「 不思議体験 」 一覧
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爺ちゃんとの秘密
俺は物心ついた時から霊感が強かったらしく、話せる様になってからは、いつも他の人には見えない者と遊んだりしていた。
正直、生きてる者と、この世の者ではないものとの区別が全くつかなかった。
知らないおじさんが玄関から入ってきても、誰も気付かず、
「おじさんがそこに立っとーよ」
と言っては、
「そげん人はおらん!」
と怒られ、叩かれたりもした。
だから俺は、怒られるのが嫌で、少しずつ無口になっていった。
ただ1人、俺の味方だったのが爺ちゃん。
一緒に歩いてる時、向こうから歩いてくる男がいた。
全体的に灰色がかっていて、顔が土気色。
そして背中にピッタリと張り付いている黒いもの。
爺ちゃんに、
「あの人、どげんかしたと?何で黒いのしょってるん?」
と聞いたら、
「ああいうんは、よくよく見とったらいけんよ、ちゃんと区別をつけるようにしんしゃい。人には影が出来るが、あのもんに影はなかろうが。まだ生きとるけどな…」と。
見れば確かに、その男には影がなかった。
そして追い風にも関わらず、線香と、何か腐った様な強烈な臭いがしてくる。
すれ違う時には、その臭いで何度か吐いてしまったのを覚えてる。
そういうものを何度も目にしたりして、爺ちゃんに色々教わっていく度に、
「ここには近寄ったらだめ」
「あの人には近寄ったらだめ」
と、段々分かる様になっていった。
そして爺ちゃん以外の人には、話してはいけない事も。
そんなある日(小学校2、3年位)夏休みで母の妹家族のとこへ遊びに行った。
(その頃、爺ちゃんは妹家族と同居してた)
丁度、同い年位の子が二人いたから楽しくて、毎日遊んでたら、ある日の昼に暑さで鼻血を出してしまった。
叔母さんの家に行くと、少し横になってなさいとの事で、ある一室に連れて行かれそうになったんだけど、そこは自分なりに気付いてた『近寄ったらだめ』な場所だった。
断ったけど、ガキの言う事なんて勿論聞いてはくれず、でも1人は絶対に嫌だったから、庭にいた爺ちゃんを呼んで一緒に寝てもらう事に。
「何かあってもジィがおるけん、大丈夫」
の言葉に安心して、気がついたら寝てた。
どれ位寝たのか、ふと目を醒ますと異様な寒さと線香の臭い。
ヤバい、怖いと初めて思い、爺ちゃんを見るとグッスリ寝てる。
起こそうと思った時に、初めて自分の体が動かない事に気付いた。
掠れ声ぐらいしか出ない。
それでも爺ちゃんを呼び続けた。
その時、ゆっくりと襖が開いて出てきたもの。
首と右腕、左膝から下が無く、戦時中に着ていたと思われるボロボロの服を着て、焼け爛れたものが這いずりながら俺の足元まで来た。
そいつは、俺が掛けていたタオルケットをゆっくり引っ張る。
何度爺ちゃんを呼んだか、
「爺ちゃん起きて!」
と、掠れ声で叫んだ瞬間
「なんや?」
と、こっちを向いた爺ちゃんの顔は焼け爛れ、皮膚が剥け、片目と鼻の無い、今俺のタオルケットを引っ張っているそいつの顔だった。
多分、一瞬気絶したと思う。
でも、
「まだ終わらんぞ…」
って低い声と変な笑い声で気が付いた時、そいつの体はもう半分位、俺の体の上に乗っていた。
そいつの血と自分の汗が混ざって、ヌルヌルする様な気持ち悪い感触。
その時突然、すげー勢いでお経を唱える声がした。
泣きながら横目で爺ちゃんを見ると、怖い顔で聞いた事のないお経を正座してこっちを向いてあげ続けてた。
そしたら、そいつが舌打ちしながら、
「クソガキが…」
みたいな事をモゴモゴ言いながら、煙の渦に吸い込まれてった。
その後はもう、爺ちゃんにしがみついて大泣き。
泣き声を聞き付けてきた叔母さんに、爺ちゃんは、
「怖い夢を見ただけだ」
と言い、ごまかしてくれた。
落ち着いてから、爺ちゃんにあのお経はなに?って聞いたら、
「ジィにもわからん、勝手に口をついて出たけん、多分ご先祖様が助けてくれたんやろ」
と。
その後、二人でアイスを食べながら庭の雑草を取ってたんだけど、何となく俺が掘り返した所から木の札が顔を出した。
爺ちゃんを呼ぶと、血相を変えてこっちにやってきて全部掘り返すと、その何枚かの札には何か書いてあり、大量の釘が打ってあった。
「お前は見んでよか、触るな」
と言い、裏の焼却炉の方へ持っていってしまった。
後で何が書いてあったのか聞くと、子供への怨み事が沢山書かれていたらしい。
小6の三学期、爺ちゃんが胃癌末期と知らされ、最期まで爺ちゃんにバレない様にしろと家族に言われたが
(今思えば小学生に対して無茶ぶりだ)
1人で毎日見舞いに行く度に、俺が我慢出来ずに泣くもんだから、完全にバレてしまってた。
というか、爺ちゃんは最初から自分が長くない事を分かってた気がする。
「ジィがあっちに行く時は、お前のいらん力を持ってくけん、ジィがおらんようなっても、なーんも心配いらん」
と、いつも優しく頭を撫でながら安心させる様に言ってくれていた。
そして爺ちゃんが亡くなってから十数年、怪しい場所や人から線香や腐敗臭、頭痛はしても、それ以上のものは一切見えなくなった。
