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実家の職業
俺の実家、京都の“ある地域”にあるんだけど(ていうかあったんだけど)、○○省と10年位前までいざこざしてた。
明治時代まで○○の行事に関わる職業というか、それだけで生活してたわけじゃないけど、祭事の時に呼ばれて出てく役目を担っていた。
これは知識としてそうだったって聞かされただけだけどね。
だけど明治になって、○○が東京に住むようになっちゃったんで放り出された。
まぁこの際ハッキリ言ってウチはBなんで、それまでの何十倍もSABETSUされるようになってしまった。
親から聞く話だと、ここから当家の苦難と恨み辛みの歴史が続くんだけど割愛するね。
で、東京に行った人が亡くなったんだけど、その時、時代の名前も変わるし節目だから色々整理する事になり、行事関係の“関係各位様”にも宜しく言う事になった。
だけど、もう定年で辞める直前のような爺が、
「○○の住所はまだ京都にあるから、ちゃんと昔からの人脈を復権させるべきだ」
とか言い出したんだな。
で、わざわざ高級官僚(コイツの家だって代々この仕事してんだぞ)がやってきて、
「来年は東京に来て昔の仕事を復活させようね」
って言ってきやがった。
無論、当時の当主である親父(ホルモン屋経営)が激怒して追い返した。
彼らの名誉のために言っておくけど、この紛争において○○省からの嫌がらせや恐喝・呪詛行為は一切なかった。(こっちからは呪った)
だけど腹立たしい事に、そのいざこざに横から入ってきてカネを掠め取ろうとする団体が出てきて、本当に滅茶苦茶になった。
こいつらは人間のクズで今すぐ地獄に送り返してやりたいが、元々地獄から生まれてきたようなヤツらなのでどうしようもない。
付き合いが深くなるにつれ、こっちまで憎悪の世界に引き込まれた。
元々、我が家の血筋が悪いからか身の回りで凶事が続発した。
最後には、土地を売却して北海道に移住した。
○○省はどうしたかというと、人形でつつがなく代役を立てた。
ほどなく親父は死んだ。
東京に行った人と同じ死因だった。
親父は腺がんで亡くなったけど、病名は本人に告知しなかった。
親父は頑固に依頼を断り続けた割に、いざ本土を離れたら何か使命感のようなものが沸いてきたのか、しきりに霊的な事や○室の事を気にするようになっちゃった。
で、病院で病名を告げられた時には末期に近かったんだけど、死因が同じになっちゃうと、殉死みたいで俺達家族には耐え切れんものがあった。
だから本人には言わなかったけど、全部判ってるような雰囲気でいたたまれなかったよ。
やっぱり、ゴタゴタの最後に人形に魂を分けるような事をしたから、寿命が縮んだのかなって思う事もある。
親父はホルモン焼きながら占い売ったりもしてたけど、全体的に無気力な人だった。
魂分けの儀の時に、省が衣装を持ってきたんだけど、親父が無言で二階にあがってっちゃったのね。
もうその時は、省の人も含めて当事者全員が疲弊しきってたから、親父おとなしく着てくれ~って焦ったんだけど、押入れからボッロボロの衣装を出してきたんだよ。
これは驚いたね。
省が持ってきたのは、玉とか紐とかはガラス・ナイロンなんだよ。
だけどこっちのは正真正銘のホンチャンだからさ。
そんで、省の人って当初から“貧乏人に仕事やるよ”っていう態度だったのが、その時に空気がサっと変わったもん。
あそこが当家のピークだと、今でも酒の席では話題になるよ。
ウチは人に羨ましがられるような家じゃないし、家柄についての誇りは一切ない。
京都の土地は、後になって例の団体が買い取ったと判った。
今はパチンコ屋になってる。
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何かが住んでいる。
うちは東北の田舎の古い家なんだけど、ときどき自称霊能力者という人達が勝手に来ては、
「この家には悪魔が住んでる」
とか言ってくるんだ。
それで不安にさせといて、お祓いのグッズとか売りつけようとしてくるなら、まあ所謂インチキだって思えるんだけど、そういうこともされないし、ただ『悪魔がいる』って言われるだけ。
祖父母の話を聞くと、本当に昔からそっち系の人たちに、そういうことを言われるらしい。
一回、周りの家に
「あの家に悪魔が住んでる」
と言いふらされて、少し頭のおかしくなってたおばあさんに放火されかけたり、『悪魔の子』とか言われて、自分が殺されそうになったこともある。
一族はわりと長生きだし、大病する人もいないし、悪いことなんて滅多に起こらないんだけど、それなのに悪魔がついてるなんてことあるのかな?
