り殺す夢』を何度も見てしまうというもので、持ち込んだ男の人は、「そのうち自分が人殺しをしてしまうのではないか」と不安になり持ち込んだとか。
ちなみに、住職はその話を信じていなかったが、引き取ったその日から、本当に自分が刀で人を切り殺す夢を何度も見るようになってしまい、これは大事だと『いわく付き』の方へ保管したとか。
銃刀法関連は、当時の住職が警察と話し合って、詳しくは知らないがどうにかなって、今までお寺に保管されていたらしい。
そしてもう一つの、金でできた仏像。
これが俺の一族に関係する物だった。
ちなみに仏像と呼んでいるが、実際は和尚さんがいうには、『今までこんな形の仏像は見た事が無く、便宜上形が似ているためそう呼ばれていただけ』の物で、厳密には仏像ではない。
この仏像という像は、今から150年近く前、俺のご先祖様が地元で起きた大洪水の翌日、土石流の片付け中に、泥と瓦礫の山の中から見つけた品物。
金で出来ている事や、見た目が仏像に似ていることから、何かありがたい物であろう、ということで持ち帰り、そのまま家の仏間にかざっていた。
和尚さんが言うには、洪水で山の上の方から流れてきたのではないか、との事だった。
(ただし、俺の地域は元々山深い場所で、俺の住んでいた地域より上に村などは無い)
その像を持ち帰ってから数日後。
あちこちで異変が起き始めた。
初めは家で飼っている猫や家畜が、謎の病気で死に始め、それはご先祖様の家だけでなく、周辺の家々でも起き始めた。
更に暫らくすると、子沢山だったご先祖様の家の子供が次々と死に始め、10人いた子供が、たった半年の間に3人にまで減ってしまった。
当初疫病かと思われ、村で様々な対策がされたらしいが、何一つ効果が無かった。
ご先祖様の家以外の子供が死に始めた頃、その金の像に、ある異変が起きている事に気が付いた。
拾ってきた当初、その像は無表情に近い顔をしていて、感情を読み取れるようなものは何も無かった。
しかし、ふとご先祖様が像を見てみると、明らかにニヤニヤという感じの、笑い顔に表情が変わっていたとか。
更に不気味な事に、像の足元辺りから上の方へ、まるで血管のような赤い線がいくつも伸び始めてきていた。
当初は「気のせいだ」と見なかった事にしていたご先祖様だが、その血管のようなものが、人が死ぬ度にどんどん上の方へ広がっていくのを見て、これはもう手に負えないと、当時のお寺の住職に持ち込んだらしい。
金で出来ていたので、手放すのが惜しかったというのもあるだろう。
当時の住職は、像の噂は聞いていたが、一度も見た事は無く、その日初めて像を見たらしいが、一目見て『これは危険なものだ』と感づいたらしい。
像が何の為に作られ、どうやってこの村へやってきたかは分からない。
しかし、相当に危険な呪物である事は間違いが無く、このまま放置しておけば、村が全滅しかねないほど危険だったため、当時の住職は、すぐにお払いの祈祷を始めた。
しかし、祈祷を始めてから数時間後。
その住職は両目両耳から血を流して、恐怖に歪んだ表情のまま死んでいるのが本堂で発見された。
死因は不明。
ただし、像が何らかの形で関係しているのは間違いなかった。
なぜなら、祈祷をする前には腰の辺りまでしかなかった血管のような模様が、一気に首の辺りにまで達していたから。
それを見た村人たちは、これはもう手に負えないと、像をどこかに捨てる計画を立てていたらしい。
次に本山からやって来た住職が、
「一度に御払いをするのは、恐らく危険すぎて無理だろう。お寺で災いが外に漏れぬよう保管をして、何代もかけてゆっくり穢れを浄化するしかない。捨てて解決できるようなものではない」
と村人達を説得し、現在まで少しずつ祈祷で呪いを払いながら、お寺で厳重に保管されてきていた。
長くなってしまったが、ここまでが和尚さんが俺達に話した、盗品に関する『いわく』の話。
和尚さんは、続けてこんな話をし始めた。
ここ数年(当時で数年なので今からだと10年ほど前)、お寺や神社の宝物庫への窃盗事件が増えており、どうも大半が、外国人の窃盗団によるものらしい。