ただ、結婚して子供もいる今、長男が幼かった頃の俺とソックリな行動をたまにしているのを見ると、先の事を考えて背筋が少し寒くなる。
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飛び降り
大学時代の経験を一つ。
神奈川の、敷地だけは広い某大学でのこと。
講義を受けてる時に、遠方の校舎の屋上から飛び降りる男を見た。
俺は窓からその光景を見ていたんで、驚いて立ち上がったんだけど、声を上げようとしておかしなことに気づいた。
男が落ちた場所に死体が無い。
おかしいな、と思ってもう一度屋上を見ると、また同じ男が屋上からダイブしていた。
そして地面に墜落する寸前に消えた。
んで、また屋上から飛び降りる。
後はもうエンドレスだった。
飛び降りては消え、飛び降りては消え、動画をループ再生してるみたいに延々それの繰り返し。
俺は、『よく死者は死んだ時の状況を繰り返す』って話を思い出して、その男がこの世のモノじゃないんだってわかった。
毎日毎日、朝も昼も夕方も、延々その自殺風景はループしていた。
さすがに何度も見てると慣れてしまうもので、俺はだんだん気にしなくなっていった。
もはや、その自殺風景が日常になってしまったんだ。
でも、ある日俺が食堂に向かうために友人と外を歩いてると、ふと真上から震えたような声がした。
「誰か止めて」
びっくりして上を見上げると、頭上数メートルくらいのところに、飛び降りてきた男の顔があったんだ。
一瞬で思い出したよ。
俺が立ってる場所が、男が墜落した場所だってこと。
気づいた時には遅かった。
左肩に凄まじい衝撃を感じて、俺は気を失った。
起きた時には病院のベットで寝てた。
幸い、肩の脱臼と肘を骨折した程度で済んだ。
友人に聞いたところ、何もないのにいきなり俺が肩を沈ませて倒れたらしい。
頭から垂直に落ちてくる男の引き攣った半笑いみたいな顔と、肩に感じた髪の毛が擦れるような感触と衝撃を今も覚えてる。
去年、サークルの飲み会で久々に大学に行ったんだけど、男はまだ飛び降りを繰り返してたよ。
それ以来、自殺だけはしねぇと誓った。
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海からやってくるモノ
普段、付き合いの良い同僚が、何故か海へ行くのだけは頑として断る。
訳を聞いたのだが、余り話したくない様子なので飲ませて無理やり聞き出した。
ここからは彼の語り。
ただし、酔って取り留めのない話だったので、俺が整理してる。
まだ学生だった頃、友人と旅に出た。
たしか後期試験の後だったから、真冬だな。
旅とは言っても、友人の愛犬と一緒にバンに乗って当てもなく走っていくだけの気楽なもんだ。
何日目だったか、ある海辺の寒村に差し掛かった頃、既に日は暮れてしまっていた。
山が海に迫って、その合間にかろうじてへばり付いている様な小さな集落だ。
困ったことに、ガソリンの残量が心もとなくなっていた。
海岸沿いの一本道を走りながらGSを探すとすぐに見つかったのだが、店はすでに閉まっている。
とりあえず裏手に回ってみた。
玄関の庇から、大きな笊がぶら下がっている。
出入りに邪魔だな、と思いながらそれを掻き分けて呼び鈴を鳴らしてみた。
「すんませーん。ガソリン入れてもらえませんかー?」
わずかに人の気配がしたが、返事はない。
「シカトされとんのかね」
「なんかムカつくわ。もう一度押してみいや」
「すんませーん!」
しつこく呼びかけると玄関の灯りが点き、ガラス戸の向こうに人影が現れた。
「誰や?」
「ガソリン欲しいん…」
「今日は休みや」
オレが言い終える前に、苛立ったような声が返ってくる。
「いや、まぁそこを何とか…」
「あかん。今日はもう開けられん」
取り付く島もなかった。
諦めて車に戻る。
「これだから田舎はアカン」
「しゃーないな。今日はここで寝よ。当てつけに明日の朝一でガス入れてこうや」
車を止められそうな所を探して集落をウロウロすると、GSだけでなく全ての商店や民家が門を閉ざしていることに気付いた。
よく見ると、どの家も軒先に籠や笊をぶら下げている。
「なんかの祭やろか?」
「それにしちゃ静かやな」
「風が強くてたまらん。お、あそこに止められんで」
そこは、山腹の小さな神社から海に向かって真っ直ぐに伸びる石段の根元だった。
小さな駐車場だが、垣根があって海風がしのげそうだ。
鳥居の陰に車を止めると、辺りはもう真っ暗でやることもない。
オレたちはブツブツ言いながら、運転席で毛布に包まって眠りについた。
何時間経ったのか、犬の唸り声で目を覚ましたオレは、辺りの強烈な生臭さに気付いた。
犬は海の方に向かって牙を剥き出して唸り続けている。
普段は大人しい奴なのだが、いくら宥めても一向に落ち着こうとしない。
友人も起き出して闇の先に目を凝らした。
月明りに照らされた海は、先程までとは違って、気味が悪いくらい凪いでいた。
コンクリートの殺風景な岸壁の縁に蠢くものが見える。
「なんや、アレ」
