「 不思議体験 」 一覧
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七五三
昔のことなので曖昧なとこも多いけど、七五三のときの話。
こんなことを自分で言うのは何なのだが、私は小さい頃けっこう可愛かった。
今はどうかってのは喪女だということでお察しください。
でも、小さい時の写真を見れば、髪も肩でまっすぐに切りそろえてたから、着物着たらマジ市松人形。
が、そのせいで怖い目にあったことがある。
先に言っとくと、変なオッサンに追いかけられたとかじゃない。
時期は七歳のとき、場所は祖父母の家。
七五三に行く少し前で、七五三のお参りに着ていく着物を祖母に着せてもらう練習かなんかだったと思う。
ともかく本番前に一度着物を着せてもらったんだ。
私はきれいな着物を着せてもらって嬉しくてしょうがなかった。
それを見た母は、絶対に汚さないという約束で、家に帰るギリギリまで着物を着てていいよと言ってくれて、私は着物姿のままで、祖父母の家をぱたぱた歩き回っていた。
祖父母の家は、いわゆる旧家というやつで、家の奥には今はもう物置になっているような部屋がいくつかあった。
私はそこに入り込んで、薄暗い中、古い道具の入った箱の中を見るのが大好きだった。
それでいつものように奥の部屋に入り込んで、古い道具や何かを見ていると不意にすぐ後ろに誰かが来て、
「楽しいか」
と声をかけてきた。
若い男性の声だったから上の従兄かなと思って、
「うん」
と、振り向きもせず遊びながら返事。
すると、
「かわいいね。お人形がおベベ着て遊んでいる」
もっと古風な言い回しだったような気がするけど、そんなことを言った。
振り向こうとすると
「だめだ」
と言う。
目の端に青っぽい模様の入った袴が見えたので、
「お兄ちゃんも着物着たの?」
と訊くと、
「いつも着物だよ」
「わたしね、今日はお正月じゃないのに着物着せてもらったんだよ」
と、しばらくの間、その後ろの人を相手に着物がいかにうれしいかを話していた。
なぜだか後ろは向けなかった。
すると、じっとそれを後ろで聞いていたその人は
「着物がそんなに嬉しいの?じゃあ、ずっと着物でいられるようにしてあげようか。この部屋で、ずっと着物で遊んでおいでよ。お兄さんも一緒だよ」
「ほんと!遊んでくれるの?やった!」
と嬉しそうな私に、後ろの人は続けて言った。
「じゃあ、ずっとここで一緒に遊ぼうね。約束だよ」
「でも、わたし、お外でも遊びたいよ。木のぼりとか虫取りもしたいよ」
「だめだよ。お人形がそんなことをしてはいけない」
「やだよ、お外で遊ぶもん。友達とも遊ぶもん」
「だめだよ。外に出てはいけないよ」
こんな感じの問答をずっと繰り返していると、後ろの人はすっと私の後ろにしゃがみ込んだ。
そして私の髪にさわって、静かな口調で言った。
「かわいいねえ、かわいい。いい子だから言うことを聞きなさい」
ここでやっとおバカな私は、この着物のお兄さんが従兄ではないことに気が付いた。
手元の古い道具ばかり見ていて気付かなかったけども、いつの間にか部屋は暗くなっていて、うっすら白いもやまで立ち込めていた。
「かわいいお人形だ、かわいい、かわいい……」
やさしい手つきで髪をさわっているけれど、背中が総毛立った。
「かわいい、かわいい、いちまかな、カブロかな、かわいい、かわいい、かわいい……」
少し怖くなった私は頑張って言った。
「わたし、人形じゃないよ」
「かわいい、かわいい、かわいい…」
「この着物は七五三で着せてもらったんだよ」
手がぴたりと止まった。
「七五三?」
「うん、着せてもらったの」
「もう七つ?」
ここで私は、嘘でも七つと答えなければいけないような気がした。
実際にはまだ六つで、七五三には次の週かなんかに行く予定だったんだけども、嘘でも七つと答えなければいけないような気がした。
だから答えた。
「七つだよ」
すると後ろの人は、すっと立ち上がり、今度は頭をなでて
「かわいいね。でも、もうお帰り」
そのとたん、部屋がふっと明るくなった。
慌てて後ろを振り向いたが誰もいない。
変なの、と思ったが、その後は特に気にせずそのまま遊んでいた。
でも夕方だったのですぐに母親に呼ばれて、部屋からは出た。
それでその時は洋服に着替えさせられて家に帰った。
親には一応話したけど、遊んでるんだろうと思って本気にはされなかった。
それで、次の週かその次の次だったかもしれんが、七五三に行った。
神社の帰りに祖母の家に寄ったけども、奥に行く気にはならなかった。
もしあの時『ここにいる』『六つだ』と答えていたら、一体どうなってたんだろう。
可愛いからというより、気に入られたのかもしれないけど、それ以来『かわいい』という言葉には自然と身構えるようになってしまった。