ここで問題となるのが、最初に書いたとおり、『問題のある品物』を、便宜上宝物庫と呼ばれている場所に保管しているお寺や神社は、ここ以外にも多数あり、そういった品物が、やはりあちこちで盗まれているとか。
当時から少し2ちゃんをやっていた俺は、コピペなどで情報を得ていたため、『ああ、かの国の窃盗団だな』とすぐに分かり、和尚さんに聞いてみたが、曖昧な返事しかしてくれなかった。
その代わり、別の話をしてくれた。
仮にの話として、もし一連の寺社への窃盗事件が、かの国の窃盗団によるものだとすると、『いわく付き』の品物が次々とかの国へ、何の保護措置もしないまま送られ続けている事になる。
これは非常に危険な行為で、一つの国に何の措置もしないまま、無秩序に『いわく付き』の品物が集められたら、一体何が起きるのか想像も出来ない。
「普通、そんな何の利益にもならない、バカな事をする人はいないだろう」
と和尚さんは言っていた。
おかしな話だが、呪いの類にも人間関係のような相性があって、人で喩えるなら、意気投合するものもあれば、性質が合わずに反目しあうものもあるらしい。
そういったものが何の規則性も無く、制限無く集められていっているとしたら、
「恐らくとんでもない事になる。何が起きるのかは分からないが…」
とも言っていた。
そこで俺は、こう和尚さんに言ってみた。
「でも、外国に持ち出されたなら、俺達は安心じゃん。その国にいかなければ害も無いでしょ?」と。
しかし和尚さんは、
「そうではない。仮に行かなくとも、これだけ大きく無秩序な呪物の集合の場合、『縁』を持っただけでも危ない。『縁』が軽い場合や一時的なものだったとしても、一体どういう影響があるのか全く予想も出来ない。もしお前達が『縁』を持ちそうになったら、何があってもそこから逃げろ」
と言われた。
これが当時、俺が聞かされた話の全て。
ぶっちゃけて言うと、俺はこの話を信じていなかった。
だから最近まで、ほぼ完全に忘れていたのだが、そこであるコピペが関係してくる。
そのコピペを見て、もしかしてこれがその影響か?と直感的に感じたから。
以下がそのコピペ。
新種の精神障害『危険水準(2004年)』
前頭葉が破壊されてる韓国人激増。火病と同根かも知れないがこれは脳損壊である。
・症状は、前頭葉の損壊――最も高度な部位。創造的な文化が皆無なのにも理由があった訳。
・1997年~2004年で子供の発病率が100倍に急増。遺伝子的欠陥なので指数関数的に蔓延する。
・現在2008年には、1997年(基準年?)の数千倍の発病率になっていても不思議じゃ無い。現在でも国民的な病だが、『子供の』発病が21世紀に入って急増したという事で、彼等が成人を迎える10年後辺りからは、民族としての、更なる壊滅的様相が想定される。
これはもう、セルフ・ホロコーストになるかも…
時期的にも、窃盗団が日本に来始めた頃と合致する。
俺は絶対に、かの国との『縁』を持たないようにしようと思った。
無知というのは、ほんとうに恐ろしい…
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人が溺れてる
友達から聞いた話。
真夜中、夏のくそ暑い日に、仲の良い友達数人で、海辺で花火をして遊んでいました。
薄暗い砂浜を、花火を向けあってわーわー言いながら走り回っていると、友達の1人がいきなり、あっと真っ青な顔をして海の方を指差しました。
「人が溺れてる」
指差した先には、暗い海の中、遠く離れたとこで、ばしゃばしゃ苦しそうにもがいている人がいるのが微かに見えました。
楽しい空気も一変、これは大変だとみんな青ざめ、救助を呼ぼうにも携帯は圏外。
泳ぎの得意な奴が2人、助けに行こうと海に入ったその時、
「やめとけっ!」
後方からの突然の大声に、みんなが驚いて振り向くと、そこにはいつからいたのか、さっきまではいなかった見知らぬおっさんが。
その手には双眼鏡を持っていて、助けに行こうとした1人に、
「これで向こう見てみろ」
と手渡されました。
何なんだ、このおっさんと不審に思いつつ双眼鏡を覗くと…
レンズの先には、溺れていた女が笑顔でこっちに手を振っていました。