友人が掠れた声で囁いた。
「わからん」
それは最初、海から這い出してくる太いパイプか丸太のように見えた。
蛇のようにのたうちながら、ゆっくりと陸に上がっているようだったが、不思議なことに音はしなかった。
と言うより、そいつの体はモワモワとした黒い煙の塊のように見えたし、実体があったのかどうかも分からない。
その代わり、ウウ…というか、ウォォ…というか、形容し難い耳鳴りがずっと続いていた。
そして先程からの生臭さは、吐き気を催すほどに酷くなっていた。
そいつの先端は、海岸沿いの道を横切って向かいの家にまで到達しているのだが、もう一方はまだ海の中に消えている。
民家の軒先を覗き込むようにしているその先端には、はっきりとは見えなかったが、明らかに顔のようなものがあった。
オレも友人も、そんなに臆病な方ではなかったつもりだが、そいつの姿はもう何と言うか『禍々しい』という言葉そのもので、一目見たときから体が強張って動かなかった。
心臓を鷲掴みにされるってのは、ああいう感覚なんだろうな。
そいつは、軒に吊るした笊をジッと見つめている風だったが、やがてゆっくりと動き出して次の家へ向かった。
「おい、車出せっ」
友人の震える声で、ハッと我に返った。
動かない腕を何とか上げてキーを回すと、静まり返った周囲にエンジン音が鳴り響いた。
そいつがゆっくりとこちらを振り向きかける。
(ヤバイっ)
何だか分からないが、目を合わせちゃいけない、と直感的に思った。
前だけを見つめ、アクセルを思い切り踏み込んで車を急発進させる。
後部座席で狂ったように吠え始めた犬が、「ヒュッ…」と喘息のような声を上げてドサリと倒れる気配がした。
「太郎っ!」
思わず振り返った友人が、
「ひぃっ」
と息を呑んだまま固まった。
「阿呆っ!振り向くなっ!」
オレはもう無我夢中で、友人の肩を掴んで前方に引き戻した。
向き直った友人の顔はくしゃくしゃに引き攣って、目の焦点が完全に飛んでいた。
恥ずかしい話だが、オレは得体の知れない恐怖に泣き叫びながらアクセルを踏み続けた。
それから、もと来た道をガス欠になるまで走り続けて峠を越えると、まんじりともせずに朝を迎えたのだが、友人は殆ど意識が混濁したまま近くの病院に入院し、一週間ほど高熱で寝込んだ。
回復した後も、その事について触れると激しく情緒不安定になってしまうので、振り返った彼が何を見たのか聞けず終いのまま、卒業してからは疎遠になってしまった。
犬の方は、激しく錯乱して誰彼かまわず咬みつくと思うと泡を吹いて倒れる繰り返しで、可哀そうだが安楽死させたらしい。
結局アレが何だったのかは分からないし、知りたくもないね。
ともかく、オレは海には近づかないよ。
以上が同僚の話。
昔読んだ柳田國男に、笊や目籠を魔除けに使う風習と、海を見ることを忌む日の話があったのを思い出したが、今手元にないので比較できない。
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硫黄島の英霊関連の話
その1
硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。
ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところでばったり!と倒れたそうです。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、
「誰かに呼ばれた気がする……。」と。
その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。
その霊感青年以外にも『呼ばれた』隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。
その2
外来宿舎に金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。
私たちが行った時、人数の都合で自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。
怖いのが嫌というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが、きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土からミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えて、
「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが、この半分を○○県の△川に流します。半分はこちらに置いていきます。」
と、念じました。
心配されていた私の部屋では何も起こりませんでした。
が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。
明かりをつけると、ベッドの位置が引きずった跡もなく、思い切りずれていました。