後ろに立ってた人については、いまだに何もわからない。
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事故の多い交差点
小学2年生の頃、交差点で車に跳ねられました。
場所は小学校の通学路で、小学生の死亡事故が何度かあった交差点です。
私は、歩行者信号が赤だったので下を向いて待っていました。
すると数人の小学生が後から追い付いて来ました。
しばらく待っていると周りの子供達が渡り出したので、私はてっきり青になったと勘違いして確認しないで歩き出しました。
すぐに大きなクラクションと同時に車に跳ねられてしまい、入院しました。
幸い骨折程度で助かりましたが、入院中にお坊さんが来てお経を聞かせられたりしました。
退院するとその交差点には、お地蔵さんが設置されてました。
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ボロアパートのシミ
うちのオカンがまだ20代、当時の彼氏と同棲するためにアパートを探していた時の話。
いわゆる『神田川』の時代で、貧乏だった2人は漸くボロい安アパートの一部屋を見つけた。
それでもやっと見つけた2人の愛の巣。
オカンと彼氏はその部屋を借りる事に決めた。
部屋は予想通り汚く、居間と台所の間にはデカいシミまでこびりついている始末。
大家のババアは
「雨漏りがねえ…」
と呟きながら部屋の点検。
浮かれるオカンと彼氏。
夢の同棲生活が始まって数日。
彼氏の仕事も決まりその初日。
体調のすぐれなかったオカンは、布団の中から彼氏の出勤を見送る。
ウトウトしだしてどれぐらい経っただろうか。
突然、オカンの体が強張る。
「…あ、来た」
金縛りだ。
部屋探しの疲れも溜まっていたのだろうが、何にしろ気分の良いモノではない。
暫く大人しくして過ぎ去るのを待っていたが、一向に金縛りが解ける気配が無い。
さすがに焦り始めたオカン。
そして、そのオカンの耳に聞こえてきた声…。
赤ん坊の泣き声だった。
尋常じゃない体験にオカンは金縛り状態のまま気絶。
次に目が覚めたのは、とっぷりと日の暮れた夜中だった。
その金縛り事件の翌日。
オカンは意識不明直前の高熱に襲われた。
風邪をひいた様子もなかったし、取り敢えず慌てて彼氏と病院へ直行。
高熱の原因は不明だったが、ただ一つ、オカンのお腹に宿っていた赤ん坊が流産していた。
医者は高熱の理由をこの流産だとし、数日入院した後、体力の戻り切らぬ体を引きずる様にしてアパートに帰宅した。
やがて体力も回復し、心身ともに回復したオカンは部屋の掃除を始めた。
あの床のシミは拭いても拭いてもなかなか取れなかったが、ふとおかしい事に気付いた。
大家のババアは『雨漏りがねえ』と言っていた。
しかし、この部屋は2階建ての1階だ。
雨漏りなんかする訳がない。
まぁこれだけ古いアパートだ、そう言う事もあるだろうと、部屋の隅にある小さな窓を拭こうとした時、オカンは見つけてしまった。
長い間借り手も付かなかったのだろう。
窓ガラスには埃が積もり、そこに指文字で
『生きたい』
『生きたい』
『生きたい』
翌日、大家のババアを問い質すとババアは漸く白状した。
以前、この部屋には気弱そうな若者が住んでいたと。
ある蒸し暑い夏の日。
その若者は居間と台所の間、その上にある鴨居にロープをかけ、自らの命を断ったと。
結局、流産とその話との関係は解らなかったが、後に聞いた話では、その若者の遺書の中にはその時付き合っていた女性に裏切られた事への恨み言が書かれていたとかいないとか…
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田舎の夜道
4年くらい前だったと思う。
当時俺は専門学校生で、実家から離れて暮らしてた。
夏休みになって帰省したんだけど、実家は田舎だからかなり暇だった。
夜の11時頃になって、暇と暑さに耐えかねて原付で近所のスーパーに出かけたんだ。
行ってはみたものの金はないし、特に欲しいものもない。
結局、そんなに時間が経たない内に帰ることにした。
真っ直ぐ帰っても暇なだけだから、少し遠回りして裏道通って帰ったんだ。
んで、家まであと少しってところで、道沿いに白い服着た人が二人歩いてくるが見えた。
「こんな夜中に珍しいな・・・」
とは思いつつ、だんだん人の方に近づいてくと、二人とも死装束みたいな白い和服着てた。
怖かったけど引き返せるスピードじゃなかったから、そのままスルーすることにした。
すれ違うときにチラッと顔を見てみたら、二人とも思いっきり睨んでた・・・
しかも、裸足みたいに見えた(サンダルかも)
家に帰ってからふと気付いたんだけど、その日は盆入りだった。
お墓から帰宅する途中の人?に遭遇しちゃった?