その笑顔が、あまりに不気味で全身鳥肌、ガタガタ震えていると、おっさんに、
「あの女は、この世のものではないから、助けに行ってたら危なかったよ。今日はもう帰りなさい。」
と言われ、怖くてみな一目散に帰宅しました。
後日、友達にその話を聞いた時には、
「今思えばそのおじさん、何であんな真夜中に1人で双眼鏡持って人気のない海にいたんだろうな。」
ってぼそっと言われ、更にゾッとしました。
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熊取町若者七人連続怪死事件
1992年6月から7月にかけて、大阪府熊取町で17歳から22歳の若者が連続して自殺、変死するということがあった。
一週間ごとに、それも決まって水曜日か木曜日に自殺するというミステリーで騒がれた。
事件自殺した5人については以下の通り。
6月4日(木)無職・A君(17歳)が自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺
6月10日(水)土木作業員・B君(18歳)かつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺。
6月17日(水)旅館従業員・C君(18歳)農作業小屋で首吊り自殺。
6月25日(木)熊取町在住の岸和田市職員D君(22歳)町内の森で首吊り自殺。
7月2日(木)熊取町内の女子大に通うE子さん(19歳)胸を果物ナイフで刺し自殺。
また5人の自殺の前に、2人の17歳が亡くなっていた。
4月29日(木)シンナーによって板金工のX君(17歳)が、熊取町内の貯め池に落ちて死亡。
5月29日(金)無職・Y君(17歳)が、シンナー吸引による心不全で死亡。
シンナーで死んだ2人を合わせると、死体が見つかった場所はすべて半径1.2km以内に集中している。
この狭い範囲の中、2ヶ月半で7人の若者が亡くなっていた。
自殺、不審死の熊取町の若者達のうち、岸和田市職員のD君と女子大生のE子さん以外の5人は、シンナーやバイクをキーワードに接点があった。
●A君・・・17歳。
中学3年時は、ほとんど登校せず、パチンコ店などに繰り出していた。
当時の同級生によると、B君よりも”暴れもん”という印象だったという。
卒業後は美容師の専門学校に入学するが中退、事件当時は無職だった。
1991年、B君、C君らと共に暴走族を結成。
特にB君と仲が良かったようだ。
シンナーを常用しており、B君とはバイク仲間であり、シンナー仲間であった。
●B君・・・18歳。
熊取の不良達の間では有名だったという。
A君、C君らと立ち上げた暴走族のチームでは、特攻隊長のような役割をしていた。
当時、妊娠中の彼女がいて入籍する予定もあり、新しい住まいもすでに決まっていた。
A君の葬儀では「何で死んだんや」と悔しがり、「俺たちはしっかり生きていこう」と仲間を励ましてい た。
だがその数日後、自身も自殺する。
●C君・・・18歳。
高知出身。
野球少年で、野球の強豪校に進学したが中退。
その頃、高知にやって来ていたB君の友人を通してB君と知り合い、仲間となる。
その後、熊取町にやって来て、B君の父親が経営する土建会社でB君と一緒に働いていたりした。
B君が自殺した当時は、三重県鳥羽市の旅館で手伝いをしていたが、自殺の報せを聞き、熊取町に戻ってきた。
しばらく友人達と会ったりしていたが、「以前付き合っていた女性(当時17歳)に会いたい」と思い、2人の友人を連れて女性に会いにいった。
だが、女性から「もうすぐ他の男性と結婚する」と聞き、友人に「ロープはないか」と言っていたという。
その6時間後、自殺死体となって発見される。
●D君・・・22歳。
岸和田市職員。
●E子さん・・・19歳。
鳥取県米子市出身。
地元の高校を卒業後、大阪体育大学に進んだ。
高校時代はソフトボールをやっていたが、大学進学後は陸上競技に転向した。
町内の学生寮に住んでいた。
遺書はなかった。
●X君・・・17歳。
A君・B君の中学時代の後輩で在学中に交流があった。
Y君とは同じ中学。