それから後、夜は何事もありませんでした……。
その3
医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。
入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。
医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。
(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)
「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」
試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で、
「地下があったらしいと聞いています。」と。
……下に降りる階段が見つからないのだそうです。
今も。
他の壕では『平成○年○月、調査ここまで』と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。
遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。
その4
横須賀の教育隊に行ったとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。
分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、お供え物の一品としてタバコが置かれてあったんだって。
そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。
まぁ、まだ硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。
案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。
そいつを起こして何があったか聞いたところ、
「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたらさ、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」
と真っ青な顔で答えたとのこと。
戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。
異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。
嗜好品は唯一の慰めだね。
甘いもの。
水分。
本や写真。
人によってそれぞれ。
俺は吸わなかったけど、煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たよ。
その5
硫黄島の戦い終盤には、西戦車中隊の95式軽戦車、97式中戦車は殆ど破壊されて残っていなかった。
擱坐した米軍のM1シャーマン戦車の75mm砲を使って、しばしば反撃した事は生き残った人間の証言からわかっている。
それよりも自衛隊スレのオカルトのところにすごい話が載っている。
硫黄島勤務の自衛官は度々英霊を目撃しているのだが、ある自衛官が『加藤隼戦闘隊』のビデオを一人で見ていたら、
「いいものを見せてくれてありがとう」
と言う声が聞こえたそうだ。
あ~今、英霊が来られてるんだ、と感じたその人は、テーブルの上にビールとタバコを置いて供養したそうだ。
その後、本土に帰隊した後、宝くじを買ったところ・・・なんと1億円あたった。
うそみたいな話だけれど、自衛隊の中では有名な本当の話だ。
その人は、今でも英霊が引き当ててくれたと信じている。
その6
B大の3学年には硫黄島研修と言うのがある。
愛国心を高めるために悲惨な激戦地の戦史を勉強する為にね。
俺が聞いた話では、硫黄島の石を持って帰ってはいけないと言われていたのに、隠して持って帰って来た学生が帰って来て3日目の朝の点呼の時に出てこなかった。
週番が調べに行くと心臓麻痺で死んでいたそうだ。
で、B大に伝わる怪談はここから始まるだが・・・
その死んだ学生のベットをそのまま使っていたらしい・・・
そのベッドで寝ていると、とにかく金縛りにあう。
それでベッドを替えてくれと指導教官に頼むと、教官はやっぱりそうかって顔をしてすぐに変えてくれる。
と言う噂を話を聞いた。
ちなみに、俺は半年で辞めたから本当の理由があると言う話は聞いた事がない。
その7
元海自で潜水艦勤務経験者の主人が、硫黄島に行ったことがあると話していたので日曜日の朝っぱらから聞いてみました。
砂持ち帰りダメな理由は、
「昔、沢山の方が亡くなっているから・・・」と。
もっと詳しく聞こうとしたら、すごく嫌がってました。
「砂って何色?砂にホネとかまじってるの?」
とたずねると、砂はふつうの砂浜の色との事ですが、ホネ以前に
「・・・怨霊とか、そういう問題」