ちなみに、自分は霊能力はまったくゼロ。
オカルト大好きだけど、何も見えなさすぎ感じなさすぎで悲しい。
そっち方面に鈍感過ぎる、とか呆れられたことも。
唯一、家に住んでるらしい座敷童が、夜中走り回る音が聞こえるくらい。
座敷童と悪魔が同居できるのかは知らない。
母は霊能力が強いらしくて色々見えるらしいけど、悪魔のことについて聞いてみると、冗談めかして
「私のことよ」
なんて言う。
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サノアさん
母方の実家は、女には悪いモンがつく筋といわれていて、7歳と13歳の時に、実家近くにある神社の池にある小さな祠に、水と黒い石をお供えをして、その悪いモンから守ってもらう、という習慣がある。
そこの神様は呼び方が『サノアさん』(サというよりシャかな?)もしくは『サンノアさん』『サーノアさん』(シャンノアさん・シャーノアさん?)という感じで、私も二度サノアさんにお参りにいった。
20歳の時まで悪いモンにつかれなかった時は、今度は白い石を持っていき、それをお礼としてお供えして、黒い石は池に放り投げて、サノアさんに清めてもらう。
母もお参りをしたが、母のすぐ下の妹は13歳の時に何かの事情があって(母は詳細を言うのを嫌がった)お参りをしなかった。
その人は精神を病んで、現在は精神病院へ入院している。
そしてさらに一番下の妹も、体が弱く入院していて、お参りを一度しなかった。
その人は19歳の時、ある駅のトイレで自殺をした。
母と三番目の妹は、二度ちゃんとお参りをしたから大丈夫だった、と母は言う。
本当かどうかわからないけど、ちょっと怖いので、もし自分に女の子が生まれたら、念のためお参りに連れて行こうと思う。
ちなみにちょっとズレるけど、母は末の妹が自殺する前の日。
偶然かもしれないけど、家の中で大量の蛇をみかけた。
その蛇たちはタンスの裏側にするすると入っていき、いそいでタンスの裏を覗いたが何もいなくなっていた。
自殺と関係あるかどうかはわからないけど、もしかしたら蛇が関連する神様なのかも、と思ったりします。
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お寺での生活
私の叔母さんは、お寺の跡取りさんと結婚して、離島に一軒しかないお寺に住んでいた。
今は旦那さんに先立たれて、子供もいなかったので、最近私たちの家の近くに引っ越してきた。
お寺といえば、よく怖い話とかじゃ心霊写真だの、いわくつきのものを預かったりとかいうから、伯母さんのところはどうだったの?と聞いた。
「そりゃ、預かったことあるわよ」
と軽く言われ、
「怖くないの?」
と聞いたら、
「慣れるよ」と。
「でもどんどんたまってくでしょ?」
「おたきあげするから」
なるほど~って感じだった。
そんな伯母さんが、一度だけ怖いと感じたことがあって、それは一本の日本刀を預かった時だったそうな。
その刀は抜くと不幸なことがあるという刀で、持ち主は捨てるに捨てれないし、預かってほしいと言ってきたそうだ。
その頃は結婚してお寺に住んでいたが、亡くなった伯父さんではなく、伯父さんのお父さんが住職だった時で、その方が預かったんだそうだ。
住職さんが、預かった後どんな刀だろうと面白がって、止めたけど抜いてしまったそうだ。
そうしたら、その後すぐ喀血して亡くなった。
で、こっからが私が一番怖いと思ったことだけど、
「その後、刀どうしたの?」
って聞いたら、
「なんか知らないけど無くなった」
確かにそうなってもおかしくない。
田舎のお寺で、地域の人が無断でどんどん入ってくるんだよ。
しかも、お寺と自宅がつながってるから、家にまで入ってきちゃう。
私は仕事で行けなかったけど、学生だった妹がお葬式とか整理を手伝いに行ったとき、ドア開けたら廊下に知らない人が立ってて、マジでびっくりしたって。
そんなんだから、よく物がなくなるんだよ。
うちの母は
「まあ結局必要なところに行くのよ」
とか訳の分からんことを言ってたけど、必要なところってどこよ・・・
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イナゴ
亡くなった祖父が体験したこと。
戦争前、大学出てそのまま大陸の鉄道会社に就職したそうで、重慶付近だったかどこだったか、とにかく大陸でのこと。
あるとき、祖父の住んでいた町の近くで蝗の大発生が起きた。
当時この地域は、何年かに一度こうした異常発生にみまわれたらしい。
蝗の大群は田畑の作物をことごとく食い尽くしてしまい、食料不足・飢餓も起こったという。
そしていよいよ祖父の住む町にも蝗の大群がやってきた。
家の窓という窓を締めきり、蝗が入ってこないようにして、ただただ通り過ぎるのを待つ。
祖父にできることといえばそれだけ。
ただ窓越しに蝗を見つづけるしかなかった。
蝗の群れの中に祖父は変なものを見つけた。
それは異常に大きな蝗。
蝗の体長なんて知れたもの。
大きくても数センチくらいのものである。
しかし、その蝗は桁ひとつちがった。
子犬くらいの大きさはある巨大な蝗が飛んでいた。
しかも、体の色は燃えるように赤い色だった。
祖父は大きさよりも、むしろこの色で巨大蝗に気がついたという。
祖父は、同僚もその蝗を見たということを後日知る。
しかも同僚は、複数匹が群れて飛行していくのを見たらしい。
祖父と同僚は自分たちの見たものが信じられず、いろいろ調べたが、そんなものが載っている資料は当然なかった。
地元の中国人に聞いたりもした。
同じようなものを大群の中に見たものはいたのだが、それがなにか説明できるものはいなかったそうだ。