●Y君・・・17歳。
A君・B君とバイク仲間だった。
3人でよく熊取近辺を走っていたという。
【不審な点】
自殺とするには不審な点が多く見うけられた。
●A君の「借金を返して欲しい」というメモ以外は、誰も遺書らしきものを用意していなかった。
死ななければならない理由も思い当たらない。
●農作業小屋で首を吊ったC君は、なぜか手首を後ろ手に縛っていた状態で死んでいた。
警察は衣服に乱れのないことと、自分1人でも縛れる結び方だったので自殺と断定した。
これから死のうとする人間が、どうして手を縛る必要があったのか。
(衣服 が汚れていた、という目撃証言もあった)
●D君は、熊取と隣りの貝塚市の境界近くの小高い丘にある、クリの木でシャツで首を吊って自殺したが、そのシャツは到底手の届かない高い枝にかかっていた。
●体育大生だったE子さんは、住宅地の中のグラウンドを背にした道路で、ナイフで首と胸を刺して死んだ。
遺体は、道路沿いの細い側溝にはまっていた。
時間は、まだ人通りのある8時過ぎ。
なぜ、こんな目立つ場所での死を選んだのだろうか。
また、E子さんは陸上競技の自己ベスト記録を出して喜んでいたばかりだった。
死ぬ理由など思い浮かばない。
当日、血だらけの状態で発見されたE子さんは、意識が朦朧とする中で「違う、違う」と繰り返していたという。
●B君、C君、E子さんの3人は、以前から知人や家族に「車に追われている」と話していた。
B君は「白いクラウンに追いかけられている」と母親に漏らし、それを聞いた母親がC君に尋ねてみると「何度かそういうことがあった」と話したという。
E子さんは友人に「黒い車につけられている」と話していた。
4:本当にあった怖い名無し:2007/11/15(木)21:38:20
>当日、血だらけの状態で発見されたEさんは意識が朦朧とする中で「違う、違う」と繰り返していたという。
ゾッとした
22:本当にあった怖い名無し:2007/11/19(月)22:14:07
この事件、どこの板だか忘れたけど熊取町?か近辺のヤクザの娘をレイプした糞ガキが報復されたって言う内容の書き込み見た。近所では有名なやくざ(エタ?)で警察もろくに捜査しなかったって。
そのやくざの家はでかいらしいとも。
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骨と鎖
数年ほど前に遡ります。
私は父が経営する土建屋で事務をしています。
今は兄が実質の社長ですが、やはり父の威光にはかないません。
そんな父の趣味が発端と思われる出来事です…。
父は、自ら所有する山にどうやら『ログハウス』を建てたいらしく、元々、日曜大工が趣味であった父ですから、中古の重機を購入しダンプを友人の土建屋さんから借り入れ、本格的に基礎工事まで着手するようでした。
週に一度の休みを利用して、父はまめに通っていました。
着手してから、数ヵ月後。
父「○○(母の名前)~、警察よんでけれ」
母「え、え、え?なしたの?」
父「骨出てきたから、警察に電話してけれじゃ」
母「ぇえぇ、殺人事件?」
父「いいがら、はやぐ」
(父は、未だに携帯を持とうともしないので、わざわざ山から40分かけて自宅に。母は用心の為と携帯を持たせているのですが意味なしですよね。)
警官が三名やって来まして、父はその現場を案内する為、先導することに。
私も休みでしたから、興味本位で同行する事にしました。
現場に到着しますと、散乱している白骨が飴色に変色した骨が剥き出しになっていまして、足枷があり、それに鎖が繋がっているのも見えました。
素人目にも古い骨だということはすぐわかりました。
事件性の有無などの確認の為なのか、父は細かい質問を随分受けていました。
検死官もその後、到着しまして、とても古い骨であると言う事。
事件にしても、とっくに時効を迎えているであろう事から、意外なことに…。
警察官「申し訳ないですが、そちらで処分ねがいます」
私も一瞬呆気にとられましたが、父は元々豪胆で、
父「したら、こっちで坊さん呼んで供養してもらうわ」
と、果物用の木箱に骨を入れ始め、検死官と警察官も手伝ってくれました。