との事で、すっかり黙り込んじゃいました。
検疫とか放射能ではなくて、マジにオカルトな理由との事です。
ちなみに主人はあまりオカルト信じたくない人間ですが、あんまり聞くと怒り出しそうな感じでした。
それから小一時間問い詰めたら、国家の機関が堂々とオカルト認めるのは立場的に云々・・・
でも世の中には科学で説明のつかないこともあるっていうのも、かなりの隊員が経験しているので結果的に、
『もちかえると、根拠はわからないが、不思議とよくないことが実際に起こる』ので禁止との事です。
話している主人の顔が真っ青で、こっちの方が怖かったです。
どれだけ怖い事なのか、よく伝わったので・・・
その8
YS-11M機上整備員です。
実体験ですが、数年前の夏、無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便。
大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。
定刻に離陸なのですが、いつもより滑走距離が長い。
Pも変だなーという顔。
夏の日差しの機内は程よい温度で、弁当の後やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというか、ひそひそ声でふと目が覚め、機内を見回しても海保さんが寝てる姿しかない。
改めて寝直すと、
「これで国に帰れる」
「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。
流石に目が覚めて、後部貨物室を見回してもなにも。。。。
海保さんも、やや青ざめた顔で、
「聴きましたか?」
と、2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが、
「それで重かったのか、お盆も近いし」と。
その後、何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと、
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」
その9
こういう話も。
YS-11Mはもうよぼよぼの機体で、あっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが、厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が、戻るか戻らないかという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると、当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは、霊の類は信じない人でしたが、それ以来、硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。
その10
まぁ、書くか。
YS-11Mの機上整備員です。
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが、偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが、
「先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!」
「あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスにその話してみろ。」
ロードマスターに上記の話をしたら、どうも旧軍の霊らしいと。
日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も定期便時(厚木→硫黄)は、内地から和菓子、水、酒、弁当を1組積んで飛んでいきます。
こういう話も。
有る定期便が硫黄に向かうと天候悪化で滑走路が見えず、もう1度トライしてだめなら帰ると言うときに硫黄の滑走路端に灯りが見え、無事にタッチ。
Pが礼を言いに行くと、誰もサーチライトとかを付けてないと。
その11
昭和天皇の話だが、幽霊島になってた硫黄島に慰霊に訪れたら何処からともなく万歳三唱が聞こえてきて、以降幽霊がパッタリ出なくなったっていうのは聞いた。
その時に御読まれになられた俳句。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ(皇后陛下)
その12
■硫黄島の高松宮殿下
『高松宮日記』全八巻の完結を前に『This is 読売』一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。
昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。
硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。
戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。
殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。
「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」
次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。
とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。
仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。
「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」
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イモケ様
昔、ばあちゃんの家に預けられてた時、後ろの大きな山にイモケ様って神様を祭る祠があった。
ばあちゃんの家の周りには遊ぶ所も無く、行く所も無かったから、その祠の近くにある池でよくじいちゃんと釣りをしていた。
ある日、じいちゃんとばあちゃんが町に買い物に行くので、俺一人で留守番する事になったんだけど(軽トラなので)する事が無かったので一人釣りに行く事にした。
実は、その池に行くのにはいつも凄く遠回りをするが、2人共いなかったので抜け道をする事にした。
その抜け道は、丁度となりのトトロでメイが潜っていった様な所で、ひと一人抜けられる場所だ。
でも、じいちゃんもばあちゃんも絶対通ってはいけないと言ってた。
(理由は教えてくれなかった)
入り口を囲む様に石が並べてあったが、子供な俺はそんなのお構いなく入っていった。
今思うと完璧に人工的な並びだった。
そうして歩くこと20分、池に着いた。
1時間程、釣りをしていて何気なく遠くの方を見たらチラッと人影が見え、声が聞こえた。
「あきよへほ あきよへほ」
みたいな感じに。
普段、誰も来ない場所なので少し気になり、見に行くことにしたが誰もいなかった。
まぁ気のせいだと思い、釣りを始めようと思っていたら、じいちゃんの軽トラが走ってきた。
俺はじいちゃんが迎えに来てくれたと思い、釣り道具を片付けていたら、物凄い勢いでじいちゃんが車で近づいてきた。
問答無用で車に押し込められ、釣竿もお気に入りだった水筒も、その場に置きっぱなしになってしまった。
何か白い布を被され、絶対出てくるなと言われ、家に帰るまでじいちゃんはずっと何かを唱えていた。
家に着くと、俺を包んでいた白い布をじいちゃんが被り、新しい布をばあちゃんがかけてくれた。
ふと見ると、近所の人達が集まっていて、家は白い布で覆われていた。
あれほどの大きな布をどうやって調達したのか、今思うに、この時の為に用意してあったのだと思う。
そして、ばあちゃんにお風呂に入れられ、少し大きな部屋に連れて行かれた。
知らないお爺さんがいて、何処を通っていったのか、どのくらいの時間かかったのか色々聞かれた。
その後、イモケ様の事について聞いた。
イモケ様は池を守る神様だけど、幼くて一人では寂しいからと、昔は子供を生贄に捧げていたらしい。
その子供が抜け道を通り、イモケ様の所へ行っていたらしい。
しかし生贄とかの時代が終わり、寂しくなったイモケ様は里に下りてきて子供を連れて行くようになり、連れてきた子供が逃げないように足の筋を切り、ずっと自分の側にいさせていたらしい。
それで、イモケ様が外に出ないように石を並べて道を閉じたと言う話だった。
最初は冗談と思って聞いていたが、自分の足を見た瞬間凍りついた。
右足のスネの後ろが切れていて血が出ていたから。
でも痛くはなかった。
いきなりお爺さんが叫んで、白い布を被った人が俺を囲み、ばあちゃんが傷を小さい札?みたいな物で止血してくれた。
このままでは危ないと言う事で、急遽俺は家に帰されることに。
またしても布を被され、じいちゃんの車に乗せられた。
イモケ様は白い物が見えないらしく、布を被れと言う事だった。
(にも係わらず家の中で足を切ったのは、完全に家を覆いきれて無かったかららしい)
布を被る前に見たじいちゃんの軽トラは、黒い部分はわら半紙で隠され、荷台には大量のお菓子が載せられていた。
すごくかっこ悪かった。
そして何事も無く走る車。
俺は、もっと何か起きると思っていたので拍子抜けしてしまった。
ずっと布を被っていたので、つい窓を開けてしまったら外から、
「きよへ」
と声が聞こえたが、じいちゃんは普通に運転していたので気のせいだと思ったが、今度は耳元で
「きよへ」
の声がはっきりと聞こえた。
ここで意識が無くなった。
目が覚めるとばあちゃんの家だった。
ばあちゃんに話したら、全て夢だと言われた。
水筒も無くなってるし、釣り道具も無かった。
この話をしても誰も信じてくれないが、右足に本当に傷が残ってて何年経っても最近出来た傷のように見える。
本当の話なんだけど、何か知ってる人いないですかね?