田舎で人が少ないだけに、生身の人間だとしても気味悪すぎる体験だった。
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本家の神様
俺、小さい頃、母親に軽い虐待っぽいものを受けてたのね。
でも当時小さくて、おまけに母子家庭で一人っ子だった俺は他の家の家庭環境なんて分からないし、同い年の子がどういう風に親と接してるかも分からなかったから、きっと他所の家族もこんなもんなんだろうなぁくらいにしか思わなかったから、誰かに言ったりもせずに普通に幼稚園とかも行ってたの。
で、たぶん6歳くらいの時に母さんが仕事を辞めたから、二人で母方の実家に住むことになった。
その爺ちゃんちってのがうちの本家の方で、家に大きな神棚みたいなのがあって、そこに神様が居たの。
神様って言っても、お化けとか普通の人には見えないとかそういうのじゃなくて、なんていうか神様の本体みたいな。
分家にはそれを型どった偽者みたいなのがあるらしいんだけど、爺ちゃんちは黒塗りでちっちゃい観音開きの縦置きにした棺みたいなのにその神様が入ってるのね。
でも、その神様は女の人がお世話をしちゃいけないみたいで、毎年決まった日にその家の男の人が中から出して世話をするのがしきたり。
俺には父さんが居なかったから、自動的に次に世話をする役目につくのは俺って言う事になる訳で、爺ちゃんはそれが嬉しかったんだか、ノリノリで神様のことを小さい俺に説明してくれたりしてた。
俺は神様が(女の子でいうとぬいぐるみみたいな感じ)可愛くて小さい家族みたいなイメージで大好きになって、幼稚園から帰ってきては神様に向かって話をして、庭で花を摘んでは家の裏にあるお稲荷さんとその神様にお供えしたりしてた。
ある日、爺さん婆さんが居ないうちに母さんが俺にプチ虐待をしてくるような事があって(喜ばれる話じゃないから具体例割愛するね)でも俺は虐待って認識はなかったから、凄く怒られたくらいの捉え方で家の裏のお稲荷さんの祠まで逃げてそこで泣いてたんだ。
で、俺はいい事を思いついた。
母さんのことを神様たちに相談することにしたの。
俺は泥で作った団子と花とお金とをお稲荷さんと神様に供えて「母さんが許してくれますように、俺の事もっと好きになって優しくなってくれますように」ってお願いした。
でも当然そんな事をしたぐらいで事態が良くなる事はなくて、むしろ仕事を始めたばかりでストレスが溜まってたのか、母さんのプチ虐待は頻度を増してった。
次第に爺さん達も俺の痣とかを怪しみ始めてて、子供心にもこれはやばいと思った俺は、毎朝毎晩お供え物を持って何度も何度もお願いした。
そしたら2週間くらいたった頃、明け方早くに目が覚めることが多くなってきたんだ。
物音がしたような気がして、はっとして起きるけど音なんて全然鳴ってない。
そんなことが何日も続いた。
そしてある日の朝、3時か4時位にいつものように目が覚めてしまった俺は、おしっこがしたくなって便所に行くついでに神様に挨拶をしに行くことにしたんだ。
それで縁側の廊下を歩いてたら、庭に誰か居ることに気づいた。
障子を開けてみると、見た事ない白緑の着物を着たおじいさんが庭にある焼却炉の上から俺をじっと見ていた。
おじいさんは俺と目があった事に気づくと、にこっと笑って頷き、俺に向かって何かゆっくり喋った(ガラスが閉まってたから声は聞こえない)
俺はきっと近所の神主さんか何かなんだろうと思って、お辞儀をしてそのまま便所に行って寝たんだけど、それから何日も経たないうちに母さんが倒れた。
原因は職場のストレスらしかったけど、胃がおかしくなったみたいで2週間かそのくらい入院していた(たぶん精神科とかにも行ってたんだと思う)
2週間後、退院して帰ってきた母さんは、それこそ人が違ったかのように俺に優しくなっていた。
というか、母さんじゃなくなってた。
もう明らかに違う。
見た目とか声とかは変わってないんだけど、俺に対する態度とかはまるきり別人だった。
まず呼び方が変わっていた。
以前は下の名前でそのまま読んでいたのに、帰ってきた母さんは俺をゆーちゃんなんて呼びはじめて、おまけにいきなり料理が作れるようになったり、手を繋ぎたがるようになったり。
昔はありえなかったのに、一緒に買い物に連れて行ってくれたり、オムライスに字とかまで書いてくれたりするようになった。
でも、その代わりに俺の好きな物とか好きな色とかは忘れてる。
もともと知ってる方ではなかったけれど、きれいさっぱり。
母さんがくれた押し花を見て「ゆーちゃん押し花が好きなの?お母さんも押し花やってみたいな^^」とか(俺が知ってる母さんの唯一の趣味が押し花なのに)
そしてそれから13年間、今に至るまで母さんはそのままだ。
虐待の事は、そもそも俺と母さんしか知らなかったんだけど、そのことに関してもまるきり忘れたみたいな感じだった。
もちろん、それから殴られたり蹴られたりもしなくなった。
これは俺の勝手な想像だけど、神様は別の誰かを母さんの中に入れたんじゃないかと俺は思ってる。
だとしたら、最初に母さんの中に入ってた本物の母さんはどこに行ったんだろう。
俺も、もうそろそろ20歳。
神様のお世話をする年齢が間近に迫った今、それが毎日気になって仕方がない。