その日は、その骨を檀家の住職さんの所へ持ち込み、無縁仏として供養して頂くことにして貰いました。
(その枷と鎖は、まだ寺にあるはずです。)
豪胆な父は、その後また現場へ戻り作業の続きをしようとしたので心配になり、父が帰宅するまで一緒にいました。
帰宅する時に、体が異常にだるかった事を覚えています。
父母と三人で、昼間の奇妙な事件について食卓を囲みながら話し、私は体がだるかった事もあり、入浴の後、父母よりも先に寝ました。
夢を見ました…。
***夢の内容***
なぜか私は、木製のリュックというか箱を背負い石を運ばされています。
朝早くから日が沈むまでそれは続き、やっと開放されたと思えば、小さな掘立小屋のような所に押し込められ、寒さと飢えを感じながら床に着く。
そして夜中に、口を押さえ付けられ代わる代わる犯される…。
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朝起きると、汗びっしょりで変な経験したから、あんな夢みたのかなぁくらいに考えていました。
それからも、三日おきくらいに『同じ夢』を見ました。
一月ぐらいの間ですが。
それから三ヶ月後、生理が二回も来ないので婦人科に行くことにしました。
医師「○○さん、妊娠の可能性があります。」
私「え?どういう意味ですか?」
医師「詳しいことは、これからの検査が必要ですが。」
私は当時、彼氏も居ませんでしたし『妊娠』なんてありえませんでした。
その事を医師に伝えますと、
医師「皮様嚢胞かも知れないので、後日またいらして下さい」
夢の事が何より怖かったですし、聞いたことも無い病名でしたので不安で不安で、その日は会社でも仕事が手に付きませんでした。
その日の夜、急に子宮の辺りに激痛が走り、動くこともままならなかったので、母に救急車を呼んでもらい、昼間受診した病院へ向かいました。
ストレッチャーの乗せられ、車内で唸りながら病院に着くのを待ち、意識が遠くなりそうになった時…
こう、子宮が蠢くような感覚と共に、何が出るような気がします。
また痙攣のような感じと一緒に、私の入り口から『赤みがかった半透明なゆでたまご』のようなものが5~6個ぼろぼろと出てきました。
病院に着く頃には痛みも和らいで来ましたが、まだ意識は朦朧としていました。
その水風船のようなものは救命士の方が医師に手渡してくれたようです。
翌日のお昼近くになってから、私は意識を取り戻し、医師にあれはなんだったのかという質問をしますと、
医師「皮様嚢胞というより、胎児が分裂に失敗してあのような形になる事があります」
私「でも、本当に心当たりがありません」
医師「そう気に病まずに、嚢胞の一種かも知れませんし、後で悪性でないかどうかお知らせします」
結局、悪性ではないことがわかりましたが、どうしてこうなったか、医師に尋ねても『よくわからない』といった返答しかありませんでした。
そして、その一週間後。
またあのリアルな夢を見ます。
立て続けに三日間も。
本当に怖くて、父母に相談した後、心療内科にもいってみましたが、
「特殊な体験の後の、珍しい疾患を患った訳ですから、悪夢を見てもしょうがない」
とだけ言われ、薬の処方を薦められましたが、どうしてもそういう薬には抵抗がある為、なるべく考えないように生活を送ることにしました。
そして三ヵ月後…。
また生理が止まり、婦人科にいきますと…。
医師「前回と同じ症状ですね」
私「…。」
とにかく私は、怖くて怖くて、すぐに摘出してもらうよう頼むことにしました。
でも、前回は上手く出てきたからいいものの、普通なら手術が必要ですし、『掻爬』もリスクが大きいので薦められないとの事。
その一週間後、また前回のように痛み出し意識が朦朧とする中、『ソレ』を排出…。
気が狂いそうになりましたし、理由もわからず、なぜこんな病気に罹ったのか、今でも私はこの病気に苦しめられています。
枷と鎖があった白骨は、お寺で供養したはずなのに…。
病気の発症と、妙な出来事が重なっただけかも知れませんが、今も時折、あの『夢』を見ます。
そして、生理が今月も来ません…。